『商道 風姿花伝』第39話

【能のよき・悪しきにつけて、シテの位によりて、相応のところを知るべきなり】

ここでは非常に意味深い事が書かれています。

『能は上手だが能を知らない役者と能はそれほどでもないが能を知っている役者、どちらがいいか?』

一座を成功に導くのは後者だと世阿弥は書いています。

つまり、能を知る=自分を知る=相応のところを知る、ということが大事だということです。

商売でいえば、商品知識があって商売が上手だけども、商いのなんたるかを知らない人よりも、商売はそんなに上手でないが、商いの本質をわかっている人は、その会社・商家を成功に導くということです。

商いというのは非常に奥深いものです。やればやるほど、その道の遠さを感じます。その中でも、『売れるには売れる理由がある』という事を感じるのです。

売れて得意げになっていないで、なぜ売れたのかを自分で分析してみる。

また、売れなかった、売りのがした、と思うとき、なぜそうなってしまったのか、なにが足りなかったのかを、反省してみる。

そうすると、自分や自分の商売というものが客観的に見えてきます。

お客様は自分に何を期待してくださっているのか?

この商品にどんな効用を期待して買ってくださったのか?

この商品の他商品に対する比較優位性はなんなのか?

自分の思惑通りに、お客様に伝わったのか?

いろいろ考えていくと、自分の『勝負玉』がわかってきます。

野球にたとえるなら、配球のコンビネーションも大切です。

商売は点でとらえるのではなく、あくまでも線で、永く愛顧いただけるようにしなければならないからです。

当然、捨てる物、捨てるべき物も見えてきます。

この『捨てるべきもの』を正確に認識して実行できるのがプロです。

プロとはプロフェッション。つまり職業です。

職業とは生活の糧を稼ぐための物です。

お金をいただくのですから、自分にできる最高のものをお客様に提供しなくてはなりません。

なのに、自分の力を過信して、あまり得意ではない事をして自己満足に浸っている・・・これはプロではないのです。

世阿弥が言う、能を知るということ、私が今書いている、商いを知るということは、その道の厳しさを知り、自分の慢心を戒め、常に謙虚である、ということなのではないかと思うのです。

アマチュアであれば、不得意なものに挑戦しようがそれはその人の勝手です。自分の想いを最優先して仕事をするのも、本人の自由。どんなスカタンしても、自分のうちで済むことです。

でも、お金をいただくということになると訳が違います。対価にふさわしい物やサービスがなければ、お客様は納得されません。納得していただけなければ、次の仕事はありません。点で終わってしまうわけです。

ですから世阿弥も『不得手な演目は地方でやれ』と書いているわけです。鑑識眼のある人の前では下手が見抜かれる、主戦場でやったのではお客様を無くしてしまうことになるからです。

能なら演目、商いなら商品に、それぞれ、得意度のランクをつけておくことも必要なのかもしれません。そして同じように大事なのが自分の商いのスタイルです。どんなスタイル、どんなお客様が自分は得意なのか。

この状況なら自分には裁けない、こういうタイプのお客様は自分には手に負えない、それを知っておくのも実は大事なことなんです。

それを知った上で、いかに状況をクリアするかを考え、修練を積むんです。

恥ずかしながら、20年以上商売をしている私にもどうしても苦手なお客様のタイプがあります。逆に、初めてお会いしたのに昔から知っているように感じるお客様もいらっしゃいます。

要は『やるのは人間なんだ』という事です。

得手も苦手もある。

そして、プロの道は果てしなく遠い。

だからこそ、いつも謙虚でいなければならないし、努力を怠ってはいけないのです。

それが実行し続けられれば、大きな失敗をせずに、常に安定した評価が得られるようになるだろう、そういう事を世阿弥は言っているのだと思います。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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