日本の美術と工芸 第11話2017/2/10

『我々は芸術の様式が発達していくのを目の当たりにしているが、それはいかなる外的要素や異質の要素にも影響されずに、生来の進化の力で発展したのである。』

ジェームス・ファーガスンというイギリスのインド建築史学者の言葉だそうです。

つまり、芸術の様式というのは、それ自体が自律的に発展するのだということです。

その発展には外的、異質な要素の影響は関係無い、そういうことですね。

私は日本中あちこち行きますが、人の往来の多い港町、比較的少ない山間部、どっちが

文化度が高いということも一概に言えず、それぞれが特色のある文化を培っているという

感じがします。

私の感覚では、新しい異質な文化が入って来ても、その表面を理解するだけで精一杯で、

その奥にある意味とかまではなかなか入っていけない感じがします。

同じ国の中でも、もう長いことお付き合いしている沖縄県の文化や習慣は微妙に解らない

事が多いです。

正直言えば、知れば知るほど解らない事が増える。

それが遠く離れた外国で、そもそも交流がないのであれば、ちんぷんかんぷんであるのも

当然だろうと想うんですね。

日本人は、解らない事でも、なんかグチャグチャに消化して自分たちの中に取り込んでし

しまうとう、とてつもない強力な胃袋を持って居るのかもしれません。

開国以来、いろんな外国の文化がドーッと入って来たのでしょうが、それでわが国独自の

文化といえるものが果たして生み出せたでしょうか?

外国のモノを採り入れて、まねごとをするだけが精一杯、そんな感じかも知れません。

あ、ありますね。

カラオケとか漫画(アニメ)

気付かないけどもっとたくさんあるかもしれませんね。

明治維新とか大東亜戦争の敗戦で、いろんな環境が大きく変わってしまいましたから、

まだまだまとまっていないだけで、そのうち大天才が登場して体系化すれば、それも

日本を代表する文化として歴史の残るのかもしれません。

短歌や俳句だって、けっこうな人がボチボチ楽しんでいたりしたのが、ある時突然、

天才が登場して、世に残る事になったんでしょう。

茶の湯でも、婆娑羅茶や闘茶の歴史があって、村田珠光、武野紹鴎ときて、利休で大成したんです。

能も歌舞伎もみんなそうじゃないんでしょうか。

それとその天才を生み出す、時代背景も大事でしょうね。

はなしはまたまたずれてしまいましたが、同じ文化の流入があったとしても、その国民・

民族のもっているものによって、芸術の様式というのは変わっていくんでしょうね。

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日本の美術と工芸 第10話2017/2/9

そうした絵には『画面そのものに芸術的欠陥があっても損なわない真実性と力強さがあり、そうした力強さと真実性とが混ざり合ってグロテスクであるにも関わらず存在している』

画面そのものにある芸術的欠陥・・・

写実性でしょうか?

たぶん、これは浮世絵をみて書いているのでしょうが、まぁ、確かにグロテスクといえばグロテスクな感じはしないではありません。

絵というものにはいろんな機能があると想うんです。

私は芸術に関しては専門家じゃないので、詳しい事は解りませんし間違っているかもしれませんが。

ひとつは記録に残す。

貴族や大富豪が有名な画家に自画像を描かせたのは自分の絶頂期の記録をこの画家に描かせて残しておきたいという名誉欲からでしょう。

あとひとつは絵解きです。

歴史やら、人物伝が漫画形式で出版されている様ですが、これは何故かと言えば解りやすい、とっかかりが掴みやすいからでしょう。

昔の事ですから識字率も低い。

それで、お釈迦様やイエス・キリストの教えを絵に描いて説明した。

どちらにしても時間を止めて、それを記録して、だれもがそれを観れるようにする。

そが絵のもつもともとの機能だろうと想うんですね。

歌舞伎役者の絵はブロマイドだったんだろうし、東海道五十三次は、いまでいえば旅行雑誌。るるぶみたいなもんでしょうか。

その目的を達成するにはまずは、パンチがあること、伝えたい事、知らせたいことが、一目瞭然に眼に入ってくることでしょう。

今で言うならポスター的な役割が求められたはずです。

ロートレックミュシャを観たら、グロテスクとは言わないですけど、なにか平板的で浮世絵とよく似た感じを覚えるのはそのせいじゃないでしょうか。

例えば、顔写真をポスターにするのと、割にザッとした版画で似顔絵を表現したものをポスターにするのと、どちらがインパクトがあるでしょうか。

私は後者だと想います。

それにあまりに精密な絵は通りがかりでは眼に入ってこない。

食い道楽の人形やかに道楽のカニも、グロテスクで幼稚性を残して居るからインパクトがある。

一回観たら忘れられへん!

理屈じゃなくて、ドーンと強引に土足でずかずか入ってくる。

それは、まだ完全に分析できていないですけど、多分空間の採り方なんだろうと想うんです。

私の専門の絣や紅型でもね、本当に良い造形のものは、ほどよい空間を残して居て、意識的にそこに眼が行くように仕組まれているんです。

配置や空間というのは、それ自体の美というのももちろんありますけど、それは、勝負どころに視線を集中させる仕組みなんですよ。

超一流の作家というのは、この作品のこの部分の良さを解って欲しい、そう想っているハズなんです。

私がパッとその作品を観て、『ここ、すごいですね!』と静かに言うと

ニヤリ・・・

このやりとりがたまらないんですね!!

西洋がにはテーマがあるでしょう?

絵の下には、必ずお題目が書いてある。

日本のは?

○○の図

観たらわかりますやんね。

お題が無いんです。

観たら解るからです。

剛速球のストレートだから、力強く真実性を感じるんです。

うそくさいけど、伝えたい事が伝わる。

西洋画みたら、『うまいこと描いたぁるなぁ』と想いますけど、

浮世絵観ても、『?』て感じでしょ。

でも、昔の人は『これが団十郎ちゅうやっちゃ』とか

『富士山てこんなんか。金剛山とどっち高いんやろか?』

とか話してたはずです。

そのためには、『すごいな!』『えらい変わってるな!』『きれいやな!』

という感動が心に打ち込めれば十分なんですね。

私としたら、作り方から来る浮世絵の効果も考察したいところですが、それはまたこんど。

(つづく)

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日本の美術と工芸 第9話2017/2/8

『彼らのデザインは、家族およびその国民の生活を感嘆するほどいきいきと描写している』
そして、その生活とは
『何百年にもわたる長い鎖国状態にあった人達が異常な生活で身につけた民族としての日本人のスタイル』は特に日本人のデザイン性を示す物として当てはまる。
私には何を言っているのか良く解りませんねぇ。

何百年にも渡る長い鎖国状態にあった人達が異常な生活で身につけた・・・?

鎖国状態で他国との交流が無かったことが異常?

鎖国していたといっても、長崎は開かれていたし、糸やクスリなどは入って来ていたはずで、それともに、ヤミでいろんなものも入って来ていたはずです。

大陸で地続きであるにしても、今ほど頻繁に外国人が行き来しているはずもないし、江戸時代の日本人がそんなに『異常』と言われる程の環境にいたとは想えないんですけどね。

私が思うにはですよ、文化・芸術の担い手の違いじゃないかと想うんです。

英国を初めとするヨーロッパは、貴族階級がそうであったのに対し、わが国では、鎌倉時代以降、一般庶民=町人がそうであった。

今、伝統文化といわれるもので考えてみるとどうでしょう?

茶道、華道、能楽、文楽、歌舞伎、和歌、短歌、俳句、多くの音曲、絵画・・・

すべてに対して細かく調べた訳ではないですが、主な主体は町人だったのではないでしょうか?

鎖国がもたらしたことは、外国から新しい文化が入ってこなかった事と共に、天下太平をもたらしたとも言えるでしょう。

じゃ、国際港として開かれた堺や、江戸時代の長崎で、外国との交流で欧風文化が花開いたか?と考えたらどうでしょう?

感覚的に言って、現在を見る限りはそんな感じはないですよねぇ。

かえって日本的であるような感じさえします。

特に堺は『モノのはじまりなんでも堺』という位、外国の文物を吸収して、新しいものを発信してきました。

でもそれは、外国から入ってきたそのままではなくて、完全に日本のものとして全国に広まっていったような感じがしています。

それは、皇族や貴族ではなく、町人がやったのです。

鎖国が無かったら?って、タラは海の中にしかいてませんが、鎖国がなかっても、日本の文化力は同じように培われていったのだろうと私は思います。

それは何故かと言えば、国民の文化力が違うからです。

そして、政治的な支配と、文化的な支配が別のところで行われて居たような気がするんです。

つまり、町人は非常に自由で、文化を生み出し、楽しむ余裕も資質もあった。

文化というものが一部の特権階級だけのものではなく、国民みんなもの、特に町人がその主役だったというところが大きく違うところだったんだろうと想うんですよ。

だからこそ、今で言う『民藝』が日本各地にあるわけです。

町人の豊かな審美眼がなければ、すぐれた民藝など出現するはずがないのです。

そもそも、鎖国鎖国っていうけれど、わが国には『環濠集落』というのが各地に点在していて、まったく外界との交流を絶って、独自の生活圏をもっていた場所があったのです。

そこがすごく遅れていたかといえば、全く逆で、驚くほどの洗練された文化と習慣をもっている場所もある事を私は何度も目にしてきました。

もちろん、その地域の民度にもよるのでしょうが、文化の醸成には開かれていることは必ずしも良いとは言えないし、逆に、孤立していたり外界と謝絶していて、熟成できる環境にある方が良い場合が多い、私はそんな感覚をもっています。

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日本の美術と工芸 第8話2017/2/6

『今回の私の目的は、新しくかつ非常に独創的な装飾デザインのスタイルを作りだし、それを芸術産業という大きなグループに新しく適用していく上で、美的および文明化の観点から、日本人が芸術というものを対して何をなしえたかを示すことであろう。逆に芸術が日本人に何をなしたかを示すのではない。とりわけ芸術の才能を使う際に、展開されれる原理をたどる事が私の目的であるが、この原理は、日本人の作品にあるすばらしさの根底になっている』

芸術に対して何をなしえたか?

その後のアールヌーボー、アールデコの流れに大きな影響を与えたのが日本の工芸であったことは、今までも書いた通りです。

それは『装飾』という事でまとめて良いでしょうか。

1番代表的でわかりやすいのがクリムトでしょうかね。

衣裳や背景に抽象的な文様が描かれてますよね。

工芸品だけでなく、美術品にもこういった装飾が加えられるようになっているのです。

私もあまりよく知らないのですが、西洋というか、キリスト教文化圏では、現実的に偶像崇拝が行われて居たために、新興の対象としてはイエス・キリストやマリアの絵や像が造られていたのにたいし、イスラム文化圏では、偶像崇拝が禁止されていた為にアラベスクなどの抽象的な文様が美しく組み合わされた造形が生まれたんだそうです。

日本では、仏教がホトケとして、仏像を拝む習慣がありますが、その他は、山岳信仰であったり、神道は具体的な形となった信仰対象はないですね。

なんなのか解らない柄や文様を『装飾』の為に描く。

つまりは、美しさだけを追求する道具として『文様』が採り入れられたのです。

何の為ではなく、ただ美しさの為。

『これ、ちょっと、ここにこんな柄入れたら、ええ感じやんか』

その延長線上には・・・

意味は無いけど、タダ美しいモノを造ろう・・・

写実的ではなく、徹底的な抽象化。

日本のキモノなどに着けられる家紋がそうですよね。

西洋人はあの紋を見て、腰を抜かしたに違いないのです。

私達がキモノや陶磁器に描いてある絵をみて、これは何の花だ、どの植物だと判別できるのは、見慣れて知っているからです。

たいていの文様は汎用的で、その組み合わせによって伝統文様は造られています。

梅とかキキョウとか桜とか松とか。

それはただの『柄』である場合が多い。

その柄が如何に美しく表現されているか。

全体の中で統一感があり、妙を得ているか。

そこが問題なんですね。

だからこそ、日本の美は『空間の美』と言われるのです。

そして、その延長線上に、シュール・レアリズムがあったのだろう・・・

私はそう考えています。

これはまぁ、私の勝手な解釈ではあるのですがね。

(つづく)

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日本の美術と工芸 第7話 2017/2/2

『この国の人々が発展させた東洋固有の特質や文明を生み出すのに、芸術と芸術文化がどのような影響を与えたか』

ということに、オールコックは疑問が湧き出した、と書いています。

おかしな事を言うなぁ、と私は思います。

特質や文明があるから、芸術が生まれるんじゃないんですか?

芸術が特質や文化を生む訳じゃない。

芸術というのは、その民族に根ざした習慣を土台にして、突然生まれ出た一人の天才によって、芸術というレベルにまで高められるんだと想うんです。

能だって茶道だってそうです。

田楽・申楽があり、観阿弥・世阿弥の登場で、芸術の域まで到達したし、

お茶を飲む文化はずっと前から民衆の生活にも浸透していて、そこに村田珠光、武野紹鴎、千利休をバトンが渡されて、これも芸術となった。

芸術と芸術でないモノの境をどこに設けるかというのも難しい話ですが、それはおいておいても、高いレベルで体系化されたのは確かでしょう。

でももし、観阿弥や利休が生まれなくても、申楽の延長線上にあるものは続いて来ていたかもしれないし、お抹茶も飲まれていたかも知れない。

また、総合芸術としての能や茶の湯がまた新たな芸術を生んだのも確かでしょう。

しかしそれもこれも、それを受け入れる、私達日本人の高い精神性と文化力があってこそです。

なぜ、日本人はそうなのか?といえば、それはDNAによるものも大きいのでしょうが、1番は風土・自然環境だろうと私は思います。

四季に富み、緑豊かで、美しい川や海。

そして1番は豊穣な国土でしょう。

豊かな農水産物があって、食が足りて居てこそ、文化は生まれるのです。

明日食べるものもなくては、文化は生まれにくい。

わが国は、ほっといたら土から食べられる草が生え、秋には様々な木の実がなる。

短く急な流れの川は時に人間生活にダメージを与えるが、それがまた土地を豊かにもする。

豊かな森は、河口の小魚の餌となり、その小魚はまた大きな魚の餌となり、針を投げ入れただけで魚が釣れる豊かな海が造られたのです。

わが国では皇族や貴族などの上流階級だけでなく、庶民階級によって文化が創られ、浸透していったのは、一般庶民も食うに事欠かず、自由な暮らしを謳歌していた事によるものだと私は考えています。

民藝の中に素晴らしい物があるというのは、まさに庶民の生活レベルの高さを示す物なのです。

(つづく)

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日本の美術と工芸 第6話2017/1/25

『他のいかなる近代的な国の人間よりもはるかに日本人は「平凡なものを作ることを楽しみ、そしてささいな工芸品であっても、芸術的に価値あるものとして、その芸術的価値のみでなく、一般的な生活においても、もっと満足できるように空想力に働きかけるのである」』

ささいな工芸品であっても、もっと満足できるように空想力に働きかける・・・

どういうことでしょうか?

たとえば、備前焼の火だすきを見て、登り窯の中の火の様子を想像したり、

波佐見や有田の茶碗を見て、その絵付けから風景や自然を想像する・・・

そういうことでしょうか。

一つの湯呑みに描いてある絵を見て、例えば鳥の絵を見て、私たちは鳥の存在だけを感じるのではありませんよね。

そこに、ストーリーを見出し、感じる。

里山の風景が描いてあれば、その中にいるような気分になってその器に向き合う。

それがいい絵だとかあんまり考えずに、薬の色や絵付けを見てその話しかけてくる世界に入っていく。

焼き物の表情見て日本人は『景色』と表現したりします。

特に意図して作られたものでなくても、そこから何かの自然や風景などの趣を感じ取ろうとする。またそれが面白みであると想っている。

繊維の世界で言えばテクスチャでしょうか。

その布の表情によって、味わいや情緒を感じ取ったりします。

様々な凝った技法を盛り込んで細かい細工がしてあるよりも、シンプルだけどその『味わい』のあるものに惹かれて、魅力を感じたりします。

これは『芸術品』として特別に作られたものでなくても、日常の雑器にも感じているわけです。

それがすごいのだ!とオールコックは書いているのでしょうね。

日本人よりも外国人の方が日本の文化の良さをよく知っている、という人が居ますが、私はちょっと疑問に想います。

本当の文化というものは、生活の中に深く溶け込んでいるもので、事さらに文化と意識されるものは実は、非日常的文化というべきものなのです。

お茶碗とお箸でご飯を食べるのも日本の文化ですし、それもご飯茶碗とお箸は自分専用のものがある。これも日本の文化です。

いただきます、ごちそうさま、というのもそう。

なぜだか理由は知らないけど、誰に教えられたか知らないけど、いつのまにかそうしている。

どんな子供だって、緑茶に砂糖やミルクを入れる日本人はまずいないでしょう。

なぜか?

日本人だからです。

日本人なら、割れるお茶碗でご飯が食べたいと想うでしょう。

何故ですか?

割れないプラスチックや金属のお茶碗が何故普及しないのでしょうか。

大人なら木や竹で出来たお箸で食べたいですよね。

私たちは身体で、そういう素材のほうが良いと知っているからです。

スプーンやフォークで食べている人にとってはとてつもなく優れた事に感じるのかもしれません。

韓国料理を食べる時、金属のお箸で食べると口に冷たい感触が伝わって、美味しくないのです。

民藝運動というのは、私達が本来身体で知っていることを、改めて意識させるものであったのです。

まったく新しい美を見出したのではありません。

私達が先祖から受け継いだDNAの中に刻み込まれたものを柳が解説し表現したのです。

ですから、誰が作ったとか、どこの産地だとか、いつごろ作られたものだとか、全然関係ない。

そのモノをただただ見て、ただただ感じる。

そして使ってみる。

五感で味わう。

日本人の生活の中でそれが普通の様に行われている事にオールコックも驚嘆したことでしょう。

そしてそういう消費者がいるからこそ、日本の工芸は世界に冠たる地位を占めてきたのです。

(つづく)

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日本の美術と工藝 第5話2017/1/24

『工藝と絵画の間に明白な線をひこうとするある種の試みがなされてきたし、またこれまで言われてきたように芸術の市場性の投機性の間にもそのようなことはあった』

芸術と工藝のちがい。

私のような工芸に関係する商売をしていると度々直面するのは『作品と商品のちがい』です。

作り手によっては、公募展などに出す作品と、問屋に出す商品を明確に区別している人もいます。

ある全国的に有名な作家の中には、問屋に出すのはすべて駄作と言う人もいるようです。

つまり作品は真剣に入念に造るけれど、商品はいい加減で良いという考え方ですよね。

もしかしたら、作品を見る側、買う側もそう想ってませんか?

はっきり申し上げて、トンデモナイ事です。

自分の名前がついて世に出るものに対して軽重をつけるなどというのは、いわば恥知らずのすることです。

私がおつきあいさせていただいている作家さんの作品はそれが国展に出るものであっても、私にいただくものであっても、全く差はありません。

作品を見た時に、やっつけ仕事で作ったものか、心を込めて作ったものかはすぐに判断できます。

紅型の場合は型があって、柄的にはそのリピートになるのですが、それでも解ります。

一番は型がきちんと彫られているかどうかですが、色の作り込み方でも真剣味が感じられるものです。

紅型に気が抜けたスカスカの商品が多く感じられるのはそのせいです。

紅型の人は悪く言えば芸術家気取りで、工芸論などをぶつ人も多いですが、熱意の割には作品にそれが入っていないのは、初めて作るときと、リピートの時に『気の差』があるからだと想います。

『気の差』というのは、微妙なところでの妥協の積み重ねで起こるんだと想います。

これは実際にものづくりを体験してみると解ります。

良い作品を作ろうと想ったら、すべての工程に集中して納得行くまで突き詰めるという作業の積み重ねが必要です。

一つでも妥協したら、そこが『甘さ』として作品に出てきます。

見る人が見れば解ります。

甘甘の作品か商品かが、自分の名前を背負って世の中に出て衆目にさらされても良いと想っている人・・・

それは作家とも工芸家とも言いません。

工芸と芸術の違いというと、工芸は実需に即した物で、芸術はそうではないという分け方もあるかと想います。

しかし、現実に工芸展を見に行くと、実需に則さないオブジェの様な陶芸や、染織ならタペストリーもあるわけです。

芸術が崇高なもので、工芸は大衆的なものかといえばそうでもない。

芸術=art

artという言葉が本来どういう語感?を持つものなのか、私にはわかりませんが、辞書を引くと

芸術、技術、などと共に書かれているのは、作為、狡猾さも書かています。

つまり『つくりもの』ということですね。

つくりもの、つくったもの

それに対し、工芸は

使うもの

使うものは作り込む必要がない。

簡単に言えば、打製石器も工芸といえないこともないわけですし、私が土を丸めて作ったお茶碗も工芸になるわけです。

でも、私が何にも考えずに作った、干支の置物は芸術とは言わない。

そもそも干支の置物は芸術なのか?

曼荼羅は?

書き出すと美術史を紐解かねばならないので、やめときますが、歴史的にも芸術の定義は少しずつ変わってきている感じがします。

おそらくは、芸術と工芸は分けて考える必要はないのだろうと想います。

クリムトに見られるように工芸的な絵画もありますし、絵画的な染織も今は存在するので、意味はないでしょうね。

芸術が工芸より崇高だというのもちょっと違和感があります。

少なくとも工芸が芸術と言われているものよりも優れているところがあります。

それは『五感』で感じられるところです。

眼だけではなく触覚、聴覚、そして陶芸・漆芸なら味覚、嗅覚・・・

あとは、オールコックにゆずりましょう(^^)

(つづく)

日本の美術と工芸 第4話2017/1/19

『日本人は「自然の芸術家」と呼ばれてきた。そしてそれが、古代ギリシャとおなじくらい美術的様式が抜群に彼らの名を高めているとしたら、その名称はぴったりと適合しているし、美術の領域において彼らの業績は十分に正当だと私は考える』

『英国の教養ある人々に満足を与え、労働者や工芸に従事する人々に対し示唆を与えるために、芸術が日本人とその工芸に何をもたらしたかということを明らかにすることである。』

私達日本人が『自然の芸術家』であり、私達が生み出す芸術が工芸に何をもたらしたか?

自然の芸術家・・・

原文はartist of nature でしょうか?

natural artist ?

自然の中から生まれた芸術家なのか、自然を描く芸術家なのか?

おそらくは両方なんでしょうねぇ。

西洋の芸術というと、はじめのころは人物やら宗教画が多い様な印象があります。

それに対して、日本人は古くから花鳥風月、四季の移り変わりの美しさに眼をむけ、それを写し取ろうとしてきたのではないでしょうか。

私が専門とする染織でも、特に伝統染色は風景や草花といった自然がモチーフになっていることが多いです。

絵も富岳三十六景や東海道五十三次などの美しい風景画が思い浮かびます。

そういえば、西洋画であんまり自然の風景とかという印象ないですよね。

果物の絵とかも実は宗教画だと聞いた事がありますし、日本で言うところの絵解きみたいなもんですね。

その日本人の感性が芸術にも工芸にも及んでいるということで、芸術と工芸を分けて意識しているなんてことは、そもそも日本人の感覚としてないですね。

芸術と工芸に垣根を作ったり、芸術は工芸も包含する大きな概念だ、なんていうのは、近代西洋思想の影響じゃないんでしょうか。

ただ、よく言われる『空間の美』というのがどこから生まれてきたのか、私にも良く解っていません。

それが空間に対する美意識から生まれたのか、それとも、美意識が空間を生み出したのか?

日本人の特徴として、不必要なものはとことん削り、必要最小限で最大の効果を生み出すと言われています。

茶道のお点前でもそうですね。

お点前に必要な最小限のものしか、茶室には置かないし、客も持って入らない。

それは茶器を引き立てる為だという説もあるし、必要最小限だから茶器が引き立つんだという話もある。

私は経験的に、良い物、観て欲しい物に意識を集中させるために出来るだけ不要な物を排除するのではないか、と感じています。

例えば、茶碗にひとつの絵を描いたとします。

その絵に自信があったら、作り手としては是非その絵付けの良さに気付いて欲しいはずです。

その時、周囲に不必要な柄や絵は入れないだろうと想うのです。

せいぜい、それを引き立てるようなポイントとなるような絵を少し入れるだけでしょう。

画竜点睛という言葉がありますが、一定の空間を活かすためには、ピンポイントで
最高の造形をそこに描き加えなければならないんだろうと想います。

紅型や更紗はごちゃごちゃしているという印象を持たれがちですが、洗練された図案は、
絶妙の空間を維持していて、足すことも減らすことも出来ないんです。

それは何で解るかといえば、地色の活き具合です。

良い紅型も更紗も、柄よりも地色が活きる。

柄と地色が絶妙にバランスして、安定するんです。

ごちゃごちゃしすぎていると、地色が濁って見えるし、柄が少なすぎると、寒々しい。

そのバランス、安定感が静かさと力強さを共存させるんですね。

(つづく)

日本の美術と工芸 第3話2017/1/18

『今伝えたいのは他の国に先んじて英国において、特に工芸にたずさわる人々に日本美術の影響が明らかに見られるということである』

『英国工芸の日本美術の受容はヴィクトリア女王の夫君アルバート公の後援により非常に熱心に進められた。アルバート公はその生涯を通じて日本製品を英国の工芸品へ適用していくことについて熱心であり、科学と芸術の重要性を教えるという目的をもっておられた』

1867年のパリ万博、1873年のウィーン万博で日本の工芸品が世界に散らばって大きな影響を与えたと言うことですから、ウイリアム・モリスがアーツ&クラフツ運動を始める頃ですね。

当時は、産業革命で多くの人が職を失っていて、手仕事の良さをもっと認めさせよう!という気運た高まっていた頃です。

機械に仕事を奪われた労働者の貧困問題が顕著になってきていて、芸術や工芸の問題というより社会問題だったようですね。

このあいだ読んだ経済史の本に書いてあったのですが、日本の様にそれぞれの職人が腕を競って造っていたのではなく、ギルドによって厳しい制限が加えられていた様です。

織物なら、Aとうギルドなら、経糸何本緯糸何本、Bならまた別の品質と決められていて、それに違反すると厳しい罰則があったそうです。

そういう手工業のギルドの中ですから、労働者は良い意味で安定したでしょうし、悪く言えばあぐらをかいていたんでしょう。

そこに出現したのが機械生産という手段を持つ資本家です。

ギルドのオキテなどお構いなしにどんどん作って売る訳ですね。

ハイレベルな技術を要するものはおいそれとは機械で替えられないでしょうが、ボリューム品なら十分だったでしょう。

当時の王族が街中を歩いたときに『貧困者が溢れている!』と驚愕したといいいますから、ここに書いてあるアルバート公は、ものづくりに携わる人達の救済の為に動いたという事かも知れません。

原料は植民地からガンガン入ってくる訳ですから、資本家としたら、それを安価で加工して、国内やら、輸出やらで儲けを大きくしたいわけです。

そこには産業革命で現実となった機械による大量生産があるわけですから、生産手段を持たない労働者、とくに単純労働者は職場からはじき飛ばされてしまいます。

ウイリアム・モリスが社会主義運動に傾倒していたのは有名な話ですが、社会保障も無い時代で、英国王室もそんな世情の中、浪費を続けていたというのですから、不満がたまるのも当然です。

ギルドのシステムで緩やかに守られていた人達が、当然、凍り付いた荒波の中に放り込まれるわけです。

芸術や工芸も、経済に大きく影響されて変化していくということが良く解る時代です。

日本の工芸は、物作りする人達が再起をかけるための目標とされるくらいにレベルの高いものだったということです。

陶芸などはすぐ思い浮かびますし、モリス商会で造られていた様な染め物もその中のひとつになっていたでしょう。

しかし結果として、アーツ&クラフツ運動は労働者を救うことは出来なかったのですが・・・

せっかくですから、アーツ&クラフツ運動の事も少しチラ見しながら読み進めていきましょう。

(つづく)

日本の美術と工芸 第2話2017/1/14

ボロカス言ってくれてた割には、わが国の工芸品に関しては手放しで褒め称えています。

あまりに長いので画像載せますね。

であるのに、日本人自体をああまでボロクソに書いたのはどうしてでしょうか?

『わたしは日本で独自の様式を持つ美術を見つけた』

そう書いていますね。

日本からは更紗や陶芸、漆芸、金工、木工などの工芸品がずらりと海を渡っていたわけですが、その中で彼は『独自の様式を見つけた!』と胸を張っているわけですね。

日本人も欧米人も気づかない美の様式を私は見つけたぞ!だから、それをここでお披露目しようという訳でしょうね。

この後にまずは、シンメトリーの事を書いてあるんですが、左右非対称の美というのは日本人特有の美意識であったとしても、私達は特に意識していないですよね。

富士山も二等辺三角形であるよりも今の形の方が美しいと想うし、

二上山も雄岳、雌岳の高さが違うところがまた良いと感じる。

これは自然のうちにそなわってきたもので、誰に教えられた物でもありません。

決まり切って、堅苦しいより、ちょっとずらした方が、品が良い。

私達日本人はそう感じるのですね。

これは日本人の誰かが考案したものなのでしょうか?

多分違うんでしょうね。

私が思うには、自然をそのまま採り入れたら、シンメトリーにはならないんです。

お花を活けるのにも、左右対称にしたら本当に不自然ですよね。

自然さを演出するためには少しずつずらして差を設ける。

また、その微妙な間が美しさを生む。

ずれてりゃいいってもんじゃなくて、程ほどにがいいわけです。

自然と共に暮らし、その美しさをそのまま採り入れるというのが日本人の特徴ではないかと想うんです。

その生活から、美意識や美の様式が自然に備わってきたように想えるんですね。

だから、日本人は無意識のうちに、それをやっているのであって、誰に教えられなくてもみんな知っているんです。

着物で言えば、小紋の仕立てなんてその最たる例ですよね。

同じ日本でも沖縄の古い琉装の紅型は、背を中心にして、左右対称になっています。

(びんがたには小紋もへったくれもないんですが)

本土の小紋はそんな風にしないですよね。

格子の柄だって、わざとずらして仕立てたりする。

あんまりキレイに柄があっているとかえって無粋に感じる事もあります。

左右対称の話はあとにずらずら出て来ますから、このあたりにして、とにかく、この本では彼が見つけた『日本の美の様式』が書いてあるということです。

(つづく)