『基本を押さえて理屈で割り出す』2016/3/18

なんの話かといえば、着物のTPOやコーディネートの話です。

着物を着るとき、どんなのを着れば良いか、どんなコーディネートをすれば良いか、たくさん相談を頂きます。

カジュアルならカジュアルで、何でも良いみたいですが、そうでもなかったりする。

じゃ、私があらゆる場面に於いてパターンを知っているかと言えばそうではありません。

どうやって割り出すかというと、『基本を押さえて理屈で割り出す』んです。

着物をざっと分類すると以下の様になります。

喪服

黒留袖

振袖

色留袖

訪問着

付下

色無地

小紋

紬など先染物

一般的に知られた決まり事があるのですが、ところがどっこい、着るときの状況が昔とは変わっているわけです。

だから、とってもややこしい。

結婚式とか結婚式のおよばれ、と言っても、私が結婚した時代と今とはまるで様相が変わっています。

だのに、着物だけが、昔のまま、なんてことはないんです。

『いや、これは大昔から決まってる事だから』とおっしゃる方がいらっしゃるかも知れませんが、実は、本に書いてあるきまりごとも、そんなに昔からあるものではないんです。

たいていは戦後に定着したもので、明治初期や江戸時代からあるものではありません。

すべては、時代の移り変わりとともに姿を変えてきたんです。

それは冠婚葬祭に対する考え方や、物量の変化が影響していると想います。

また、地方によっても様々ちがいます。

ですから、何時の時代にも、日本全国これが絶対ということは全くないんです。

お葬式も、地方によって、地域によって、また宗教によって、宗派によって様々ですよね。

それと全く同じ事です。

前に、芭蕉布に染めた江戸小紋が見つかったという記事を紹介したことがあったと想いますが、上に書いてある様な絹物だけでなく、麻やその他の繊維の物も、礼装として使用されていたと想われます。

そもそも、厳然とした身分制度もあって、職業によって服装も違いました。こないだの稽古で宗匠がおっしゃっておられましたが、一見すればその人の身分が解るくらい明確なものだったということです。

それが、今の時代になって、だれしもこのルールに従わねばならないという、憲法的な物として着物のしきたりも扱われているようなきらいがあります。

しかし、絶対にこれでないといけないと言うことはありませんし、これが絶対ということもありません。

では、どうやって割り出すのか、です。

まず、冠婚葬祭なら、その地域で『常識』となっている事を、その地域の年長者から教えてもらう事です。

親でももちろん良いですし、嫁ぎ先なら舅姑、親戚などなど。

まず、それを押さえることです。

この場合には、留袖を着るのか、訪問着なのか、色無地なのか。

紋は・・・

『その地域の常識』というのが基本になります。

あまり華美にしてはいけないとか、嫁はこう、隠居はこう、などと有るところにはあります。

無視して、『私はこうよ』というのも今はアリですが、私としてはあくまで自己責任でとしか申し上げようがありません。

私が少し知っているお茶の世界とか能楽の世界にもいろいろあるようです。

お茶の場合は、とにかく、師匠に相談することですね。

先生によって考え方が違うので、こればっかりは聞いてもらうしかありません。

その先生の世界が『基本』となります。

『基本』として、着物を着るということは、自分がその社会においてどういう位置づけにあるかを認識しておかないと行けませんので、勝手な判断はしないほうが無難です。

本に書いてあったとか、だれか有名な人が言ってたとか、そういうのは危険です。

それで通用する場合もありますが、通用しない地域、社会もあることを知って置いてください。

今はもうあまり聞かなくなりましたが、お嫁にもって行く着物の紋をどうするか、どうしたかによって、県外の人と結婚した場合に両家でいさかいになるということが、しょっちゅうあったんです。

『これはこうです』としたり顔で全国共通みたいな事を言うのは、知らない証拠と想って置いてください。

難しいのは、今、儀式事の厳格さが失われて、簡素化、カジュアル化していることです。

結婚披露宴に招かれたら何を着るか。

それを考えてみましょう。

一番大事なのは、新郎、新婦と自分との間柄、距離です。

若い既婚女性の場合、近親者であっても色留袖を着る地域もあります。

では、仲人も立たない、今流行のレストラン・ウェディングで二次会みたいな結婚披露宴だとどうでしょうか。

解りにくい場合は、男性のドレスコードに置き換えてみるとわかりやすいです。

きちんとした結婚式で、常識有る紳士であれば、黒の略礼服以上を着ます。

しかし、くだけた会であれば、ダークスーツ以下の男性が大多数を占めるという事もあるでしょう。

そんな場所にはどんな着物がふさわしいでしょうか。

着物のTPOはカジュアルかすればするほど難しくなります。

なぜかというと、そういう状況が想定されていないからです。

着物のしきたりが時代に着いていっておらず、硬直化していると言うことです。

しかし、それもだんだんと変わってくるでしょうし、変わって良いのだと私は思っています。

だから迷うのです。

迷ったときは、この『基本』です。

『周囲からみて、突出した格好をしない』

『まわりの雰囲気に合わせる』

華美すぎても、貧弱すぎてもいけません。

ここが、着る人の腕の見せどころです。

なぜかといえば、その人の『常識』が見透かされるからです。

多くの場合、一歩引いて、おくゆかしい装いにするのが正解です。

そういう『心』が見えたとき、私達は『さすが!』とうなるのです。

着物の善し悪しでは無いのです。

パーティーならいざしらず、冠婚葬祭はファッションショーではありません。

自分の個性を発露する場でもない。

それは洋服であっても同じ事です。

着物が日本の文化と言われるのは、『日本人の心映え』そのものを表現しているからなんです。

いくら良いキモノを着ていても、『日本人らしい心』が感じられなければ、なんとなくむなしい感じがします。

『理屈で割り出す』ためには、今の儀式事が洋風化し、西洋の常識に浸食されてしまっているので、洋服に変換してみると良いのです。

あとは、遠近、上下、優劣などなど、主役や同席者などとの関係を考えて、割り出していくんです。

例えば、誰かのお祝いのパーティーで主役がスーツを着ているのに、招待された人間がタキシードを着て花束を渡しているというのは、変です。

これを主客転倒といいます。

誰がどんな格好をしてくるかなんて予想できない・・・

そう想われるのであれば、失礼にならない最低限の礼装で出かけることです。

着物の選びかたひとつで、その人の生きる姿勢や社会性がみてとれるものです。

そんな事言ってるから、着物は売れなくなるんだ、そうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、少なくとも良識有る呉服商は、むちゃくちゃな着方をヨシとしてまで着物を売りたくないと想っているはずです。

だから、それぞれみんなTPOに関しては必死で出来る限りの知識を駆使して、お客様の為に適切な着物を割り出そうとするんです。

いまは、その割り出しがとても難しい時代です。

ですから、プロに相談する場合は、誰のどんな集まりで、自分はその主役とどんな関係かをキチンとお話なさると良いと思います。

冠婚葬祭に地方色が薄れていくこと自体も文化の破壊です。

その事を無視して、ひとつの常識に括りあげようとすることも歴史や文化に対する冒涜だと私は思っています。

大阪でも、せまい河内でも、昔から行われていた行事やしきたりが解らなくなってきています。

着物の事から、みなさんの生まれ育った、あるいは嫁いで来た土地の、歴史や文化にふれてみてはいかがでしょうか。

一番大事なことは、『わきまえ』であり『分別』です。

それが大原則であり基本中の基本であることを少し頭に入れておかれたら良いと思います。

長くなりましたので、コーディネートの話はまた別の機会に。

『たまにはちょっと男の着物の話②』2016/3/16

またちょっと書いてみようと想います。

私に会った事のある方はお分かりだと想いますが、身長170センチ、体重90キロの肥満体型です。

太っててお腹がでてるから着物が似合うんじゃないの?と言われれば補正なしで、まさに自腹でバシッと帯が決まるので、このお腹は便利なんですが、趣味で色々と着たいと思い出すと、まぁ、男物というのは種類がありません。

結城やら大島の男物といえば定番で、沖縄で男物として造られているといえば、まぁ久米島紬のクバングァーくらい。

各産地でそれなりにはあると想うんですが、無地っぽいものか、せいぜい縞くらい。

沖縄では男性も絣を着る伝統があって、手縞なんかわたし用に仕立てようと想うと、まわりから一斉に反対されます。

そもそも、ユキが1尺9寸以上となれば、一気に選択肢がなくなります。

私は、あんまり気にしないで、男物として着ておかしくない着物は、ユキが足らなくても仕立てて着ています。

身長170センチならあれこれいけそうなもんですが、肉付きがいいので、その分裄丈が長くなってしまうんです。

女性も最近は身長の高い方、身長と比較して手足の長い方が増えて、9寸とか9寸5分の反物幅では対応できなくなってきているので、最低1尺、出来れば1尺1寸幅で着尺を織る様にお願いしています。

着物の展示会に行けば、大きな展示会でも男物はせいぜい1間の範囲に収まるくらいしか置いてありません。

私なんかは、割とテキトーな性格なので、『これやったらおかしくないんちゃう?』と想えば女物でも自分用に仕立ててしまいます。

もちろん誰でもそれが出来るというわけでもないでしょうし、好き嫌いや似合う似合わないは当然あります。

たまに、男物の紋付もご注文頂くのですが、まぁ、良い色の色見本がなかなか無いのです。

それで、私がずっととってある背広の残り切れを出して、それを見本に染めてもらったりしています。

定番的なものが安心して着れると言うこともあるんですが、ステップアップしてくるとヤンチャしたくなるのが男心?でしょうか。

でも、ヤンチャもほどほどで、大衆演劇の役者の様な格好は、プロである私としてはお勧めできません。

男性の場合は、着飾るのではなくて、着姿で勝負!というのが本当なのだろうと想いますが、ちょいとハイセンスを披露してみたい、と想う、これも男心。

自然にイヤミ無くという感じがとても良いと想います。

私達プロから見れば、『あー背伸びしたはるわ』と一発で解ります。

背広だって、社会人になりたてのころは、あんまり板に付いていませんよね。

一見してフレッシュマンだと解ります。

でも、5年経てば、さすがに毎日ほど着るわけですから、背広もネクタイも似合ってきます。

着物もおんなじで、どんなにこねくりまわそうとしても、着ないと板に付いてきません。

男性の着物は簡単に着れるのですから、まずはできるだけ着る事です。

はじめは汚したりしますから(私は今でも良く汚しますが)、あまり気を遣わなくて良い素材が良いかもしれません。

家の中では袖をドアに引っかけたりもするし、着物を着てお酒を飲みに行くと、自転車にぶつかられそうになったり、鍋や皿に袖を漬けてしまったり、いろんなドンをやらかします。

着る回数が増えると、そういう事にならない様な身のこなしが自然に身についてきます。

身につかないうちは、着物がめんどくさいとか、窮屈だとかおもうかもしれませんけど、慣れてしまうと、これほど快適なモノはないと感じる様になります。

特に夏は、男に生まれて良かったーって想いますよ。

全身を風が通り抜けて、まことに涼しい。

浴衣は案外暑いですね。

安いモノでも良いですから、麻のキモノが良いですよ。

夏の盛りの休みに、着物を着てでかけて、冷や酒をキューって飲むなんて、最高です。

アテはキュウリのつけもんとかね。

初めはリラックスして着る事を考えるのがいいと想うんですよ。

私は、そんな時のために、筒袖の着物を何着か持ってます。

これですと、袖さばきの煩わしさから解放されるので、お酒をたんと飲むときにはとても良い具合です。

お銚子をひっかけて倒すということが無いですし。

あと、茶会とか、好きな女性とのデートでビシッとしていきたい時は、折り目正しくやればいいわけです。

茶会とかも慣れですしね。

たまにいろいろと趣向をこらして着物を着ていらっしゃる殿方を見かけますが、とくに若いうちは、やめといた方がいいと想います。

たいていは、下品になります。

私達プロは、ある意味で見せる為の着物、提案としての着姿でもあるわけですが、一般の方はお遊びがすぎると、軽薄とみなされかねません。

せっかく着物を着るのに軽薄よばわりされたんじゃ、面白くないですよね。

やっぱり60歳を過ぎないと、着崩しや過ぎたお遊びはムリじゃないかと想います。

着物を着ることでどんな自分を表現したいか、というのも考えて良い要素だと想います。

厳格な雰囲気を出したいとか、改まった気持ちを表現したいとか、いろいろあると想います。

私は、商人ですので、商人らしい柔らかさと、ちょっと胸を張った感じを出すようにしています。

でもまぁ、話ははじめに戻りますけど、男の着物って選択肢が少ないです。

女性の1/100も無いんじゃないでしょうか。

最近は男性で茶道をなさる方も増えて来ている感じがしますし、もうちょっとなんとかしたいなと想っています。

某銀座の有名店が男の着物の専門店を大阪に出しましたが、撤退してしまったみたいです。

なぜでしょうか。

よくわからないんですが、やっぱり人任せにしていたせいじゃないかと想うんですよ。

これからは、男性用の反物もこしらえてみたいと想ってます。

もちろん、自分で着るのも造りますけどね(^o^)

『芭蕉布のケア』2016/2/26

明日は展示会なので、今日はもう一個あげておきますね。

表題の通り『芭蕉布のケア』について、です。

私自身、二着の芭蕉布の着物を所有しています。

いずれも琉装という沖縄風の仕立てにしています。

芭蕉布というのは、ご存じの通り、リュウキュウイトバショウというバナナに似た木の幹から繊維をとって造る布です。

正しいケアをするためには、まず繊維の性質を知る事が大事です。

まず、一番知っておくべき事は、芭蕉布は乾燥に弱いということです。

普通の着物は、絹がほとんどだと想いますが、これは逆に湿気に弱い。

真逆の性質の布を同じように管理していてはまずいというのは解りますよね。

冬場に芭蕉布の工房に行かれた方は見られたことがあるかもしれませんが、チューンアップしたかのような加湿器から大量の蒸気が出されて、湿度を上げています。

乾燥すると経糸が切れてしまうのです。

夏場にキンキンに冷えた展示会場で、ましてや冷房機から直撃の風を受けていた様な芭蕉布は、パキパキになって帰ってくることもあると聞いた事があります。

パキパキになると、当然繊維は切れやすくなりますから、破損しやすくもなるというわけです。

芭蕉布はある意味強い布ですが、ケアを怠ったり、間違った保存方法をとると、脆さをだすこともあるという訳です。

じゃ、どうやって乾燥を防ぐか、ですが、一番は着用することだと私は考えています。

ただでさえ沖縄より湿度の低い時期の多い本土では、どうしても乾燥しがちです。

盛夏用とされる芭蕉布を着るシーズンも短い。

できれば、最低年に一度は袖を通す。

夏場ですから身体からでる水分でかなり潤うはずです。

あまり大事にしまいすぎると、かえって逆効果です。

樟脳やシリカゲルのはいった収納庫(たんす)に入れない方がいいです。

毎年着ると毎年洗濯しなきゃいけないじゃない?と想われるかもしれませんので、汚れた場合の対応をお話ししましょう。

芭蕉布には、小さな説明書のようなものがついていて、たしか洗濯の仕方として『ゆなじに着けて優しく洗う』のような事が書いてあるはずです。

前に、平良美恵子さんに、それで良いんですか?と聞いた事があるんですが、なんとダメなんだそうです。

一番は、お求めになったお店にご相談なさること。そこから、正規品なら喜如嘉の芭蕉布組合に繋いでくれるはずです。

芭蕉布は伸子をうちません。

布目を直すのに、湯飲みを逆さにしてクルクル回してこすりあげていくんです。

つまり、これは、他所では出来ない事ですから、へんに洗い張りして伸子張りされてしまうと、オオゴトになるかもしれません。

とにかく、ちょっとしたしみ抜き以外は、買ったお店に持って行く事が唯一の方法だと想ってください。

もし、お求めになった小売店が無くなってしまっていて、どこに持って行ったら良いか解らない場合は、喜如嘉の芭蕉布協同組合に直接連絡をとってみてください。

丁寧に対応してくれると想います。

あと、購入された後の仕立てですが、邪道かもしれませんが、私は自分の芭蕉布は2枚とも居敷当をつけています。

盛夏用の着物に、居敷当をつけたら意味がないじゃない、と想われるかもしれませんが、そうされることをお勧めします。

本来、芭蕉の糸で縫うのが本当なんですが、そうでない場合が多いので、芭蕉の糸に縫い糸が負けてしまって、お尻がパリッ!という事が少なからずあるんです。

私は肥満体ですし、お尻が大きいので、特にヤバイ。

とくに正座したりしますと、お尻にテンションが掛かるので危ないです。

茶人は、絹や麻の夏衣でも、居敷当をする人が多いのはそのせいです。

もともとは、琉装でフワリと着られていた織物ですから、タイトに着付けしないことも大事です。できるだけふんわり着る。

できれば、身幅も少し広めに仕立てておいた方が良いかもしれません。

(私の場合は肥満体なので身幅が足らないのは言うまでもありません)

仕立てあがった古い芭蕉布も居敷当を足しておく方が良いでしょうね。

次にシワの問題。

シワになります。

でも、これは麻のシワとは感じが違って、キッパリとキレの良いシワになります。

麻みたいにシワシワじゃなく、シワッ!って感じのシワです。

折れジワといえば感じがわかるでしょうか。

これに関しては、まず一番は、気にしないということです。

バッグを持ったりして肘を曲げていると、そのへんがシワになりますが、その場合は、トイレなどに行って、手に水を付けて水分を補ってあげてください。

絹のように水が落ちてシミになることはないです。

芭蕉布を持ったら、とにかくあんまり神経質にならないことです。

そして出来るだけ、着ること。

着れば、これほど気持ちの良い布はありません。

肌触りがひんやりして、麻の様に肌にまとわりつかない。

そして、万が一、破損したら・・・

これもお求めになった小売店経由で芭蕉布組合に相談してください。

最善の策を考えてくれると想います。

芭蕉布に関するご相談をお受けすることが良くあるんですが、どんな場合でも、まずは、お求めになった小売店に持って行ってください。そこから、問屋、組合と話を流していくのが一番確実です。

そのためには、やっぱり信頼できるお店でお求めになる事が一番です。

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『衣服のTPOと着物のしきたり』2016/2/24

洋の東西を問わず着衣には習慣やきまりごとが存在する場合があります。

それをドレスコードとか、我が国ではしきたり等と呼びます。

私は日本全国あちこちに着物をもって巡業しておりますが、地方地方で着物はもとより、冠婚葬祭のきまりごとも違います。

呉服屋ですから、ご婚礼にまつわる事のお手伝いもさせて頂いてきましたが、全国の市場で一般論をもってして対応することは不可能でした。

ですから、地元の営業の方に習慣を細々と聞いて、お勧めするとき等に役立てております。

関西でも、大阪、奈良、京都、兵庫、和歌山とそれぞれ違います。

大阪の中でも、摂津、泉州、河内地区では微妙に違う。

婚礼だけでなく、ご葬儀も違います。

宗教によっても全く違いますので当然ですね。

奈良は天理教の方も多いですから、習慣をお聞きして驚いた事もあります。

私の様な仕事をしていると、それぞれにきめ細かく対応しなければならないので、地元の方に色々とお教えをこうことも多いです。

なんにしてもそうですが、『これはこうだ』と決めつけるのは非常に危険ですし、商売の場合はお相手もあることですから、独りよがりは許されません。

私が巡業している地区なら解りますが、そうでない場所の習慣はわからない、それが正直なところです。

もともと我が国は、小さな国の集合体で、それぞれが独特の文化・習慣を持っていましたから、あたりまえといえばあたりまえです。

沖縄もその国のひとつと考えられる訳ですから、そう思えば、習慣やきまりごとをひとくくりには出来ない事は自明なのだろうと想います。

沖縄を例にあげますと、まず『家紋』というものがありません。

『家紋』を持つおうちは、王であった尚家の末裔と、久米三十六姓といわれるシナからの渡来人の末裔だけです。

正装も琉装と呼ばれる形ですし、実は琉球以外でも、衣服の形はちがっていたのかも知れません。

いまの『しきたり』らしきものが一般化したのは、主に戦後で、高度成長期を経て、豊かになると共に定着していったと考えて良いと思います。

ヨーロッパに目を向けると、1800年代まで身分の高い女性は、大きなヒダが着いたドレスを、きついコルセットで締め付けられて着用していました。

それから貴族階級が崩壊し、女性の社会進出がはじまって、軽装化が進みます。

そこに登場したのがココ・シャネルなどのデザイナーです。

シャネルスーツというのは、働く女性がそのままの姿で夜会にも行けるという事で受け入れられていったんです。

100年前ならとんでもないと想われていた服装が、盛装として通用する事になるわけです。

私は民俗学の本を読むのが好きで、明治時代くらいまでの各地の様子をそこから知るのですが、本当にびっくりするくらい、想像を絶するほど現代とは違っています。

全国がある程度統一した価値観に支配されるのは、戦後テレビが普及してからと言ってもいいんじゃないでしょうか。

ですから、衣服のきまりごとやセオリーは、時代によって動いていく物で、『昔からこうです』とか『こうあるのが本当です』なんていうのは無いんです。

今、周知されている事や、私達プロがお手伝いさせて頂く上で基本としている事は、『今の常識』に過ぎません。

茶道の着物のきまり事について、宗匠にお聞きしたところ、家元としても流派としても、なんの決め事もしていないそうです。

ただ、お免状を頂くときには『これこれこういうのがいいよ』という言い伝えのような物があって、それに準拠されているんだろう、という事だったと想います。

花柄はダメとか、こんな色はダメとか、全然ないのです。

緑はお茶席には着れないという茶道の先生もいらっしゃると聞いて仰天したこともあります。

利休時代にどんな出で立ちで茶の湯に臨むのが良いと言われていたか、ご興味がおありのかたは山上宗二記をご一読ください。

考えてみれば解ると想いますが、昔は今のようにたくさんの布が無いわけです。

糸は手で紡ぎ、織は全て手織り。

化学染料も無く、もちろん全て手縫いです。

そもそも、綿や桑を育てるのに農薬もないわけです。

着物にかなりの財産価値が認められるくらい、貴重品だったわけです。

あれこれTPOに合わせて、引っ張り出して着れるのは、一部の富豪だけだったはずです。

たくさんの布が世の中に出てきたのは、戦後、高速織機が出てきてからです。

ただ、昔こうだったからといって、今それを適用するにはムリがあります。

昔は紬に黒紋付の羽織を着れば結婚式に出られたと言いますが、それが真実だとしても、今のこの時代には、おすすめしかねます。

私が中学生くらいの頃は、入学式卒業式といえば、色無地に黒紋付の羽織というのが定番でした。

でも、そこから5年くらいたつと、そういう出で立ちのお母さんはほとんど見られなくなりました。

羽織に関して言えば、私がこの世界に入ってから一度も注文を承ったことがありません。

そもそも、市場で羽尺というものを見なくなりました。

沖縄でも手縞が礼装として着られていた事も完全に忘れられているような状況です。

衣服の決まり事というのは、その時時の時勢、習慣、常識が反映していて、これで絶対永遠不滅というのはないんです。

これは我が国に限ったことではなくて、全世界共通だと想います。

季節の衣替えも、北海道から沖縄まで全く同時期に、というのも、とてもじゃないがムリがあるように想います。

沖縄だと袷のきものを着れる時期はせいぜい11月から3月くらいでしょう。

それ以外だとアセモだらけになってしまいます。

私が普及活動をしている琉装は、沖縄の気候に大変あったものですし、沖縄の伝統的な衣裳の形の一つですから、沖縄の方には是非お勧めしたいのです。

ちょっと冗長になってしまいましたが、『何をどう着るか』で一番大切なことは、状況判断です。

どんな場所で、どんな内容で。

人と会う、人の集まるところに行くのなら、その人達との関係。

そして、自分がそこにどんな気持ちで出かけていくのか。

着物の値踏みをされたり、コーディネートをチェックをされているようで、プロを敬遠するようなお話をよくお聞きしますが、私達が見ているのは、着物の質やコーディネートよりも、その方が装いで何を語ろうとしているのかに興味を持ち推量しているんでs。

どんな上等な着物でコーディネートも着付けが完璧でも、似つかわしくない場所もある。

簡単に例を引けば、主役より目立つ様な衣裳を着けてはいけない場合もあるわけです。

つまりは『わきまえ』も重要な要素なんですね。

今の着物にしても洋服にしてもそうですが、何を着るかに関して、この『わきまえ』が欠けている感じがします。

また、本来この『わきまえ』こそが日本人の美徳であり、日本文化そのものなのです。

実際なかなか、難しい事ではありますが、着ていく着物や洋服に困ったら、高価で華美なものだけにとらわれるのではなく、この『わきまえ』=他人との関係も頭のすみっこにでも入れて置いておかれたら、と想います。

着物だけではありません。洋服でも同じ事です。

洋服を着ていても、日本人としての心を忘れない。

これこそが、日本の文化だと私は思うんです。

着物を着ていくとき、主体は着物ではなく自分自身であり、賞賛されるべきものも、着物ではなく、その方、ご自身なのです。

『たまにはちょっと男の着物の話①』2015/10/14

普段あつかっているのはほとんどが女性モノなのですが、たまにはちょっと、着る側の立場からということで、男の着物の話を。

私は基本的には呉服屋だからって、いつもいつも着物を着ていなければならないとは想ってません。

ですから、着たいときに着るし、着なくてはならない時に着ます。

一面はリラックス・ウェアとして、一面は正装として、また一面はコスチュームとして。

ですから、着物にはいろんなものを求めていますし、逆に着物が合目的的でないときは着ません。

たとえば、釣りや陶芸をするときは着ません。

今の着物の形、つまり長着では動きにくいし、洗濯が大変(母がですが)なので、できれば汚したくないからです。

キモノ着てタナゴ釣りなんて格好いいでしょうけど、まぁ、今の所そこまではまり込んでません。

茶会やお稽古は必ず着物ですし、人前に出るときやお呼ばれの時は出来るだけ着物を着るようにしています。

キモノって何が良いかと言えば、一番は気分が変わることです。

洋服だと衿が詰まってるし、そもそも、私は靴が嫌いなので、草履を履けるのが嬉しい。

できれば、背広でも草履か下駄を履きたいくらいです。

普段家にいるときは、木綿や麻のキモノを着て、兵児帯しめてます。

楽なんですよ。とても。

クルマを運転するときは、草履や下駄は危ないので、常時右足だけの運動靴がクルマにつんであります。

あとは、着ていくと場がもりあがる、喜んで貰えることでしょうかね。

何が自慢て、キモノはちょっと似合う方だと想ってます。

自慢ばっかり読んでても楽しくないでしょうから、これからキモノを着ようとする、あるいは着はじめた男性の為になる話を書きましょうかね。

まずいちばん必要なのは、キモノと履き物になれることです。

履き物というと草履、下駄ですが、鼻緒になれると言うことです。

靴を履くようになって、日本人は歩き方が変わっています。

すり足であるかないと、特に下駄は履きにくいと想います。

私は元々からすり足なので、初めから問題なかったのですが、それでも下駄より草履、雪駄が好みです。

わざとカランコロン鳴らして歩くようにすると良いかも知れません。

鼻緒だと、足の親指と人差し指の間、そして、鼻緒が擦れる部分がいたくなったりする時があります。

これも全て慣れなので、特に夏場はサンダルとかスリッパを履かないで、草履・下駄を履くようにするとワンシーズンで慣れます。

履き物になれないと、キモノの楽さを感じられないかも知れません。

たぶん現代の日本人には草履、雪駄がいいと想います。

私は正装の時は雪駄、その他の時は今時のウレタン底の草履を履いています。

雪駄は竹と本革のは高価なので、とりあえずはパチモンで良いです。

あと、これは出来ればですけど、30分正座できるようになりましょう。

お茶会でも30分座れればなんとかなります。

今時はお座敷のないおうちも多いでしょうから、TVを見ながら椅子の上で30分正座するだけでずいぶん違います。

男性は体重もあるし、正座も慣れないので初めは辛いですが、90キロを超える私が2〜3時間座れるのですから、大丈夫です。ちょっと練習すれば座れるようになります。

履き物になれて、座れる様になると、キモノを着たいという気持ちがグッと盛り上がってくるし、着ていく場所も増えると想います。

足袋もはくことになるんですが、その辺を散歩するだけなら、タビックスとかストレッチ足袋で十分です。

私はキャラコの足袋が嫌いなので、普段は裸足かストレッチ足袋です。

ちゃんとすべきときだけ、ちゃんとすればいいです。

慣れないうちは、ちゃんとしないと行けないときは背広で良いんですから。

ムリにキモノを着ようとしなくていいんです。

まずは、慣れて、キモノは良いもんだ、快適だと身体で感じることが一番大事です。

あとは、キモノになれる、キモノが快適だと感じるにはどうすれば良いかということです。

お勧めは、パジャマの代わりにデパートとかで売っているガーゼの寝間着を着ることです。

温泉宿なんかにおいてある、あんな感じのものです。

行儀悪いですけど、おうちに帰ったら、スエットとかでなく、そんなのを着る。

持ってる人は、木綿のキモノでも良いです。

ウールでも良い。

襦袢なんか着なくて良いです。

普通の下着で良い。

股ぐらが気持ち悪いというひとは、ステテコをお勧めします。

そんなのを着て、まずは、袖と裾のさばきに慣れることです。

帯は兵児帯で良いです。

まずは、かっこつけずに、楽に着る事を心がけましょう。

そうすると、自然に歩き方も、手の動かし方も身についてきます。

身のこなしが良くなると、これも自然に着崩れしなくなります。

私は腹が出ているので全く必要ないですが、やせ形の方は帯が下腹に入らないかもしれません。

これからの季節は特にですが、キモノって案外お腹が冷える事があるんです。

夏場は流れた汗が腹の所に溜まって、お腹が冷えたりします。

ですから、腹巻きをすると良いです。

どのくらい締めたら良い感じかはそれぞれ違うと想いますが、角帯だと、慣れないと緩んできてしまったりして、それだけでストレスになります。

それじゃ、キモノ着てる意味が無い。

兵児帯をパラリと巻いて、締め込む強度をつかむのと、緩めばすぐになおせるという気楽さを味わいましょう。

後ろでちょうちょ結びとかはちょっと抵抗あると想いますので、私は兵児帯の端っこは挟み込むか、小さくまとめて左ワキの下に置きます。

ちゃんとしなければ行けないときにちゃんとして、あとはめんどくさい事はしない。

これが私のやり方です。

ちょっと長くなりましたので、今日はこのくらいで。

また続き書きますね。

『化繊の着物か芭蕉布のかりゆしウェアか』2015/7/6

世の中に『キモノ文化』という言葉があります。

着物業界の人は『キモノは日本の文化です』と良く言います。

この『キモノ』って何でしょう?

いわゆるキモノの形をした衣服でしょうか。

キモノの形って?

あの一般に認識されている形ですか?

伝統的に日本で着られていたとされている形?

あの形だけですか?

お百姓さんはあんなキモノを着て、農作業してたんでしょうか?

漁師は?

日本全国同じですか?

身分によっても違ったのでは?

・・・

キモノって何?

あの形にするだけなら、世界中どこでも縫えるでしょう。

どんな布だって良いのなら、世の中がどう転んだって出来ます。

そもそも、文化って何?

ならわしや習慣は文化といえるでしょうか?

だとしたら、私達の生活の大部分は文化ですよね。

お茶を飲む、白いご飯をお茶碗とお箸で食べる。

おはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい・・こんな言葉を交わす事も文化です。

日本人の存在自体が文化の塊じゃないですか。

では、なぜ、キモノだけを取り立てて文化文化というのでしょうか。

それは消えかかっていると想われているからでしょうか。

文化だから残さなければならない・・・

そういう気持ちから『キモノは文化』と言うのでしょうね。

しかし、形だけをキモノにするなら、いつの時代でもどこの国でも出来ます。

100%外国人の手だけを使ってもキモノは作る事が出来ます。

素材的には、木綿はもちろん、ウールや化繊もありですし、文様も、西洋風の物でもOKでしょう。

となると、キモノは世界にあるいろんな素材の仕立て型の一つにすぎない、という事になりますね。

ちょっと待てよ・・あの着方をしないとキモノとは言えないのじゃないか?

前を合わせて帯を締める。

あれが、和装であり、キモノとはあの着姿の事じゃないか?

そうとも想います。

キモノを和装にしたてて、決まり通りに着る。

これがキモノ文化でしょうか。

だとしても、廃れはしても、全くなくなることは無いでしょう。

無くなるかも知れないキモノという文化って何なんでしょう?

例えば仮の話としてです、宮古上布の生産が完全に途絶えてしまって、もう造れないとします。

苧麻をうむ人も、十字絣を合わせて織る人も、砧打ちをする人も居ない。

復活も不可能です。

これは仮の話ですが、充分にあり得る話ではあります。

それで、宮古島の人は、『やばい。収入源が無くなる。外国で経緯ラミーの反物を織って、それを宮古上布αとか名付けて産品として売りだそう』

なんて事になったとします。

(あくまで仮定ですから、宮古島の人、抗議とかしないでくださいね)

宮古上布の名前は残るし、キモノファンの方々も、『ま、それで良いじゃないかぁ』と想われるかも知れません。

沖縄だけでなく、日本の各産地で同じ事が起こったら・・・

結城紬αが、どこか海外で糸も布も作られ、縫製も海外でミシンで・・・

これを着た日本人が『キモノは日本の文化だもの』って・・・

インド産の琉球ガラス以下の話じゃないですか?

ちょっと変わった風に仕立てて、ブーツ履いたら、そりゃブータンの民族衣装でしょって。

同じ工場で、韓服やチャイナ服も造ってたりしたら、その工場は世界の服飾文化工場っていうことになりますね。

キモノは日本の文化です。

いや、我が国が世界に誇るべき文化なんです。

キモノのどこが誇るべき所なのか?

私達日本人は、かたくなに和装を守ってきたわけでもありません。

戦後、早々に脱ぎ捨ててしまったといっても過言ではない。

しかしながら、伝統衣装を脱ぎ捨てたのは日本人だけではありません。

フランス革命以降、貴族が衰退し、女性の社会進出が進んでから、全世界で動きにくく、堅苦しい服から、軽快で着回しの効く服に切り替わったんです。

代表的なのはココ・シャネルのスーツですね。

欧米人に、かつての服に対するノスタルジーがあるかどうかは解りませんが、日本人には、まだキモノに対する愛着が少なからずあるように想います。

何故でしょうか?

キモノを着なくなった時代が、まだそんなに昔ではない事もあるでしょう。

私が子何処の頃はまだまだ、着物姿の人はたくさんいたし、祖母はずっとキモノだったという世代です。

そして、まだ20年位前は、キモノは『娘に持たせるもの』でした。

自分の物を買うより、娘に買ってあげるという需要の方がはるかに多かった様に想います。

そして、冠婚葬祭には、新調してキモノを着たんです。

裕福な家庭では、お正月にはみなが新調したキモノで集まるという事もあったでしょう。

家族だけでなく、村の親戚とか、一門が集まるようなお正月もあったでしょう。

婚礼となるとまさにそうだったんだろうと想います。

つまり、キモノというのは家族、一族の絆、つながりそのものであったし、想い出や歴史がすり込まれたものだったんですね。

だから、『キモノは文化』なんです。

晴れの場に対して、ケ、つまり日常はどうしょう。

大昔はお母さんが織ってくれた、縫ってくれたキモノでした。

30年位前は、反物で買って帰られる方が圧倒的で、みな自分で縫われたんですよ。

そんな温かい記憶がいっぱいしみこんでいるのもキモノでした。

そして、我が国が世界に誇る『手仕事』の文化です。

染、織とも比類を観ない、追随を許さないと言って良い。

世界最高、それもダントツの最高の技が日本のキモノには詰め込まれているんです。

そんな衣服を着ている民族は世界中さがしてもどこにもいないはずです。

『衣・食・住』という言葉があります。

これは生活に必要なものを列記したと想われがちですがそうではないそうです。

宗匠が教えてくださったのですが、衣・食・住の順が文化的序列。

衣が一番文化度が高く、その次が食、住は二の次なんだそうです。

住まいは慎ましくても、身なりをちゃんとして、キチンとした物を食べるのが先なんです。

では改めてキモノ文化って何でしょうか?

キモノ文化はつまり、日本人の服飾文化であり、服飾に対する意識だと私は思います。

実は、その劣化がキモノの衰退に直結しているのだと私は感じています。

芭蕉布や宮古上布を観て、すばらしい織物だと本当に感じられる感性があるなら、冠婚葬祭にはできるかぎりの物を着て、気持ちを表したい、その感覚があれば、もし、一時期にキモノを着る人がいなくなっても、すぐに復活できると想います。

しかしです。

染織の技術はおいそれとは元に戻らないのです。

テーブルセンターやコースターは織れても、キモノは織れなくなります。

品質は当然、遠く及ばない。

何とか上布αしか造れなくなります。

なんとか友禅βばっかりになると想います。

そんなキモノを着た日本人を外国人は鼻で笑うでしょう。

嘲笑される事よりも、それをなんとも想わない日本人の感性の劣化が問題です。

染織技術は、まぎれもなく、その技術を認める消費者が居たから育てられたのです。

今の私達にそれが出来るでしょうか。

良い背広を着ていてもブランドの話になるだけ。

良い背広ですね、どこで誂えられたのですか?

なんて聞かれた事はありません。

生地も仕立ても、解る人はほとんどいない。

それが現実の我が国です。

キモノ文化だけでなく、服飾文化までも失いつつあるのです。

もちろん、工芸文化ももっと早くに失っています。

文化が廃れれば、行く先には産業もへたれます。

日本の産業は伝統工芸の下地があったからこそ、急成長できたんです。

日本人は、世界でダントツの貴重な宝を自ら捨て去ろうとしています。

どうしたらいいんでしょうか・・・

結局は、私の立場としては、良い物を世に送り続けるしかないんでしょうね。

『男のキモノで難儀なこと』2014/1/28

私の立場で、変な事書くと思われるでしょうけど、実はそう思うところもあるんです。

男性のキモノは、おはしょりも無いし、女性に比べれば帯も簡単。

でも、実際に着てみると、あ”−−−って思うこともありますね。

まず、男性といえども、帯がめんどくさい。

私は体が硬くて、後ろに手が回らないので、前で結んでクルッと回すやりかたです。

ビシッと固く締めないと着崩れしまいかと不安になって、ついついビシビシに締めてしまうのですが、

そうすると、後ろに回らない。

グチャグチャになってしまうことも。

今は、緩く締めてもそんなに着崩れないので、そういう事もなくなりましたが、まぁ、ちょっとしたストレスではあります。

私はめんどくさがり屋なので、普段は兵児帯を愛用しています。

全部で5本持ってます。

結ばないで、クルクルっと巻いて、挟み込むだけ。

これで完了です。

お茶の稽古とかは、帯の下に袱紗を挟むので角帯ですけどね。

父から譲り受けた総絞りの兵児帯があるんですが、これは結べないですよ。

結んだら、結び目が20㎝以上になってしまいます。

巻くだけでもかなりの体積です。

出っ張ったお腹が余計に大きく見えるし、巻くだけで十分。

文楽とかお能とか見に行くと、たいてい角帯してますけど、なんでですかね?

薩摩の武士がしていたのが初めらしいですけど、確かに、角帯の方が格好良くはありますね。

茶会とかキチンとしたナリをしないといけないとき以外は、兵児帯を活用するのも、気楽にリラックスして、キモノを楽しむ技だとも思うんですがね。

あとね、私は荷物が多いんです。

携帯、煙草、ライター、手帳、ペン、財布、小銭入れ。

最低いつもこれだけは持っています。

これ、洋服の時はポケットに入れているんですが、キモノの時は・・・

袂に入れると、袖がふれなくて歩きにくいし、懐に入れるとお腹が出っ張るし。

琉装の時は、もちろん袖に入らないし、懐に入れると袖から全部抜けていきます。

じゃ、信玄袋とかにいれたら良いじゃない、と思うかも知れませんが、男物の洒落た袋物ってあんまり無いんです。

首里織の信玄袋や手提げを使ってましたが、どうも締まらない。

最近はキャンバス地のバッグを母から取り上げて使用しています。

それと、女性は慣れているかも知れませんけど、ズボンに比べたら足下がスースーするでしょう。

それで、股引をはくと、これもなんかかっこわるいし、だんだん下にずれてきたりして、不快きわまりない。

これはね、グンゼに温かいタイツが売っているんです。

スパッツっていうのかな?

発熱素材みたいなので、タイツと言うより、パッチの長いの、っていう感じのです。

これをはくと、毛ズネは見えないし、スースーしないし、具合良い事この上ない。

寒いと言えば、素肌に長襦袢を着ると汚れるし、臭くなるし、次に着たときに不快です。

かといって、肌襦袢は大きいのがなかなか無いし、私のもっているのだとはだけてしまいます。

フォーマルの時は作務衣みたいになった、上下の肌襦袢を着ますけど、普段は、普通にシャツです。 

シャツのU首だと、襟元からのぞくこともありません。

あとは足袋ですかね。

私は雪駄派ですが、雪駄だと普通の足袋ではつるつる滑って歩きにくいです。

私の歩き方にも問題あるのかも知れませんが、兎に角歩きにくい。

雪駄の上だと、足袋をはいた足は踏ん張りが効かない。

雪駄を履くときは、足袋の裏にゴムのブツブツがついたのが便利です。

お能の稽古の時ははけませんが、滑りません。

あと、車の運転ですかね。

私は、愛車のなかにいつも右足だけの運動靴を入れてあります。

運転するときは、右足だけ履き替えます。

お稽古の時はたいてい車なので、キモノを着て、車の中では左足は草履、右足は運動靴というかっこうです。

草履のまま運転する方もいらっしゃるようですが、私は恐がりなので、履き替えるんです。

その他、探せば色々面倒な事はあるんですけど、なんでキモノ着ているのか?と言われたら理由は、これも色々あるんですけどね。

呉服を商っているんだから、着なくちゃ、という気持ちはもちろんあります。

売っているモノを自分が着てみて検査している、というのもあります。

お茶の稽古するなら、キモノでしょ!というのもある。

よく似合いますね!と言われたい、これもある。

飲み食いしに行っても、お店の人に良くして貰えたり、知らない人に話しかけられたりと、楽しいことがある、というのもあります。

キモノが好きか?といわれたら好きですね。やっぱり。

じゃ、洋服とどちらが好きか?と言われたら、どちらも同じくらい好きです。

洋服には洋服の煩わしさというのもあるんです。

キモノの良さというのは、私にとっては、『楽』だというのがあるんですね。

体が大きいので、背広も大きく重くなります。

毛織物は同じ面積でも、当然絹より重い。

その重さが全部、肩にかかるんです。

洋服脱ぐとセイセイしますが、文字通り肩の荷がおりるんです。

あとちょっと太ると、ズボンがきつくなります。

キモノだと、10キロ位太っても痩せても、全く問題ありません。

季節による体重変動が大きい体質なので、キモノは便利です。

パーティーや会合にでる時などは、絶対キモノが有利ですね。

まず、目立つ。

こっちが動かなくても、必ず誰かが寄ってきてくれます。

そして、印象に残る。

私の体だと、とくにそうです。

太ったとか痩せたとか、いちいち言われなくて済むし。

あと、慣れれば脱いでもすぐに着れる。

これも隠れたメリットです。

洋服だと、シャツのボタンをとめたり、ズボンのチャックを上げたり、ベルトを締めたりして、下着を着た状態から着ても3分くらいはかかります。

キモノだと1分かかりません。

ジロジロ見られるからイヤだという方もいらっしゃるようですが、確かにそうですね。

ジロジロ見られたり、外人さんに写真を撮られたりします。

それも、すぐ慣れますよ。

キチンとしなければならない時はキチンとして、

普段に着るなら、思い切りリラックスして着る。

寒くないように、動きにくくないように、ちょっとした工夫をすれば男性のキモノははなはだ快適です。

私の場合、最大の難儀・・・それは私が『ヨゴシ』であることです。

カレーうどんを食べれば、カレーを飛ばし、串カツを喰らえば、袖にソースを落とす。

ほんと子供みたいに汚すんです。

ですから、汚れの目立たないキモノを選ぶ。

ちょっとくらい汚れても気にしない。

家に帰るまでに証拠隠滅する・・(^_^;)

家の人に、グチャグチャ言われても気にしない。

着りゃ、汚れるんですから。

汚さないで着ようと思うと、それだけでストレスになります。

リラックスしたい、くつろいだ気分を味わいたい、それでキモノを着るのに、肩に力がはいっていたら、台無しです。

キモノを着て、くつろいで酒を飲む。

特に夏は、ゆるりと着て。

男の醍醐味じゃないですか。