映画『プラットフォーム』

コトラーのマーケティング5.0で紹介されていたので観てみました。

ん・・・

この映画では上層階の人は食べているからまだいいんだけど、現実の世の中は食べもしないのにガメってるからよっぽどえげつない。それに映画の中では階層を決めるのは別の人だけど、現実は上層階の人はずっと上層階でそ他の階層に住む人達やそれを決めるルールも支配してる。

いわゆるトリクルダウンというものが現実には起こらないということがハッキリしてしまったら、新たな分配の方法を考え直す必要があると想う。SDGsだって本来は飢餓からの脱却がメインテーマのはずなのに、いつのまにか無視されている。『だれひとり取り残さない』ってどこがや?この映画では人間のエゴというものが強烈に描かれていて、芥川龍之介ばりの蜘蛛の糸も出てくる。

主人公はこの世界を支配する人に『伝言』を伝えようとする。

しかし、支配者がもっとも富を貪る張本人だとしたら、はたして伝わるだろうか。

問題作であり考えさせられますが、虚しさを感じる作品でした。

自己満足

たまにはキモノの話を。

当社もおかげさまで8月に50周年を迎えました。

東南アジアを主な得意先とする貿易会社として創業し、沖縄も仕向地の一つでした。

ドルショックがあり、沖縄の本土復帰という流れがあって、当時得意先であった沖縄の織物工場主からの勧めと後押しで、呉服業に転業。

復帰当初は、それこそ出したら全部売れるという盛況ぶりだったそうです。

当時は品質も?がつくものが多かった様ですし、昔の生地見本を見ればそれも一目瞭然です。

そして、染織にたずさわる人達も増えて、次第に品質も向上してきました。

父や番頭さんは、沖縄に行くと相当苦労していたようです。

いまから50年近く前の話ですからね。

沖縄染織は今や、リーダーたる先生方のご尽力もあって、ほんとうに良くなりました。

うちの父はいわばパイオニアなのですが、いまうちにある作品を見てくれたら、さぞかし喜んでくれるだろうな、と想います。

ここ20年デフレが進行して、価格の下ぶれ圧力が強く、品質を落としてでも生産・供給を続けようという動きが出てきています。

数が売れなくなってくると、掛け率を上げて利益を確保しようとしますが、価格が上げられないので仕入れ値を下げようとする。

いままで通り造ったのでは、作り手もやっていけないので、自ずと品質を落とすようになります。

私もたまに他社が持っている沖縄物を見ることがありますが、目を覆いたくなるようなものもあります。

それが市場化であるといえば、そうなのかもしれません。

市場に合わせて廉価なものを造れば、お客様も作り手も商売人もヨシ。

そういう考え方もあっていいでしょう。

でも、長年の先人の苦労を思う時、私だけはもっともっと良い物を!と沖縄の染織家に呼びかけ、力の限り創意工夫して良い物が出来たら、『やったやんか!』と言ってあげたいと想います。

『良い物造っても高かったら、誰も買わへんで』

そうかもしれませんし、私のやっていることは自己満足なのかもしれません。

少なくとも沖縄では安かろう悪かろうの物づくりはしないつもりです。

安い物が欲しければ、他産地に行くかも知れません。

でも、私は『沖縄染織の萬代屋宗安』なのです。

良い物は良い物として必ずその価値は認められるはずですし、認めてくれる人を捜し当てるのが私の仕事でもあります。

だって、どうせたくさん出来ないんですから。

才能あふれる染織家を見つけ出して、その人といっしょに物づくりをする。

その作品がお客様に認められ、感動してもらい、愛着をもっていただけたら、これほどの商人冥利はありません。

ある大手デパートのバイヤーが当社を訪問して、作品をご覧になった時、

『私達が知っている沖縄染織だけが沖縄染織ではなかったんだ』とつぶやかれました。

老壮青、すべての作り手が良いものづくりを目指して研鑽する場。

それが沖縄という産地です。

自己満足の砦、もずや民藝館は妥協しませんよ。

もずや流沖縄の楽しみ方<友達編>

また、来週から沖縄行って来ます。

沖縄に通ってもう20年位になりますが、まぁ、もう飽きたという感じもあるし、行くたびに新しい発見があるという感じもして、なかなか奥の深い土地だと想います。

はじめに回り出した頃は、嬉しくって、沖縄料理を食べて、夜遊びをして、沖縄に浸りきっていましたが、体力の衰えと共に、だんだんと楽しみ方も変わってきました。

無論、仕事で行くのですから、仕事をしながらの楽しみ方と、オフの時の楽しみ方、二通りがあります。

沖縄に行くのが10回以下、11回〜20回、それ以上と楽しみ方は違うと想います。

今回は21回以上、もう沖縄もベテランのリピーターの方に参考になる事を書きたいと想います。

21回以上となると、もうそろそろ飽きてきて、観光するわけでもなく、沖縄でノンビリすごそうという方が多いかも知れません。

観光スポットももうたいてい行ったし、何で行きたいか解らないけど、沖縄に行こう、という感じで来ている・・・そんな感じでしょうか。

ダイビングやナイトライフなど、目的がある方は、それを中心に滞在を楽しめば良いですが何もないときは?

沖縄に友達が欲しい!なんて想う方も多いでしょうけど、これはあんまり簡単でもありません。

沖縄にいる本土出身の人(島ナイチャー)の人とはすぐに仲良くなれますが、純粋の地元の人と本当に仲良くなろうと想ったら、これは難しいです。

私は父の代から沖縄に通っていて、名前も知られている存在であるはずですが、それでも本当の友人と言ったら・・・片手くらいです。

知り合いは何十人もいます。100人以上いるかもしれません。

理由はよくわからないし、私の不徳の致すところかもしれませんが、現実はそうだと想います。

本土の人と沖縄の人の間にある壁はまだまだ高くて分厚い。

それを感じていることが沖縄を知っている事なんだろうと私は解釈しています。

楽しみに行くのに、難しい事は望まないに限ります。

島ナイチャーならすぐに仲良くなれます。

島ナイチャーと遊んで、その中から純粋な地元の人の友達を作れれば作る、それが自然な形だろうと想いますね。

機会があればモアイに参加させてもらったりすると、グッと楽しみが増えます。

私の様に釣りをする人は、釣りの情報を交換できたりすると、これも楽しいです。

でもね、やっぱり微妙なところで、理解し合えないことがある、これは本土同志でもあることですが、ので、そこは少し頭に置いておくとガッカリしたりしなくて済みます。

若い人同士の方が良いかも知れませんね。

年取ると柔軟性がなくなるので、余計に、理解できないことを受け入れるのが大変です。

私は生粋のオオサカジンですが、本土の中、近畿圏ならどこのひとでも違和感を感じないかといえば、そんなことはありません。

旅行だとその時だけの付き合いになりがちですが、長く交際を続けようと想うと、やっぱり、寛容になるということは必要だと想うんです。

同じ趣味があれば、『いま、沖縄ではこんなんだよ!』とか情報が貰えたりして、また行く楽しみが増えますしね。

沖縄の人は地元の人も、島ナイチャーも、たいていはフレンドリーなので、その時だけの友達は出来やすいと想います。

できたら永く続けること。これが大事です。

一回行った時にちょっと仲良くなったからって、そうそうは垣根を低くしてくれないです。

基本的に沖縄の人で大悪人という人はいない感じがしています。

みんな善良で、真夜中に飲みに行っても、危なっかしい遊びをしても、ボッタクリにあうと言うことは無いと思います。

松山あたりに夜中行くと、キャッチがまるで砂糖にたかるアリの様に集まってきますが、みんなおぼこい感じで、着いていったらぼられたなんて経験は、全国各地でスネに傷を受けてきた私でも無いです。

基本的に善良であるという事は安心・信用して良い感じはします。

沖縄の女性も沖縄の男は、だましたりはしない、という人が多いです。

いろんな事を踏まえた上で、仲良くなるコツは・・・

一番は沖縄を、沖縄の人達より知って、大好きになる事!

これ以外にありませんね。

私は沖縄の人でも食べたこと無いモノを食べ、行ったことない所にも行き、沖縄の人よりも泡盛を愛し、沖縄の人よりも沖縄の歴史を勉強したという自負があります。

そうしたら、沖縄好き!とか言わないでも、解るんですよ。

沖縄の人は言葉で明瞭に意思表示しません。

沖縄の女性で『内地の男性と付き合いたい』という理由の多くは、

『ちゃんと告白してくれるから』

なんだそうです。

告白しないでいきなり〜が多いんだそうです。

『言わなくてもわかってるさぁ〜』

そういう感じらしいです。

本土の人達よりさらに強い『以心伝心』があるわけです。

逆に言えば『言葉を信じない』という事であるのかも知れません。

だから、私達本土の人間はすべて、態度で示さないといけないのです。

ですから、ひとたび論戦というか口げんかになると、悲惨です。

『わけわかんないさ』

で終わってしまいます。

それで、また一気に壁が厚く高くなってしまいます。

だから、怒らない、責めない。

商売の時には、そこに、『甘やかさない』『妥協しない』が加わります。

一番大事なのは、わかり合えないことを腹に入れた上で、解ってあげる、ということです。

沖縄に一人でも友達ができると旅はグンと楽しくなります。

良い出会いがあると良いですね!