琉球びんがた その味わい方2017/10/24

工芸品なり芸術品というのは、まずパッと全体を見ることから始まるわけですが、そのパッと見の印象がどこからくるのか、を解析してみる事も大切です。

学者さんとかは、この作品のここが素晴らしい!とか文章であれこれ書いているのを読む機会もあるんですが、現物が前にないとチンプンカンプンな感じもします。

ここではそれを紅型に関して総論的に行ってみようというわけですが、まぁ、少しでも参考になればと想います。

まず、私がひとつの琉球びんがたの作品を見たとします。

帯だとたいてい6通ですから、無地場がまず出て来て、やっとこさ柄に到達します。

10㎝見れば、良い変わるかは判断できるものです。

いや、3㎝で十分ですね。

もっといえば、裏返して巻かれている状態でも、もうそこで半分ほどは値打ちが解ります。

何故かというと、私の場合一番重きを置いているのは『地色』だからです。

地色の洗練の度合いが、まずその作り手のセンスと物作りへの考え方を示していると、私は判断しています。

どんな色が美しいのか・・・

それはねぇ・・見る側のセンスもあるし、好みもあるし、経験もあるし、いろいろです。

たぶん、京友禅ばっかり見てる人達は、沖縄の色彩が解らない人も多いでしょうし、逆もそうかもしれません。すべての色に対して公平に評価するのは非常に難しいことですし、意味の無いことです。

ですから、お好みで良いんですが、地色の良さがその染めモノの価値の大半を決定すると私は思っていますし、地色を良い加減に考えている紅型師はたいしたものにならないと考えています。

紅型というのは二つの芸術によって成りたっています。

ひとつは彫刻。

そして絵画。

彫刻というのは型彫りです。

紅型を見て、地色の次に見るのは、型の出来具合です。

紅型に染められた作品をみても型そのものは見えないわけですが、その線から、型がどう彫られて居るのかが解ります。

難しい事ではありません。ジーッと見てください。

紅型の型は突き彫りという技法が取られるので、滑らかな曲線も表現することが出来ます。

もちろん、その直線・曲線の美を表現するには絵画的な構成力・描写力も必要です。

それと、顔料・染料に見られる、色の世界。

滑らかでありながら力強く。

強弱、濃淡、明暗、曲直・・・

ひとつひとつの線や、色を丹念にみていく。

そして紅型ならではの隈取りのとり方。

上手い紅型師ですと、なんらかの仕掛けがしてある場合があるんです。

染色そのものの技量は経験によって向上していく場合も多いのですが、その作家さんのセンスや物作りに対する想い、考え方というのは、そうそう変わるものではありません。

また、それが変化すると、すぐに作品に現れてきます。

それは織でも同じですね。

『ちょっと、気持ちが足りないんじゃない?』

『うーん、行き詰まってる?』

そういう指摘をすることもままあるんですが、たいてい当たっています。

もともと良い物を作る人が作れなくなっている時は、ほとんどがその内面に問題があるときなんです。

技術の退化ではないんですね。

紅型の世界は、絵画や友禅の世界とはちがって、古典だけを染めてもごはんが食べていけるんです。

ですから、実際はそんなに創作力は必要としない。

体力・気力の低下とともに、創作力が鈍ったとしても、品質はそんなには落ちないはずです。

若くて脂が乗りきっている年代のはずなのに、落ちてくる人がいる。

なぜか?

どうしてわかるのか?

作品に気が乗っていないのです。

そしてその気を乗せるようにするのも私の仕事なんです。

良い作品が解るようになるには、本当に良い作品をたくさん観なければなりません。

しかし、残念なことに、本当に良い作品を観る機会というのが、特に内地ではほとんど無いというのが現実です。

インスタントラーメンばっかり食べていたら、ほんとうに無化調で手作りしたラーメンの味が分からないのと同じです。

逆に手作りのラーメンばっかり食べていたら、インスタントラーメンは別の食べ物だと想うくらいでしょう。

紅型の価値というのは、『だれそれが作った』とか『柄が変わってる』とか『何々の生地に染めている』とか、そんなのはあまり関係がないのです。

なんの変哲もない、平織りの絹の生地に染めてある無名作家の作品でも、ガーン!と引きつけられるときがあります。

そういう意味で、沖展を初めとする公募展は楽しみな場なのですが、最近は、ちょっと期待薄な感じもしています。

紅型の世界は老壮青、たくさんの作り手がいます。

しかし、見る者に挑戦的に迫ってくる迫力のある作品をとんと観なくなりました。

みんな、それなりにまとまっているんですが、どれといって特色も個性もない。

まぁ、無難にそつなくまとまっているが、いうなれば、可もなく不可もなし。

今時の演歌歌手みたいな感じです。

しかし、天才はいます。いるんです。

天才は、その才能の故に、技量が才能に追い付かない。

だからなかなか世に出てこないんです。

技量の良否を判断できるひとはいても、才能に価値を認めることが出来るのはごく一部。

古典だからこそ、引き立つ才能もあるんです。

クラッシック音楽なんか、同じではないのでしょうか。

ですから、紅型を見るときは、古典紅型というのがどういうものなのかを知っておくと良いでしょう。

いろんな古典があって、その古典をアレンジして、作品づくりをするわけですが、そこにとてつもない才能が垣間見れるわけです。

一般の人が紅型に触れる機会といえば、小物類が一番多いのでしょうか。

紅型のプロを分類すれば

着物・帯を作っている人
小物を主に作っている人
紅型体験や教室をやっている人

と分けられると想いますが、その作品の序列は、いわずもがなでしょう。

本物の琉球びんがた自体を見られる機会自体が少なくて、『紅型』と称して売られているものの90%が本物の琉球紅型ではない、という事では、どうしようもないのですが・・・

結論みたいなものがお示しできなくて、私もワジワジしているのですが、せめて紅型制作に携わっている人には、もう少し良い作品を観る機会があればな、と想いますね。

花織のはなし2017/1/11

沖縄の染織とえいば、絣と並んで有名なのが花織ですよね。

沖縄は外国から伝わってきた染織技法が合流したところだと言われていますが、絣は主に海のルート、花織などの組織織は陸のルートを伝わってきたと言われています。

花織と言っても、沖縄にはいろんな花織がありますね。

首里花織
読谷山花織
南風原花織
知花花織
与那国花織

技法的にも

両面の花織(ヤシラミ)
手花
串花
裏に糸が通った花織
板花

板花は別にして首里には技法的にはすべてあります。

南風原や読谷でよく使われている裏に花糸が見えている花織も首里でも作られていましたが、いまは造る人はいないようです。

南風原の花織が一番歴史が浅いというか、主に戦後造られ出したのですが、これで昔ひともんちゃくありました。

読谷との間で『花織』の名称を巡って争ったのです。

昔は、首里、読谷、南風原に区別が無くて、すべて『琉球花織』と表示されていたんです。

いちばん数量を造っていたのが南風原だったのですが、そこに読谷が待ったを掛けた、そういう事の様でした。

ちょっとした騒動だったんですが、関係者に聞いた話では、読谷山花織を再興した与那嶺貞さんが南風原に花織を習いに来ていたという記録が見つかって、それで騒動は収束したようです。

つまり読谷も一時は完全に途絶えていたんですね。

読谷の花織といえば、昔はウール素材のもあったりしてとんでもなく巻きが太かったそうです。

花糸にも紬糸とつかっていたせいで、花糸が摩擦で切れるというトラブルもあり、そこを早期に改良した南風原が花織の生産では大きくリードしたという事のようです。

首里も首里織全体が途絶えかかっていて、当時はまだ一子相伝、首里生まれの人以外は首里織を織ってはいけないというキマリの様なものがあったそうで、余計に復興に時間がかかったと言うことのようです。

一番最近に始められた?知花花織ですが、これについてはある識者に質問したことがあるんです。

『首里の士族・王族以外で唯一花織の着用が許されていたのが読谷山の長濱地区の人だと認識していたが、知花はどういう位置づけなのか?』

それに対してはこういうお答えでした。

『もともとは知花=経て浮き花織も同じように同地区で織られていて、発掘?された時も経て浮きの花織のものも出てきた。その中でより織りやすく製品にしやすい緯浮き花織りを読谷が選択した。後発の知花はそれに重ならないように配慮して経て浮き花織のみ生産している』

沖縄市では米軍の基地返還により、基地経済から商業の振興へ舵を切らざるをえなくなり、その一貫として沖縄市にも伝統工芸を!ということで知花花織がよみがえった?ということです。

板花というのは八重山諸島で使われている技法ですが、八重山上布の帯などにも使われる様になってきています。絣の中に配置された板花はデザインのポイントになって良い感じです。

串花(ぐーしばな)はソウコウを使わないでヘラで開口部をつくって花織を織り上げていく技法で、非常におもしろいものが出来ます。首里織ミンサーなどでよく見られます。

手花(てぃばな)は首里の技法ですが、今は南風原や読谷でも帯に使われていますね。
元々、沖縄には帯の文化が無いですから、手花は主に手巾(てぃさーじ)に使われていたんだろうと想います。

花織は沖縄を代表する技法のひとつですが、ごちゃごちゃになりつつも、県内では微妙なバランスをもって使われているのだという事も知って置いて欲しいことです。

内地の作家さんでも『花織』という言葉を作品名に使われている方を多くお見受けしますが、出来たら『浮き織』としてほしいという感じがします。

沖縄はそれだけ花織の伝統を大切にしていますし、自分達のかけがえのない財産として、気を遣いながら仕事をしているからです。

花織ももう目新しい技法とは言えなくなってきていますが、花織の作品を目にしたら、『あぁ、花織かぁ』と視線を切らずに、ジーッと見てみてください。

数本あれば、全部ジーッと見てみる。

違うもんですよ!同じ花織でも!

技法が問題じゃないんです。

技法を操り、技法によって出される表現の優劣が問題なんです。

簡単にいえば、良いのは躍動感、力強さに溢れている。

良くないのはベターッとしていて、なんか弱々しく頼りない。

一般の人はそれがどうしてそうなるのかまで知らなくて良いです。

良い花織というのはどういうものなのか。

花織の良さってなんなのか。

それを感じて見て欲しいのです。

それが解れば、同じ値段でも特別の超一級品を抜き出すことができますよ。

http://mozuya.com/

琉球藍の問題2016/11/2

SNS上で『琉球藍がない』という話を聞いていましたので、先日の沖縄訪問で状況を確認してきました。

事実だそうです。

聞いた話では、沖縄県最大の工場が、県内の染織家や組合以外のところにすべて売ってしまったとのことです。

それも唐突に『ありません』と言われたのだそうです。

沖縄の染織において琉球藍はなくてはならない存在です。

喜如嘉の芭蕉布、宮古上布、読谷山花織などは琉球藍がなければ全く生産できない状況になってしまいます。

どこに売られたかは諸説あり、よく解っていません。

それにしても琉球藍製造者は『沖縄の染織家が困る』と言うことを解っていながら、この行動をとった事は明白です。

私には到底理解できないことですし、ふだんは鷹揚でもめ事を嫌う沖縄の人達もこの度だけは、怒り心頭という感じです。

当然の事です。

沖縄県としても、それぞれの染織家にしても、有形無形の形で琉球藍製造者を支えてきたはずですし、裏切り行為といわれても仕方がないだろうと想います。

どこに売られ、どんな使い方をされたかによっては、今後も同じ事が続く可能性があります。

そうならないことを心から祈りますが、かなり心配な状況です。

植物染料は沖縄の場合、ほとんどを木の皮や根などの原料を煮出して自分の手でつくりますが、琉球藍だけは専門の琉球藍製造者に供給を任せているという状態です。

それだけ琉球藍の製造には知識と経験が必要だということです。

今回の事には、いろんな背景が考えられるのですが、ほぼ1カ所の工場に沖縄全島の琉球藍の供給を頼り切っていた事、その取引が全く個人の裁量に任されていたことも、いまとなっては問題とせざるを得ない感じがします。

琉球藍の供給が不安定ということになると、阿波藍など他の藍を使おうとかインディゴ・ピュアで代用しようとか言う話にもなりかねませんが、それだけは避けたいのです。

琉球藍の製造は琉球藍の栽培から始まって、沈殿法という独特の作り方をして製造されます。

内地の藍製品のほとんどがインディゴ・ピュアとの併用といわれている中、沖縄だけが藍は琉球藍100%を貫いているのです。(但し宮古島では色を黒に近づける為にインド藍が併用されていたとも聞きます。)

あの『くんじ』と言われる優しい赤みを帯びた、まるで甘い香りがそこからしてくるような独特の色は、石灰が絶妙に調整された天然発酵立ての藍でしか出せない物なのです。

琉球藍製造工場の後継の問題もあり、県がなんらかのコントロールをするべきではないかと想うのですが、どうでしょうか。

沖縄では幸い、造る人が居なくなるという状態には私が生きている間にはならないと想われます。

しかし、素材、染織の道具など、周辺の事ではたびたび危機に見舞われています。

組踊では、衣裳制作なども保護されていると聞きます。

染織家が、制作に集中できるような環境を整えてあげる事が、伝統文化の振興になることは間違いの無いことです。

次の作付け分から、いままで通りになるように心から祈っています。

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沖縄訪問を終えて2016/9/30

今回は久しぶりの沖縄訪問でした。

いつもなら、春先と5月、7月という感じで行くのですが、販売の方が忙しく、うかうかしていると台風シーズンに入ってしまって9月に背中を押される形での訪問でした。

ご無沙汰のところも訪問したので色々見えて来たこともありました。

沖縄では、これは昔からのことかもしれませんが、様々な思いが交錯しているようです。

特に真剣に伝統染織の事を考えている人は、迷っているし、苦しんでいる。

大切にしたい理想ときびしい現実との間でもがいているようにも見えます。

そういう時、どうしたらいいのか?どう考えたらいいのか?

私にも適切なアドバイスをする自信はありませんが、

ひとつ言えるのは『淡々とやるべきことをやり、それ以外のことは気にしない』

ということなんだろうと想います。

なんのために染織をやっているのか?

生活のためなら生活のためになることをやればいいでしょう。

染織を休んで、スーパーのレジ打ちに行くのも一つの選択肢かもしれません。

でも、染織が好きでやっているなら、好きな染織を楽しんでやればいいでしょう。

後進にいい作品や研究成果を残してあげることが一番だと思うなら、それをすればいい。

いろいろやろうと思うからしんどいんじゃないでしょうか。

そんなにね、優秀な人間なんてそうはいないですよ。

優秀な人でもそこそこのレベルまで行くのは1つだけです。

自分は頑張って作っているしいい作品だと思うけれど、人に認めてもらえない、そんなことで悩んでいるとしたら、

それは良い作品が作りたい、そして人に認めてもらいたい、ひいてはお金がほしいという、いろんな欲をいっぺんに満たそうとしているからでしょう。

良い作品なのに認めてもらえないと思う時、本当にそれがいい作品なのか?という自分自身の審美眼を疑ってみて、そこに磨きをかけるべきなんだろうとわたしは思うのです。

審美眼が歪んでいて、その眼で自分の作品を見ても、正当に評価がくだせているとは思えません。

良い作品が作りたいのか?人から認められたいのか?お金がほしいのか?

価値観次第、人それぞれ。

どれが正しくてどれが間違っているということもありません。

今回はそれがきちんと整理されていて腹をくくっている人と、そうでなくてウロウロ迷っている人の両方を見ました。

私は私の生き方、やり方がありますので、それに合う方とお付き合いしますが、問屋によって考え方も価値観もそれぞれですから、なにが良いということはありません。

私は高い審美眼を身につけて、良い作品、良い作家を見出して、それを少しずつでも良いから世の中に出して、そのことでささやかなご飯を食べていければいいと想って来ました。

ですから誰にも頼らない、みずから審美眼のみをヨシとして良いも悪いも評価できる審美眼を身につけることを第一の目標としてきました。

その結果、人に評価されようがされまいが自分の責任ですし、あんまり気にしていません。

世の中の動きに合わせて、流行りのものや有名ブランドを揃えて商いをしようとすればいくらでもできますが、それは私の性に合わないし、第一面白くないと想ったからです。

作家さんが迷っている時、迷いは作品にすぐ現れます。

そんなとき、優しく声がけするか、厳しくカツを入れるかはその作家さんの性格次第ですが、自分の価値観がぶれているとそれも出来ません。

『なんやこれ、気ぃはいってへんやんか!』

『よっしゃ、こんどこんなんやってみよか!?』

かける言葉はいろいろです。

それによって迷いが吹っ切れることもあるみたいです。

私は私として、私の感覚で、その作家さんが何を目指すべきか、何を目標としていけば伸びていってくれるか、をなんとなく判断して、接しているんだと想います。

迷うのは、ずばり言うと、勉強が足りないのに、強引に先に進もうとしているからです。

お金がほしいのに商売の勉強をしていない人も非常に多い。

良い作品がつくりたいのに、他人の作品に対してきちんとした評価ができないとしたら、それは、土台無理な事を想ってるだけなんですよ。

良い作品を作る人は、それを大きな声で言うかどうかは別にして、他人の作品の良い悪いをきちんと分析して、私に語ってくれます。

そんな話から私も自らの審美眼を磨く材料にさせてもらってきました。

言えないということは、角が立つからということではなくて、解ってないからです。

審美眼・価値観が確立していないからです。

良い作品を造るにしても、他人から高評価を得るということにしても、お金を儲けるということにしても、どれもそんなに甘いものではありません。

1つ出来れば全部できるというものでも無いようです。

評価の割には作品が悪いとか、

作品も評価も悪いのに、お金だけは儲けているとか、

お金は全然もうけてないのに、作品はすごいとか、

いくらでもあります。

私も30年ちかいキャリアの中で、いろんな作家さん、作り手さんと会ってきました。

すべてを手に入れた人は、ほとんどいません。

王貞治を目指すのか、長嶋茂雄を目指すのか、金田正一を目指すのか。

人間、迷うものですし、私も迷い続けていますが、今はじっくり考える時間をもってみて欲しいな、と想った4日間でした。

『芭蕉布のケア』2016/2/26

明日は展示会なので、今日はもう一個あげておきますね。

表題の通り『芭蕉布のケア』について、です。

私自身、二着の芭蕉布の着物を所有しています。

いずれも琉装という沖縄風の仕立てにしています。

芭蕉布というのは、ご存じの通り、リュウキュウイトバショウというバナナに似た木の幹から繊維をとって造る布です。

正しいケアをするためには、まず繊維の性質を知る事が大事です。

まず、一番知っておくべき事は、芭蕉布は乾燥に弱いということです。

普通の着物は、絹がほとんどだと想いますが、これは逆に湿気に弱い。

真逆の性質の布を同じように管理していてはまずいというのは解りますよね。

冬場に芭蕉布の工房に行かれた方は見られたことがあるかもしれませんが、チューンアップしたかのような加湿器から大量の蒸気が出されて、湿度を上げています。

乾燥すると経糸が切れてしまうのです。

夏場にキンキンに冷えた展示会場で、ましてや冷房機から直撃の風を受けていた様な芭蕉布は、パキパキになって帰ってくることもあると聞いた事があります。

パキパキになると、当然繊維は切れやすくなりますから、破損しやすくもなるというわけです。

芭蕉布はある意味強い布ですが、ケアを怠ったり、間違った保存方法をとると、脆さをだすこともあるという訳です。

じゃ、どうやって乾燥を防ぐか、ですが、一番は着用することだと私は考えています。

ただでさえ沖縄より湿度の低い時期の多い本土では、どうしても乾燥しがちです。

盛夏用とされる芭蕉布を着るシーズンも短い。

できれば、最低年に一度は袖を通す。

夏場ですから身体からでる水分でかなり潤うはずです。

あまり大事にしまいすぎると、かえって逆効果です。

樟脳やシリカゲルのはいった収納庫(たんす)に入れない方がいいです。

毎年着ると毎年洗濯しなきゃいけないじゃない?と想われるかもしれませんので、汚れた場合の対応をお話ししましょう。

芭蕉布には、小さな説明書のようなものがついていて、たしか洗濯の仕方として『ゆなじに着けて優しく洗う』のような事が書いてあるはずです。

前に、平良美恵子さんに、それで良いんですか?と聞いた事があるんですが、なんとダメなんだそうです。

一番は、お求めになったお店にご相談なさること。そこから、正規品なら喜如嘉の芭蕉布組合に繋いでくれるはずです。

芭蕉布は伸子をうちません。

布目を直すのに、湯飲みを逆さにしてクルクル回してこすりあげていくんです。

つまり、これは、他所では出来ない事ですから、へんに洗い張りして伸子張りされてしまうと、オオゴトになるかもしれません。

とにかく、ちょっとしたしみ抜き以外は、買ったお店に持って行く事が唯一の方法だと想ってください。

もし、お求めになった小売店が無くなってしまっていて、どこに持って行ったら良いか解らない場合は、喜如嘉の芭蕉布協同組合に直接連絡をとってみてください。

丁寧に対応してくれると想います。

あと、購入された後の仕立てですが、邪道かもしれませんが、私は自分の芭蕉布は2枚とも居敷当をつけています。

盛夏用の着物に、居敷当をつけたら意味がないじゃない、と想われるかもしれませんが、そうされることをお勧めします。

本来、芭蕉の糸で縫うのが本当なんですが、そうでない場合が多いので、芭蕉の糸に縫い糸が負けてしまって、お尻がパリッ!という事が少なからずあるんです。

私は肥満体ですし、お尻が大きいので、特にヤバイ。

とくに正座したりしますと、お尻にテンションが掛かるので危ないです。

茶人は、絹や麻の夏衣でも、居敷当をする人が多いのはそのせいです。

もともとは、琉装でフワリと着られていた織物ですから、タイトに着付けしないことも大事です。できるだけふんわり着る。

できれば、身幅も少し広めに仕立てておいた方が良いかもしれません。

(私の場合は肥満体なので身幅が足らないのは言うまでもありません)

仕立てあがった古い芭蕉布も居敷当を足しておく方が良いでしょうね。

次にシワの問題。

シワになります。

でも、これは麻のシワとは感じが違って、キッパリとキレの良いシワになります。

麻みたいにシワシワじゃなく、シワッ!って感じのシワです。

折れジワといえば感じがわかるでしょうか。

これに関しては、まず一番は、気にしないということです。

バッグを持ったりして肘を曲げていると、そのへんがシワになりますが、その場合は、トイレなどに行って、手に水を付けて水分を補ってあげてください。

絹のように水が落ちてシミになることはないです。

芭蕉布を持ったら、とにかくあんまり神経質にならないことです。

そして出来るだけ、着ること。

着れば、これほど気持ちの良い布はありません。

肌触りがひんやりして、麻の様に肌にまとわりつかない。

そして、万が一、破損したら・・・

これもお求めになった小売店経由で芭蕉布組合に相談してください。

最善の策を考えてくれると想います。

芭蕉布に関するご相談をお受けすることが良くあるんですが、どんな場合でも、まずは、お求めになった小売店に持って行ってください。そこから、問屋、組合と話を流していくのが一番確実です。

そのためには、やっぱり信頼できるお店でお求めになる事が一番です。

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『びんがたも作品を』2015/2/22

こないだの沖縄で、ある作家さんと長々話をしていたんですが、どうも最近びんがたに面白い作品がない、とくに、市場に出回ってる作品の魅力が薄れているなどと話をしていて、どうしてなんだろう?と二人で話し合っていました。

沖展を見ても、織物の方はそれぞれ産地ごと、作家ごと工夫をして、将来性を感じる若手が出てきて頼もしい感じがするんですが、びんがたはというと、どうも面白くない。

デザインは斬新であっても、作り込みが甘い。線が美しくない、色も冴えてない。

いろいろと考えてみたんですが、結局は受注形態にも問題があるのでは無いかという事になりました。

織物の場合、ひとつひとつ、一点限りのつもりで、創意工夫を凝らして糸を染め、織り上げる。

びんがたはというと、見本となる作品を造り、それに対して問屋が生地を渡して発注するという形です。

後者の場合、どうしても『仕事をこなす』という事になります。

ちょっと位出来が悪くても致命的な欠陥が無い限り、問屋は仕入れて金を払ってくれます。

悪く言えば『やっつけ仕事が通ってしまう』事にもなりかねないのです。

人気作家になると、ひと柄で何十何百も造る事になります。

それに魂を込めろと言っても、難しい事です。

びんがたの作家さんも、実はそんなに柄数をもっている訳ではありません。

そしてその多くは古典をアレンジしたものです。

完全な創作というのは、創作紅型の作家といえども、現実にはそう多くない。

古典をベースにしていることがほとんどなんです。

我々が発注する場合でも、実は、染め上がった現物が工房にあるわけではありません。

たいていは、写真です。

写真で色柄を確認して、発注するわけです。

当然、色柄の緻密な部分は解らないですし、生地によっても感じがまるで変わってきます。

作品が出来上がって来て、開いてみると、あんまり良くないという場合でも『ま、こんなもんか』という様な感じで、それに対して厳しい言葉を発するというのは、業界でもほとんどないでしょう。おそらく私くらいでしょう。

出来上がって来て『アララ・・』というのが多いのも確かです。

でも、この作品そのものを仕入れると言う場合には、アララ作品は仕入れません。

つまり、織物と紅型では、自ずと一つ一つの作品造りに対する真剣さが違ってくるんです。

見本の作品を造るときには、丹念にやったとしても、発注の場合は納期もあることですし、目の前にお金がぶら下がっていますから、作り込みが甘くなる事も十分にありえるわけです。

顔料の調合ひとつ、型を彫りなおす場合は、型紙の彫り方ひとつひとつに入る気持ちがかわってくるはずです。

型染めといっても、版画の様に同じ絵の具を多数の作品に使う訳ではないですし、現実、同じ型、同じ配色を発注しても同じに上がってこないのが、びんがたの現実です。

もう人気作家まで登り詰めた方は良いとして、これから頑張っていこう!という中堅・若手のびんがた作家さんには、自分で生地を仕入れ、渾身の力を込めて染め、その作品を売ることが必要ではないかと想うのです。

作り手として十分な力がついていない、まだまだ試行錯誤を重ねていかねばならない状態で、たくさんの注文が来たとしても、駄作を市場にばらまくだけです。

一時、駆け出しの若手にも注文が殺到していた時期がありました。

それは、その人の作品が良いからではなくて、ただ『びんがたが欲しい』というブームに乗っていただけなんです。

それがアララ作品を多数生んでしまい、市場にヘドロの様に溜まっている、そういう状況なんだと想います。

びんがた作品を作る事は、特に難しい事ではありません。

テーブルセンターやタペストリーくらいなら私でも出来ます。

大事なのは、基本的な技術と、『作り込み』です。

びんがたは分業ではなく、ひとつの工房内で工程が完結します。

だからこそ、手を抜いたら手を抜いただけの結果しかでないのです。

手を抜いたつもりでなくても手が抜けてしまう。

それが受注というシステムのワナです。

金銭的に一時は潤ったとしても、長い目で見れば力が付きにくいと私は思います。

同じ作品は二度と造らないんだ!くらいのつもりで、デッサンをし、柄を造り、型を彫り、色を調合する。

そして、ひとつひとつ最高のものを仕上げる。

そもそも、そうでなきゃ、使ってくださるお客様に失礼でしょう。

びんがたの型は大量生産の為の型ではありません。

型の持つ美しさを最高に表現できるのがびんがただと私は考えています。

精一杯つくった新しい作品なら、もっと高く問屋に売っても良いでしょう。

いま自分が手がけている作品が本当に自分の作品と言えるのか?

生地を問屋任せにしていて、それで自分の作品の魅力が十分に発揮できているのか?

10や20の創作柄を持っていたって、作家と呼ぶにはほど遠いです。

織の人は、自分で糸を買って、造った作品は自分で持って、問屋に対峙しています。

少なくない人が、同じ作品は二度造らないという気持ちでいます。

びんがたは絵画です。

作品を前にして語れる様でなければ、あなたの作品とは言えないのです。

『沖縄染織の魅力と売り方』2015/11/25

11月恒例の下関巡業を終えて、先週の金曜日の深夜に帰阪しました。

暖かくて、気持ち悪いくらいでした。

今日の大阪は寒くて、すでに厚着をしています。

事後の事務処理も一段落して、久しぶりにブログを。

うちは、創業以来沖縄と深く関わってきて、来年の8月でまる50年になります。

私ももう26年沖縄物を売っていると言う事になりました。

復帰直後、祖国復帰10周年、20周年、30周年と、沖縄ブームというのがあって、30周年あたりのブームが大きすぎたせいか、40周年は全体として不発という感じで終わってしまいました。

いまや、沖縄の染織といっても、珍しいものではなくて、総合展なら定番という感じになっているのかも知れません。

では、なんで沖縄の着物を売っているのでしょうか。

大島や結城に比べたら、1972年までは米国の統治下にあったので、スタートが遅れ、いわば『最後の珍品』であったからでしょうか。

でも、もうすでに、沖縄の着物といっても、珍しいわねぇと言ってくださる着物ファンは少ないでしょう。

花織やロートン織、花倉織と言った技法が面白いからでしょうか。

しかし、そんなのは機械織で安いのはいくらでも出来る時代になっています。

沖縄の染織が珍しいから売場に並ぶのであれば、沖縄で沖縄の技法を用いて造ってさえあればいいと言うことになります。

私の実感として、沖縄の染織を見て、珍しい!という反応をされる方はほとんどいないのです。

いわば、七色の変化球を投げ分ける新人投手に面食らって、三振の山を築いてしまったけども、次のシーズンは打者も慣れ、研究もされて、その投手の本当の実力が試される、そんな状況なのだと想います。

珍しいと言われていた時代は、『そうね、沖縄のも一つもっておいても良いわね』的な買い方をしてくださった方も多かったんだろうと想います。

新しいだけでなく、特徴がありますから、それだけで十分な魅力だったんです。

しかし、市場に沢山出てくると、その特徴も見慣れたものになってしまいます。

次は特徴から、『魅力』の有無に焦点が移ります。

購買動機が、変わるということです。

カップヌードルが出たのはもう40年以上前だと想いますが、当時はオシャレな食べ物として、フォークで食べたりしていたんです。

価格も高かったんですが、それでもたくさん売れたんだろうと想います。

しかし、類似の商品がたくさん出てくるようになり、カップ麵という言葉が浸透してくるようになると、次は味の勝負ということになります。

カップラーメンだけをみても、すごいバリエーションがありますよね。

カップ麵は身体に良くないという話もありますが、これだけ大きな市場になったのは、それ相応の魅力があるからでしょう。

まず、そこそこ美味しい、手軽、安い、器が要らない・・・などなど。

では、他の着物ではなくて、沖縄の染織品を買う決め手って一体何でしょうか。

芭蕉布、宮古上布、八重山上布、久米島紬、読谷山花織、南風原の絣、首里の織物、琉球びんがた、与那国織、などなど、たくさんの種類があります。

例えば、ちょっとお出かけするのに着る、気軽な紬が欲しい、そんな需要があったとします。

紬は日本全国にいろんなのがあります。

その中で、例えば、久米島紬を選んで買ってもらうにはどうしたらいいでしょうか。

これは売り手に問いかけているのではありません。

作り手に向けてお話しているんです。

結城、大島、牛首、そして久米島紬がお客様の前に並べられたとします。

久米島はどうやったら、お客様の心をとらえることが出来るでしょうか。

イメージするには、結城、大島、牛首がどんな品物かを知っている必要がありますね。

夏物でもそうです。

越後上布、能登上布、そして、八重山上布が並んだ。

八重山を選んでもらうには何が必要でしょうか。

どういうものづくりをすべきでしょうか。

それらがどれにも特に際立った特徴がないとすれば、どれも選ばれないという事もあり得ます。

特徴の中で、相手に良い影響を与えるものを魅力と言って良いのだろうと想います。

本当に魅力があれば、同じアイテムのものを二点、三点と求められるはずです。

珍しい、持っていない、が購買動機であれば、一点こっきりで止まる可能性が高い。

同じ作家さんの作品を複数点お買い上げになるということは、その作家さんの魅力、すなわち、その世界に魅了されていらっしゃると言ってもいいかも知れません。

要はそこまで考え、工夫を凝らして、制作に当たっているかという事です。

作り手はお客様の作品に対する反応を見ることが無いというのも、ちょっとかわいそうな感じがしないでもありません。

作品を広げた途端、まだ宙を舞っている布を手にとって、手から離すことなく、じっと凝視していらっしゃる・・・

しばしの沈黙・・・

この時が、私達商人の至福の時であります。

そういう時間が来そうな予感がする、私はそんな作品を日々追い求めているのです。

話を元に戻しましょう。

沖縄染織の魅力を考える時、何が良いのかをハッキリと言葉にできなくてはいけません。

大きな展示会場に他の種類の着物と並べられたときに、際だった異空間を造れなければなりません。

沖縄染織の魅力とは何か?

異空間を構成しうる、色の深みとコクなんだと私は認識しています。

そして、その深みとコクのある色が多数存在し、表現しうる。

これが沖縄でしかできないことです。

なぜかは知りませんが、おそらく、その気候と風土、そして伝統でしょう。

私は沖縄染織だけを売っているのではありません。

しかし、その魅力を核にして、同心円の中にあるモノを集め、造っているんです。

えばみりをん、もずや更紗などなど、他産地の染織品でありながら、沖縄の染織と一緒に並べても、とくに浮き上がってしまうことがない。

これはなぜかというと、私がプロデュースしているからです。

そして、その周辺部の作品があるからこそ、沖縄物の魅力がまた引き立つのです。

相乗効果、シナジー効果というやつです。

てっちりにひれ酒、スモークチーズにピート臭のバッチリ効いたウィスキー。

それぞれの魅力がかぐわしく匂い立ってひとつになり、魅力が何十倍にもなる。

沖縄染織を扱っている問屋は他にもあります。

沖縄だけしかやっていない問屋もあります。

でも、それは沖縄を産地として区切り、銘柄として分断してしまって、その美の核がどこにあるかでまとめていません。

京友禅には京友禅の、加賀友禅には加賀友禅の、大島紬には大島紬の魅力があって、美の世界は産地で区切られるものではないのです。

時計でも、ロレックス、オメガ、タグ・ホイヤー、パテック・フィリップ、バセロン・コンスタンチン、オーデマ・ピゲなどなどありますが、銘柄=ブランドをだけをぞろぞろ並び立てるだけでは、その時計はブランドで買われるだけになるのは当然です。

手作りの機械時計という事、そして、一種の工芸的価値のある時計という事でまとめなおすと、そのコレクションの見方はグッと変わると想います。

ブランド、ブランドと、コンサルは口やかましく言いますが、ブランドはいつかは廃るんです。

でも、沖縄の染織が永続を宿命づけられた伝統工芸であるとすれば、プロダクト・ライフ・サイクルに乗せてはいけないのです。

マーケティング・マイオピアという言葉があります。

初恋の味・カルピスといえば、私の同世代以上の人なら知らない人はいないでしょう。

カルピス・ウォーターで一時は盛り返しましたが、いま、一年に何度カルピスを飲むでしょうか。

出されれば飲むし、飲めば美味しいと想います。

でも、カルピスというブランドが連想させる味、イメージが、購買を阻害しているんです。

ブランド化して長続きしているモノなど、実はほんの一握りなんです。

逆にそれは、有名ブランド以外のものを市場から排除してしまう、消費者の眼を本来の品質から遠ざけてしまうという大きな副作用もあることを知らなければなりません。

着物業界でいえば、大島紬ですね。

昭和50年代までは一世を風靡した商品群、ブランドと言っても良いでしょう。

それが今はどうでしょう。

1980年から、ある業者が安売りをはじめ、一時は良く売れたでしょうが、今や産地は半端じゃない危機に瀕しています。

ブランド化というのは、一種のカンフル剤と想った方がいいと想います。

いま、自分だけが儲ければ良いと想う人には効果ありです。

いくらマーケティング戦略を駆使したとしても、喜如嘉は芭蕉布しか造れないし、宮古島、石垣島は上布しか造れない。

でも、それは高価で、現代の実用からは遠く離れている。

それをどう支え、永続させていくのか・・・それなんです。

これから10年で良い物は無くなるという話を良く聞きますが、沖縄の染織はなくすわけにはいかないんです。

身体をはってでも、残していかなくてはいけない。

繁栄しなくても良い。

どうやったって、良い物はたくさんは造れないんですから。

ですから、良い物を良い物と認識してもらう工夫、そんな当たり前の事がとても大事なんだと想うんです。

沖縄の染織に携わる人達を中心に、美意識を共有できる人だけが愛してくれるだけで十分です。

大事なのは、その美意識を明確に認識してもらうこと。

私はなぜ、こんなに沖縄の染織に惹かれるのか。

その理由を明確に認識してもらえさえすれば、きっと道はあると想います。

それは売り手とて同じ事。

輪島塗を売るには、他の産地の塗り物とどこが違うのか、どういいのかを明確に認識し、伝え、自らも作品を愛することが出来なければ、末長く商うことはできません。

それが出来なければ、どんどん流行を追って、商売を変化させていくだけ。

それは今時の商売かも知れませんが、時代に取り残されれば去るのみです。

しかし、伝統の世界は時代に取り残されてもなお、正道をたえまなく歩いて行かなくてはならない。

ある種の諦観と、ど真ん中を突破する信念も必要かと想います。

長々と書いてしまいましたが、世情が不安定ですし、消費税も今のままで行くと増税という事になりそうです。

作り手も、私達商人も、土性根をすえていかねばならない時に来ていると想います。

『沖縄の染織〜新しい時代へ〜』2015/8/7

沖縄の染織は着物ファンの中でもかなりの感じで知れ渡り、それ自体を『初めてみましたぁ』なんていう言葉は聞くことも無くなりました。

沖縄の織物は大きく下の様にジャンル分けされています。

喜如嘉の芭蕉布
読谷山花織
知花花織
首里織
南風原の各種織物
久米島紬
宮古上布
八重山上布
与那国織

ざっとこんな感じです。

リュウキュウイトバショウで造られる芭蕉布、苧麻で造られる八重山上布、宮古上布を除いて、他はすべて絹織物が中心です。

読谷
知花
首里
南風原
与那国

どこにどんな特徴があるでしょうか。

作品だけをみて、これは首里、これは読谷、これは南風原、これは与那国と完璧に見分けられる消費者の方は多くないと想います。

同じ技法で造っていながら、なぜこんな風に分けられているんでしょうか?

実は、昔、30年位前は花織はすべて『琉球花織』として販売されていました。

首里織という言葉ができたのも、那覇伝統織物事業協同組合が設立された40年前からではないかと想います。

もちろん、首里には首里の、読谷には読谷の、歴史と伝統があります。

技法的にも正統なものは、それに則って造られて居ます。

しかしながら、現実にはもうグチャグチャです。

私でも、これが首里織と言えるのか?と想うほどの粗い作品もあります。

逆に、これは上手だし気品があるな、と関心させられる他産地の作品もあります。

産地別の縦割と作家の技量別の横割で沖縄染織の作り手、あるいは作品は位置づけされるのだろうと想います。

ざっと描くとこんな感じになるかと想います。

レベルの高い順にA,B,Cとランク付けするとしましょう。

(首里織は全体として他の産地よりレベルが高いとかそういう話はまた別の機会に(^_^;))

沖縄の織物展を開くとしましょう。

Aランクばかりを集めた展示会も、Cランクばかりを集めた展示会も、おなじ沖縄の染織展です。

たくさんの作品を集めようとすると、同じ資金量ならCランクの作品を集めた方が仕入れ値が安い分だけたくさん集まります。

南風原の絣が安価なのは、素材や織物の品質と共に、同じ作品を大量に生産するというシステムにも理由があります。

ですから、そういうものばかりを集めると、どこにでもある作品が大量に集められる事になります。

『沖縄』とか『首里』『読谷』など、種類が細かく分けられれば分けられるほど、沖縄染織展は、種類が多くなります。

詳しく知らなければ、とりあえずアイテムだけを集めようとするからです。

首里織3点、読谷山花織5点、知花花織5点、南風原花織5点、南風原の絣10点・・・

こんな風に集められるわけです。

ですから、知花花織の経て浮き花織を読谷がやっても、問屋の需要は増えないと観るわけです。

細かく分ければ需要は増えるの法則です。

そこには品質への眼は無きに等しいと言っても良いでしょう。

もし、品質本意で観る眼があるなら、Aランクの作品だけを集めて、産地にはこだわらない、そういう考えもあるはずです。

正直言って、私がアソートするなら首里花織帯と南風原花織帯が同数なんて事は考えられないわけです。

産地によって技法が細かく規定されているのは、ひとつは伝統工芸品指定の問題。

あとは、産地同志が争わずに共存共栄していくためです。

首里で織られていたのは、今の首里織の規定内の技法だけではありません。

那覇全体で見れば小禄や泊のあたりでは綿織物も盛んに織られていたと読んだ記憶があります。

首里でも当然の様に無地も織られていたし、麻も織られていたでしょう。

首里には桐板という織物がありましたが、その原料は竜舌蘭とも苧麻とも言われています。

花織の歴史を見れば、首里以外では読谷山の長浜地区の人達だけに特別に許されていたという事ですから、読谷でも芭蕉布を始めいろんな織物が織られていたとおもわれます。

歴史をひもとくと長くなるので差し控えますが、産地名や産地の技法を規定するのは今までは、作り手を守ることにつながったのかも知れませんが、これからもそれで良いのか、という問題です。

沖展などで若い作り手の作品を観ると、『この人にあれを造らせてみたい』『この技法なら絶対もっと良くなるはず』と言う感覚が湧いてくることが多いのです。

しかし、作り手がその産地に縛られていると、自ずと技法にも制限がかけられます。

知花の人に、ロートン織は造らせられないのです。

その気になれば出来ますよ。

でも、狭い沖縄の社会で、仲間から突出した事をするのは大変な勇気の要ることで、現実的には組合員なら、脱退という事にもなりかねません。

長くなりましたが、結論として

『自分の技法は自分で決める』

それで良いと想うのです。

使う素材も、染料も、全部自分で決める。

完全自由の、作家主義です。

沖縄にいると沖縄の中にしかなかなか眼が行きません。

でも、ちょっと内地の染織家に眼を向けると、そんな制限やしがらみ関係なしに、ありとあらゆる技法を取り入れて創作活動をしています。

そんな中で、

私は読谷山花織の作家で、伝統があるのよ!

なんていっても、そんなのは文化庁に言ってくれ!てな話です。

伝統、風土、環境・・・様々な面で、沖縄は染織のメッカです。

ますます、その存在価値は高まっていくでしょう。

しかし、その作品の価値、とくにAランクの作品の価値は正統に評価されているとは思えません。

なぜか?

BCランクずらりの産地事のアソートで足を引っ張られているからです。

今となっては、産地ごとにブランドを色分けしたのでは、その産地に着いたイメージもつきまとう事になります。

特定産地のの作り手として、縛りを受けるのは一長一短ある、そう考えた方が良いと想います。

産地のイメージ、これは悪く言えば色眼鏡です。

いくら創意工夫を凝らし、個性溢れる作品をつくっても、色眼鏡で見られたのでは、正統な評価が得られるはずもありません。

沖縄染織の作家から

沖縄の作家へ。

そして日本の作家へ。

沖縄の作家さんだけを観ても、お腹が一杯になるくらいの輝く個性を感じることができるのです。

さぁ!飛び立ちましょう!

求められているのは、沖縄の染織ではなく、あなたの作品なのです!

『ビッグネームの責任』2015/6/30

染織の世界にもビッグネームというのが存在します。

有名な伝統染織産地の品物もそうでしょうし、有名な作家。

たとえば、結城紬なんかはそうでしょうし、個人作家なら、重要無形文化財技能保持者や現代の名工などに指定されている人達です。

これらは名前だけが一人歩きする力を持っています。

Aという商品名のラベル、Bという作家が造った事を証明する証紙や反末文字。

伝統染織界のトップに君臨する商品たちです。

これらの作品は、高度な技術を用い、高品質であると誰しもが想っています。

Aという産地の物なら間違いなく最高品質の物だろう。

Bという作家が作った物なら、そのジャンルでは最高のものであるはずだ。

それと共に、価格も当然それに見合ったものになってきます。

Xという、そのジャンルでは最高だと想われている作家がいるとしましょう。

Xは押しも押されもせぬ、その染織品の大家です。

だれも、それを疑わないし、着物がすきなひとなら、誰でもその名前を知っている。

Xの作品はとても手間暇、工夫が必要なために、100万円で出しているとします。

でも、Xから出る価格が100万円となれば、買える人は限られます。

でも、Xの作品は誰もが欲しいと想っている。

問屋としては、もうちょっと価格を低くしてたくさん売りたいと想う。

また、100万円で仕入れるより80万円でしいれたほうが、利益があがる、あるいは価格を安く設定できる。

手間暇掛けて良い作品を造るには100万円はXとしては譲れない線です。

ではどうするか。

手間を省く。

材料を安い物に替える。

これを良いように言えばコストダウンと言います。

しかし、これには際限がない。

もっと安く、もっと安く。

Xの作品は50万円まで値切られてしまいましたが、発注量は倍になりました。

手間暇や材料を落としているのですから、Xの利益は変わらないかも知れません。

しかし問題なのは、Xがビッグネームであり、安ければ飛びつく威力のある名前だと言うことです。

そのジャンルのトップであるXの作品が50万円まで落ちているとどうなるか。

その下の、それまでは80万、60万、50万で仕事を請け負っていた人は当然しわ寄せを食うことになります。

『Xが50万やのに、なんでオマエが60万やねん』

必ずそうなります。

しかし、観る人が観ればXの作品は品質が落ちている。

そこで、Xの下に居る人は二手に分かれます。

私も安くしなきゃしょうがない、と想う人。

私はあくまでも良い作品を作り続けて、それにふさわしい対価を頂く、と考える人。

前者は注文が来るかも知れませんが、当然ながら困窮するでしょう。

後者は注文が激減するかも知れません。これも困窮します。

Xより上の価格設定が現実には出来ないのです。

つまり、Xはかつての、ON(王・長島)なんですね。

それとともに、粗悪なXの作品が大家の作品として、世の中に大量に出まわる事になります。

初めは良いでしょうが、だんだんとお客さんの方も、気づき出す。

『あー、Xさんの作品ね。私も持ってます』

・・・

そんなに良いと想わないし、誰も彼も持ってるから、もういいや・・・

そんな風になると想いませんか?

実は実は!

Xは自分の中では作品にランクをつけている。

そう言うことも多いのです。

でも、一般の消費者の方はもちろん、問屋もそれを知らない。

しかし、多く出廻るのは最低ランクの最低価格帯です。

Xがトップに立つ作品群そのものの評価が低くなり、Xの下に位置する作り手の作品は、さらにもっと下と見なされて、市場価値を失う。

そして、その染織品自体が、市場から駆逐される・・・

私にはそんな風に想像できます。

トップに立つXの作品を観て、新たな作り手が高い志をもって、挑もうとするでしょうか?

ですから、トップに位置する作り手は、品質、価格共に、それにふさわしい事とする使命があるのです。

王・長島がTVに出てバカなことしてたり、ラフプレーを連発してたら、プロ野球自体を野蛮なもの、幼稚なものと想うでしょう。

反面、王・長島が年俸を低く抑えていたから、その下の選手の年俸が上がらなかったという事も事実です。

その天井を打ち破ったのが落合でしたよね。

その弊害も多々あるとは想いますが、トップの人が天井を高く高く支えていることによって、下の人達の生存が確保されるということはあるだろうと想うのです。

そして、トップの人の素晴らしい業績を観て、また新たに同じ道に入ろうとする人も出てくるでしょう。

お金儲けを目指して染織の道に入ってきても上手くいかないのは、今や誰でも解る話でしょう。

ビッグネームの粗造・安売はと言っても過言ではないと私は思っています。

『違いこそ宝 〜「風に舞う布 琉球染織の美」』2015/6/2

大阪くらしの今昔館で

「風に舞う布 琉球染織の美」

が始まっています。6/28(日)までです。

http://konjyakukan.com/kikakutenji.html
こちらで配布?されている図録が今日届きました。
実は、原稿を頼まれて、ちょこっと書いたのが巻末に載っています。
図録のは少し手が入れられているので、このブログでは私が書いたままを掲載します。
『沖縄染織の現状と展望』というテーマでのご依頼でした。

違いこそ宝この度は開催おめでとうございます。私の沖縄との出会いといえば、父がお土産に持って帰ってくれたチョコレート、ガム、プラモデル。そして日曜日のお昼のポークたまご。そのおかげでこんな肥満体になってしまいましたが、父との大切な想い出の一つです。父は、20歳の頃から某商社の駐在員として、沖縄に居住していましたから、沖縄とはかれこれ60年のお付き合いになります。当時はまだ米国の施政下でしたから、弊社創立時は、糸や染料などと共に、学生服などの生地を沖縄に納めていました。当時のお得意先が株主になってくださったりして、大変な応援をしてくださったんですね。染織界では、大城廣四郎さん、大城カメさんには大変お世話になったと聞いています。私が廣四郎さんにお会いしたのはまだ幼稚園生の頃で、大阪の展示会に来られたときに、お小遣いを下さったのを今でも明確に覚えています。確か5000円でした(笑)沖縄が本土に復帰してからは呉服一本になったのですが、沖縄といえば、必ず父の姿が重なって見える、そんな感じでした。いまでも、そうなんですが。沖縄の事は父を通じて、いろんな事を間接的に学んでいました。それこそ、本当に『いろんな事』です。 私がこの業界に入ったのは25歳の時ですが、太くなったり細くなったりしながら、沖縄との付き合いはずっと続いていました。その9年後に父が倒れて、そのまた1年後に亡くなるのですが、その時に父から言われたのが、『もう一回、沖縄の織物に力を入れてみたらどうや』という事でした。そして、『そのかわり、沖縄に骨を埋めるつもりでやらなアカンで』とも言われました。若いときから長く沖縄と付き合っていた父としては、いろんな感情があったようですが、この言葉が遺言の様に私は感じています。私がこの世界に入った当時は、まだ沖縄の染織とえいば、二級品扱いだったそうです。それで、入社して最初に父から教えられたのが、沖縄の輝かしい歴史と文化でした。そして、京都、加賀、江戸と並ぶ沖縄染織というジャンルを確立する事を目標としているという話を熱く語ってくれました。復帰当時、多くの問屋の意識は『裸足の沖縄』だったそうです。沖縄は裸足で生活しているような貧しいところだから、手作りの物が安く手に入る。こんな意識だったのです。その中で弊社だけが、琉球王朝の輝かしい文化にスポットを当てていたんです。今は首里城がその歴史を語ってくれますが、当時は守礼の門しかありません。自ら歴史を学ばない者にはその文化は知るよしもなかったのかも知れません。35歳で父から会社を受け継いでから、私はむさぼるように、沖縄の歴史を学び、民藝論の本を読みました。その中でやはり、父の教えは間違っていなかったと想いましたし、沖縄染織のあるべき方向性を深く考えるようになりました。 父がよく言っていた事ですが、『沖縄の染織品は力強くなくてはいけない』と私は思っています。私が沖縄に通い出した頃、もうすでに創業当時お世話になった方々は第一線を退かれていて、また、新たな業者の参入もあり、仕入れにも苦労しました。猛暑の中、もうろうとした頭でたどり着いたのが、久茂地にあった沖縄物産センターでした。こちらとも古いお付き合いで、平良さんご夫妻には大変よくして頂きました。平良さんの奥さんも『沖縄の染織はパワーをくれるんです』と父と同じ事をおっしゃっていたんですね。 沖縄染織の将来や展望と言っても、私の様な内地の人間があれこれ言うのは適当ではないかと想います。私の願いはただ一つです。沖縄の方々の中から本当に沖縄染織の価値や魅力を知って、それを護り続けていこうという熱い気持ちを持ったリーダーが存在し続けること。今や、花織やロートン織、紅型と言っても、技法自体は、内地のあちこちで使用されています。技法自体に価値が見いだされる時代では無くなっています。20年前は、花織を見せるだけで一発で売れていたんです。それが今や『あぁ、花織ね』です。技法の特異性が他より秀でたもので無いとすれば、今後の沖縄は何に力点を置いて市場での存在意義を保ち続ければ良いのでしょうか。沖縄でしか造れない物、沖縄の人にしか造れない物。それは一体何なんでしょうか。それを自ら深く考えて、認識した物作りをしない限り、和装市場の中で埋没してしまうのでは無いかと思います。今、和装の物作りは世界に及んでいます。いわゆる沖縄物によく似た着物や帯が外国で安く造られはじめています。それに対して、明確で抜群の魅力が無ければ、デフレの波に必ず飲み込まれてしまいます。均一な物を大量に造るようになれば必ず値段は下がります。値段が限界まで下がれば従事者も後継者も居なくなります。そうならない為にはどうした良いのか、です。 私は、『伝統を踏まえた個性』にその答えがあるのではないか、と考えています。伝統だけではない、しかし、個性の発露だけでもない。その両者がシナジー効果を得て、最高の物になるのではないでしょうか。沖縄には、私達本土の人間とは違う個性があります。異なる美意識がまだ残っています。これはまさに宝物なんです。日本国中で同質化が始まっています。私はあちこちに出張で出かけますが、どこの街に行っても同じ飲食店、同じ服。でも本来、違うことにこそ価値があるのです。その違いをどう活かすか。それは沖縄のみなさんが考える事です。私はこれからもそのお手伝いをさせて頂きたいと想っています。                萬代商事株式会社
                 代表取締役社長 萬代学

 てな感じです(^_^;)

 書きたいこと、言いたいことは山ほどありましたが、『私らしい感じで』という事でしたので、柔らかく読んで楽しい?内容にしたつもりです。伝統染織を語るとき、流れを止めて点でみては正しい判断は出来ないのだと想います。あくまで歴史から未来へつながる線でみるべきです。今こうだから、未来はこうならねばならない、それだけじゃだめなんです。今までこういう事があった、こういう歴史をたどって来た、それを踏まえて、こうしなければならない、という考え方が必要だと想うんですね。そうでなければ、先人の遺産を食いつぶしてしまうだけになりがちです。現に、いまそうなりつつあるではありませんか。
 まぁ、私の講釈読んでるより、作品を観に行ってくださいね。