『商道 風姿花伝』第50話 【最終回】

【おほかた、能の是非分別のこと、私ならず】

世阿弥は

本物の幽玄を基本芸とする絶対的芸位というものは、時代がどんなに変わっても、観客の評価に変化は起こりえないように想われる。

だから、歌舞幽玄の花を咲かせる種となるような作風を基本として、能を制作すべきなのである。

として、この書を結んでいます。

私がいろんな染織展、大阪市立美術館で行われた、小袖展やびんがた展、日本民芸館での展示などをみて想うのは、染織の美というのは、基本的に大らかで力強く、かつ優しくなくてはならないのではないかと言う事です。

どれ一つとして、人間の感情を切り裂くようなものや、後になってイヤな後味の残るモノが無い。

なにか優しく温かい気持ちになる。

それは衣というものが基本的に暖かさを求めて着られたものであり、文様は第二の皮膚としての衣類に、呪術的意味を込めて染め込み織り込まれた物であるからではないかと想うのです。

色、文様、ともに着る人間を護り、幸福に導くための物であり、見る人を優雅な気持ちにさせ、気品を感じさせる為に着用されたんです。

他人から蔑まれたり、疎まれたりするために作られたり着られたりした着物は1枚とてないはずです。

能が幽玄を永遠のテーマとするのだとすれば、着物にも上記のような事がいえるのではないかと想います。

舞台芸術にもいろんな種類があり、それぞれの存在意義や目指す所は違うと想います。

衣類でも同じではないでしょうか。

伝統染織に託された物、お客様が期待されている物、それは一体何なのか?

私達の先人は、着物というものにどんな思いをもっていたのか?

能衣裳にもいろんな意味が隠されていると聞きます。

衣裳にいろんな思いや、願いを込める。

これこそ日本人ならではの文化ではないでしょうか。

私達、伝統染織に携わる者は、先人から受け継がれてきたそういう気持ち、心をこそ、着け継いでいかねばならないのではないかと想います。

この50話にて、『商道 風姿花伝』は結びとさせて頂きます。

長い間、ご愛読まことにありがとうございました。

このブログは、生産者の方が販売の場に立たれたときに一助になればと書き始めたものでした。

未熟な商人の身でありながら、えらそうな事を書き連ね、恥ずかしくもありましたが、

何かのご参考になればと想い、なんとか続けて来られました。

若輩者のたわごとばかり書いて参りましたが、お許しください。

また、来年からは新たな連載をいたします。

ご意見等、いただければ幸いに存じます。

1年間ありがとうございました。

萬代屋竹渓斎宗晏 拝  

『商道 風姿花伝』第49話

【およそかくのごとき条々、よくよく見得して書作すべきなり】

だいぶ飛ばしました(^_^;)

ここでは開聞と開眼について書かれています。

開聞とは、文辞の面白さと作曲上の興趣を一つの音楽的感動に発現させる境地

開眼とは、舞ったり所作をしたりする演技のなかで得る観客の感動

これが両方とも能作によって得られると書いています。

とくに開眼の場合は、シテの演技によるものと想われがちですが、これも能の作者の狙いで実現できるのだというのです。

商品づくりもおなじなんです。

商品を造るときに、お客様にどうお勧めするかのストーリーを描きながら制作をするんです。

そのストーリーが美しくないとき、その品物は売れません。

着物でも商品の魅力というのは品質とデザインと想われがちですが、それだけではないのです。

その商品がうまれてくる、また、生み出さねばならない必然性というか、テーマ性がどうしても必要なんです。

それがないと、どうしても説得力に欠けてくる。

そうなると売り手も力が入らない。

私の横でストーリーを聞いて居る人は、単独でも売れますが、ストーリーを知らない人は、売れない事も多いのです。

私がプロデュースする作品はあえて、伝統工芸としての名前や作家名を消してあります。

『もずや更紗』『えばみりをん』

何がなにやら、どこでつくっているのやら、全然解りませんよね。

いま、作ろうとしているものも同じです。

ひとつには、伝統工芸への敬意を込めて、その名前をそのまま使わないということがあります。

それともう一つは、産地やブランドに惑わされずに、直に作品を見て頂く為にそうしているんです。

呉服屋さんや展示会に行かれると『○○さんの作品です』『人間国宝です』『無形文化財です』なんて言葉が飛び交っているでしょう?

それは値打ちのあるものですが、それでは、作品が磨かれないんです。

ブランド品でなくても、作品自体の魅力で売れて初めてホンモノだと言えると私は思っているんです。

ストーリーにはお客様のご希望を踏まえて実用性や、利便性、お客様が気づいておられないような新しいメリットなどをお伝えするわけです。

そして、もちろん、私がそれを生み出したことによって、よみがえり、研ぎ澄まされた美を読み取って頂くように、お話しを聞いて頂きます。

ですから、よくいうのですが、うちの商品は説明込みで初めて完成するんです。

ラーメンでいえば、品物は麺で、私のストーリーがスープです。

これが、作るところから売るところまで一貫してやっているメリットであり強みです。

品物は真似できても(真似できないと想いますが)、ストーリーは真似できないのです。

もしストーリーが真似できたとしても1回限りです。

ストーリーが物を生み、物がストーリーを生む。

それは、かつ、実需に即したものでないといけません。

そして、最終段階では、私が喋らなくても、作品が勝手にお客様とお話ししてくれるんです。  

『商道 風姿花伝』第48話

『商道 風姿花伝』第48話

【一、種といつぱ、芸能の本説に、その態をなす人体によつて、舞歌のため大用なる事をしるべし】

ここからは、能作、つまり能を作ることについて書かれています。

世阿弥が能をどのようにしてい作ったか・・・それは本を読んでください(^_^)

私の作品づくりについて書きましょう。

私の場合ネタは、デパートの店頭、呉服屋のショーウィンドウ、そんなところにある着物を観る事から始まります。

そこには、なんの輝きもない、大量生産された、ただ日焼けをまっている商品が積まれたり架けられたりしている事も多々あります。

そんな品物を見て、『おかしいなぁ、本当は良い物だから今に伝わっているのに、なんでこんなしょうむないんやろ?』と想うわけです。

なんで、立派な名前を持っていながら、無様な姿をさらしているんだろう?

そう想うわけです。

それは、本来の魅力を発揮する機会が与えられていないからだ!と想うわけです。

そこからがスタートです。

では、その商品の本来の魅力とは何なのか?

それを歴史的、技法的に勉強して、アタマで組み立ててみるんです。

そこには、価格や手間の為に、捨て去られた『美のエキス』が浮かんでくるんです。

美のエキスが入っていない工芸品は、アミノ酸の入っていない料理と同じです。うま味がない。

栄養はあっても美味しくないんです。

そのうま味を取り戻そう!そう思うんです。

そのうま味とは何か?

そこには歴史的考察が入って来ます。その染め物や織物が生まれた時代背景、自然風土などを思い浮かべ、可能な物は体験してみる。

そしてそのうま味のたっぷりはいった品物を作ってくれそうな所を探す。

ある場合は良いのですが、無い場合は断念せざるを得ない。

幸運にもあった場合、まず数反作ってもらう。

その時に、こちらの思いを十分に伝える。ここが1回目の勝負です。

どんな問題意識を持って、どんなものを作りたいのか、それをできるだけ丁寧に熱意を込めて作り手に語る。

そして注文品が上がってくる。

その品物をジッと、ジッと見る。

そこに、今足りない物は何か、足りない物があったら、自分なりの味付けを考える。

伝統的な物の上に、伝統的で新しい物のエキスを塗って、新しい魅力を引き出すのですね。

ステーキに醤油をかけるようなもんです。

それが本来の味を壊す物であっても行けないし、私が作るなら私らしくないといけない。

そして、また、再度作り手に、意向を伝える。これが二回目の勝負です。

これを納得いくまで何度もやります。

三度目の勝負は、お客様の反応です。

お客様の反応を元に、軌道修正をしていくんです。

それがなければ、作品は独善的なものになります。

いくら自分が良いと想っていても、お客様に受け入れてもらえなければ、何の値打ちもありません。

おかげさまで私はよいお客様に恵まれているので、素晴らしいヒントとご批判を頂く事が出来ます。

お客様こそが私の最高の財産ですね。

そして、一通りお客様にご覧頂いたら、また、次へ次へと新しい試みを加えていく。

そのためには、美のタネをたくさん持って居た方が有利です。

美術館に行ったり、能や文楽を見るのはそのタネを得るためです。

思いつきだけでは、その作品は一過性の物に終わり、作り手も使い捨てのような感じになってしまいます。

よいお客様、よい作り手さんとの縁があれば、あとは自分の努力です。

その努力がなければ、よい作品を生み出し続ける事はできません。

それが、まさにプロデューサーのしごとなんですね。

『商道 風姿花伝』第47話

【そもそも、因果とて、よき・悪しき時のあるも、公案を尽くして見るに、ただめづらしき・めづらしからぬの二つなり】

つまりは、

能の作品の数々も、世間の多くの観客や、様々な上演場所について、その時のあらゆる好尚に応じて舞台に出す演目こそが、観客の要求を満たす為の花ということであろう。

そして、最後に

ただ、その時に喜ばれるものが花であると知るがよい。

と書かれています。

下世話ないい方をすれば、『喜んでもろてナンボ』という事なんですね。

ええ演技も悪い演技もない。喜んでもろた演技が花のある演技ということになる、と世阿弥は書いているんです。

でも、喜ばれるからと言ってゲスい演技でもいいのでしょうか?

そうならなかったところに、能の素晴らしさがあるということなんでしょうね。

観衆にも素晴らしい感受性と審美眼があった。

観衆の求めるレベルが高かったからこそ、能も高尚たりえた。

そういうことなのではないでしょうか。

文楽もわかりづらい、と言われますよね。

でも、昔の人は、解ったから流行ったし、今に伝わっているんです。

もちろん、言葉の問題はありますが、本当はそれだけではないのではないかと想うんですよ。

言わば、能や文楽は伝統に沿うことによってレベルを落とさずに来たが、観衆のレベルが落ちている、それが現実なのではないでしょうか。

政治家、役人、実業家、それぞれの文化レベルを見たら、どうでしょう?

明治時代と比較しても、眼を覆うばかりのていたらくとは感じないでしょうか?

文化というのは、上から下へと流れます。

上が高ければ、文化の階層は高く多重層化します。

しかし、上が低ければ、低いまま層も少なくなります。

文化レベルを引っ張るべき、政治家や経済人、官吏のレベルが低ければ、庶民レベルは推して知るべしなんです。

ここは文化論を書くブログではありませんが、芸能だけでなく、物販も同じなんですね。

着物は文化だと言いながら、『えーこれが文化か?』と眼を覆うような着物も多々眼にするようになりました。

私の様な伝統染織を扱う者は、能や文楽の人達と同じで、高みに止まっていなければ、文化的、歴史的役割は果たせないんです。

降りていけば、伝統の看板を下ろさなければなりません。

『みんなの花』であるのか、『解る人には解る花』であるのか?

究極の選択なんです。

でも、私は後者をとった。

どちらも花であることは間違いない。世阿弥も言っている事です。

お客様に喜んでもらってナンボです。

どの道を行くかは、だれが決めるのではない自分自身ですし、どちらを選ばれても花の価値に多寡はないと想います。

ただ、花の価値が解る人が少ないからと言って、その花の値打ちが無いと言う議論は間違っていると私は思うのです。

『商道 風姿花伝』第46話

【因果の花を知る事、極めなるべし】

ここでは、申楽=能の立ち会いの時の心構えについて書かれているのでしょうか。

自分が調子の悪いときは、そう心得て、良いときも同様にして、無理をするなという感じです。

相手の調子がいいときには、控えめに、相手が悪いときは一気に、勝ちに行く。

昔で言えば、バイオリズムに逆らうな!ということでしょうね。

つまりは『勝負の潮目を読む』ということなのだろうと想います。

商売の世界はまさにこれに尽きます。

潮目を見誤れば、つぎ込んだ金も、買い集めた商品も、ムダになります。

売り時、買い時・・・

その他諸々合わせて、商売は『金と間』です。

商売と言ってもいろんな考え方がありますが、私の場合は、一攫千金を狙わずに息長く続けていく事をヨシとしています。

相手が攻め込んで来る、売りに掛かってきたときには、私なら引きます。

逆に引いた後が狙い目と見ます。

簡単に言えば逆張りなんですが、それも潮の流れの速さや高さによります。

経済原則からみても、物の供給が増えれば価格は下がります。逆に物が少なくなれば物の価値は上がる。

お金の量が少ないときに、物を今以上に流し込めばさらに価格は下がるんです。

ここ20年くらい経済政策が失敗しているのは、サプライサイド=供給側の経済学が先行しているからなんですね。

物を市場に流せば、売上はあがるだろう、そう想って沖縄県などもいろんなイベントをやるわけです。

でも、やればやるほど、価値は下がっていきます。

同じ商品でもあちこちで催事をすると現実の量以上に、市場に存在するように感じられてしまいます。

そうなると、商品の陳腐化という恐るべき現象が起こってきます。

あー沖縄のね。

そう言われてしまうんですね。

そんなときは、ちょっと休んで、世阿弥も書いてますが、自分の得意分野をもう一回おさらいして強化・洗練させてみる。

公的な催事だと、やることが先になって、結果は後回しだからやっかいなんです。

どばーっと来て、ダメでも、またどばーってやる。

だから、陳腐化も価格低下も止まらないんです。

普通なら、何回かやってダメなら、引きますよね。

その、みんなが引いたときが、出るチャンスです。

もちろん大商いはできませんが、存在価値は高まり、じっくり落ち着いて商売ができるんです。

ブームが怖いのは、あとの揺り戻しなんですね。

結局はブームで損をする人が多いんです。

ブームのときはプカプカのっかって居るくらいでいい。

ブームが去ってからが勝負だとおもって、力を蓄えておくべきなんですね。

経済も運気も必ず波がある、ということを知っておくということです。

そして、他人に作った波に乗せられたら溺れるかも知れない。

泳ぎ切るには、自分の体調やその時の潮の状況をみないとダメですよ、ということです。

『商道 風姿花伝』第45話

【秘する花を知る事。秘すれば花なり】

割と長文で書いてありますが、つまりは

観客の心に思ってもいない感動をもたらす方法というのが花なのである。

ということのようです。

今風に言えば、サプライズという事なんでしょうが、これとても難しいですよね。

1回限りの公演ならまだしも、将軍の前などでは何度も何度も舞っていたのでしょうから、見ている将軍も芸風というのは知り尽くしているはず。

その上で、サプライズで花を咲かせようというのですから・・・

毎回毎回、『うーむ、今回はそうきたか・・・』とうならせることなど、どうやったらできるんでしょうか。

私などがなじみ深い、よしもと新喜劇なら、何年も同じギャグでご飯を食べている役者さんがいて、その人の顔を見ただけで、笑ってしまう、そういう存在なんですね。

また、そのギャグがいつくるか、いつくるか、という緊張とキターという弛緩で笑いが生まれるということらしいです。

能の場合は演目を変えて、演ずる対象を変えれば、新しい花が生まれるのでしょうか?

えっ?さっきの世阿弥やったんか?

というような演技が果たしてできるもんなんでしょうか?

芸風の軸を保ちながら、意外性を演出して、観客の興味を引く・・・

私の世界なら、もずやの好みを消さないような、アッと驚く新作を発表する、という感じでしょうか。

あの着物も、もずやがプロデュースすれば、こんな風になります。そんな感じでしょうか?

でも、それを続けていくのは、むちゃむちゃ大変です。

自分の得意でない分野からネタを探してきて、自分なりにアレンジして、お客様にも納得してもらえる物にするのには、ものすごい器量・度量が要ります。

鑑識眼・審美眼も客観性があって研ぎ澄まされていなければできません。

なんでそんなたいそうに言うかというと、美というのはどうしても主観的になりがちだからです。

それを客観的に見て、自分の外にある美を認めるというのは、意識の外に働きかける何かが必要です。

何かというのは、宗教であったり、哲学であったり、ピンピンに尖った普遍的なものです。

私達はまさに、能面を着けてみるようなピンポイントでしか物が見れていないのが普通です。

パチンコ玉くらいの穴から、のぞくように物を見ているに過ぎない。

しかし、だからこそ、『秘すれば花』が実現するのでしょう。

意識の外にある美を感じさせる・・・

あ!これってうつくしいものだったんだ!

まさしく能にあって、他の演劇に無いものはそういう研ぎ澄まされた抽象性だと想うんですね。

ピンピンにとがった抽象性というのは、普遍性を持つ。

その梅干しのタネの中の芯みたいなのが世阿弥の言う『花』なのではないでしょうか。

もちろん、それを見抜く観客もそれなりの眼をもっていなければなりませんけどね。

実は、私にも先祖代々伝えられている『花』があります。

もちろん、それも『秘すれば花、秘してこそ花』

どなたにもお教えすることはできません。  

『商道 風姿花伝』第44話

【一、能によろづ用心を持つべき事】

世阿弥は鬼神を演じるときには柔和であれ、体を強く動かすときは足踏みの音をさせるな、と書いています。

歌手も、悲しいときには少しほほえむような感じで歌うと良いそうです。

これはテクニックとは言えないかもしれませんが、セールストークでも言える事ではないかと想います。

出だしの部分はゆるやかに、話が進むにつれて声のボリュームとトーンを上げ、熟してきたらトーンを落とし、声を優しく、場合によっては黙る。

仮にカッとなってしまったときは、にこやかにほほえむ、動きを緩やかにする・・・

私はそう、心がけています。

もちろん、馴染みのお客様の時は終始ワイワイ言っているときもありますが、初めてのお客様の時には出来るだけじっくり考えて頂く、またそのための情報を適切にタイミング良くお出しするようにしています。

つまりは、お客様の心の動きを正確に把握して、お客様が必要とされる情報をわかりやすく提供するということですね。

こちらがガンガン出していくばかりだと、お客様は引いてしまわれますし、一度引いてしまわれると、なかなか話を聞いてもらえなくなります。

そうなったら、商談はそこで終わりです。

私達は話をきいてもらって、ナンボです。

お客様と一緒に、沈んだり盛り上がったりしていてはいけません。

ここで世阿弥も書いていますが、これは実際に経験を積んでいないと習得出来ません。

理屈ではないし、セオリーもありません。

お客様との相性もあります。

商談の進め方、商品の定時の仕方、しまい方、商品を出す前の話、態度、しまうときの話ぶり・・・

トークの中身以外に、いっぱい心得ておかねばならないことがあります。

いちばん大事なことは、自分が何を伝えたいのかをはっきりと自覚して、そのためのベストな方法を常に追求するという姿勢だと想います。

いくら口で言っても、文章で書いても、これだけは、やってやって、喜んだり、悲しんだり、口惜しい思いをしたりしないと、解らないkとだろうと想います。

まさに、奥義なんですね。

『商道 風姿花伝』第43話

【一、能に十体を得べき事。】

世阿弥は『すべての演目に通じていれば、それぞれが同じ役者の芸とはわからないくらいに演じる事が出来、生涯花が失せることはない』

と書いています。

そんなん、むずかしすぎるなぁ・・・と想いながら読み進めると、

『しかし、そんな人は見たことも聞いた事もない』

と書いてありました。

そこで、父親の観阿弥の事について書いています。

観阿弥は若い頃には老人の芸、年老いてからは若者の芸を得意としたそうです。

世阿弥は、それをして『その意外性こそが花を生む』

そして、

『若い頃の未熟な芸を忘れてはいけない』

と書いています。

つまり、若い頃にやった未熟な芸であっても、それを忘れずにやり続けることが芸の多様性を生むと言う事なのでしょう。

私がこの業界に入った頃は、呉服市場は娘さん用の嫁入り支度で賑わっていました。

母親が娘のために少しずつキモノをこしらえていく、そして結婚が決まったら、仕上げにさらに娘用と自分のをつくる。

これが娘を持つ母親の楽しみでありましたし、私達呉服商にとって最大の商機だったんです。

振袖、喪服、色無地、小紋、付下げ、訪問着、紬類、帯・・・等々、そこそこの裕福な家庭であれば娘さんの為にキモノをこしらえたのです。

それがパタッと止まったのは、神戸の震災くらいからでしょうか。

それまでは、嫁入り前の年頃の娘さんのいらっしゃるご家庭を手当たり次第に訪問していけば、必ずといっていいほど、どこかで売れたんです。

結婚が決まったとなれば、それこそ、一揃え、二揃え。

娘さんご本人に見せなくても、お母様が見立てて買っておかれたんです。

あくまで『お支度を調える』という親の役目の遂行だったんですね。

その時代は、大した商品知識も必要なかったし、オーソドックスなはやりすたれの無いものをお勧めしていれば、問題なかった。

20歳台の私でもバンバン売れたんです。

でも、バブルが弾けて、大地震が来て、様相は一変しました。

娘用が売れなくなったんです。

仕込んだ商品も、ピンクやオレンジ等という色はことごとく売れ残りました。

嫁入り需要というのが市場から完全に抜け落ちたんですね。

嫁入り需要=タンス需要で、実需とは離れたところにあった。

これは、キモノだけではなくて、他の嫁入り支度も極端に落ちたはずです。

貴金属類や洋服、家具なんかも大きく落ち込んでいるんだと推測します。

『着ない物は買わない』

そうなったんです。

どうあがいても、嫁入り需要は復活しそうにない。

ジミ婚になり、マンション暮らしになり、ライフスタイルそのものが変化してきました。

世代が変わって、私達の親の世代と違い、親御さんの兄弟の数も少なくなった。

ということは甥姪も減って、結婚式自体も少なくなる。そうすると、黒留袖を始めとする婚礼用衣裳も買うから借りるとなる。

貸衣装が恥ずかしいという意識も薄れてきたんですね。

先代が一線から退いて、私が副社長になったのを契機に、一時はフォーマル中心になっていた商品構成から、再度、沖縄染織を中心とするカジュアル路線に舵を切ったんです。

沖縄染織を中心とするカジュアルと、茶道・舞踊などお稽古事をされている、実際にお召しになる方の為のキモノを中心に展開するようにしました。

呉服商としては珍しい、留袖や振袖を扱わない業者になったんです。

180度とは言わないですが120度くらいの転換をしたんですね。

創業当時の沖縄染織から少し距離を置いていた時期、別のある作家の作品を主力にしていました。

私が若い頃に習った商品知識、ロールプレイングは、その作家の商品を売るための物でした。

そこで習得したのは、TPOと納得して買って頂くための理論です。

その後、留袖や訪問着などの一般呉服も扱いましたが、その時に学んだ事が土台になっていますし、同種の商品が来れば、誰にも負けないくらいの説明ができると想います。

ひとつの商品を売ろうと想えば、それを知っているだけでは不十分なんですね。

何故かと言えば、お客様は他のキモノも比較の対象にしながら、その商品を見ておられるからです。

ですから、今目の前にある物が他の物に対してどう比較優位性があるのかを納得してもらわなければ最終的な決定には至らないのです。

それを語るには、日頃お客様方が他のキモノに対してどういう不満を持っていらっしゃるか、どういう所を選択のポイントとされているのかを正確に把握していなければなりません。

また、それが改善された商品を造ることも肝心なのです。

いくら作り手だからと言っても、自分の作品だけに精通していても、市場という『選択の現場』に入ってしまえば無力です。

『キレイでしょう!』『手が混んでいるんですよ』

熱意で買ってくださるのは初めだけです。

あらら・・・話がずれてしまいました(^_^;)

ですから、(^_^;)、『専門』と言っても、ある程度すべての商品内容と販売方法について知っておかなければ、自分の得意とする物も長くは売れないのです。

得に顕著に見られるのは、年配になると特定の商品しか売れなくなる傾向です。

これは、何故そうなるかと言えば、若い頃の商談の進め方が『慣れ』に頼っていたからです。

つまり『売りこなす』事ができないまま、タダ単なるルーティンワークとして販売行動をしているとこうなります。

もちろん、そういう人は商品を造り出すことなど出来ません。

考えられた販売があって、よい商品が生まれる。良い商品を売りこなすために考え抜かれた販売が生まれる。

そういう事なんです。

売れる商品は時代によって、人心によって変わりますが、どんな時でも、真剣に商品とお客様の利便性を考えていけば、すべてが実になって、長く商売がつづけられるのではないかと想います。

『商道 風姿花伝』第42話

【物まねに、似せぬ位あるべし】

ここでのポイントです。

年寄りになりきって演ずれば、自然と年寄りになるのだから似せようとする必要は無い。でも、年寄りは若くしたがる。しかし、現実には動作がついていかない。そこのところを上手に演ずれば面白さを生む。つまりは『道理』である。

少し、話の角度を変えてみましょうか。

生粋の大阪人、河内人である私がどうやって、沖縄の染織をプロデュースし、面白いものをつくり出すのか。

普通に考えれば、伝統工芸なんですから、その風土の中で生まれ育った人が考えてこしらえる以上のものはないはずです。

琉球びんがたを考えて見ましょうか。

今、びんがたをつくっている人の多くはずっと先祖から沖縄に住んでいる人で、沖縄に生まれ育った人です。

でも、いまある環境はすぐれたびんがたが生み出された時代とは大きく異なっています。

正確に言えば技法が残っているだけで、資料さえ十分にあるわけではありません。

首里の景色も首里の人の気持ちも変わっているし、第一王家が無い。士族もない。

華やかな王朝文化は歴史遺産としては感じられても、今に息づいているものはごくわずかです。

そういった環境の中で育った人の手によって造られた物がそのまま、『本当のびんがた』に最も近いと言えるでしょうか?

あくまでも、『そのまま』でそういえるのか、という意味です。

老人が老人を演じて、面白い老人らしい味のある演技ができるのか?

案外、若い人がずっと老け役を演じていて、実物はまだ若いので驚いた、と言うことも多々あります。

吉本新喜劇の井上竜夫という芸人さんは、昔からずっと老人役ですが、いかにも老人らしい演技を実際の老人以上に面白く見せています。

世阿弥が書いているように、『道理』を踏まえて演ずれば、ホンモノ以上にホンモノらしくなり、面白さも加わるのです。

『びんがたの道理』とは何なのか?

びんがたはどうして生まれ、どうしてあんな風になったのか?

沖縄の歴史を考えればそこが見えてくるような気がするのです。

琉球王国といえば、清と冊封関係にあり、薩摩藩からの圧力も受けていた。

武器を持たず、戦わずに独立を守る為に、国王や官吏は最大限の努力をしたでしょう。

そのためには、清や薩摩からの使者に『威厳』を見せる事がどうしても必要だったと思います。

なんという名前か忘れましたが、首里城のある地点からは大きな眺望が開け、沖縄がとてつもなく大きく見えるんだそうで、琉球の官吏は各国施設を必ずそこから、全景を見させたのだそうです。

大きく見せる、強く見せる、華やかに見せる、それでいて、無抵抗であることをアピールする。

びんがたはそれを表す衣裳としての役割をもっていたのではないかと想うのです。

そして、それは国内にもあって、色や文様によって、位が決められていた。

びんがたは男性の衣裳でもあったのです。

琉球王国は、大和や清国に対して知恵と芸術で対抗した。

その武器のひとつがびんがただったのです。

そう考えると、びんがたの本来伝統的にあるべき姿というものが浮かび上がってきます。

力強く、華やかで、戦意を失わせるほどに美しい。

芸術力、文化力で、大和や清国の使節を圧倒するためにびんがたはあったのではないでしょうか。

そう想ったとき、大和人である私のびんがたに対する演出は、『王朝の輝き』を演じさせるためのものになるのです。

考える事は、『びんがたとは一体なんなのか?』ということです。

伝統工芸品としての技法に即して造られたものをびんがたというのでしょうか?

もちろん、そういう定義もあるでしょう。

でも、『らしくある』という事が、その土地の風土や文化を担った工芸品としは必要だと私は思います。

伝統とは?風土とは?歴史とは?

大坂人が案外大坂の歴史や魅力について知らないのと同じように、沖縄の人もご存じない事が多いのです。

私は言わば、沖縄の人達に先祖の思いを伝えようとする、うさんくさい霊媒師みたいなものです。

もしかしたら、間違っているかも知れません。

でも、内地の人間が沖縄に対して抱いている想い、あこがれというものについては、沖縄の人よりよく知っていると想います。

私は、びんがたについて、『果たしてこんな姿を内地の人はびんがたに求めているのだろうか?』とずっと思って来ました。

このままでは、びんがたは京友禅の亜流になってしまう、との警告も発してきました。

びんがたと京友禅では成り立ちも意味も違う。

つまり、『道理』が違うのです。

私がものづくりをするとき、すべからく、その伝統工芸の歴史・文化・風土を研究し、考えます。

そこから、自分なりの結論を導き出す。

それが当を得ているか、間違っているかは、生み出されてくる作品が教えてくれますし、お客様も教えてくださいます。

『商道 風姿花伝』第41話

【細かなる口伝いはく。音曲・舞・はたらき・振り・風情、これまた同じ心なり】

この中で世阿弥は上手は自分で舞や謡曲を変化させて、おもしろさを演出しろ、と書いています。

私たちのセールストークでも同じなんですよね。

時には強く、時には優しく、早く遅く、多く少なく・・・

そのときの商談もそうですが、お客様とのながいおつきあいの中では、話題も含めてそういう変化・抑揚が必要です。

これは、販売するためのテクニックとして書いているのではありません。お客様に商品の内容をよく知っていただくために必要ですし、楽しいお買い物を演出するためにも重要な、いわばエンターテイメントなんです。

作った物がおいてあれば売れるなら商人なんて必要ありません。

特に対面販売の場合は、ショッピングを楽しんでいただくという観点が絶対に必要です。

商品の見え方も、販売員によってずいぶん違います。

どんなに商品が気に入っても、販売員が嫌いだとお客様は購入されません。

商品さえよければ、物は売れると考えているならそれは、大きな誤解です。

買い物が楽しくなければ、特に高額品はお求めにならないのです。

もちろん、エンターテイメントが過剰になって、経費がかかりすぎるのはいけませんが、私たちが演じる分には無料です。

前に、呉服屋がキモノを着るの着ないの、と話を書きましたが、自分が演出上必要だと思えば着ればいいのだし、そんなことしなくてもいいと思えば着なければいいのです。

ただ、私はボロいキモノを着て、センスの悪さを露呈するくらいなら、着ないのも選択肢の一つだろうと思います。

楽しい話題やおもしろい語り口、着る物のセンス、様々な幅広い話題・・・それを総動員して『いかにお客様に楽しんでいただくか』です。

私は問屋ですから、直接お客様とおつきあいする事は少ないです。

しかし、その代わり、多くの問屋と競争しなければなりません。

その中からうちの作品を買っていただくには、どうしたらいいのか?

個性的な高品質な作品、そして、プラスアルファがいるわけです。

『次はどんなおもしろいの持ってくるのかな?』

『お稽古は進んでるかな?』

『沖縄の話がまた聞きたいな』

などなど、『買わないけど、まぁ上がりぃな』と思ってもらえるようにしないといけないわけです。

ですから、いろんな事を勉強して、おもしろく話ができなければいけません。

ただし、しゃべりすぎもいけない。

ここいらが難しいのですが、また別の機会に。