第9章取引関係の理解

9−1 取引関係の構造

 ここでは『取引』ということについて書かれています。

取引というのは個人、あるいは企業が何らかの利益目的で商品・サービスやお金をやりとりすることです。

一般的には、生産者と業者、業者と消費者という場面が考えられますが、実際には生産現場でも取引が行われています。

織をやる人は、糸屋や糸を造ってくれる人から糸を買い、染をする人は生地屋や生地を織ってくれる人から生地を買う。工房主は織子や染子、あるいは工房外の外注にお金を払う。

その形態は造っている品物や商習慣によって違うと思います。作り手の思い入れによっても違うでしょう。

取引というのは利害関係の上に成り立つ訳ですから、対価を前提としない場合には取引とは言わないとも言えます。糸や生地をもらったり、造った品物を自分の工房に陳列するだけなら、取引は発生しません。

取引というとなにかえげつない感じがしますが、販売=実用を前提とする伝統工芸の世界での取引というのは『感謝の連鎖』であると考えればいいと思います。

芭蕉布なら、糸芭蕉を苗つけする。糸が取れるようになるまで長い歳月が必要です。害虫を駆除したり、肥料をやったり、枝葉を整えたり・・・そして灼熱の太陽が照りつける日も、寒い北風が肌を刺すときもそれが続けられて、糸芭蕉は育ちます。そして、やっと、糸が取れるくらいにまで成長する。その時に育てた人は自然の恵みや共に作業をしてくれた人に感謝することでしょう。そしてブーウミ。糸を造る作業も様々な工程を通ります。糸をつなぐ工程では外注にも出される。しっかりつながれた糸を受け取った織り手は、素晴らしいできばえに感謝することでしょう。良い糸ならば降りやすいし、作業もスムーズだからです。芭蕉布は幅出しや丈出しの為に布を強く引っ張るので糸がきちんとつなげていないと抜けてしまいます。織をする前に絣も括ります。絣がきちんと正確に括れていないと、手結いの絣はキレイに出ません。寸分の狂いのない絣くくりがされて居てこそ、美しい躍動感ある手結いの絣は生まれるのです。ですから織り手は、糸芭蕉を育ててくれた人、糸を造ってくれた人、絣を括ってくれた人、そして染色をしてくれた人に感謝して織を進める事でしょう。

芭蕉布に染めるときは、染める人の手に無地の芭蕉布が手渡されます。芭蕉布に染められた琉球びんがたは、これ以上ないほど美しい。やはりびんがたを最高に演出するのは美しい芭蕉布の生地であろうと思います。

芭蕉の生成りの色、美しい表面、キレイに揃った布目・・・染める人は芭蕉布を目の前にして、最高の作品に仕上げようと決意するはずです。そして、その芭蕉布を造ってくれた多くの人に感謝するはずです。

そして、精密に力強く彫られた型が置かれ、糊が置かれる。そして彩色。また糊伏せ。最後には水元で糊が落とされ、美しいびんがた染が姿を現します。

その作品を前にして、染め手はきっと感動し、芭蕉布を造ってくれた人達に改めて感謝することでしょう。

織の場合も同じです。キレイに出来上がった織物も染め物も、そういう『感謝の連鎖』が積み重なって出来上がっていくのです。

そして、作品が出来上がった後も、感謝の連鎖は続きます。

私達商人は、美しい作品を見て、精魂込めて造ってくれた作り手と、沖縄の自然に感謝します。そして、その作品の素晴らしさをきちんと消費者に伝えようと決意するのです。

そして、商人は、消費者の方々に、どうしてこんなに美しい布が生まれるのか、渾身の説明をします。時には、沖縄の自然を、時には、歴史を語りながら、その美しい布が生まれてきた背景を説明するのです。

そして、消費者の方に買って頂く。

消費者の方は、作り手から、商人まですべての芭蕉布に関わった者たちに感謝の笑顔を必ずくださいます。満足して、満面の笑みを浮かべて、芭蕉布を手にとってくださるのです。

そして、私達商人は、そのお気持ちにお応えして、精一杯の笑顔と、お礼を申し上げます。そして、責任をもって、仕立て、着用頂くのです。

着用してご満足頂ければ、また、感謝の言葉を頂けます。

そのお客様の満足をまた、作り手に伝える。

良い品物をつくり、お客様にご満足いただけた品物は、さらに何度も感謝の輪を広げていくのです。

お客様は、良い品物を持ってきてくれたと感謝され、商人は、よい作品を造ってくれたと感謝し、染め手はよい生地を造ってくれたと感謝し、織り手は糸を造る人に感謝する。

そして、糸を造る人はよい織物にしてくれたと感謝し、織り手は良い染めをしてくれたと感謝する・・・・・

分業、協業、取引というのはそういう事なのです。

感謝の輪で手をつなぐ、すべての人が、それぞれ責任をもって自分の仕事を全うする。そこに感謝が生まれグルグルグルグル永遠に回り続けるのです。

感謝の印として金銭がある、それだけの話です。

金が絡むから、作品でなくて商品だから、と実用品=商業工芸を見下す人が居ます。

全く間違っています。

お金=感謝が形になったもの、と考えるべきなのです。

染め物は織物から、織物は糸から、糸は自然から、それぞれ生まれ、それが無くては出来はしません。

染め手が織り手に感謝せず、織り手が糸づくりに感謝せず、商人が生産者に感謝しなければ、よい品物は出来るわけが無いのです。

その感謝一つ一つに、お礼としてお金がついてくる。

ですから価格というのはその感謝の集積なのです。

そう考えれば、取引などというものを理屈をこねて考える必要など無いのです。

『自然』と『人』にあり得べき当然の感謝をすれば、取引関係というものは無理なく形成されていくはずです。

感謝の無いところに、よい取引など決して出来ません。

伝統染織というのは、古くからある仕事です。農業や漁業と同じ。

みんなが力を合わせて、感謝と喜びを分かち合って作り上げていく物です。

それ以上の取引の形など、ありはしない、私はそう思います。

9−2 統合か取引か

ここでは、『仕事』を自分でやるか、外注に出すかの選択の問題が書かれています。一貫して経済原則というものに則った形です。

ここで少し考えて欲しいのです。

仕事というのは効率だけで前に進むものでしょうか。

外注に出すとなれば、受ける側は仕事が増えるのですが、その分、仕入れも人員も場合によっては増やさなければならない。もしかしたら、それまでその会社が取引していた得意先にも影響がでるかもしれない。

そんな風に、仕事というのは自分だけでなく、社会全体と繋がっているのです。

自社内で完結させるにしても、あらたに社員を雇わねばならなかったり、しなれた仕事を離れなければならない人を生み出すことになる。

つまり、個人も会社も社会的存在であって、すべてはそのつながりの中で生きているし仕事をしている、ということを忘れないで欲しいと思うのです。

もちろん、仕事はお金を稼ぐためにやるのです。

しかし、それは様々な人、多くの人が一緒になってやるから生まれて来る利益なのです。

当然、そこには一定のルールがあります。

自分勝手な利益追求は認められない場合もあるのです。

わかりやすく例を引きましょうか。

ある織物作家Aが独立して工房を構えた。若いし、技術も稚拙でどこの問屋も相手にしない。そこにAの才能を見いだした商人Bが現れ、Aの作品をぼちぼちですが仕入れした。十年後、Aは工芸界でも認められる存在になり、Bが仕入れた作品も順調に売れ出した。雑誌などにも載り、名前も知られ出した。そんな所に、小売店Cから連絡があり、直接取引がしたい、あるいは、自分の取引している問屋Dを通して作品が欲しいという話が来た。Aは今までの苦労が報われた、と想い取引に応じた・・・

良くある話です。

これは、このマーケティングの話題で言えば、Aが作家として前に出た=問屋を飛ばした=垂直統合という事になります。

もちろん、Bを飛ばして売れば高く売れるでしょうし、問屋Dを通しても販路は広がります。

仕事を経済性という面から考えると、当然の選択とも言えます。

でも、それで十分でしょうか。

仕事というのは1人、あるいは一社で続けられる物ではありません。

必ず協力者、支援者があって成り立つ物です。

Aの場合、駆け出しの時代に支えてくれたBがいなければ仕事を諦めなければ成らなかったかも知れません。

古くさい様ですが、Bへの配慮があってしかるべきなのです。

私も、作家さんと新しくおつきあいを始めるときにそんな話を作家さんから聞かされる事があります。私はその作家さんに敬意を払うと同時に信頼を置きます。そして、自分の立ち位置をわきまえながら、その作家さんとのおつきあいを始めます。

このBの場合は、様々な努力をしながらAの作品を市場に押し出してきたはずです。Aの作品がBの力を借りなくても一人歩きしだしたとしたら、逆にBへの配慮を欠かさないようにする、それが作家と商人との信頼関係です。

作家の旬は短い。

飽きられたら捨てられます。

値段も下がる。

そのときに、利のために義理を曲げた行為をした人は、誰からも相手にされなくなります。

商売人はそれほど馬鹿じゃない。

仕事だけでなく、人間関係というのは長い線で繋がっているのです。

点でとらえてはいけません。

目先の利益のために、せっかく続けてきた仕事をもしかしたら捨てなければならない事になります。

それまで、高値で買い支えてきた問屋がいるのに、金に困ったからと言って、他の業者に安く叩き売ってしまうというのもそうです。

じゃ、いままで、作家さんを支えてきた商人の努力はどうなるのでしょうか。

なんども言いますが、作品は機からおろされて、洗濯が住んだら完成するのじゃない。着物や帯に仕立てられて着用されて初めて完成するのです。

そのためには、流通業者の手を借りなければならない。もっと川上もそう。糸や染料がなければ、織機がなければ、織物は作れない。

作家も商人も現在にとらわれてはいけない。未来と過去に想いをいたし、長い線の上で自分の仕事を考えることがとても大切な事なのです。

作るより買った方が安い。どこからもらってもお金はお金。

そうかもしれません。

でも、それだけでいいのでしょうか。

今いる、周りの人。

長い歴史の中で織り続けてきた先祖。

そして、その織物の将来を担う未来の人たち。

それを考え合わせて、さまざまな事と適切に折り合いをつけていく。

これが伝統工芸のあるべき姿なのではないでしょうか。

私は、民芸運動家のように作り手に過酷な要求はしません。

仕事は、お金が入らないと続けられない。

糸が買えなければ織物はできないのです。

ですから、永く、末永く、お金が入る様に考えましょう。

あなただけでなく、あなたの周りの人、あなたを支えてくれる人、みんなが一つの仕事で豊かになれるように考えてみましょう。

協業というのはそういうものじゃないでしょうか。

仕事をしていれば良いときも悪いときもあります。

そんなときに、本当に支えてくれる人が仲間です。

本当の民芸というのはそういう仲間の中から生まれるのではないでしょうか。

第8章 競争構造の理解

8−1 競争の場の枠組み

ようやく8章まできましたね。

これで半分くらい終わりました。

この章では『競争』についてお話しします。

まず、競争を考える上では『誰を競争相手とするか』を考えなければなりません。

沖縄染織の競争相手は誰か。

さらに、それを考える為には、何を取り合って競争するのか、です。

お金はもちろんですが、そのお金の出所である、消費者を取り合っていると考えるべきですね。

取り合っている消費者=ターゲットということになります。

このターゲットというのをどう設定するか、が問題です。

着物を買う人でしょうか。

合っていますが、正解ではありません。

沖縄の染織を買う人というのは、どういう人なのか。

それが解っていないと、どうしようもありませんね。

沖縄染織とうのは基本的に価格的には中の上から、上の下にランクされます。

宮古上布や芭蕉布などの特殊な物をのぞいて、だいたい10万台から100万円くらいに分布していると考えていいでしょう。

そこに着物の場合は仕立代・裏地代が入る訳ですから、プラス7〜8万円かかります。

つまり20万円以上の物を買える人、ということになります。

最近、流行っているリサイクル着物やポリエステルの着物をもっぱら購入し着用している人は、いくら着物が好きで、着物を日常的に着ていても、ターゲットにはならないと思わなければなりません。

さらに、着物と言ってもいろいろで、結婚式に着る着物から、ゆかたまであります。

沖縄染織は基本的にはカジュアルです。

カジュアルの着物というのは、着て楽しむ趣味の着物ですから、『自分で着れる人』と考え得た方が良い。

そして、カジュアルの着物は、普段から着られるますが、その反面、着る場所を特定出来ない。結婚式やパーティなどに気合いを入れて着飾るために着る着物ではないということです。

ですから、着物を着る機会をある程度の頻度で持って居る、あるいは自分で作れる人ということです。

こうやって考えていくと、絞られてくるでしょう?

そこそこお金があって、自分で着物が着れて、着る機会がたくさんある人、ということになります。

さらに、本当に良い作品の価値を認めて買っていたたける方は『審美眼』『鑑識眼』を持っていらっしゃいます。それらを持つには、ある程度の『修練』『積み重ね』が必要です。

どんな人が思い浮かびますか?

ちょっと、みなさんで考えてみてください。

抽象的に言えば、いわゆる『趣味人』ですね。

ヒントとしてあげるなら、茶道や舞踊を習っている人はこの範疇にはいります。

お金もあり、自分で着物が着られて、着る機会がある。そして何より鑑識眼・審美眼があるのがこの趣味人に共通する事です。

カジュアルの着物なのに、お茶席とかで着れるの?という質問があると思います。

もちろん、お茶席・お茶会で使える物と使えない物があります。

しかし、この趣味人は、なにより鑑識眼・審美眼とともに財力がある人が多い。

いくら着物が好きでも、この二つが揃わないと良い買い物はできません。

作り手は、『物の解る人』を対象に作品作りをしなければ、よい仕事はできないと思います。

物の解らない人が解らないままに買う事を期待せず、解る人に納得して買っていただけるような作品を造る。そして私達商人もそれをお手伝いする。それがあるべき姿でしょう。

話は元にもどって、その人達を誰と取り合うのか、です。

結城・大島・塩澤・越後の織物産地、京都・加賀・江戸の染め物産地。

カジュアルの着物といっても各産地で多くのものが造られています。

そして、私達が現実に出くわすのは、茶人なら茶道具や茶会、舞踊家なら発表会という桁違いのお金が出ていく機会があることです。

そして、女性の場合、とくに趣味人の場合、多種多様な趣味をもたれています。

そのすべてが競争相手です。

現実には『縁』に頼るしかないのですが、それをもっと確実な物へと近づけるには、『図抜けた魅力』『他に類を見ない特殊性』が必要なのです。

私が小売屋なら、『もずやの顔を見たら買わざるを得ない』という具合に持って行きたいところですが、問屋なのでそこまでお客様との交流を深めることは難しい。

ですから、『とてつもない作品』が必要なのです。

そこいらのどこの小売店・問屋でも持って居る着物なら、勝負にならないのです。

話がまた、今日の台風の様に大きくそれましたが(^_^;)、言いたいことは、『他の着物』『他の産地』『他の作家』だけが競争相手ではない、と言うことです。

競争に勝つためには何が必要か。

この趣味人の方々をうならせ、どうしても欲しい!と思わせる作品の魅力なのです。

みなさんも、自分で競争相手を設定してみて、その相手に勝つためにどうしたらいいのかをじっくり考えて見てください。

8−4 業績の違いを生み出す移動障壁

 ここでは、ちょっと面白い考察をしてみましょう。

沖縄県本島にある三つの産地の事です。

三つの産地とは、読谷、首里、南風原の絹織物産地です。

読谷には『読谷山花織、』首里は『本場首里の織物』、南風原は『琉球かすり』といういわばブランドがありますね。

読谷は昔、貿易港として栄え、首里以外では唯一花織の着用を許された土地であるということです。ですから、読谷の伝統的織物というのは、あの『読谷山花織』だけです。

首里は王府の中にデザインルームとも言うべきものが存在し、そこから御絵図帳がつくられ、各地にデザインが流布された、ということです。そういう理由なのか、首里には花織、ロートン織、花倉織、手縞、縞ぬ中、諸取切、煮綛芭蕉、ミンサー、そして桐板と様々な素材、技法がそろっています。また、王府があったせいか、大和やチャイナから様々な文化が入ってきたせいか、デザイン的にも非常に洗練されている印象を受けます。

南風原は、本で読んだ話では元々は米軍のパラシュートをほどいてマメ袋を織ったところから始まり、首里に近いこともあって、首里の織物を手本にして、安い織物を大量生産した、という産地です。ここでのメインはいわゆる琉球かすりですね。俗に言う絵がすりの技法で大量に生産されて、『かすりの里』宣言をしました。

この三つの産地を比べてみると、ここの章のテーマがわかるかもしれません。

戦前は、南風原は織物産地ではなかった。大きくなったのは、たぶん、大城廣四郎さん、大城清助さん、カメさんくらいからなのでしょうか。

読谷にはわかりやすく言えば裏にいっぱい糸が通った花織しかなかった。それも、与那嶺貞さんが再興するまでは完全に途絶えていたのです。

ちょっと前に南風原と読谷の間に『花織論争』というのがあったように記憶しています。昔は南風原の花織は『琉球花織』と表示されていました。そこに、読谷がクレームをつけたんでしょうか。前述のように、南風原は織物産地としての歴史は浅いのですが、読谷山花織を再興した与那嶺貞さんが南風原に花織を習いに来たという証拠があったりして、結局は痛み分けのような形で『南風原花織』『読谷山花織』と分けて表示するようになったとか。

首里にはあらゆる技法がありましたし、いまも受け継がれています。ただ、技法は首里だけに伝えられていて、生産量も非常に限られたものでした。弊社が沖縄に行き始めたときは、首里の織り手といえば、大城志津子さん、宮平初子さん、漢那ツルさんなど、ほんとうに一握りの人で、生産量はといえば南風原が圧倒的だったのです。

ところが数度の沖縄ブームにも乗って、産地の様子は変わってきました。首里はアイテムが多いこともあって、量は増えたものの造っているものはそのままです。しかし読谷は手花と絣の帯を造り出しました。そして、いまは、花絽織という花織と絽織を併用した着尺を造り始めていると聞きます。南風原は絣はもちろん、花織、ロートン織、花絽織など織っていて、いわば、高級品の首里に対して、低価格品の南風原という構図になっていました。

そして、アイテムだけを見ると、首里、読谷、南風原に差がどんどん無くなってきているのです。

花織、花倉織≒花絽織、ロートン織はどこでも造っている。おまけに久米島や与那国まで造り出した。久米島は夏久米島やいままでと違った廉価な絣をつくりはじめて、南風原の領域に踏み込もうとしているとも聞きます。

これは県内カニバリゼーション=共食いです。アイテムがふえれば、当然、それぞれ一定以上のロットが必要なわけですから生産量は増えます。しかし、需要は一定どころか逓減して行っています。どういう結果を招くかといえば、県の出荷量は一時的にあがるが、市場では滞留して、価格破壊・市場崩壊が起こるのです。

花織    首里 1  南風原 1  読谷 1

花倉織   首里 2  南風原 0  読谷 0

ロートン織 首里 1  南風原 0  読谷 0

絣     首里 1  南風原 5  読谷 0

が従来だとすれば、

花織    首里 1  南風原 2  読谷 2

花倉織   首里 2  南風原 4  読谷 2

ロートン織 首里 1  南風原 2  読谷 2

絣     首里 1  南風原 5  読谷 0

となれば増産となりますが、市場はどうですか?

花織ならば昔は1/3ずつ分け合っていたのに、1/5、2/5、2/5。

ほかも、全部分散します。これが市場が拡大している状況なら良いのですが、市場は縮小して行っています。これは首里が割を食っているとか競争に負けているという事ではなくて、全部の共倒れを招くということなのです。

南風原の絣を見てみると、前は5/12、下では5/24になっています。ところが市場全体のパイは確実に小さくなっている。ということは市場の縮小分だけさらに消費者ベースでの売り上げは減るということです。

そして、アイテムが増えれば増えるだけ死に筋=売れ残りも増えるのです。

なぜ、こういう事、つまり、総合産地化しているのかといえば、既存のアイテムが行き詰まっているという意識があることと、伝統的に技法を継承している首里の価格が高止まりしていて、他産地がその下をくぐっているということです。問屋が高い首里織を仕入れせずに、同じようなものを他産地で造らせているのです。

これは、果たして産地のために良いことでしょうか。将来的にもし、首里と南風原と読谷に差がなくなったとして、それが沖縄染織によい影響をもたらすでしょうか。私にはそうは思えません。

教科書で書かれている参入障壁、染織の場合は技法ということになりますが、それが低いために染織品・繊維製品の模倣は起こりやすい。これは着物、絹に限ったことではありません。毛織物にしても、かつて一世を風靡した英国の毛織物を日本が模倣して廉価な毛織物を作って繁栄したこともありました。その歴史はずっと続いています。

しかし、それは産地が移動すると言うことに繋がります。人件費の安い所に産地は移動するからそれでも繊維産業は世界のどこかで繁栄している。しかし、伝統染織での模倣が低価格化をもたらせば、それはすなわち低賃金につながり、かならず産地は崩壊します。そして、それを担うべき他産地はありません。

ですから伝統染織をはじめとする伝統工芸では、価格維持のために需給ギャップの調整というのが不可欠なのです。産地が移動すれば伝統工芸は崩壊した、ということなのです。

ではどうすればいいのでしょうか。

首里は首里、読谷は読谷、南風原は南風原、それぞれの産地が足下を見つめ直して、自分の一番強い部分に特化する事です。

たとえば首里は華やかな文化を感じさせるハイセンスな織物、読谷は民族的な海と土の香りのする力強い織物、南風原はそれをフォローする低価格産地。棲み分けをきちんとすればそれぞれの特長も際立ち、県内染織品全体の売れ残りも減ります。いまはとにかく市場に滞留する商品を一日も早く片付けることです。そうでないと産地の未来はありません。

だからといって、生産を止めるわけにはいかない。いままでと違うものを造りたいという気持ちや想いは解ります。しかし、それでは共倒れになります。

幸い、沖縄の織物は個人工房内で完結できるものも数多くあります。その場合、技術の継承に必要なのは多大な需要ではありません。需要に対して適正な供給を続ければ、仕事は必ず適正量残ります。それをきっちりと残していけばいい。数の拡大よりも質の維持、そしてなにより大切なのは、産地の将来まで見渡す志と使命感なのだと私は思います。

第7章 消費者行動の理解

7−1消費者対応の考え方

この章ではマーケティングの中の『消費者行動』というジャンルに入っていきます。ここが一番面白いかも知れません。

私の学んだ大学では文学部にも消費者行動の講座があって、当時、担当されていた井関利明先生の講義は欠かさずに聴講していました。というのは、この消費者行動というのは心理学の範疇にはいり、心理学は文学部の管轄だからです。

もし、マーケティングに興味を持ち、消費者行動をもっと深く学んでみたいと思うなら、心理学事典を購入されることをお薦めします。マーケティングの分析において心理学は欠かせない枠組みで、今後、いろんな事を考える上で必要になると思います。

さて、本題に移りましょう。

  • 『消費とは人々が製品・サービスを購入し、使用し、廃棄する全プロセスだ』

とテキストには書いてありますね。また、この章のNavigationにはこうあります。

『工場を出た段階での製品は、まだ半製品なのです』

=製品は、顧客の手に渡った段階で初めて完成品となる。

つまり、作家のみなさんが『消費者の手に渡る』事を意識しない限り、いくらマーケティングを学んでもなんにもならない、と言うことです。

  • マーケティングにおける最大の関心は『自社の製品・サービスを消費と結びつけること』にあるからである。

まさにそういう事です。

  • マーケティング・コンセプトと販売コンセプト

マーケティング・コンセプト

 『消費者を理解し、消費者に喜ばれる製品・サービスを作る事を第一とする』という発想を企業経営や事業運営の基本的な指針とするという考え。

販売コンセプト

 『企業がつくりだした製品・サービス、あるいは企業が有している技術や能力をいかに売るか』というもの。

一般には、マーケティングといえば下の販売コンセプトだと思われているようですが、本当は違うのです。

私が染織家のひとたちに理解して欲しいことは、まさにこの『マーケティング・コンセプト』なのです。

みなさんが仮需=流通の中間需要しか意識していないうちは、なんの解決策も生まれないのです。

眼を向けるべき対象は消費者であり、みなさんが造った作品は、消費者に購入され、着用され、ひいては廃棄されるまで着つくされてこそ、完結するのです。

そこに性根を据えないから、問屋の言葉に右往左往し、粗造乱売を繰り返し、そのあげくには莫大な流通在庫を抱え、価格崩壊を招くような事態になるのです。

消費者を個で捉える、あるいはかたまりで捉える。

みなさんが思っているほど、問屋はかしこくありませんし、情報も持って居ません。そして、問屋も小売店もあなたの敵の味方なのです。

ですから、自分の事は自分で決めるのです。

  • インプット-アウトプット分析とメカニズム分析

インプットーアウトプット分析

 マーケティング・ミックスの変更、あるいは所得水準やライフスタイルの変化という刺激に対して、消費者の行動がどのように変化するかを捉える。

そのメカニズムは無視=ブラックボックス

メカニズム分析

 刺激と反応との間をとりもつプロセスの作業を解明する。

  • 問題を特定し、解決へと導くにはメカニズムに関する知識が欠かせない。同様に、消費者とのインプットーアウトプット関係を改善したり、修復したり、新たに創造したりしようとする際にもメカニズム分析が必要となる。

つまり、インプットーアウトプット分析は、消費者行動をパターン化して捉え、メカニズム分析はそれが何故そうなったのかを分析し、一般化するという事です。

どちらも戦略的に有用なことですが、非定型的な消費者行動を理解するにはメカニズム分析が必要です。

とくに、染織の場合、マーケティングリサーチが難しいですから、消費者の心理の分析というのが非常に大切になってきます。

その心理を単純にしか捉えられないから、ただ単に安売りをしたり、雑誌に載せるだけ、商品に似つかわしくない業者に売りさばく、などの事が出てくるのです。

自分たちがどのような消費者を対象としているのかを、明確化し、その人達の心理をきめ細かく分析して、作品づくりはもちろん、流通などのマーケティングミックスを選択しなければなりません。

沖縄染織の場合、それなりの最終価格になるわけですから、消費者はそれなりの富裕層になるわけですから、決してマス=大衆市場を考えてはなりません。着物市場でかつ高額品市場、そしてカジュアル市場なのですから、本当に小さな小さなマーケットなのです。そしてこのマーケットはどんどん縮小している。

そんな市場に大量の規格品を投入すれば、市場からあふれかえるし、富裕層は見向きもしなくなることは自明だったのです。

富裕層は自分だけのもの、人が着ていないものをほしがるのです。

しかし、産地・組合は生産効率向上のために、デザインの規格化をしようとした。これがそもそもの間違いです。

デザインを無視して、機能で内地物に勝てるのは沖縄に置いては宮古上布だけしかありません。

だのになぜ、そんな暴挙をしたのか?

消費者をみないで、生産量を上げることしか考えなかった。そしてそれを助長したのは造れば取る問屋が居たことです。

ですから、もうここで気づかなければいけないのです。

誤解しないでください。『節を曲げてまで売れる物を造れ』と言っているのではありません。

あなたの作品を良いと思ってくれる消費者はどんな人で、その人に喜んでもらえる作品を作り続ける事、こそが大事なのです。

私が良くないと思っても、好きだという消費者はいます。その逆ももちろんあります。

自分の作品の良い所、悪いところを知り、作品を愛してくれる人はどんな人かを知り、その人を満足させる作品を世に送り続ける。そして、その輪をどんどん広げていけばいいのです。

あなたが良いと思って造った作品は、かならず他にも良いと思ってくれる人が居るはずです。だから、自分で良いと思う物を手を抜かないで作る事です。そして、そこに『消費者の笑顔と満足』を思い浮かべるという作業を付け加える事です。

こCS(=Customer Satisfaction)の概念を常に忘れないで、あなたの作品を愛してくれる消費者を決して裏切らない。

それは品質・デザインはもちろん、流通にも責任を持って、へんなお店で売られたり、不当に安く売られないようにするべきです。

それも、すべてマーケティングなのです。

7−2 購買意思決定の分析

まず、はじめにポイントというか用語を整理しておきましょう。

購買意思決定:購買する場合、消費者は購買可能な製品・サービスの中から裁量の物を選ぼうとする。さまざまな選択代案を知覚して、それらを評価すること。

消費者情報処理:消費者は複数の銘柄について、これらの多岐にわたる属性とその細目を何らかの形で知覚し、評価しなければならない。このプロセスを『消費者情報処理のプロセス』という。

ヒューリスティクス:知覚や評価の進め方のルール。マーケティングにあたっては、どのようなヒューリスティクスがターゲットとなる消費者の知覚と評価を導いているのかを十分に考慮する必要がある。

手段−目的の連鎖:消費者の必要や欲求を手段と目的の連鎖的な構成物としてとらえたものである。

  • ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この『もずやと学ぶ染織マーケティング』ですが、テキストは『ゼミナール マーケティング入門』という本を使っています。

なぜ、この本にしたかというと、私が学生時代に使っている本は内容が古いと思ったこと、基礎的なことをわかりやすく書いていること、例がたくさん引かれていること、そして、著者の一人に村田ゼミの先輩の嶋口充輝さんがふくまれていたこと、等です。

この本を何で探したかというと、アマゾンです。まず、マーケティングと書き込んで検索する。そうすると何冊も出てきます。その中で、入門書を探す。薄っぺらい物だとすぐに終わってしまって面白く無いので、そこそこの分量があるものにする。そして最後は著者です。マーケティングと言っても出来れば同門の学者さんが書いた物が私としては受け入れやすい事は間違いなく、それらを総合してこの本に決めたわけです。

  • この勉強会の記事を読んで下っている方が最近多くなってきて喜んでいますが、もし、テキストを買っていらっしゃらないなら、ぜひ、お買い求めください。私は何の利益供与も受けておりませんが、本代をケチってはいけません。とくに学生さんは、いまのうちにいろんな知識を詰め込んで置いてください。あとになって必ず役に立ちます。

話はそれましたが、つまり、アマゾンで知覚し、購買意思決定プロセス、目的−手段の連鎖を経て、購入したわけですね。

ちょっと考えて見ましょう。

沖縄の染織においては、どこに問題があると思いますか?

評価するためには、事前に情報が必要だということは分かりますね。

知覚されるだけでなく、評価されるためにも、露出=アピールが必要な訳です。

では、着物の場合はどんな感じになっていますか?

最近は、雑誌でも、本でも沖縄の染織を取り上げていることが多くなってきましたので、消費者の方のほとんどはそこで情報を得ているのでしょう。

あとは、展示会ですよね。店頭に常時沖縄物を置いているところというのは、ほとんどありません。

でも、着物を初めとする衣料品が正しく知覚・評価されるのに、写真や画面、あるいは生地の状態で見るというので、本当に十分でしょうか。

とくに高額品の場合、本物を観る事さえ、困難です。風合いや色合いなど、どんなに技術が進んでも、正しく質感が伝わることはないと思います。

ですから、私は基本的に作品をネットに載せることをやめました。

京友禅などの場合、どんなところで見て、評価のための情報を掴むかといえば、内地では結婚式やパーティー、京都に行けば芸妓、舞妓が来て歩いています。銀座や新地のクラブに行けば、ママが良い着物を着ていたりします。

沖縄染織は?

どこで着ている姿を見ることが出来ますか?

私はもう何十回と沖縄に行っていますが、街中で着物姿の女性に会ったことがありません。せいぜい、民謡酒場の女性か国立劇場の出演者です。

八重山上布、宮古上布、芭蕉布は着ていると涼しい。裸で居るより涼しい。とくに琉装に仕立てると、風の中に居るようでたまらなく心地よい。

しかし、教科書に書いてあるように手段−目的の連鎖の中で、購買の必要や欲求は『偶有性』を帯びているのです。

つまり、着て涼しいなら、Tシャツに短パンで良いじゃないか、という事もあり得るわけです。

それをどうやって、着物を着せる、とくに沖縄の着物を着てもらうと言う風に誘導するか、それがマーケティングにおいて考えなければならないことなのです。

つまり、暑い夏→着物は涼しい→沖縄

というイメージを確立せねば、浴衣や他の夏物に負けてしまうと言うことです。

夏休み時期に沖縄に行くと、空港では紅型装束の女性が迎えてくれたりします。

でも、なんで、クソ熱い時期に、あんな格好をしているのですかね。

せめて、駒上布くらいを着せて、きりりとカンプーにジーファーの髪で迎えたら、さぞ、観光客も涼しく感じる事だろうと思うのです。

国立劇場に行っても、着物姿の観客を見たことがありません。

私が沖縄で着物姿を大量に見たのは、那覇伝統織物事業協同組合の30周年パーティーの時だけです。

もっているなら、なぜ、もっと着ないのでしょう。

沖縄に来る観光客の中には沖縄の染織に興味を持たれている方も大勢いらっしゃるはずですし、県民の中にも、着ている姿を見れば美しいと思い、自分も着てみたいと思うようになるでしょう。

造る人が自分の作品を使ったことがない、これは本来、恐るべき事です。『良い物を造っている』と言いますが、何をもって良い物と言っているのでしょう。

それは『昔から良い物とされている』技法を使った物に過ぎないんじゃないでしょうか。それが現代人の体や、現在の気候・風土にあっているか、自分で感じてみないで、どうやって良い物が造れるのでしょうか。

昔は王府が品質を管理していましたから、一定の内容は保たれていたでしょうが、今は、吟味出来る人が流通に居ません。消費者にダイレクトに判断がゆだねられてしまうのです。

商人でも、自分が着てみもしない、作者と会ったこともない、どんな内容かも知らない、品質を吟味する術も知らないで、ラベルだけを信用して『良い物ですよ』なんて、よく言える物だと思います。

作家さん個人ではなかなか資金的に作品を買い取ったりすることは難しいかもしれません。とくに宮古上布や芭蕉布などは非常に高価ですし、数量もすくないので不可能でしょう。

だったら、くだらない助成金・補助金を組合に渡すより、県が染織品を買い取って、職員に着せて、首里や国際通りを歩かせればいいのです。

作り手は、B反や不合格反を出してしまったら、自分で買い取って着ればいい。

着て歩く事が、観る人の知覚と評価をこちらに向けることになるのです。

そうすれば、制作においてもまた違った観点が生まれてアイデアが出てくるでしょうし、『着るための着物』『締めるための帯』ということが実感できるでしょう。

造り酒屋の主は、たとえ酒が飲めなくても、味見くらいはして、品質を確かめる物です。それもしないで、良い材料できちんと造ったのだからおいしいはずだ、というのはタダ単なる傲慢であり怠慢です。

沖縄県民自ら、着物を着る事です。

まずはじめに、染織に関わる者から始めましょう。

それが最大のマーケティング活動になると私は思います。

7−3 市場細分化—多様性への対応

ここは、じっくりやりましょうね。

市場細分化というのは文字通りマーケットを属性ごとに切り分けて、誰に狙いを定めるかをはっきりさせることです。

思い違いしてはいけないのは、これは、最大市場を対象とするのではない、ということです。

つまり、ここを狙えば最大のマーケットシェアが獲得できる、という話ではないのです。

実例をあげて考えていきましょう。

わかりやすく、今回は特別にもずやの戦略を見てみましょう。

紬市場。

日本全体を見ると、紬のマーケットというのは、大島・結城を筆頭に、素朴さ、手織りの質感というところから、地味、粋という所にイメージが行っています。

大島や結城のデザインを思い起こしてみてください。

色も柄もあっさりとしていて、淡彩な味わいがあります。

ほんの一部の商品を別にして多彩さや華やかさとうものは無い。

しかし、地味や粋を解さない、それを『貧乏くさい』『ババくさい』と感じる人も少なからず存在する。

そういう人たちの需要を紬市場は無視し続けてきたのです。

なぜ、そんなことになったのか、というと、西日本の多くが友禅市場で、関東に織物市場が大きく開けていたからです。

ですから、西日本では圧倒的に染めが強かった。それと比例してフォーマルの着物を着る場面も多かった。

東京を中心とした関東圏では、冠婚葬祭がかなり前から簡略化されていたこともあり、着物というと、普段にも着るいわゆる着物好きという人が多かった。

自然にしておくと、マーケットの大きさに合わせて、紬は地味に、染めは派手になっていくのです。

しかし、日本で唯一華やかな紬を織る産地があった。あったというより帰ってきた。それが沖縄です。

他産地の紬が地味で似たり寄ったりなのに対し、沖縄の織物だけが華やかで強い独自性を保っていた。

マーケットを地味・派手、織り・染めで区分けしてみると下記の様になります。

 染め好き織り好き
派手好き ☆沖縄☆
地味好き  

ここの、織り好きで派手好きのセグメント(細分化された市場)がガラ空きだったのです。

他のセグメントは強敵が一杯です。言っちゃ悪いですが、沖縄の技術で勝てる道理はありません。技術で勝てなきゃ感性で勝てばいいのですが、400年以上もわびさびに接しているヤマトンチュウにウチナンチュが対抗するのは至難の業です。

大きな市場に割り込むと大きな市場が得られると想ってしまいがちですが、一時的には押しのけられても、必ずまた揺り戻しがくるものなのです。

地味に造った沖縄物が一時的には市場でブームを造っても、結局は、もとの自分たちの慣れ親しんだ物に戻るはずだ、私はそう読んでいました。

しかし、沖縄の人に近い美意識を持った人や、華やかな着物、それも織りの着物が大好きだとかいう人にとっては、全くと行っていいほど、品物が無かったのです。せいぜい色大島くらいでしょうか。

教科書にも書かれているように、人間の価値観といのは決して一つでくくれるものではなく、人それぞれバラバラです。

沖縄の生産体制を考えたら、その供給を裁くのにそう大きなマーケットは必要ないし、長い目で見れば市場の拡大をはかるよりも、沖縄の一番の特長であり魅力である物を発揮させるのが最善だ、と私は考えたわけです。

なにも、沖縄の染織の美しさに惚れただけで、みなさんにいろんな提言をしてきたわけではありません。

きちんとしたマーケット・セグメンテーションによる戦略立案があってのことなのです。

ところが、マスマーケットを信じすぎた問屋などの指導で内地寄り、つまり地味な紬を造らせようとした。

沖縄ブームがある間は良かったのです。

沖縄ブームは時とともに去り、大半の消費者は自然の摂理でわびさびにへの方向へ帰って行った。その反面、本来、ターゲットとすべき派手な織物が好きな消費者の期待に添うことも出来なかった。

結果として、沖縄染織はどのマーケットも完全に把握することが出来ずに、ブームを終えてしまった、ということです。

私の仲間が造ってくれた作品は、私の鑑識眼で選ばれた作品たちですから、華やかな織物・しゃれ物が好きな方の満足をある程度は得ているはずです。そのおかげで、長い間に渡ってご愛顧を頂き、もずやファンのお客様は弊社の着物を継続してお作り頂けるのだと想います。

そもそも、趣味の着物というのは、どれだけのファンを得られるかが勝負であって、多くの人になんとなく買ってもらうのでは、決して長続きしないのです。

ファンを造るというのは、デザインであったり、色であったり、着心地であったり、作家さんの人柄であったりが、その誘因となります。

なのに、中森明菜が松田聖子のまねをしてブリッコしてもファンはつかないのです(古!)

私の恩師の村田昭治慶應義塾大学名誉教授は『恋愛もマーケティングだ』とおっしゃいましたが、まさにそういうことです。

恋愛は相手に合わそうとしてもうまくいかない。ましてや、大衆受けする自分を演出しても相手の心をうつことは出来ない。自分らしい自分をいかに相手に理解させるか、そして自分を受け入れてくれる異性がどんな人なのかを的確に選び出す事が、末永くうまくいくかどうかの鍵なのです。

7−3 消費者をいかにリードするか

昨日、疲れて寝てしまって(^_^;)、1日遅れのアップです。

失礼致しました<(_ _)>

この項で書かれているのは、いかに『マーケティングの独善化』に陥らないか、ということですね。

マーケティングの独善化に陥らないためには、市場細分化の軸を『製品・サービスの属性』から『消費者の属性』へと切り替える事が突破口になると書いてあります。

言い換えれば『ライフスタイル・マーケティング』という事でしょうか。

つまり、どんな生活パターンや趣味趣向を持っている消費者の為に商品づくりをし、マーケティング・ミックスを構築するか、ということです。

着物の場合はどんな感じに考えたらいいでしょうか。

『製品・サービスの属性』という面で市場を切っていくと、着物の場合は振袖・留袖・訪問着・付下げ・色無地・小紋・紬、そして帯の場合は袋帯・名古屋帯・半幅帯と分けられますね。

それぞれに区切って商品開発を行えば、どうなるかというと、着物・帯の場合は着用シーンとひっついてきます。

留袖なら結婚式、振袖なら成人式、訪問着なら結婚式のおよばれやお茶会、小紋・紬ならカジュアルですね。帯もその格に応じて決まってきます。

つまり和装の場合は製品ごとに細分化すると生活シーンごとに自ずとセグメントされることになる。

つまり、和装市場自体は高度に成熟化していて、市場全体を見ると縦横共に敢然な網の目が張られているということです。

生活シーンごと、産地ごと、色柄ごと・・・あらゆるアイテムがそろいに揃っている。

問題はそれを売り手が意識していないということです。

呉服屋さんというのはほとんどが儀式用の着物でご飯を食べています。

儀式用の着物を買うお客様というのは、昨今では儀式の予定が決まってから買いに来られる事が多い。

ですから、いつ、どんなお客様が来られるのか、呉服屋さんには解らないわけです。

だから、店頭には無難な物、どこにでもある普及品が並ぶことになり、実際に売るのは大がかりな展示会になるわけです。

着物というのは専門的に言えば『専門品』(=事前に様々な情報を集めて購買にいたる、日常買わない商品)なので、本来は店ごとに店主の好みというのが反映されているべきだと私は思います。

ところが、先の銀座での展示会でも聞いたように『どこに行っても同じような商品ばかり』というのが実情です。

これは、店主がマーケット・セグメンテーションというものを理解していない、あるいは、品揃えにおいて無策である事が原因です。

私の場合は、デパートの売り場に変わって品揃えをしているわけですから、大手の問屋が出来ない、私ならではの商品構成を考え、商品づくりもします。

それは大手に囲まれて生き抜くための常套手段ですが、もしそれをやらないとすれば、大手と同じ品物をディスカウントして売る以外生きる道はなくなります。

そういう道もあるにはあるのですが、私は選択しませんでした。

いま、どんどんデフレになっていっているのも、和装をはじめとするすべての市場の品揃えに特徴が無くなっている事が大きな原因ではないでしょうか。

つまり、生産が大手によって寡占的に牛耳られていて、流通もこれまた、大手の寡占状態にある。

そうなると、商品はコモディティ化するのです。

コモディティというのは、お米や豆のように差別化されない、簡単に言えば相場で動く商品です。

こういう商品は一つ一つ吟味されることなく、丼一杯いくら、1トンいくらで取引される。着物なら一山なんぼ、という世界です。

現実にそうなりつつあるんですよ。

ちょっと前に、ある商品が10点で5000円という話を聞きました。

私は、パジャマ代わりに病人用のガーゼの寝間着を愛用していますが、他の着物も同じような事になりつつあるわけです。

だいぶ話はそれましたが(^_^;)、そもそも、着物というのは嗜好品なのですから、お客様はもちろん、扱う方も、造る人も自分の好みを最前面に打ち出すべきだと思いますし、その事が自動的に市場細分化、ターゲットマーケティングに繋がると思うのです。

もちろん、中にはセンスの悪い人もいるでしょうが、誰にも認められないセンスしか持って居ない人がこの仕事に携わっていること自体が無理なわけですし、

転廃業を考えられた方が業界のためだと思います。

私は、私が好きだ、美しいと思う着物は、他の誰かも同じように思うはずだという信念を持っていますし、制作をお願いするときも、買い付けをするときも、そういう気持ちでやっています。

『お客様の顔を具体に的に思い浮かべて』仕入れする、という話をよく聞きますが、『じゃ、外れたらどうするの?』と私は率直に思います。

私の選んだ、あるいは指図した着物を買ってくださる方が私と同じ美意識や価値観を持って居るとするならば、つねに誰かが買ってくださるはずです。

ですから、私とお付き合いある作家さんは耳にたこ焼きが出来るくらい言われているのが『自分の好きな物をつくりなさい』という言葉です。

『あなたが良いと思って造る着物は必ず誰かが好きと思ってくれるはずです。それともあなたはそんなに自分のセンスに自信がないのですか?無いなら今すぐやめてしまいなさい』いつもこんな事を言って作家さんを脅しています(^_^;)

もちろん、売れ筋の傾向や、コーディネート、着用機会(お茶席など)の観点からのアドバイスはします。

しかし、織るとなれば、少なくとも1ヶ月はその作品と作家は向かい合うのです。

嫌いなヤツとそんな長い間向かい合えますか?

良い作品ほど、早く上がってくる物です。

言葉は悪いですが、『これがワテの作品や。どや!!』と言うくらいの気合いを作品に載せて欲しいのです。

着物市場は高度に成熟化し、飽和しています。

そんなマーケットに規格品をどんどん売りつけようとすることは理に適っていない。

自分の好きな物が具体的にイメージできないとしたら、美術館や画集で絵を見て、好きな絵を探す。その色の構成を真似てみるというのもいいでしょう。

私はやっぱり絵画も、カラフルで力強い作品が好きです。

あなたの目指す市場はあなたの中にこそあるのです。

第6章 事業の定義

6−1 マーケティング近視眼を避けよ

ここは面白いですね。

マーケティング近視眼というのは英語でマーケティング・マイオピアと言って、私が学生のころはカルピスが題材として使われていました。

いまは、ほとんど見なくなりましたが、私が子供の頃は『初恋の味 カルピス』と言って、ほとんどの家庭の冷蔵庫に入っていたはずですし、お中元にもよく使われていました。夏は水で割って氷を入れて冷たくして飲み、冬はホットカルピス。ところがあまりにもこの白い濃縮液が強力な商品であったために、商品開発を怠ったのです。フルーツカルピスやカルピスソーダは出ましたがどれもぱっとせず、いつのまにか市場から消えていったのです。もし、カルピスが自分たちの提供する商品が『カルピス』という濃縮液でなく、『生活に潤いを与える清涼飲料水』だと考えていたら、幅広い商品展開ができたはずだということです。その後、カルピスは、『おいしい水で割ったらおいしい』という社員からのヒントによって『カルピスウォーター』という形で大ヒットしました。これは、ある意味で家庭で水で割って飲まれていた事からチャネルと場所を変更したわけですね。つまりカルピスを味わう機会を広げたわけです。昔は、家でしか飲めなかった。つまり、商品というのはその品物ではなくて、品物が与える便益であると考えれば良いわけです。

では、沖縄染織について考えてみましょう。

沖縄染織は数年前まで何度目かの興隆期を迎えていましたね。本当によく売れたでしょうし、作り手も潤ったことだろうと想います。もちろん、沖縄の染織が素晴らしい物であったこともあるでしょうが、マーケティング近視眼に陥らないためには、視点を変えて見ることが必要です。

消費者は、沖縄染織の何に興味を持ち、何に魅力を感じて購入に至ったのか?ということを考えてみましょう。そのためには、他の染織品と比較してみるとよくわかると想います。結城紬と沖縄の絹織物を比較してみると、どうでしょうか。織物としての完成度、着心地、体が感じる部分での機能性では圧倒的に結城紬が勝っています。結城は経糸、緯糸とも手引きの真綿糸です。かつ地機で織られています。沖縄はどうですか?論じるに値しませんね。

では、なぜ、消費者は結城を買わないで、沖縄の織物を買ったのか?

答えはズバリ、『それが沖縄の織物であったから』です。

それが証拠にほとんどの消費者は琉球びんがたや花織の帯を1本持っていたら、それ以上買おうとしません。

なぜだと想いますか?一つあれば十分だと想われているからです。

大島を数枚持っている消費者はざらにいても、久米島紬を2枚以上持っている人はまれです。

なぜ?そのもの自体に強い魅力を感じていないからです。

なのになぜ売れた?

沖縄にスポットが当たっていて、沖縄染織ブームだったからです。

悪く言っているのではなくて、客観的に考えなければいけないということです。

本来、魅力を感じた物なら、繰り返し繰り返し、その満足を与えてくれた物、あるいは周辺の物を購入するはずです。

私はカレーライスが好きですが、毎日カレーライスでもOKです。

本当に好きだというのはそういう事です。

でも、ブームは起こせても、根強いファン、久米島紬にせよ、読谷山花織にせよ、リピーターを作る事は出来ていない。

なぜ?

作る人、あるいは作らせる人が、沖縄の染織によって消費者がどんな便益=魅力を感じるかを理解していなかったからではないかと私は思うのです。

沖縄染織と聞いて、なにをイメージするか。

まず、青い空と青い海。照りつける太陽、そしてそれに映える琉球びんがたの衣装。そして芭蕉布を着た涼しげな姿。

これがナイチャーが思い起こすイメージです。

基本的に、ナイチャーは沖縄が大好きです。

沖縄が嫌いだという人に私は会ったことがありません。

私の周囲では私が一番沖縄嫌いかもしれません (^^;)

そして、沖縄のイメージといえば、素朴で純情な人たち。

そして、オバア。

ここで普通の人は止まってしまいます。

沖縄を観光するだけでは、沖縄がいかに素晴らしい文化と歴史を持っているかなど伝わっていないはずです。

沖縄染織の強みってなんでしょう?

豊かな自然、暖かい気候、染織に適した水、そして、豊穣な文化。

沖縄というのは日本の他のどこよりも染織に適した土地なのです。

そして、沖縄ほど多様な技法、多様な素材、多様な色彩感覚に恵まれた所はないのです。

そして、最大の付加価値を生み、私たちナイチャーが逆立ちしてもまねが出来ないのが、沖縄の人たちの美意識なのです。

沖縄染織を永年みていると、内地の作家では絶対に作らないという作品にたびたび出くわします。

想いもしない配色が見事に調和している。

そして、私たちナイチャーでは絶対に作り出せない色を生み出す。

そして、おおらかで力強い線。

これが沖縄染織の最大の魅力であり、強みなのです。

この魅力にはまれば、絶対にリピーターになるはずですし、たとえ沖縄の名前を出さなくても、一瞥しただけで、見入ってしまうはずなのです。

それを忘れて、特長を抑えた物を作ればどうなるでしょうか。一時期は口当たりが良く食べやすいので、多くの人がとりあえずは買ってみるか、と求めるでしょう。でも、次がない。流行のラーメン屋みたいな物です。

伝統染織というのは商品ラインの拡張に限界があって、そもそもマイオピアにならざるを得ない部分があります。伝統というのは近視眼を乗り越えてまだ、生き続けているという超ロングセラーなのですから。

しかし、いまの沖縄染織は伝統のロングセラーではない、と私は思います。

なぜかというと、一番大切な物、一番魅力的な物を忘れて、食べやすいけど、それほど美味しくない商品になってしまっているからです。

大阪に『551の豚まん』という大ヒット商品があります。デパートで行われる『うまいもの市』ではどこでも行列が出来るそうです。私たち大阪人は子供の頃から食べていて、並んでまで、とは想いますが、今でも定期的に食べる癖になる味です。

ところがこの豚まんは、クサイ。電車に乗って持って帰ると電車の中に充満するのです。でも、みんな持って帰る。

そのにおいが、豚まんを食べる光景を思い起こさせる。つまり豚まんと一緒に暖かい家族の団らんがイメージされるからです。

むかし、『551の豚まんがあるとき(笑顔)無いとき(がっかり)』というCMがありました。

つまり、551の豚まんはその味だけでなく、暖かい家族のシチュエーションを提供しているということなのです。

では、沖縄染織は何を提供できるのか?

美意識の強い人は必ず、『沖縄の染織(=もずやのコレクション)を見ると元気が出てくる』とおっしゃいます。

私は、これが沖縄染織の魅力の本質だと想います。

そして私もそれを実現できる染織品づくりを目指しています。

染織家は布を織り、布に染めているのではありません。

みなさんが織り込み、染め込んでいるのは、歴史と文化そのものである問うことを忘れないでください。

それが、マーケティング近視眼を廃し、永遠の染織となる道だと私は信じて疑いません。

6−2 製品ポートフォリオ管理との関係

ここでは『何を軸にして事業をとらえるか』について書かれています。

わかりやすく言えば、機能=用途(なんのため)、顧客(誰のため)、技術(どうやって)という事業の見方の切り口によって、ポートフォリオ戦略は変化するということです。

沖縄染織の場合なら、機能の観点から見ると、着物・帯を造るという事になるでしょうし、誰のためと言うことでは呉服の問屋・小売店のため、そして、技術面なら、染めたり織ったりすると言うことを事業と定義づけすることになります。

たとえば、私がびんがた染をやっているとしたら、

①機能=着物・帯→別の技法で着物・帯をつくる

②顧客=呉服屋→帯締め、帯揚げ、草履、バッグなどをつくる

③技術=びんがた染→インテリア製品、デザインをプリントに転用

などなど、新事業の拡大が考えられると思います。

②③はすでにやっている人も多いと思いますが、なかなかそれをメインにというのは難しいようですし、①に関してはほとんど行われていないのが現状です。

  • の他の染織技法の導入は琉球びんがたに対する沖縄県民の熱い想いとプライドがそうさせるのでしょうが、私はそれはそれでいいと思います。

ただ、顔料に樹脂顔料が使われ、酸性染料が導入され、蒸しがされるようになってから飛躍的に品質が安定したように、消費者の便益になるものは積極的に学んでもいいだろうと思います。

②③がなぜ、主力にならないかといえば、一つはやはり着物・帯にしたほうが高く売れるということでしょうし、せっかく造った物を切り売りするのは忍びないという作り手の気持ちもあるでしょう。また、着物・帯を造ってこそ、一流の作家という世間の見方も大きく影響しているのだろうと思います。

手工芸の作家の場合、作る事の出来る量が限られているわけですから、利潤を高めて豊かになるためには、作品を高く売る事と、売れ残りを出さない事に尽きるわけです。作品を高く売るためには、『作家の格』と言う物が大きく影響してきます。この格付けには、必ずしも納得できないものも多いのですが、高く値付けをしても受け入れられるためには、日本工芸会や国画会でどのランクにいるとか、人間国宝であるとか現代の名工であるとかいうのがモノを言うわけです。でも、値付けしたからと言って、消費者段階で値段が通るかというとそんなに甘くない。消費者が価値にあった価格であると感じなければ売れ残り、発注も来なくなります。しかし、『格』に伴わない値付けをしようとすればよほどの魅力がなければ通りません。これは現実です。

話がそれたようですが、染織作家はやはり帯・着物を造って、工芸界に認められなければ、多くの利潤を得る事は出来ないと思います。また、技量の向上のためにも、常に着物・帯の制作にチャレンジすることは意義の大きな事だと思います。

その上で、安定した仕事を続けるためにはどうするか。それを考えるために、このポートフォリオ管理を役立てられればいいと思います。

例えば、城間栄順さんは、琉球びんがたを代表する作家さんですが、みずからデザインしたプリントハンカチを販売されています。これには、批判も多いと聞きますが、私は多くの弟子を抱える工房主として当然の戦略であろうと思います。城間さんは自身の名を載せるからにはそれなりの品質管理をされているでしょうし、これによって、高価なびんがたの着物・帯を買えない人も、身近に紅型の美しさを生活に取り込むことが出来ます。だれも、このハンカチがいわゆる伝統技法の『琉球びんがた』で造られているとは思わないでしょう。もちろん弊社でも『城間栄順デザインのプリントハンカチです』と名言して販売しています。

製法上、素材の特性上、どうしても不適切な用途というのはあると思いますが、もっと幅広く作品を捉えてみても良いように思います。

バッグや財布などの小物の場合は、カッティングの仕方や、小物そのもののデザインまで総合的にプロデュースすれば、それは間違いなくその作家の作品になるわけです。

①〜③までの切り口を総合的に展開しても、事業領域を広く見積もりすぎたと言うことにはならないだろうと思います。それはそもそも、沖縄染織というものがどの市場においても超ニッチ市場だからです。

芭蕉布が好きな人、上布が好きな人、紅型が好きな人、あるいは沖縄が大好きな人・・・そんな消費者の身近に作品を投入できればよいわけです。

ただ、その場合、手作りなのですから、単価が高くなるということは計算にいれなければいけません。

まずは、自分の生活のなかで楽しめる作品を作って見ることから始めたらいかがでしょう。そして、お母さんやおばあちゃんへのプレゼントを自分でつくってみたら。そんな中に大きなヒントが隠されているかもしれません。

生活を楽しくする、沖縄の伸び伸びとした美を生活に取り込んでもらえれば、別に着物・帯でなくても良い、私はそう思います。

そもそも、自分が着物を着たことが無い、着物に興味がない若い作家が着物を作る事自体に無理がある、と断言しておきます。だって、自分が着物を着ないのに、着ている姿や着心地など、想像できるわけがないし、工夫のしようがないでしょう。

沖縄では着物姿を見ること自体が少ないわけですから、自分で着物を着る努力をしなければ内地の作家に太刀打ちできません。いままでが夢だったのです。これからそんな甘い世界は戻ってきません。ここのところは沖縄の作家の大きな反省点です。

私が、女物の着物を着るのは、着心地や着姿を自分でチェックする為ですし、文楽や能を見に行くのは、現実のコーディネートがどうなっているのかを学ぶためです。

最近になって、ようやく、若い作家さんが自分で造った着物を着て、国立劇場おきなわへ、組踊りや舞踊を鑑賞にいく動きが出てきたと聞き、非常に喜ばしく思っています。

消費者に生活の中に取り込んでもらうためには、自分も体で感じなければなりません。そこに工夫が生まれます。創造も生まれます。

私達商人もそうですが、ものづくりをする人達も、自分たちが『文化の当事者』だという認識を強く持つべきだと私は思います。

そのためには、とくに若い人達にはもっともっと幅広く勉強して欲しいと強く願います。

6−3 事業を定義し、成長への指針を描く

ここではスカンジナビア航空やゼロックスの実例が書いてありますね。

マーケティングを通して学んで欲しいのは、世間にある何気ない事柄からその奥にある企業や人間の戦略・思惑を読み解くという事です。

前に書いた様に、マーケティングを考える上では、たくさんの解決方法を持っている方が有利です。引き出しが多く、またその引き出しに処方箋がたくさん詰まっている方が勝負に勝てる可能性が高い。その処方箋がどこにあるかといえば、本に書いてあるわけでも、誰かが教えてくれる訳でもありません。そのタネは世間に転がっているのです。それを見過ごしているだけです。たとえば、自分のライバルとなる作家がどういう作風なのかを分析してみる。売れている人は何故売れているのか考えてみる。あんなのダメだ、とか運が良いから売れているんだ、とか思っていたらいつまでたっても進歩はありません。結果にはそれなりの必然性があるのです。数々の選択肢から自分がどれを選択するか、それだけのことなのです。ですから、街を歩くとき、市場を歩くとき、売れている店と売れてない店。売れている店でも、売れる人と売れない人。売れる商品と売れない商品。どこがどうちがうのか、じぶんなりに結論を見つけてみる。逆に、売れない店、人、商品がどこをどう改善したら売れる様になるのかを考えて見る。それが何よりの訓練になります。そして、私達、商売人は日常的にそれをやっています。商売人というのは商売をする人の事ではなくて、商売を人生としているひとの事を言います。政治家なら政治を、教育者なら教育をつねに考えている様に、商売人はどうしたら売れるのか、どうしたら儲かるのかを考えている。おなじようにものづくりをする皆さんは、どうしたらよいもの=消費者が喜んでくれるものを作れるのかを常に考えていなければプロとは言えません。

今日は事業の定義から派生して、『誰に売るのか』という事について考えて見ましょう。教科書の中の2つの事例で中心になっているのも『顧客を誰に設定するのか』という事です。

私が書いたのを読む前に、ちょっと自分で考えてみてください。・・・・・

問屋?・・・・ブーです。

染織家の顧客は消費者、つまり着る人、身につける人だと考えなければなりません。問屋や小売店は、そこへ持って行ってくれるパイプだと考えるべきです。貯水池に水があっても、田んぼに届ける水路がなければ田植えはできません。でも、水路に入れるのが目的ではない。あくまで田んぼに水を入れ、苗に水をやるために水があり、水路を引くのです。

では、消費者ってどんな人?

イメージ湧きますか?

あなたがつくった着物や帯を着けた人、見たことありますか?

それはどんな人ですか?

まず、あなたたちが造っている着物ってどんな着物?

着物ってどんな種類があるか解っていますか?

そんな事さえ知らないで、成り立っていたというのが奇跡なのです。

そこまで言わなくても、って?

いいえ、致命的な事なのです。

陶器を例に考えて見ましょう。

その陶器が飯茶碗に使われるのか、湯飲みに使われるのかで作り手は認識が違って当たり前なのです。

なぜか?

飯茶碗は手に持って箸でご飯を口に運びますが、湯飲みは口を直接つけるからです。

つまり、飯茶碗と湯飲みでは必要とされる品質がビミョウに違うと言うことです。

あなたの造っている着物はどんな時に着れられているの?

着物には『格』というものがあります。

第一礼装という最高の格を持った着物は既婚女性なら黒留袖・喪服、未婚女性なら振袖・訪問着です。その他、色留袖、付下、色無地は準礼装・略礼装ということになりますが、家紋の入れ方によって変わります。それぞれがどんな形状をしているかは、本やネットで調べて勉強してください。

じゃ、みなさんが造っている着物はどこに分類されますか?

基本的に上記の礼装類には属しません。紅型ならたいていの場合、小紋という街着・おしゃれ着に分類されますし、織物はさらに下の普段着の分類となります。ちなみにこれはあくまでも和装における分類です。

つまり、和装というくくりの中で着る上では、沖縄の着物は一部の例外を除いて結婚式には着られないと言うことです。

一部の例外というのは、紅型の中にも絵羽模様と言って縫い目のところで柄が切れずに連続しているものがありますね。これは振袖としていままでも着用されていますし、中には訪問着と同じ柄着けのモノがありますので、これは全く区別無く礼装として着用できます。しかし、どんなに柄が連続していても織物は結婚式には不向きです。また、どんなに高価なものでも格とは関係がありません。

宮古上布や芭蕉布がどんなに高価でも、結婚式には着れない。これが和装の『しきたり』です。久米島では久米島紬を結婚式で着ると聞いた事がありますが、それは日本全体からみれば特殊な事なのです。

ですから、みなさんは基本的に晴れやかな場所では着られない着物を造っていると思わないといけない、と言うことです。

これは着物そのものの優劣とは全く関係がありません。たとえプリントの着物であっても、それが留め袖や訪問着の形をしていれば、礼装として着用されるのです。ですから、沖縄のものでどうしても礼装に適うモノをつくりたければ、紅型で留め袖や訪問着をつくればいいわけです。でも、それは現実のは非常に少ない。

沖縄の着物を着る場というのはせいぜいパーティー、軽いお茶席、観劇、お出かけなどなどです。

反対に考えれば、その気になればいつでも着られる着物であると言うことですね。

つまり、着る機会を日常的、定期的に持って居る人、着物が好きな人、そして大事なことは着物を自分で着られる人だということです。

私は基本的には、自分で着物を着られない人にはお勧めしない事にしています。

若い女性ならお母さんやおばあちゃんに着せてもらうというのもあるかと思いますが、本当に着物が好きなら、自分で着られるようになりたいと思うのが人情だと思います。

ですから、みなさんの造る着物をきてくれる消費者というのは着物を自分で着られて、着る機会をそれなりにお持ちの方だということです。そして、価値観こそ多様でも、基本的には好きで着物を着ている、ということです。

晴れ着をホテルに持って行って、着付けをしてもらうしか着る機会を持たないと言う人と、自分で自分の家で着て、街を歩く人と、当然ながら、趣向が違います。

どういえばわかりやすいですかねぇ・・・

お祝いしようというときに、我が家で手料理でもてなそうという人と、料理屋でおいしいモノを食べようという人が居ます。どちらがどうという事は別にして、同じお祝い、同じ料理でも、全く意味が違うと言うことです。

晴れ着はお祝いが終われば、さっさと脱ぎ捨てられてしまう。しかし、普段の着物はいつまでも着られる。なぜか?普段のきものは着て心地よいものだからです。

でも、普段着だといっても、TシャツやGパンとは違うのです。そこが、大和のそして沖縄の服飾文化のすごいところです。普段でも素晴らしい文様が色とりどりに書かれた染めものや、趣向を凝らした織物が着られていた。こんなところは世界中探してもないと思います。それが民衆レベルにまでひろがっていたのですから驚異的です。

そして、この着物の文化というのはその延長線上にあるのです。

ですから、本当の意味で消費者に受け入れられるモノをつくるには、どんな消費者か、を知らねばならないわけで、みなさんが相手にしている人達は、高価な着物を普段に着るだけの財力と鑑識眼がある人だと考えるべきだと言うことです。

ちょっと前までの事はただのブームでした。

真価が問われるのは、これからですし、ブームが終わった後の愛好者が本当の沖縄染織ファンだと言うことを忘れないで欲しいと思いますね。

みなさんは、その人達の期待に応える素晴らしい作品を世に送り出す責任があるのです。

第5章 マーケティング資源の配分

5−1 何が事業の収益性を決めるのか

第4章は組織論なので、飛ばしますね。

個人工房中心の染織業界に於いては組織論はあてはめるのが難しいし、理解しにくいからです。教科書を読んでおいてくださいね。

ここで出てくるのはPIMSプロジェクトですね。

PIMSというのは Profit Impact of Market Strategiesの事です。

簡単に言えば『どういう手を打てば、どういう結果が得られるか』を予測するための手法です。

結論としてこう書かれています。

『市場シェアと利益率の正の関係が産業や市場の違いを超えて成立する』

つまり市場シェアが高まれば利益率は上がる。

逆に市場シェアが低くなれば利益率は下がるということです。

これを読んでどう思いますか?

現実にはどうでしょうか。

経済学上は、生産が多くなれば単位当たりのコストが下がり利益率が向上するということになります。

でも、手工芸ではどうでしょう。

多産する作家が利益率が高いでしょうか。

売れっ子の作家の利益率が高いでしょうか?

確かに売れっ子になれば、売れ残りが減りますから実質的な利益率は高まるでしょうね。

しかし、基本的にそう開きがあるわけではないと思います。

逆に薄利多売で、利益を薄くしている人の方が多産してシェアを伸ばしています。

問屋業でもそうですね。シェアが高いところが利益率が高いという事はないと思います。

私はここに、経済学的原則の限界があると思っています。

つまり、美術工芸品にはこのPIMSの結論は当てはまらないということです。

なぜかというと、生産コストに下方硬直性がある、すなわち、生産が拡大しても単位あたりの生産コストはそれほど下がらないからです。

南風原の絣は10反を一巻きにして織ります。これによって他産地よりも安い価格を実現しています。確かにシェアは高まり、琉球絣といえば南風原の絣という状態になっていますね。しかし、これで利益率が高まっているかといえばそうではありません。利益は上がっているでしょうが、利益率は高まっていない。なぜそうなるかといえば、品質と価格が最終的に均衡するからです。つまり、手工業品を大量生産すれば、その分必ず品質は落ちる。落ちれば価格も下がっていく。結局は利益率は逓減していきます。

マーケティング理論は機械生産による大量で均一な製品市場を前提としていると言うことを忘れてはいけません。

市場シェアというのはこういう大量生産品をマスマーケットに投入するときに価値があるもので、細分化された市場にきわめて趣味性の高い商品を対応させる場合には意味を持たないどころか、シェアに拘泥することは破綻を招きます。

県や組合は染織を『産業化』しようとします。産業化とは生産を拡大して県からの移出額や組合の利益の極大化を目指すということです。

産業化するには、効率化が必要です。効率化するには均一化が必要なのです。

均一化はどういう形で行われたか。宮古上布、八重山上布が古い例ですね。

デザインを均一化して生産量の拡大を目指した。久米島紬の泥染めもそれに分類できるでしょう。特徴を究極的に絞り込んで、一番造りやすい、生産が効率的に進む物に集中して造る。つまり作業の単純化・平準化を進めるわけです。

結果的にこれが高度な技術に繋がったわけですが、これが、着物市場が均一なマスマーケットの時代は良かったわけです。着物人口が激減し、またその消費者の需要が多様化した。そうなれば、同じ消費者が同じ商品を何度も何度も観る事になるのです。つぎに起こることは製品への期待の低下です。どうせ、同じモノしかないと思われてしまうし、現実に同じモノしかない。目も向けてくれなくなるというのが現実だろうと思います。

商品のライフサイクル論に関しては前にお話ししたかと思いますが、ライフサイクルが短くなっている市場に於いて、均一の商品を大量継続的に送り込めばどうなるか。大量の売れ残りが出るのです。

つまり、趣味性の高い商品市場に於いては、シェアに拘泥することはかえってマイナスだと言うことです。では、利益率を高めるためにはどうすればいいのか。どんな作家も、良い作品を造って豊かになりたいと思うでしょう。そのためには、魅力ある作品を作り続けて、高く売る事です。あるいは、安定した生産と販売を続けて売れ残りを出さないことです。そのためには、常にデザインや色・技法の研究を続けることです。

流通に於いても、シェアの獲得に躍起になったあげく、どれだけの駄作が市場を汚したかは明らかではありませんか。

みなさんが造るのは菜っ葉や大根ではありません。作品なのです。

芸術を生活に取り込ませたアール・デコは機械生産があって初めて実現したものですが、それでも、優れたデザインを追求して高額で売ることを目標としています。

マーケティングは作り手が豊かになるために必須の知識であると私は思いますが、染織を初めとする手工芸に於いては必ずしもその原則は適用できません。

それを適用しようとしたために、多くの悲劇が生まれたのです。

マーケティングというのは市場との対話です。

自分がどんな作品を造りたいかと同じ位、どんな人にどんなシーンで来てもらいたいかを考える事が大切なのです。

5−2 規模と経験の効果

ここでは規模の経済と経験の蓄積による効率性向上について書かれています。

まず、規模の経済について。

前述したとおり、伝統染織に於いては、最早、規模の経済は発揮されない、というのが私の見解です。その理由は以下の通りです。

  • 市場が成熟している。
  • 市場が飽和し、供給過剰である。
  • 顧客の嗜好が高度に多様化している。
  • 生産コストが生産規模に比例して下がらない。
  • 染織品は一種の耐久消費財である。
  • 効率化は実現できても、それと反比例して効果性が下がる可能性がある。

生産規模を大きくしてもコストはさほど下がらない。生産拡大によってある程度の効率向上が得られたとしても、その生産量を受け入れる市場がない。市場は狭く、飽和し、また細分化されている。細切れになった極小な市場に拡大した生産量の商品を投入すれば、供給過剰が更に進み、価格は下がる。それを無理に続ければ生産コストに見合わないほどの価格になり市場は崩壊する。

市場が崩壊してどうなったか。中古市場の出現です。中古市場の出現は耐久消費財であればこそ可能となります。

つまり、和装市場の価格崩壊は、規模の経済を狙った生産拡大から、中古市場の成立へと繋がっているのです。

規模の経済への盲信が高付加価値文化商品を死に追いやりつつあると言うことです。

では、どうすればいいのか?

適切な市場規模をはかり、適正な価格で高付加価値の商品を送り続ける事です。

この章の著者は誰かは解りませんが、もしかしたら経済学者からの転身か、逆に経済学を学んでいない人かもしれません。お役人やマーケティングの素人が読めば、首肯するかもしれません。しかし、すべての理論がそのまま当てはまらない、それがマーケティングを学び、考える原点なのです。

とくに、高付加価値商品や、文化的商品の場合は効率性より効果性に分析の重点が置かれるべきです。

つまり、量より質ということです。

ここを大きく踏み間違えた結果が現在の状況であると私は思います。

経験効果については、こういう記述があります。

  • 規模の経済性や経験効果が働く事業では『市場シェアの拡大を至上命令とする時期』と『市場シェアの拡大よりも利益を追求する時期』とに分けて事業戦略を考える必要がある。

まさにそういう事です。

伝統染織においては、すでに後者の状況に入っているし、産地という物の存在が経験効果を十分に補っています。一人でぽつんと染織をやっているよりも、産地で情報交換をしながらやっているほうが、効率がいいのに決まっています。

経験効果は産地がもっている財産である、ということです。

その上にいかに効果性、つまり品質と感性を載せて、適正価格のものを適正量売るかということなのです。

5−3 製品ポートフォリオ管理

GWで一週間とばしました。失礼しました。

さて、この製品ポートフォリオ管理ですが、染織作家にお話しするにはかなりかみ砕くというか、曲げてねじり回さないと利用できる概念ではありません。

基本的には、大手製造業で商品が多岐にわたっている企業の戦略とされているからです。

市場成長性とシェアによって、『金のなる木』『問題児』『スター』『負け犬』と分かれ、それぞれによって戦略を変えるということなんですが、1人あるいは数人の織子を抱えているだけの染織工房でこれだけの多角化戦略が必要かといわれたら、手仕事に於いてはほとんど無いというのが直観的判断だと思います。

それはそうなのですが、基本的にこの戦略は製品ライフサイクル論の上に成り立っているというところがミソではないかと思います。

首里織の作家さんを見ていると、大きく二つに分けられます。同じデザインの作品を延々と作り続けている人と、逆に同じデザインの物は二度とつくらないという人です。

どちらがどうということはありませんが、商業ベースで考えた場合、1つのスターに頼るのも、いつもいつも金のなる木で終わらせるのもバランスを欠くと思うのです。

もし、複数の傾向あるいは技法の商品アイテムを作れるとしたら、この製品ポートフォリオを使って、安定的な生産ができると思います。いま、当たっている作品がいつまでも売れ続けるということはありません。消費者は飽きやすいものですし、好みはどんどん急速に変わります。

また、着尺・帯だけでなくて、小物や、洋装、インテリアなど、幅広くチャレンジしてみるのもいいでしょう。仕事を長く続けるためには、次を考えるという事なのです。

私の様な問屋の立場ですと、常にその事を頭に置いています。作家さんの気持の乗り方、熟練度、時代性などを見ながら、つねにポートフォリオ上に載せているんです。

さらに大きい視点でみると、沖縄の染織自体が、着物市場でどの位置にあると思いますか?

ちょっと前まではスターだったのです。

いまは、問題児から負け犬になろうとしています。

沖縄だけではない、すべての伝統染織が負け犬になりかけている、あるいはすでになって撤退を余儀なくされているのです。

その流れの中でどうやって生き抜いていくか。

それも、楽しく仕事をしながら、です。

そして言える事は、負け犬も問題児もなければ、金のなる木もスターもないということです。

多様性があってこそ、市場は成り立つのです。

だからこそ、これからは感性を軸に、技法を遠心力に使って、幅広い作品作りをしていって欲しいと思います。

5−4 製品ポートフォリオ管理がもたらすもの

ここでは、製品ポートフォリオ管理の導入による効果が書かれていますね。

しかし、伝統染織の場合、『負け犬』となったとき、撤退という選択肢はあるでしょうか。

趣味でやるならまだしも、仕事として生活しうる収入を得るのに着物・帯以外のものを造って売るとうのは、かなり厳しいものがあると思います。

ですから、基本的に仕事を続けるかやめるかの二者択一しかないという結論です。

仕事を続けるためにどうすればいいのか?それを考えなければ行けませんね。

製品ポートフォリオ管理というのは、市場の成長率と市場シェアを元に資源の最適配分を図ろうとするものです。

資源というのはつまり資金ですね。

市場成長率と市場シェアを縦横の軸にとるということは、自社が将来占めるであろうマーケットサイズを想定しているということです。

つまり、『需要予測』が考えの基本にあると言うことですね。

撤退が出来ない、そして技術革新が望めないのですから、仕事を続けるためには的確な需要予測をすることが一番大事なのです。

『売り逃げ』という手もありますが、これは後進の道を閉ざすことになり、伝統工芸においてとるべき戦略ではありません。

ブームに乗っているときに、どんどん造って市場に投入し、需要が落ち始めた頃に、撤退する。その事業者は儲かるかも知れませんが、流通に残った在庫は陳腐化し、価格が破壊され、あとに続く人の生産を圧迫します。

沖縄の染織に限った場合、どの位の需要予測が適当でしょうか。その把握のためには沖縄染織が市場でどのような立ち位置にあるかを知らなければなりません。

和装素材である。

高級品である

カジュアルである

(上布や芭蕉布の場合は夏物である)

高級カジュアル着物の市場を大島や結城などと争って取り合いしているわけです。

また、着物市場は年々縮小しています。こんな小さな市場に対して、いまから10年ほど前に大増産をして大量の商品を投入した唯一の産地が沖縄です。

しかし、沖縄だけが特別なわけがありません。沖縄物だけは売れるという言わば神話がまかりとおり、県も、組合も、問屋も造れ造れの大合唱。でも、これはバブルだったのです。完全な需要予測の失敗です。

売れるとうのは、消費者のタンスに入る事を指します。問屋に仕入れされた時点では、まだ流通にあるのです。つまり、自動車がトヨタからトヨタのディーラーに入っただけです。

着物という製品自体がすでに『負け犬』の領域にあるものであり、そのまた小さなカジュアル市場に、大量に資源を投入した。

負け犬商品は撤退するだけが戦略ではありません。

特にニッチ市場では、高度な趣味性をもった消費者を満足させる市場として生き残ることはできるのです。ところがそれをマスで捉えて市場を拡大しようとした。大失敗でした。

では、これからどうすればいいのか。自分たちの市場をきちんと知る事です。市場は成長しないし、小さな和装市場のそのまた小さなカジュアル市場で、さまざまな産地の製品と戦うのです。必要なのは量ではなくて、その他産地の製品に競り勝つ競争力をつけることです。

沖縄の染織家は大島や結城がどんな着物か知っていますか?牛首や白山は?敵を知らずして勝ち目はないのです。

自分たちが勝っている所、劣っている所をきちんと正確に分析して強みをのばさねばなりません。

沖縄の強みとは何か?沖縄の持つ楽園的イメージと伝統技法の豊富さ、そして何より、沖縄の人の持つ独特の美意識だと思います。それを形にする素材もふんだんにあります。

芸術・工芸はすべからく、人間のくらす『風土』から生まれます。みなさんが住んでいる土地の風土を生かすことが最大の競争力となるのです。

第3章 価値実現のマネジメント

3−1流通チャネルの機能と累計

この流通の問題も染織マーケティングを考える上で、重要なポイントですね。

まず、基本的なことを押さえていきましょう。

【流通チャネルの機能】

流通チャネルの次の3つで構成されている。

  • 物流

 作り手と買い手の間に生じる、空間的あるいは時間的なギャップを埋める役割を果たす。=保管、輸送

  • 情報流

作り手と買い手の間にあるさまざまな情報のギャップを解消していく。

=受発注情報のやりとり、販売予測精度の向上、製品・サービスの特徴・使い勝手の伝達

  • 商流

取引の流れ

→相手次第である。

取引である以上、相手に取っても一定のメリットある仕組みを確立せねばならない。=ウィン・ウィンの関係

【流通チャンネルの類型】

チャネル① 生産者→→→→→→→→→→→→→→消費者

チャネル② 生産者→→→→→→→小売業者→→→消費者

チャネル③ 生産者→→卸業者→→小売業者→→→消費者

  • 小売業者だけでなく、生産者の数も多い場合、卸業者の多段階化が生じやすくなる。
  • どのチャネル類型が優れているかは、ターゲットとなる最終顧客、取引先として利用できる流通業者、競争企業が採用している流通チャネルの類型、自社の経営資源などの条件によって異なってくる。したがって、同じ産業の中に、異なる流通チャネルの類型を選択する複数の企業が併存する場合もある。

和装業界の流通が問題とされるのは、その多重構造と流通コストでしょうね。

生産者から複数の問屋を経由して小売店を通り、ようやく消費者の手に渡る。

生産者から出た価格の数倍、場合によっては10倍以上の価格で消費者に売られているから、消費者は着物離れをしたし、生産者は貧困にあえぐことになる。

まぁ、これが一般的に言われていることですかね。

しかし、この教科書にも書かれているように、和装業界でも単一の流通チャネルしか存在しないという事はありません。

消費者に直接売る人もいるし、小売店としか取引しないところもある。また多重構造の中に商品を流す人もいます。また、それを併用する人も居ると、まさに人それぞれです。

基本的に自分のこだわりの『作品』をごく少数制作している人は当然高価になりますので、直販体制と採る人がいます。地域密着で地元の需要のみに対応している人もいます。

芭蕉布なんかは、内地の着物ファン以外に琉球舞踊家の需要があって、その人達は別に平良敏子さんの工房の物でなくても良いわけです。しかし、本物の芭蕉布の着物を持たねばなりません。それで、直販を前提に芭蕉布を造って個人を対象にしている人も存在します。

琉球びんがたや加賀友禅も地元需要がありますので、地元の人から直接発注があり、直販する体制があります。

つまり、少数の商品と少数の需要者の場合、直販は成り立っているのです。

小売店と取引する人は結構います。つまり問屋とは取引しないという事ですね。なぜ、そういう選択をするかというと、問屋を通すと末端価格が高くなる事、集金が思うようにいかないこと、などがあるのでしょうか。

正確に当てはまるかどうかは解りませんが、千総さんや川島織物さんなんかは小売店としかやらないはずですから、この形ですね。帯のメーカーさんは多くこの形を採っています。これはその商品にブランド力があるからです。ブランド力があれば、問屋の流通力に頼る必要がない。小売も直接声を掛けてくる。また、ある程度の大量生産が出来て、大量の需要があるという場合にこの形は成立すると言えるのでしょうか。

大量の需要がないとこの形が成立しないというのは、そうでなければ、メーカーも小売店も在庫負担に耐えられないからです。もちろん、自分で少しずつおった織物を地元の民芸店や呉服屋に置いてもらうというスタイルもあり得ます。しかし、小さなチャネルは小さな需要しか喚起しません。小さな需要は大きな供給を産みません。そこそこの規模の需要がなければ、生産者から小売りへの直接取引は継続し得ないといえます。

たとえば、AさんがBという小売店に品物を置いてもらう事にした、とします。

しばらくは順調に売れたのですが、ある一定の期間を過ぎると売り上げが止まった。なぜか。Bの持つ顧客に行き渡ったからです。止まらない為には、Bの本来持って居る顧客以外に売れなければなりません。BはAの商品によって顧客が広がる事も望んでいるわけです。それができなければ、Bは売れ行きが落ちた途端、Aの商品に変えて新しいCという作家の品物を店頭に置くでしょう。

そしてAはまた、新たに品物を置いてくれる店を探す事になります。次はDに置いてもらう事にした。それでも、また同じ事の繰り返しです。小売店は販売機会が制限されている、つまり売場を効率的に使いたいし、販売機会を大切にしたいのです。ですから、売れない物は置きたくない。逆に言えば『売れる物を置きたい』わけです。

『売れる物』=『需要の大きい物』です。

つまり、小売店は消費者を中心として『売れる物を追っかける』ということです。小売店は店の立地・面積、そして暖簾=信用が財産で、それを有効に活用していこうとします。よい立地に豊富な売れ筋の商品を置いておけば、必然的に成功するわけです。

ですから、小売店と直接取引するというのは、消費者に直接売るよりも遙かにハードルが高いと言えます。

もちろん、年に一度とか期間を区切って個展としてやるなら可能かもしれませんが、その場合でも、その作家に一定以上のネームバリューが無ければ困難です。小売店はその作家の名前で顧客を呼び、販売促進に結びつけたいと思うからです。基本的に『利用価値ある物を利用し、売れる物を売る』というのが小売のスタンスだと思わなければなりません。

そして、もっとも一般的と思われるチャネル③の生産者→問屋→小売→消費者のパターンです。問屋というのは、基本的に一定の『くくり』で商品を扱います。うちなんかは『沖縄』というくくりですね。帯の問屋は帯というくくり、加賀友禅をくくりとする問屋もあります。つまり一定の特徴=強みを持っているわけです。これは問屋制家内工業の名残で、かつては問屋が主導して各家で行われる織物を統括していた訳です。問屋は出来上がった織物を工賃と引き替えに受け取る。これが産地問屋の前身です。さらに、産地問屋から集散地にむけて商品は送られる。最大の集散地が京都、そして、東京ですね。京都の室町といいう場所がそのメッカです。東京は掘留です。

ここにある問屋は、前売問屋といいます。小売店に売る問屋です。産地問屋が生産を統括しているのに対し、前売問屋は小売の細かい要望に対応していくのが仕事です。前売問屋の場合には、総合問屋というものが存在するわけです。つまり、各地の産地問屋や作家・生産者を束ねて小売へのパイプ役となる問屋です。また前売問屋には産地問屋を兼ねている、つまり、生産者に直接指図したり、生産者と直接契約しているところもあります。うちもその一つですね。

すなわち、問屋はどの位置にあっても、生産者や商品に顔を向けていると言うことです。

問屋は品物を持って需要を喚起し、探そうとする。小売は需要に当てはまる商品を探す。ですから、問屋は買い取り、小売りは委託になるのです。極端な話、小売りは売れれば何でも言い訳で、宝石・毛皮・ハンドバッグ・婦人服などを売っている呉服屋が多い事でもそれはわかります。うちが洋服売ると言ったら、かりゆしウェアくらいです。

いわば問屋はメーカーのマーケティング部門とも言える立場であるわけです。

この教科書に載っているような大メーカーにはすべてマーケティング部門があります。そして小売店には小売店のマーケティング部門がある。小売店の場合は売場と棚を持って居て、そこに置いてもらわなければどんなに良い品物でも売れることはありません。それを置かせる、良い場所に置かせる、広い場所を獲得する、そのために必要なのがメーカーのマーケティングなのです。

そのメーカーのマーケティングを考える上で必要な事が人・モノ・金・ノウハウ・情報という経営資源の把握であって、小さな経営体が大企業に真正面からぶつかって勝てるわけがありません。そこにマーケティングの出番があるわけです。

小売店というのは売れる物の他に『儲かるモノ』を置き、積極的に売ろうとします。それがPBであり、高利益率商品であるわけです。

高い家賃を払っている銀座の呉服屋さんが、売れもしない儲かりもしない低価格の品物を置いてくれる道理が無いわけですね。

沢山の需要を掴んでいる一等地の呉服屋さんが売れて儲かるモノしか扱わないとしたらどうでしょう。

売れる物=ネームバリューのあるもの

儲かる物=安く仕入れられて高く売れる物

相矛盾する二つの条件をなんとかクリアしようと努力しているのが問屋なのです。

デフレ経済になって、価格の天井が抑えられても、小売店の粗利益率(販売価格—仕入れ価格)÷販売価格%は下がりません。かえって実質的に上がってくる位です。

小売店が悪いと言っているのではありません。呉服販売はそれだけ高コスト体質であるし、現実に、一等地に店舗を構えたり、華やかな催事をやらないと着物は売れないという事なのです。

日本経済全体が底上げされ、天井が上がらない限り、現状の和装業界が潤うことはありません。でも、それは望み薄です。

結論は、流通を簡素化するしかない。

そして、作家と問屋がきちんと役割分担して、お互いの使命を完璧に果たして、低コスト化を実現していくしかないのです。

小売店は立地と販売装置と顧客を持って居ます。

これは転用可能です。売る物をかえれば良い話です。

でも、作家と問屋は扱う商品をおいそれとは変えられないのです。

着物需要を支配している小売に、いかに対応して、自分たちの流通状の地位を高め、利益配分をメーカー側にとりもどすか。

それは、消費者に『Aさんの作品が欲しい』と小売店に言ってもらうようにすることです。

ビールでいうなら、『スーパードライ作戦』ですね。

むかし、居酒屋でビールを頼んだらキリンしかなかった。でも、アサヒビールのマーケティング戦略で客が『スーパードライはないの?』と言うようなったんです。いつのまにか、どこの居酒屋でも『キリンとアサヒ、どっちにします?』と聞かれるようになった。高知県の居酒屋に行くと『たっすいがはいかん』というビールのポスターが貼ってあります。『たっすいが』というのは、味気ないと言う意味でアサヒのビールを指します。高知県といえば、キリンビールの県民一人当たりの消費量が日本一のキリンのメッカです。そんな場所でもこんなポスターを貼るほどキリンは追い込まれているのです。

つまり、消費者への『ダイレクト・マーケティング』です。チャネルは既存の物をつかうとしても、需要の喚起は作り手から直接行っていく。

すべての人が出来るとは思いませんが、考えの隅にこの発想を入れる事で、選択肢と発想は大いに広がるだろうと思います。

『自分は消費者と直接つながるんだ。そのために問屋や小売店をチャネルとして利用するんだ』と思わなければなりません。

イメージは画家と画廊の関係ではないでしょうか。

問屋の役割については、また後日。

3−3 メッセージの選択

今回も水曜日は沖縄に滞在しているので早めにアップしますね。

ここは、最重要ポイントです。

この間私が受けた『アートマネジメント』の核心はここにあります。

ここでは、コカ・コーラのはなしが書かれていますね。

非常にわかりやすいと想います。

  • 優れたプロモーションを行うには、考えられるさまざまなメッセージの中から、製品・サービスの販売を強力に促進するものを選択しなければならない。

そのためには以下の3つが必要だと書かれています。

  • ターゲットとなる買い手に対する訴求力がある
  • 競争相手が模倣することの困難な優位性が確立される
  • マーケティング・ミックスの他の要素との整合性がとれている。

コカ・コーラのはなしを読んでいると、発信しているメッセージが味や効能ではないことに気づくと想います。コーラはおいしいとか、体によいとか、栄養があるとかはありません。

コカ・コーラが発信するのはコカ・コーラの提供する生活シーンや心の状態であることがわかるでしょう。

重要なことは、コラム3−4に書かれています。

メッセージの作成はコンセプト形成→表現制作の順をたどります。

マーケターが担当するのはこの『コンセプトの形成』です。

この染織マーケティングでは、マーケターとは染織家自身を指します。

メッセージの作成は通常はコピーライターや音楽家が行います。

染織の場合は、問屋や小売店かもしれませんね。

コンセプトが間違っていれば、有効なメッセージは絶対に作れないということです。

  • マーケティングの役割はメッセージのコンセプトを定めることで、さまざまな専門家との協同作業の効率性と創造性を高めることである。

=『コンセプト・ブリーフ』を作成すること

 コンセプトとその背景の明確かつ簡潔な記述

とても重要ですよ。

今の状況はどうですか。

物を作って、問屋や小売店に渡し、販売にかける。

問屋や小売店は、どんな情報を持って、どんな事を言って売っているのか、作り手は知らないし、知ろうともしない。

沖縄の染織はどういう風に紹介されてきたでしょうか。

40年前の沖縄復帰のとき、沖縄染織に対して問屋が掲げたコンセプトは『裸足の沖縄』だったのです。当時、沖縄ではまだ裸足で生活しているお年寄りがいらした。それを見た問屋が『沖縄はまだ裸足で生活している。貧しい沖縄だから手作りの物が安くできる』と言われていたのです。ですから、当時は、良い物をつくるよりも安い物を作る事が優先されました。八重山上布は経緯ラミーでしたし、南風原の絣もスリップするような代物が多かったのです。そんな中で、『琉球王朝の輝かしい歴史と文化』を掲げたのは唯一弊社だけだったんです。

首里織と琉球びんがた(以下紅型)を見てみましょう。

首里織と紅型は主に氏族によって作られ、着用するのも貴族・王族といった上流階級でした。沖縄は海洋国家として繁栄したとされていますが、それは同時に他国からの侵略に悩まされてきたという事でもあります。南洋の小国であった琉球がいかにその存在を保ってきたのか。それは卓越した文化力であったのです。その文化の象徴が首里織であり紅型なのです。紅型がなぜあれだけ華やかなのか。それは琉球王朝の威厳を表しているからなのです。

それがどう紹介されていると想いますか?オバアやオジイが作っている素朴な織物、染め物と紹介されているのです。

そこには民芸運動の影響も大きく影をおとしていると言わざるを得ません。首里の人はなぜ、首里の織物や紅型は決して民衆的工芸などではない、と反論しなかったのでしょうか。私が民芸運動を執拗に攻撃するのは、民芸の呪縛から沖縄を解放するためなのです。

沖縄染織を紹介するときに、歴史や文化の知識が必須であるのは、その光の部分を知っていないと、正しく有効なメッセージが形成できないからです。

なぜなら、沖縄の歴史や文化は『誰もまねの出来ない独自のものだから』です。

私が、内地の趣味にすり寄ったいじけた作品を嫌うのは、コンセプトが間違っているからです。

もちろん、現代の和装需要に見合った作品を作る努力はしなければなりません。しかし、その根本には『沖縄の歴史と文化に対する誇り』が無ければならないと私は思います。

宮古上布、八重山上布、久米島紬が紹介されるとき、人頭税の話がよくされます。私は、この種のお涙頂戴的な話をすることにずっと疑問を持ってきました。

どんな本を読んでも必ず書いてありますし、ビデオを見ても出てきます。人頭税石も映されてたりしています。

これって、これらの作品をアピールするために有効でしょうか。もちろん人頭税によって苦しめられたのは事実です。でも、だれに抗議をしているのか。それに同情したり贖罪意識をもって作品を購入する人など皆無です。それより、『イヤな話を聞いた』と購買意欲をそがれてしまう場合の方が多いのではないでしょうか。

私は最近『ミンサー全書』という本を読んで、人頭税に対するモヤモヤが吹っ飛びました。なぜ、あれだけ人頭税に苦しめられる事になったのか。誤解を受けるといけませんので、ここでは書きませんが、沖縄の女性のつよさと勤勉さをよく物語っている話だと想いました。

作品についてよい印象を持ってもらう。そのためにコンセプトを作るのです。

苦難の歴史など、聞きたくもない。

沖縄に行くと戦争の話をされるから、行きたくないというお客様もたくさんいらっしゃるのです。

しかし、沖縄というところは、何度も言うように素晴らしい歴史と文化を持っています。そして、風土や県民性も非常に魅力的です。

それら、歴史・文化・風土・県民性から染織は生まれるのです。

伝統工芸のコンセプトはすべからく、ここから生まれるのです。

ですから、沖縄を愛していない人に、沖縄の染織が扱える訳がないのです。

沖縄の染織に携わる人、また、それ以外の地域でその地方の伝統工芸に携わる人は、ご当地の歴史、文化、風土を深く知り、研究すべきです。

宮古上布、八重山上布、久米島紬、芭蕉布・・・

これらを野良着と馬鹿にする人がいます。

とんでもない話です。

首里王府にはデザインルームがあり、その中でデザイナーがデザインを決めて、織らせていたのです。それが各離島にも波及した。そのデザイン本が『御絵図帳』です。

そのデザイナーが決めたデザインで作られた染織品たちは、貢納布として、王族・貴族が着用したり、島津藩への上納品、あるいは輸出品とされていたのです。

この、どこが野良着ですか?

作り手はその事を、問屋などの流通業者にきちんと理解させねばなりませんし、自らの作品に誇りを持たねばなりません。

その『想い』こそがコンセプトの源であり、それが波及して、作品づくり、流通業者の扱い方、消費者の見る目が変わっていくのです。

価値があるのは物である作品ではありません。

作品にこめられた『想い』です。

その『想い』こそがコンセプトであり、

『想い』は形がないから無限に広がるのです。

3−4メディアの選択

一週間お休みして、失礼いたしました <(_ _)>

<プロモーション・ミックスの構成要素>

プロモーション・ミックスとは

  • 広告活動
  • PR活動
  • 人的販売
  • セールス・プロモーション

                の4つのメディアの事を言う。

プロモーションのメディアを選択する際には、以下の3つの要件を考慮する事が必要になる。

  • プロモーションのメッセージは、多くの人々に確実に伝わらねばならない。
  • プロモーションのメッセージはターゲットとなる買い手に効率的に到達せねばならない。
  • プロモーションのメッセージを伝えるには、映像表現や音声、あるいは製品情報の詳細な提示が必要となる場合がある。

沖縄染織を考えたときに、どんなプロモーションが行われているでしょうか。

本土復帰30周年の時代を振り返って考えて見ましょう。

沖縄染織のプロモーションは必ず沖縄自体のプロモーションと共に行われます。

というより、沖縄への関心の高まりに乗っかるという形がとられています。

本土復帰30周年の時代もそうでした。NHKのちゅらさん等で沖縄への関心がたかまり、ビギンの『島ん人の宝』が大ヒットし、大沖縄ブームになりましたね。

復帰直後、10周年、20周年も同じようなイベントと共に沖縄ブームが演出されてきたのです。

30周年に向けては、様々な染織の写真集の出版、人間国宝の誕生があり、低迷していた和装市場において最大の目玉となったのです。商材に渇望していた和装市場において、話題性のある沖縄染織はもてはやされました。引き合いの増加に伴って、生産も拡大。どこもかしこも沖縄染織展という時代でした。美しいキモノやきものサロンという雑誌にも夏以外にも沖縄物は誌面を飾りました。

沖縄染織のプロモーションは必ず県がらみで、大沖縄ブームと絡んできました。沖縄染織が単独でブームを起こしたことはありません。強いて言えば民藝ブームとの連携時代でしょうか。

弊社の場合は、沖縄復帰直前、直後のブームの恩恵にあずかったのですが、古い社員に聞くと、まさに引っ張りだこで、展示会をするとすべて商品が売れて無くなる位の勢いだったそうです。

しかし、その勢いも永くは続きません。現在と同じように過剰に生産された品物は沖縄のあちこちにうずたかく山積みされたのです。復帰10年、20年と同じ事が繰り返されてきました。一時は県の農業団体?が品物を管理していた事もあると聞いた事もあります。

当時はまだまだ着物市場が大きかったので、なんとか消化できましたが、この30周年に起きた過剰供給・過剰在庫は未だに解決していません。

そして、もうすぐ40周年。またまた、ブームを起こそうという気配が感じられます。その第一弾が『テンペスト』あたりではないでしょうか。

ここで、またまた消費増大を当て込んで生産が拡大する事になれば・・・もう終わりです。

そう考えると、伝統工芸品そのもののプロモーションなどというものが本当に必要なのだろうか、と考えざるを得ないのです。

たとえば、一人の作家を強烈にプロモートしたとします。一時は売れるでしょうが、量産すれば必ず品質は落ちます。作家物というのは基本的に万人受けしないのですから、いずれ行き渡ります。売れ行きはピタッと止まる。その時、品質は落ちている。それを見越して生産調整をすればいいのですが、それは至難の業です。作家はいままでの所得を得ようとして別の販路を探すでしょう。品質の落ちた作品がどんどん拡散することになる。なんども言いますが、伝統工芸に於いて画期的な技術革新は望めません。作家の作風を大きく変えることも大変な困難を伴います。

沖縄染織の場合も、節目ごとの大ブームに乗っかることと引き替えに、多くの模造品を産みました。琉球びんがたは本物の方が遙かに少ないという状態ですし、花織やロートン織も沖縄だけの物ではなくなってしまいました。

染織品は綿、毛、絹を問わず、似たものを造るのはそう難しいことではありません。20年前に毛織物市場ではベネシャンという繻子織が大流行しました。いわゆるDCブランド全盛の頃です。でも、いまベネシャンを観る事も難しくなりました。猫も杓子もベネシャンを織ったからです。

着物市場でも、中国物ブームがありました。明綴れの帯や中国刺繍の着物はたいそうな高値で取引されていたのです。良いとなると、群がるのが商人の習性です。中国物は大増産と共に品質が低下しました。そして、最後は値の付かないところまで価値を下げ、どの商人も触らなくなって、市場からほとんど姿を消すことになったのです。

では、染織のプロモーションはどうすればいいのか。

大プロモーション→仮需の増大→生産の増大→品質低下→需要の行き詰まり→価値の低下→負け犬商品

となる、この悪循環を断ち切らねばならないのですが、どこで断ち切るかです。

生産が増大すれば品質は落ちるのですから、厳密な生産管理、適正な量の生産というのが何より大事であると私は思います。

それを基本にして、自分の思うところをブログに書いたり、雑誌に寄稿したり、取材を受けたりはとても必要な事だろうと思います。

しかし、それに伴う引き合いの増加に安易に乗ってはいけないのです。

はっきり言える事は、多くの商人にとって、作家は使い捨てでしかない、と言うことです。

こちらがダメなら、またあちら、あちらがダメなら、また別の作家・・・永遠に売りやすい、売れる作家を捜し回るのが商売人の性です。

自分で無名の作家を捜して育てるなんて言うのは希有な話なのです。

みんな、大きな流れに乗りたい、乗り遅れたくない、それだけです。

それに振り回されては、作家は自滅します。

ここに挙げたプロモーションの手法は、あくまで作家が自分の手で、作品作りを基本にして行うべきです。

そんなことより何より、信頼できる商人と確実なパートナーシップを持って、プロモーションの方針を伝え、ゆだねると言うことが一番大切で現実的なのではないかと私は思います。

第2章価値形成のマネジメント

2−1 製品サービスとは何か。

Navigationは飛ばしますね。

ここでのキーワードは『便益の束』ですね。

『便益の束』とは

消費者が問題の解決を期待する複数の製品・サービスの固まり

の事です。

『束』とは上手く表現していますね。

それで、

顧客とサービスの関係は、購買を行う前に製品・サービスの知識を得る段階から、使用した後に製品・サービスを廃棄する段階にまで及ぶ。

すなわち、顧客にとって製品・サービスとは、認知し、取得し、使用し、廃棄するものなのである。

ということは、買いやすさ、使いやすさ、使うメリット、あとのフォロー、捨てやすさまで、含めての『便益の束』だという事ですね。

ターゲットとする顧客は何を求めているか、競合他社はどのようなサービスを提供しているかといった問題を見極めながら、どのような『便益の束』を提供するべきかを決定していくのである。

じゃ、ちょっとケース・スタディしてみましょう。

宮古上布を題材に取りますね。

まず、宮古上布のターゲットは?

ん百万する盛夏用の麻織物ですから、もちろんかなりの富裕層の女性ですね。

かつ、着物が好きで、着る機会があって、自分で着れる人、という事になりますね。

宮古上布が消費者に与えられる便益とはなにか。

まずは、重要無形文化財としてのネームバリュー=所持する喜びでしょうね。

あとは、涼しいこと。

三世代、100年は着用できると言う信用。

その他は?

基本的に針の穴ほどのマーケット・サイズですから、露出が高い必要はないと想います。

それで、例えば、宮古上布が欲しいという消費者が呉服屋さんの店頭に現れたとします。まぁ、たいていは在庫などないでしょうね。琉球染織展なら、おいてあるかもしれない。

でも、重要無形文化財の宮古上布となると、藍の十字絣のみですね。それなのに、たいていは会場に1〜2反あるかないかでしょう。

これは、選択する、見比べて楽しむ便益を阻害している事になります。

お求めになって、着用いただければ満足されることでしょう。

宮古上布は麻織物ですから、シワになります。

着用すればシワになる。これは至極当然の事です。

そして、だんだんとクタクタになってくる。

これを直すにはどうしたらいいですか?

夏にクタクタの着物を着ていたら、いくら宮古上布でも清涼感は半減ですよね。

真夏は良い着物をピシッと着て居てこそ美しい。

キネタ打ちをし直したら直るんじゃないですか?

そんなこと、呉服屋さん、知ってますかね?

そんなサービス、宮古上布の産地として提供する体制はありますかね?

私達、問屋の在庫も、だんだんと反末がクタりかけてきます。

ん百万もする着物が、あとのフォローが無視されているんです。

すくなくとも、万全の体制をとっているとは思えません。

それと、消費者の他に、もう一つ問屋という客がいますよね。

問屋は在庫を抱えて、小売店の店頭や催事に宮古上布を持って行くわけです。

高価な夏物ですから、そうそう簡単には売れません。

そのうちに、反物を入れてある紙箱がボロボロになってきます。

ん百万する着物がボロボロの紙箱に入っていたら、それはまずいのです。

高級品は高級品なりのパッケージも必要です。

木箱にするだけで、長い流通に耐えることはできるし、値打ちもあがろうというものです。

和装業界が長い流通で、消費者の顔が見えにくいことに問題があるとは想いますが、見ようともしないことは大いに問題だと想います。

『サービスの束』が、高級品にしては細すぎるという事です。

宮古上布のイメージ作りも必要ですし、やることはいくらでもあります。

それを今までは問屋が肩代わりしてきたのですが、これだけ沖縄物が世の中に出回った後では、本気になって肩入れしてくれるところは、おそらく出てこないでしょう。

売れなくなったら、ポイ、です。

ポイされた今、ものづくりの命をつないでいくのは、作り手しかいません。

あるいは、宮古上布を誇りに思う宮古島の人でしょう。

大々的なキャンペーンなど必要はないのです。

問屋や小売店が安心してお客様にお勧めでき、消費者の方が満足と信頼を持って着用を重ねられる体制を作る事が作品の品質とともに重要な束の一つになると私は思います。

いまの、伝統染織はつくることにあまりにもかまけていた。

製品の周りにあるサービスも、品物のうちだとの意識改革を早急にしなければなりません。

2−2新製品・サービスの開発プロセス

  • 優れた技術を開発することと、それを製品・サービスとして市場に送り出すこととの間には大きなへだたりがある。この両者の隔たりを埋めるのが、新製品・サービスの開発プロセスである。

まぁ、簡単に言えば、新しい技術をどうやって、実際に役立つものにするか、生活を豊かにするものにするかを考えるということですね。

たとえば、口の中でサクランボの軸を結ぶ事ができるとしますよね。それだけでは、すごーい!で終わりです。この舌のこまやかな動きを何に役立てるのかを考えるのがサービス開発のプロセスということです。何に役立つのか知りませんが(^^;)

図2−3に新製品・サービスの開発プロセスが書いてありますね。

  • アイデアの創出
  • コンセプト開発
  • 技術・収益性計画
  • 製品・サービス設計
  • 要素技術開発
  • 工程設計と生産準備
  • 市場導入

このプロセス全体を通じて、マーケティング・ミックスと連動して行くということです。

今回は南風原の絣をテーマにして考えてみましょうか。

  • アイデアの創出

 ここで行われるのは、いわゆるマーケティングリサーチというやつですね。雑誌やアンケート、業者間の情報などからアイデアを得るわけです。

この過程を通じて、『もっと安くて普段に気軽に着られる絣を作ったらどんなかね?』と思いついたとします。

  • コンセプト開発

簡単に言えば、『普段に気軽に着られる』というのはどういう事で、現実にどんな風に着てもらおうとするのか。

つまり、生みだそうとする製品がどんな『ライフスタイル』や『生活シーン』を提案できるのか、ということです。

それで、『普段に気軽に着られる』というアイデアをコンセプトに変換すると、

  • 家庭で洗える
  • 安価である
  • ケアに手間がかからない
  • 洋服の中に入っても違和感がない
  • 目立たない

などがあげられるのかと想います。

  • 技術計画と収益性計画

まぁ、こんなのは当たり前の事ですわな。

そのコンセプトを現実に形にするための技術があるのかどうか、そしてそれが、そろばんにあうのかどうかを考えるということです。

コンセプトを形にする為に、例えば『綿糸』を使うとしましょう。

南風原で綿を栽培して紡ぐなんてことはできませんし、当然コストも合わない。

綿を織る技術はありますね。綿糸を買えばなんとか南風原の中では染織は可能です。

次は、それが採算に乗るかです。

P39に出てきている製品コンセプトと連動する『ターゲット』『ポジショニング』はここで必要となってきます。

ここはポイントですよ。

いろなマーケティングミックスや開発プロセスの構成要素がありますが、それが登場してくるのは、いつどんなときか特定できないのです。それを考えつくのには『経験』と『情報』が必要です。

今回の新製品は安価なものですから、いままでの絣を買っていた人よりも所得の低い層を狙っているわけですね。

市場価格で仕立て上がって10万以下という感じでしょうか。

ポジショニングというのはその製品が市場の中でどんな位置をしめるかという事ですね。要は、『その製品の存在価値』の置き所という感じです。

縦軸に価格、横軸にフォーマル→カジュアルと取り、市場を割っていくと、

新しい製品は、低価格でカジュアルの右下の方に位置します。

いままでの絣から価格帯として2段階下げたものと位置づけるとします。

その周りにある商品群はなにか?

10万前後のカジュアルの着物・・・

手織りではありませんね。案外この部分の手織り製品はありません。

ということは、もしかしたら存在価値があるかもしれない。

それで、綿糸を手でかすり括りして、手織りで織って、市場価格10万でいけるのかどうかです。

無理ですね。

いくら大量生産して、効率を上げても無理だとします。

南風原の絣として伝統工芸品となるためには手投げヒを使わないといけません。

ここは、崩せない要素です。

ということは、絣を減らす、経絣だけにする。あるいは縞にする。

これでどうですか。

また、色を規格化して、5色にしぼって、大量に糸染めをする。

悪知恵ですが、糸の染色は外部委託する方法も考えられます。

それでだめなら、ポジショニングとターゲットを変えるのです。

現実とすりあわせしながら、市場における製品の位置を変えて試してみる。

この作業を繰り返していくのです。

  • 設計から試作・生産へ

上のようにして考えたプランを現実に形にしてみる作業です。

ここで、本当に実現可能なのか、できあがった商品を見て、競争の中で勝ち目があるのかどうかを、現実の問題として考えてみるのです。

できあがった、シンプルな綿の絣あるいは縞のきもの。

これが10万円で消費者に受け入れられるのか。

ここでも必要なのは、『経験』と『情報』です。

いままでは、問屋がこの二つを提供する機能を担ってきました。

いわば、作り手は市場活動において受動的な立場であったわけです。

作品づくりは能動的であっても、市場においては、問屋や消費者に選別され、指図されるだけの存在であった、それが現実の姿です。

しかし、これからは、自らの手で斬り込んでいかねばならない。

問屋が『こんなの作ってみたら』と言うのを『イヤ!』とか言っているのではなくて、自分で納得して自分らしさを市場の中に押し出す知恵を得る。それがマーケティングなんですね。

生産活動と市場活動は重なってはいますが同じではない。

市場を見ない生産活動は、闇雲にトロール漁船を出してエチゼンクラゲを捕っているようなもんです。

話はそれましたが(^^;)、糸や機に向いている目をほんの20度ほど上にあげて、市場を世の中を見てみる。これがマーケティングマインドの導入です。

  • 市場導入

この段階で、最終的に市場に投入されるわけですが、マーケティングはここでも終わったわけではありません。製品の売れ筋や売れ行きを見ながら、修整を加えてかねばなりません。マーケティングとは市場との会話です。同じ綿の絣でもどんな色がよく売れるのか、どんが柄が好まれるのか、季節によってそれは違うのか、もうすこしターゲットを高所得者層に変えてみようだとか、案外年配者が若向きの色を買っているから、それに向く色を増やしてみようだとか、いろいろ市場が教えてくれるわけです。そしてそれをまた上記のプロセスで組み立て直してみるわけですね。

作り手の中には、『私は作るのが好きでやっているのであって、売れても売れなくても良い』というなら、それはそれでいいのです。それも工芸家としてあってもよい姿勢です。ただ、マーケティングの発想法は染織家として食べていけるようになりたいと言う人の助けになるだろうと想います。また、売れない事を他人のせいにしている人には、自己を分析し反省する材料を提供するものともなるはずです。

大切な事は、作っている作品は消費者に着てもらって初めて命を得るのだという事です。いくら織ったり染めたりしても、着てもらわない着物は彫っただけで魂の入らない仏像と同じです。それはそれで観賞用として存在価値はあるけれども、本来の価値は発揮されないのです。

要は、自分の価値観・美意識の中で作り出された作品にどうやって『命』を吹き込むか、その作業工程と発想法がマーケティングなのだと考えたらいいと想います。

ただ、売り込むのでもなく、市場におもねるだけでもない。

自分を、そして自分の作品を正しく評価してもらうために工夫する術なのです。

2−3アソートメントのデザイン

アソートメントというのは簡単に言えば品揃えとかラインナップという意味ですね。

『製品・サービスのアソートメントは、企業が扱っている製品・サービスの「ラインの数(カテゴリーの数)」と、各ライン内の「アイテムの数」とによってとらえる事が出来る。前者を製品・サービスの「ラインの広がり」、後者を製品・サービスの「ラインの奥行き」という』

このテキストではトヨタ自動車が例に挙がっていますが、これはちょっと微妙なんですよね。

なぜかというと、市場におけるその会社の位置づけによって、アソートメントの戦略は変わってくるからです。

これを『競争対抗戦略』と言いますが、企業を市場における位置づけで四つに分類して、その戦略を類型化する考え方です。

目次を見てみると、この事はテキストに掲載されていないようです。

私が大学時代に学んだのはこのテキストの著者の一人で、村田ゼミの先輩である嶋口充輝さんが書かれた『戦略的マーケティングの論理』という本です。

アマゾンで中古本が売ってますから、良かったら詠んでみてください。

ここで、簡単に説明しておきますね。

企業は、市場における位置によって、リーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーの四つに分けられます。

それぞれの戦略的特徴は、

  • リーダー[オーソドックスな戦略]

全天候型戦略

市場シェア、利潤、名声を追求する

  • チャレンジャー[差別化戦略]

経営資源ではリーダーに劣るが同一市場を狙う

リーダーに対する徹底した差別化戦略

リーダーに取って代わることを狙う

  • フォロワー[模倣戦略]

リーダー、チャレンジャーが争っている部分を避け、二次市場、三次市場を狙う

リーダー・チャレンジャーの模倣戦略

  • ニッチャー[市場特定化戦略]

特定市場部分にのみ経営資源を投入し、そこに独自能力を集中発揮するゆえに、利潤と名声を得つつ、相対的にかなりの強みを有する。

私の場合、この市場対抗戦略のモデルが自らの戦略を練る上での土台になっていますね。

かつての自動車市場では、リーダーがトヨタ、チャレンジャーが日産、フォロワーがマツダ、ニッチャーがホンダと言われていました。

今はずいぶん違いますがね。

今は、リーダーはトヨタで変わりませんが、チャレンジャーはホンダ、日産はニッチャーになっているという感じでしょうか。

この類別は市場シェアと連動する場合が多いですが、必ずしもそうとは言えません。そこが面白いところで、家電なんかはどうでしょうね。

リーダーがパナソニック、チャレンジャーがソニー、フォロワーが東芝・日立、ニッチャーがシャープでしょうか。

お菓子とか清涼飲料水とか、当てはめてみると面白いですよ。

それで、肝心の染織の世界はどうか。

これは、小売店や問屋の世界で考えるとわかりやすいのですが、差しさわりがあるので、やめときます (^^;) 自分で考えてみてください (^o^)

産地別で考えてみましょう。

織物はわかりにくいので、染め物で行きましょうか。

リーダーは圧倒的に京都ですね。

チャレンジャーは・・・不在です。

フォロワーは十日町

ニッチャーはその他、東京、金沢、そして沖縄です。

ニッチャーの戦略はどうでしたか?

特定市場部分にのみ経営資源を投入し、そこに独自能力を集中発揮するゆえに、利潤と名声を得つつ、相対的にかなりの強みを有する。

ということです。

いいですか?

独自能力を集中発揮するゆえに、かなりの強みを有するのです。

すなわち!

フォロワーの様な模倣戦略をとっては、市場において存在価値を失うということです。

フォロワーである十日町の戦略はどうですか?

京都の模倣を基本にした、低価格路線です。

これが、分業されていない加賀友禅や紅型で可能ですか?

ニッチャーの戦略は簡単に言えば、すき間戦略です。

京都がやらない、やれない部分に集中して強みを発揮するのです。

ということは、京友禅とは存在領域を分けるということです。

ですから、沖縄は沖縄のよさ、金沢は加賀友禅独特の良さを、最大限に発揮するための努力をすべきであって、京友禅の美意識にすり寄ることは、埋没を意味するのです。

美空ひばりがどんなにうまくても、カンツォーネではミルバに勝てっこないのです。

京風の紅型がいいなら、京都の人が紅型をやるでしょう。

京加賀が本加賀に勝てないのは、金沢の人の持つ美意識に加賀友禅が合っているからでしょう。

紅型だって同じです。

ですから、沖縄は、京都の後追いや模倣をしてはなりません。

あくまでも、独自性を追求することこそが生きる道であると考えるべきなのです。

商品のアソートメントもそこから考えなければなりません。

紅型の強みはどこにあるのか。

キモノなら留袖、振袖、色留袖、訪問着、付下げ、小紋とあります。

そして、帯ですね。

そして、小物。

どこに、どう使ったら、紅型のよさがきわだつか。

その特性を踏まえることがアソートメントを考える一番の基本だと想います。

2−4 価格の役割

  • なぜ価格のデザインを行うのか。

おもしろくなってきましたね(^o^)

ポイント

  • いかにすぐれた製品・サービスであっても、適切な価格で提供しなければ、買い手は購買しようとしない。
  • 価格の設定を通じて、製品・サービスに対するプロモーションの効果を高めたり、取引条件を改善したりすることもできる。

『価格とは、製品・サービスを購入する際に、買い手がその対価として支払金額のことである』

『価格デザインの中心的な問題は、製品・サービスの価格をどの水準に設定sるかという問題である。生産に同じ費用を要する製品・サービスでも、価格を高く設定した方がよい場合もあれば、低く設定したほうが良い場合もある』

ここは大きなポイントですね。

大切な事は、価格をかかったコストにもたれて設定してはいけない、ということです。

これは『芸がない』と俗にいいますね (^o^)

価格とは、製品やサービスの対価として支払う金額の事なのです。

生産から流通に渡るコストや利益の累計ではない、ということです。

つまり、結果として『価格は消費者が決める』

もっと簡単に言えば、『価格を受け入れるかどうかは消費者次第だ』ということですね。

世の中には価格に対して『良心的』とか『リーズナブル』という言葉がよく使われます。

でも、現在においては価格は決してリーズナブルではないし、社会的に見て良心的なものが中心となって動いてはいません。

着物に関しては原価を下回っているものもあるし、それが結果として生産者を苦しめています。

これはリーズナブルでも良心的でもありません。

しかし、消費者が受け入れた価格がその商品の価格であると、結果的にはなってしまいます。

消費者は受け身であるけれども、主導権を持っていると言うことです。

求婚と同じですね。

男性がプロポーズしなけば、女性が受け入れるということもない。

では、男性が決めるのかといえば、決めるのは女性です。

男性は事前にいろんな手段を講じて、女性にイエスと言わせる下ごしらえをします。

悪く言えば包囲網をかけていく。

でも、男性がどんなに自信があって、社会的に価値ある人だとしても、求婚を受け入れるかどうかは女性の判断にまかせるしかしょうがない。

これが自由競争というものです。

なかには、半ば強引にというケースもあるようですが・・・ (^o^)

大きく横道にそれましたが、

つまり、価格は消費者が受け入れた時点で確定するけれども、流通が提示しないことにはその実現は無い、ということです。

いまの呉服業界はどうでしょう。

完全なる価格崩壊です。

着物ファンにとっては、嬉しいことかもしれません。

しかし、私は、これは将来に禍根を残す業界の大失敗だと想います。

バブル崩壊から、金融危機、つい最近のリーマンショックと着物の価格は、まるで下りのエスカレーターのように右肩下がりを続けてきました。

これは、着物は高いから売れないのだという声や、過剰生産のはけ口を求めた事など、様々な原因があります。

でも、基本的に着物市場の需要が絶対的に減少したのだという理解が全く不足していた事が原因ではないかと思います。

その上に、ネット販売の拡大や、NC(大手チェーン店)の過量販売によって信販がくめなくなったのも大きな原因でした。

でも、このままの状態では、新たな生産が出来ません。

コストが全く見合わないからです。

なぜ、こんなことになったか?

流通が市場を無理に広げすぎたからです。

それも、莫大な借り入れをして、市場をこじ開けたために、販売縮小ができなかったのです。

なぜ、そんなことが出来たのか。

それは、低金利政策のおかげです。

でも、状況は一変した。

低金利政策で金は借りやすくなったが、金利所得で贅沢品を買う人が減った。

その分、ローン販売で裾野を広げてきて、成功したのですが、そのローンが組めない。

信用と、利潤と、作り手の将来と・・・

価格政策の失敗はあらゆる物を破壊してしまいます。

伝統工芸においては、画期的な技術革新は望めません。

大増産してコストを下げても、それを受け入れるだけのマーケットも無いのです。

伝統染織の世界は、作り手も流通も犯してはならない罪を犯した、と言うしかありません。

とても残念ですが、認めねばならない現実です。

その落ちた価格から、どうやって元に戻して、作り手が生活していけるレベルに戻すか、それを考えなければいけません。

限定的ですが方法はあります。

消費者の方からよくお聞きする話は、問屋や小売店が利益を取りすぎだ、という事ですが、これは現状では正しくないと想います。

結果として、消費者の方は産地まで直接買いにおいでにならないし、直接消費者に売る作り手は流通が相手にしなくなります。いつお越しになるかもしれないお客様を待って作るほど、作り手はのんきでも裕福でもありません。もちろん、限られた人はやるでしょうが、業界全体としては現状では非常に困難です。

価格を下げて品物を出した作家が同種の流通から締め出されるという例は枚挙にいとまがありません。それは、いろんな理由がありますが、流通が悪いともあながち言えないのです。現状では、作り手の安定した制作と生活の為には流通の役割は無視できないという事だろうと想います。

優秀な流通ほど、価格動向をきちんと見ているものなのです。

そして、価格が品質と同じくらい店の信用を担っているというのも事実なのです。

価格に関しては、現在のところオープンプライスですが、作家は自分の作品の希望小売価格を設定してみるべきだと想います。

例えば着尺を100万円で小売して欲しいと想えば、各流通段階にいくらで出せばいいのかが算出できるはずです。自分の希望する流通ルートの設定もできるはずです。問屋を通すのか、問屋を飛ばして小売りに自分でアタックするのか。その両方なのか。流通のどの部分に商品を流すかによって作家出しの価格を決めればよい。それを一緒くたにするから、おかしな事にもなるのです。作家が自分で流通政策を決めて、価格をコントロールする。これは永く仕事をしていく上で、非常に大切な事です。

価格が壊れるのは、作り手の流通の無理解や、流通の市場無理解が原因です。

産地とつながらない個人作家なら、個人が壊れるだけですみますが、産地がバックにある伝統工芸の場合、産地と歴史が壊れてしまいます。

価格政策は大所高所に立って、将来、道を継ぐ人たちのことも考えて、あくまでも長い目で行わなければなりません。

  • 『安さ』の魅力

ここでは本文よりも、コラムに書いてある『ロス・リーダー』(目玉商品)について考えてみたいと想います。

『製品・サービスの価格は一般に、生産や調達に必要とされるコストを回収できるように設定される』

これが大原則です。

でも、それを下回って出てくる品物があります。

これがいわゆる『目玉商品』です。

スーパーのチラシなんかにデカデカと出ている品物です。

卵10個で10円とかいう、あれですね。

これが、着物市場にまで入り込んでいます。

人間国宝の帯と着物で○○万円。

えっ!? です。

これを客寄せに使って、他の利益をたっぷり載せた商品でもうけようという戦術ですが、これが破綻しています。

いま、結果として、目玉しか売れなかったという話を良く聞きます。

それは、小売りや問屋が損するだけで済みますが、もっと大きな問題があります。

目玉は、低価格のイメージ効果が出やすい物が対象になりやすい。

沖縄の物でいえば、芭蕉布なんかがそうですね。

一般的に非常に高価で、希少性も高く、ネームバリューもある。

しかし、作家の格(ランク)と価格は正比例していないと、正常な市場は形成されません。

簡単にいえば、同じ産地の物で、人間国宝が作った物と、芸大出たばかりの新人が作った物とでは厳然たる価格の差がなければ、市場の天井は落ちてしまって、市場全体が壊れてしまいます。

プロ野球の世界で年俸が永く低く抑えられていたのは、王・長島が年俸闘争をしなかったからだと言われています。落合が天井を上げたからいまの一億円プレーヤー乱立という時代になったわけです。

ところが、人間国宝の作品が、中堅どころの作家の価格より安くなったらどうでしょう。

具体的には、人間国宝の作品が10万円で出されているときに、中堅は7万、若手は5万で出ていたのが、人間国宝の作品が5万で出るようになった。あるいは、人間国宝自体が出し値を下げた。

中堅は5万、若手は3万・・・

これでやっていけると想いますか?

工芸のトップにいる人は、強烈な自覚を持たねばなりません。

トップの人が高い値段を通しているのは、窮地に陥ったときでも、値段を崩さないための保険だと想うべきなのです。

自分の作品の価値だと思い上がってはいけないのです。

トップに君臨する作家は、絶対に天井を下げてはいけない。

安く売る流通があったら、そこから品物を引き上げるくらいの覚悟をしてもらわなければいけませんし、そのために、それまで高い価格で通してきたのです。

値段が通らなければ、品物は出さない。

それが、王座に座る物のプライドでありましょうし、将来を担う人たちへの責任です。

誰だってお金は欲しいし、豊かになりたい。

そして、現実に生活をしていかねばならない。

だからこそ、価格政策においては、自我を抑制し、周りをよく見て、また、自分の立場を十分にわきまえて、判断すると言うことが必要なのです。

2−5 戦略的な価格デザイン

ここは本当に面白いですし、生活の中でも、実感できる部分が多いのではないでしょうかね。大半の話題は教科書を読めば解るでしょうが、少しずつみていきましょう。

<需要の価格弾力性>

価格弾力性というのは経済学の用語です。

つまり、なんぼ値段あげたら、どんだけ需要が増すか、そういう話です。

値段さげても、大して売り上げ上がらないのに、値段さげてもしゃーないやん。

下手したら、かえって売り上げ落ちたやん。

そんな話がよくあります。

これはその商品が価格弾力性が低いから起こることです。

ですから、価格を下げるときには、結果として絶対に成功させなければならないと言うことです。

私は、下げて、売れなかったら、商売人として恥や、と思っています。

なぜか?

自分の扱っている商品の特徴や市場の特性を把握していなかったということになるからです。

これは、経済学とマーケティングを学び、商人として生きる者には、耐えられない屈辱です。

まぁ、自分の事は良いのですが(^_^;)、教科書に書いてある通り、値段をあげたら逆によく売れる様になった、という場合もあるのです。

ここが面白いところです。化粧品や健康食品なんかはそういう傾向があるそうですね。

これは『価格に依拠した価値の推定』がされていると判断するわけです。

つまり、こんだけ高かったらよう効くやろ、と考える、ということです。

教科書に書いてあることは、実はマーケティングという学問の本質を表しています。

経済学では、変数として取る物以外を一定と考える。そしてその変数の相関関係を考察していくわけです。

でも、マーケティングは、その変数から数式やらを、まわりの別の要素を使って揺り動かしてやろうとするのです。

経済学的に言えば、良い食材を使って良い料理人が調理すれば、美味しいものが出来ると考える。でも、マーケティングは、その前に、食べる人の好みや、空腹感、料理を出すタイミング・組み合わせで、その前提を突き崩そうとするのです。

ここで、ポイントです。

  • 一般に、短期的には、価格を引き下げることで製品・サービスの販売料は増える。だが、長期的に見ると、価格の低下は、製品・サービスに対する顧客の評価を低下させることになりやすい。製品・サービスの価格を設定する際には、短期的に直面する需要の価格弾力性だけでなく、価格に依拠した価値の推定から生じる長期的な影響についても配慮することが必要である。

基本中の基本ですね。

昔、ヒロタのシュークリームというのがありました。

とても美味しいシュークリームで、幼い頃に両親がお土産で買ってきてくれるのが楽しみでした。ところが、あるところから、値段を下げた、ところが、その分、小さくなって、カスタードクリームの量も減って美味しくなくなった。

そんな経験を誰しもがしているわけですね。ですから、値段が下がったら、その分、品質も悪くなっているんではないかと、誰もが疑心暗鬼の眼を向けるわけです。そして、誰も買わなくなって、ヒロタのシュークリームはどこかに消えてしまいました。

この価格に関する話は、主婦にとってはとてもわかりやすい事だと思います。

それだけに、いかに価格戦略というものを企業は綿密に多角的に取っているかがよく分かるでしょう。

反面、私達和装業界はどうでしょう。

伝統工芸には、技術革新もなく、デザインの大幅な変更や、新たな用途の提案などはほとんど望めません。その中で、あるときはぼったくり、ある時は投げ売り。これは、マーケットインでもなんでもありません。安定した需要は安定した供給とそれにともなう安定した価格があってこそ生み出されるものだと私は思います。

私は街を歩くとき、すべての商品(もちろん和装品以外も)の価格をあてっこして行きます。商品を見て、その商品の価格を当てるのです。そして自分の商品を見る目と価格感覚を養い、世間とのズレを修整していくのです。

デパート、スーパー、大阪なら船場センタービルなどで、どんどん端から端までやっていく。

もちろん、高級とされる着物も宝石も、美術品も。

なんのためにするかといえば、適正価格を導き出すためです。

それが出来ないと、仕入れが出来ないのです。

作家さんが出した作品を見て、それがいくらで売れるか。

作家さんが提示した値段を聞いて、それで採算がとれるのかどうか。

そのためには、その時点での市場動向と、他の同じ分類の商品とのバランス、品質、デザインなど、ありとあらゆる要素を考え合わせて仕入れするかどうか判断するのです。

ですから、新人作家でも、人間国宝でも、バランスさえ取れていればOKなわけです。

新人でも、すばらしくセンスが良い、価格は中くらい。これならいけます。

人間国宝で価格が高い。でも、センスが悪い。これはいけません。

価格など他のマーケティング・ミックスを考えるときに大切な事は、

一度プロの世界に入ったら、新人も人間国宝も同じ土俵で戦うのだという認識

を持つことです。

消費者は、新人だからと甘く見てくれません。

序の口が横綱と戦うときにどうすればいいのか。

相撲の世界なら、胸を借りるだけでいいでしょう。

でも、私達の世界は負け続けでは、食べていけませんよ。

才能と努力に自信があるなら、Productの差を他の3Pで補うことです。

同じProductでも、低いPriceなら勝てるかも知れない。

別のPlace,別のPromotion.

対象顧客を変えれば観る人も変わる。評価する人も変わる。

造らなきゃ、腕は上がらないし、買ってもらわないと、仕事は来ません。

ゴルフの様にハンディはありません。

今回の価格戦略をはじめ、マーケティングを自分の制作や販売に生かすためにはできるだけ沢山のパターンを頭に詰め込むことです。

この章に書いてある事例を理解するのはもとより、他の身の回りにある商品の戦略を自分で分析して当てはめてみる。

そうすれば、自分の作品に一番適する戦略が描けると思います。

その時、考えなければいけないことは、自分がどの立ち位置に居るかです。

創作なら何をしてもいいでしょう。

でも、伝統工芸に立脚しているとしたら、それは自分の前と後にいる人の事を考えなければならない。

そこが染織マーケティングを考える上での根幹です。

なぜ、和装業界が現在のていたらくなのか。

それは、作品を大して知らない、愛していない流通がマーケティングをコントロールしているからです。

それは販売が難しいという商品の特性にも起因していますが、基本的には作品のマーケティング・デザインは作り手が主導すべきだと私は思います。

作り手は、品物を問屋に出せば、それで終わり、これでは、せっかくの作品が菜っ葉や大根の様に扱われても仕方がないのです。

今や、菜っ葉も農家が色々工夫をして、味だけでなく安全と安心を、自分の顔と名前でアピールしている時代です。

一番、生活に密着したマーケティング。それは価格戦略です。

まずは、身の回りから見て、じっくり考察してみましょう。

第1章 市場を作り出す企業活動

『高度な技術を確立すれば、あるいは優れた製品を開発すれば事業は成功する』という思い込みを脱することが、マーケティングを理解し、実践するための第一歩である。

作り手にとっては厳しい言葉かもしれませんが、これが真実です。

世の中には、作品はたいしたことないのに、有名で、作品も高値で取引されている作家がいます。

いうなればこの人たちは、マーケティングで食べているのです。

専門的にみれば、たいした技術でなかったり、品質に問題がある作品でも、その作家にたいしてもたれているイメージが、その作品に載っかっているわけです。

その人たちに対して私は良い感じをもってはいませんが、評価すべきは自分の土俵をきちんともっているという事です。

この土俵が、後に述べられるであろう『戦略ドメイン』です。

自分が得意とする作品のイメージに合わせて自分自身の人間性のイメージを作り上げているのです。

こった作品やいままで無かった技法を使って悦に入っている人を多く見ますが、私はわざと冷淡な態度をとります。

そんなものは売れるための要素にはあまりならないのです。

技術革新の無い伝統工芸の世界で、いかにマーケティング戦略を組み立てるか。

その手法の基本になるのがここに書いてある4Pであり、マーケティング・ミックスです。

1−1 マーケティングの役割

ここに書かれている事例は

NTTドコモが広告・パブリシティ戦略
3.5インチドライブは競争対抗戦略上のニッチ戦略
カップヌードルはライフスタイル戦略

という基本的マーケティング戦略で説明できます。

なぜ、この事例がここで書かれているかというと、この本を書いている学者からみて、戦略が見えているからです。

という事は、戦略を知っていれば、問題点にも気づくし、対応策も組み立てられるという事です。

事例を読むと、なんだ、染織にはあんまり当てはまらないのじゃない?と思うかも知れませんが、それは違います。

染織において、自分の得意技や生存領域ごとに戦略は変わってくるのであり、できるだけ多くの事例を頭にたたき込んでおくことは、絶対に無駄にはならないのです。

著者たちはいろいろ言っていますが、結局マーケティングとは『いかに相手を自分の土俵に引き込むか』なんです。そして、『自分の土俵をどこにどう設定するか』です。

上の三例だけでも、結構参考になりますよ。

染織の世界でいえば、広告・パブリシティのうまいのは志村ふくみさんでしょうね。

ニッチ戦略といえば、琉球染織自体がニッチですが、花倉織をナイチャー独特のセンスで作り続ける伊藤峯子さんなんかは、それでしょう。

ライフスタイル戦略は、西表で自然と共生しながら作品づくりを続け、伝統衣装のスディナを提案する石垣昭子さんにはそういう感じを持ちます。

自分の身近にいる作家さんがどんなパターンに当てはまるのかを考えてみることも非常に勉強になります。その中で、自分はどの道を選ぶのか。

そのためには、まず自分を知ることと、自分を持つことでしょう。

マーケット・インとは市場に迎合することではありません。

市場を作り上げることです。

そのためには、大きな力が必要です。

小手先の戦略では、『マーケティング・マイオピア』に陥ってしまいます。

1−2マーケティング・マネジメントの基本的枠組み

ここではマーケティングの基本的概念について書いてありますね。

マーケティングとは企業が顧客のとの関係の創造と維持を、さまざまな企業活動を通じて実現していくこと。

と書かれています。

そしてマーケティング・ミックスとはProduct(製品)、Price(価格)、Place(

流通)、Promotion(販売促進活動)の4つのPを交えて構成される戦略であること。

マーケティング・マネジメントとは、

内的に整合性がとれていると共に、外部環境とも整合的なマーケティング・ミックスを実現するためのマネジメント・ミックスを策定するとうのが、その基本的枠組みである。

ここで4Pについて事例が書かれていますが、これがマーケティングに対する誤解を招く原因かもしれませんね。

著者は、誰もが知っている会社の一般に知られている成功例を挙げて、理解しやすくしているだけのことだと理解すべきで、マーケティングが大企業による大量生産商品のみを対象としている、というのは大いなる誤解です。

マーケティング戦略は、規模の大小を問わず、また扱う品物の如何を問わず、普遍的に通用する考え方だと想います。

では、既存の染織品について4Pを元に分析してみましょう。

ここでは久米島紬を例に挙げます。

<久米島紬のProduct>

  • 日本の紬の源流と言われる織物である。
  • 重要無形文化財に指定されている。
  • 久米島で採れる植物染料で染められれている。
  • 泥染めは特に有名で大変な手間を掛けて制作されている。
  • 手織りである。
  • 久米島の特産品である。
  • 沖縄県の中では生産量の多い産地である。
  • 御絵図帳をもとに作られた貢納布が存在した。
  • 品質にはばらつきがある。
  • デザインや品質は作り手に任されている
  • 製品の半分は泥染め(黒)である。

<久米島紬のPrice>

  • かかる手間と比較すると産地出し価格は安い。
  • 製品の優劣と価格が正比例していない。(良い製品が高いとは限らず、粗悪品が安いとは限らない)

<久米島紬のPlace(流通)>

  • 大部分が組合を通って流通している。
  • 組合からさらに、地元の問屋や内地の問屋を通り、小売店にわたるという経路を取る。
  • 小売店はほとんどが委託販売を行っている。
  • 通常、店頭に並んでいる事は少なく、織物の特集や、沖縄物の特集として出品される。
  • 地元における需要はほとんど見込めない。

<久米島紬のPromotion(販売促進)>

  • ゆいまーる館で、見学者を受け入れている。
  • 展示会の時に、産地から実演や販売応援にでる。
  • 販売促進のほとんどは流通業者が行っている。
  • 地元での販促は組合にゆだねられていて、作り手の自由にならない。

こうやってみていくと、Productは充実していて、Priceも競争力があるのに、PlaceとPromotionが極端に弱いことが解ります。

着物の場合、このPlaceとPromotionを請け負っているのは流通業者なわけで、大手製造業とは根本的に違う部分です。

問題はどこにあるのかというと、この流通業者は、沖縄を専門にしているわけでも、沖縄に特別に精通しているわけでもない場合が多いという事です。

少し前までは実名をあげて恐縮ですが『染と織 琉藍』という会社が沖縄の専門問屋として流通と販売促進を担当していました。

琉藍さんによって、流通量は拡大し、それに伴って生産量も拡大しました。それは大手問屋との取引、NHKなどのマスメディアや写真集の発行などでの、強力なプロモーションが仕掛けられたことで、久米島紬をはじめとする沖縄染織は隆盛を見たのです。

その反面、肝心のProductはどうなったでしょうか。

琉藍さんがかつての勢いを無くして、二つのPが弱くなり、重要無形文化財指定による値上げでPriceも競争力を低下させました。

ここ10年ほどの沖縄染織の動きを見ていくと、琉藍さんによるPlaceとPromotionの圧倒的な力で、市場に押し込んできたと考えるべきなのです。

そこは真摯に反省しなければなりません。

伝統工芸においは新しいProductや技術革新は望むべくもありません。

そんな世界で、強烈で突出した流通拡大と販売促進戦略をとればどうなるか。

後で学びますが、マーケティングには『製品ポートフォリオ分析』という手法があります。教科書では160ページから書かれています。

市場の成長率を縦軸に、市場シェアを横軸にとり製品を金のなる木、スター、負け犬、問題児に分類するのです。

大手製造業の場合は、このポートフォリオ上での製品の位置を確認して、新しい製品を生み出していき、経営の安定化を図るのですが、伝統工芸の場合はそうは行きません。

この市場成長率が低い市場で、市場シェアも低く技術革新も望めない製品群のものを市場に大量に詰め込めばどうなるか、それは明らかだったのです。

ですから大切な事は4つのPを統合的に考えることなのです。

どれか一つが突出したり、製品にあっていなかったりすれば、帰って商品のライフサイクルを短くしてしまいます。

久米島紬などの伝統染織の場合、4Pのうち基軸になるのはProductであるはずです。惜しむらくは琉藍さんの制作はあまりにもPlaceとPromotionが突出していたし、久米島紬の特性には合っていなかったのではないかと想います。

製品や企業の特性によってどのPを戦略の柱にするのかは違ってきます。

しかしそのPがほかの3つのPを制御するのではない、ということです。

あくまで、どれが牽引するかです。

伝統工芸の場合、他に変わり得る製品がないわけですから、あくまでProductを中心として、その競争力を高めていくことが必要なわけです。

それを誤ると、伝統工芸そのものを破壊してしまいます。

洋酒などは、かつてのサントリーが巧みなCM戦略で新たなライフスタイルを提案し、需要を伸ばしてきました。昔は、ダルマと言われたサントリーオールドやリザーブが主流で最高級と言えば、ローヤルだったわけです。為替の関係で輸入ウイスキーが安く手に入るようになって、品質を挙げないと価格とイメージ戦略だけでは、立ちゆかなくなった。それで作り出したのが山崎であったのだろうと想います。

市場の状態、作り手の状態、等々によって、マーケティング・ミックスは変わってきます。それは、さらにもっと大きな戦略と結びついていくのです。

1−3 マーケティング・マネジメントの機能

<なぜ4つのPなのか>

  • 4Pとは、現象を深く考察したり、企業活動の戦略的な展開を検討したりする際に、この分析的な思考を導くための枠組みなのである。

まぁ、そういう事ですね。

まずは4つのPという座標軸、基準で物事を分析してみると言うことです。

モノを買う側に立てばわかるでしょう。ここでも4つのCという話が書かれていますが、逆に消費者の立場に立てばわかりやすいと想います。

カレールーを選ぶときにどうえらぶか。

辛口か甘口か、値段が高いか安いか、その店にしか売ってないか、どこでも売ってるか、有名かそうでないか。

いろんな分析を瞬時に巡らせて女性は買い物をしているはずです。それは意識していないだけで、明確に基準があるはずなのです。

消費者の立場から、反対側に立って、見た場合どんな基準で考えるべきかを示したのがこの4Pというわけですね。

つまり、

  • 4Pを用いることによって、マーケティングに関わる問題の認識と実践が、より的確に行われるようになる。
  • バランスのとれた包括的な理解と対応が可能になる

=ひとつの要因ではなく、4つのカテゴリーに帰属する多様な要因の分析を通じて顧客との対応を考え抜くことができる。

  • マーケティングに関わるさまざまな手法や活動が統合的に認識され、実践されるようになる。

=4Pという視点を与えられることで、製品、価格、流通、プロモーションに関わる手法や活動は個別に計画・実行され、ばらばらに評価されるものではなく、顧客との関係の創造と維持という共通の目的のもとで、総合の整合性に注意しながら計画し、実行し、評価されるようになるのである。

ということです。

先週述べたことですね。

あくまでも4つのPは統合的に用いられてこそ意味があるのです。

そして、この教科書の中では

マネジメントの基本は仕事の分担や連絡、調整の枠組みを整え、組織的な活動を円滑に推進するための仕組みを作ることにある。

という観点からマーケティングを統合するための要素として

『マーケティング・ミックスの内的一貫性』

=4Pの個々の要素が相互に均整のとれたものとなっている

『マーケティング・ミックスの外的一貫性』

=4Pの組み合わせと企業の直面しているマーケティング環境とが相互に整合したものになってる

の両方が必要だと書かれています。

すなわち、ミックスジュースがどんな味で、値段がいくらで、どこで売っていて、有名かどうかだけじゃなくて、喉が渇いているかとか、天気がよいかとか、健康ブームだとか、ありとあらゆる内外の事象を総合的に捉えて分析する、ザッといえばそういう事です。

<マーケティング・ミックスの内的一貫性>

  • マーケティング・ミックスについては、それぞれの手法や活動の最適化を個別に追求しようとするだけでなく、それぞれが組み合わさったときに、その特性が相互に補完しあう関係を形成するようにしなければならない。

ということです。

いわゆるシナジー効果を生むように組み立てなければならないということですね。

ひとつのPが突出していたり、不適当だったりすると、それが原因で他のPにも悪影響を及ぼし、マーケティング戦略は不備に終わります。

それをいかに組み合わせるかがマーケターの力です。

そして適切なマーケティング・ミックスを行うには、そのマーケターのモノの考え方・人生観・職業観というのが如実に反映してきます。

とくに伝統工芸においては、その部分が担うところが大きいだろうと想いますね。

<マーケティング環境の把握と外的一貫性の確立>

  • マーケティング環境との整合性を判断するには『消費』『競争』『取引』『組織』の4つの問題への対応を検討していく事が必要である。
  • 顧客となる消費者、あるいは企業にとって魅力があり彼らの購買を促すものでなくてはならない
  • 他社との競争の中で自社に優位性をもたらすものでなければならない
  • 企業が実行可能なものでなければならない。それを支えるのが『取引』と『組織』である
  • 策定したマーケティング・ミックスと、研究開発、生産、物流、人材開発、資金調達などにかかわる自社の経営資源や能力との関係が問われる。
  • はわかりやすいですね。消費者にとってよい製品を作って提供するということです。
  • は、簡単に言えば『儲かるのかどうか』ということです。

関東方面のマーケティング学者の中には金を追求する議論を『儲けティング』と見下している人もいましたが、アホですね。

何の為にマーケティング戦略を練るかと言えば『負け戦をしないため』です。

負け戦は資源と労力の無駄遣いです。

儲けたお金を新たな企業活動や、従事者や、社会に還元するのです。

マーケティングというのはそのためにあるのであって、机の上で統計したり、学説を学んだりするのは下準備にすぎません。

このブログを読んでくださる作家さんたちは、プレーヤーです。プレーヤーはのるかそるか、勝つか負けるかのどちらかです。

戦場で兵法書をめくっても仕方がないのです。勝てる相手と勝負する。やるからには絶対に勝つ。そのためにあらゆる側面から分析する。

それが実践のマーケティングです。

話は飛びましたが(^_^;)、③、④はその事を言っていますね。

競争関係や社会情勢、自分たちの力を総合的に考えるという事です。

そのためには、クロスディシプリナリーなアプローチが必要なのです。

そして、力強く確信に満ちたマーケティング戦略を策定するためには、できるだけ広範囲に勉強すること、広範囲の友達(情報源)を持つこと、そして一番大切なのは自己を確立して自分をよく知ることです。

自分の長所短所を客観的に知らなければ、自分の作品のマーケティング戦略を描くことなど出来ません。

そして他の産地や作家の作品をよく知ること。

さらに、染織の全体像を通して自分の作品を見ることです。

それも客観的でなければなりません。

南風原の絣なら、それが沖縄の産地でどんな位置づけなのか。

もっとも大量に作られていて、かつ低価格です。

では、絣という切り口から日本全体の市場を見てみます。

久留米、倉吉、弓浜、備後、伊予、越後物、米沢、いろんな絣があります。

紬織としてはどうですか。

結城、石下、塩澤、白山、伊那、上田、などなどあります。

そういった全体像の中で捉えなければならないのです。

そして、南風原の絣が、どんな消費者をターゲットに物作りをしていくのかを考えるのです。

宮古上布は非常に高価な盛夏用の麻織物です。

という事は、富裕層、あるいは熱狂的ファンを対象としているはずですね。

そして、忘れてはいけないのは、紬や絣というのは基本的にカジュアルで、自分で着物が着られる人でないと対象にならないという事です。

これが同じ高級でもフォーマル着物と全く違うところです。

着物と言っても、カジュアルとフォーマルでは別物だと考えても良いほどです。

いくらお金があっても、自分で着られない人は宮古上布や絣は買わないのです。

細かい分析は後回しにしますが、自分自身と作品の特性、そして市場を徹底的に分析して、消費者に満足してもらう。そして、リピートを誘うしかこの小さな市場で安定した制作を続けることはできないのです。

1−4 マーケティング・マネジメントのプロセス

[ステップ1]マーケティング目標の確認

目標は市場シェアか、利益か、それともブランド認知の向上か?

[ステップ2]ターゲット、ポジショニング、コンセプトの設定

マーケティング目標の達成を見込めそうなターゲット、ポジショニング、コンセプトを明確化する。

[ステップ3]マーケティング・ミックスの策定

設定したターゲット、ポジショニング、コンセプトに沿って、マーケティング・ミックスを策定していく。

[ステップ4]消費対応、競争対応、取引対応、組織対応の検討

策定したマーケティング・ミックスについて、消費対応、競争対応、取引対応、組織対応を検討する。

問題があればステップ2に戻り、ターゲット、ポジショニング、コンセプトを再検討する。

[ステップ5]実行と再点検

策定したマーケティング・ミックスを実行し、その結果を再点検し、マーケティング・ミックスを修整する。

以上が、マーケティング・マネジメントのプロセスとされていますね。

ここで、少し説明が必要なのは②のターゲット、ポジショニング、コンセプトの設定でしょうか。

ターゲット=誰に売るのか

ポジショニング=どんな分類の商品にするのか

コンセプト=どういう説明をして売るのか

わかりやすく言えば、こういうことです。

この三つは『商品差別化』や『市場細分化』という事と大きく関わってきます。

現代のマーケティングは、ここが起点になっているといってもいいのではないかと想います。

私が学生時代に『分衆の時代』とか『小衆の時代』とか言われました。

日本全体、世界全体を大きく見て行っていたマーケティングをマス・マーケティングと言います。

しかし、それが『個性化』という変化で通用しなくなってきた。

なぜそうなったかといえば、市場が『飽和』したからです。

お腹がいっぱいなのです。

お腹いっぱいのとき、もうひと品。

そのとき、勧めるのは甘い物=デザートですよね。

デザートはどんなにして出てきますかね?

ケーキが一杯はいったワゴンがドーンときたり、お盆に数種類押ししそうに並べられていると、ついつい手が伸びてしまうものです。

男性なら、コニャックなど、強めの酒を飲むかも知れません。

それはフリーで選べますよね。

そういう事なのです。

チョコなのか、生クリームなのか、フルーツなのか。

それとも、コニャックなのか、リキュールなのか。

お腹いっぱいのひとには、好みに合わせてもうひと品、もうひと品と押し込もうという事です。

着物でいえば、紬類を買う人は、たいていはタンスに数枚の着物はすでに持っています。

タンスに入りきらない人も少なくない。

でも、着物を持たない人に売るのは至難の業です。

着物を着る人=すでに相当数持っている人、に買ってもらうにはどうすればいいのか、と言うことです。

度々引き合いに出して申し訳ありませんが、久米島紬の場合、沖縄の着物が好きという人はすでに持っているでしょう。たいていは泥染めです。

でも、泥染めの久米島を二反三反と欲しいかと言われれば、そんな人はごくごく少数でしょう。まぁ、二反も持てばお腹はギンギンという所です。

そんな人に、久米島紬をもう一反買ってもらおうと想ったらどうしたらいいですか。

色を変える、絣を変える、と考えるでしょう。

また、いままで久米島の泥染めが嫌いで買わなかった人に買ってもらうという手があるでしょう。

もう一反、また、買わなかった人に一反、勧めるためには、それぞれターゲットの選定を変えなければいけません。

もう一反という人には、泥染めのどこがよくて買ったのか、それを分析して品物づくりをせねばなりませんし、まだ買っていない人には、なぜ今まで買わなかったのか、泥染めのどこが嫌いなのかを考えて、嫌いな所を変えなければなりませんよね。

そこで役立つ概念がポジショニングとコンセプトです。

ポジショニングというのは、着物全体や紬市場で久米島紬がどんな位置づけであるかという事です。このときに必要なのが『市場細分化』です。久米島紬で動かせないのは、久米島で作られている事、紬糸を使っていること、天然染料を使っていること、手織りであることです。あとは動かせるわけです。

たとえば、縦軸に価格、横軸に対象年代を取るとします。

現在の久米島紬は、紬市場においては価格的には中の上に位置するのでしょうか。年代は50歳台から上ですね。ということは、ターゲットは年配の中流階級以上の女性ということになりますね。

ここで、ポジショニングを変えてみます。価格を高価格に、年代をもっと若年層に設定したとします。(現実に通用するかどうかは別の話です)明度の高い地色、色絣の多用、諸紬の使用などで今までと違った久米島紬を作る事が可能です。そうすればターゲットは、若年層あるいは、派手な物を好む上流階級の女性という風に変わります。この場合、コンセプトは、例えば、『復元された御絵図帳の久米島紬』でもいいでしょう。

このターゲット、ポジショニング、コンセプトの設定を消費、競争、取引、組織の各対応という現実とすりあわせて何度も行っていく、これがマーケティング・マネジメントです。

伝統染織の場合は、動かせる物と動かせない物をきちんと見定める。動かせないと言うことは強みであると理解すべきです。その環境の中で、動かせる物を多次元に設定して、どんな品物を作るのかを考えるわけです。

前提は、『市場はすでに飽和している』という事です。

その飽和している所に真っ向勝負で殴り込みをかけるのか、飽和市場の隙間を狙って、針の穴を通すような消費者のwantsを読み取って新たな需要を喚起していくのか。商品内容や、作り手の得意技、あるいは性格によってもまちまちです。

しかし、なんとなく思いつきでやるのは、お金と労力と資源の無駄遣いです。

このマーケティング・マネジメントに必要な分析をするには、できるだけ多くの価値判断の軸を持つ事が必要です。伝統の力だけでなく、現在の景気動向や市場動向、ファッションの流行廃りなど、多方面での知識と見識を持っていなければなりません。

たとえるなら落語のようなもんです。

今は立って漫談のような落語もあるようですが、落語は座ったままでやるから面白いのだと想います。制約があるから面白い。制約を利点と考えて、動かせる部分で最大限の創意工夫をするのです。

まずは、作品を作るときに、誰を対象としているのかを明確にしてください。

身近にいるおばあちゃんでもいいし、お母さんでもいい。

その人に、着てもらうことを前提に構想を練ってみてください。

私のような商売人の立場なら、電車の中で向いの席に座った女性にどんな着物をすすめるかを常に考えて訓練します。

その人の肌の色、服装の趣味、雰囲気などを総合的に考えて、勧める着物を決めてみるのです。

同じ事を作る人もやってみてください。