『『もずやの芸術論』第8話』

魂をえぐる美

あえて全文掲載します。

この節に関しては基本的には同意し、共感します。

ここで考えてみたいのは『美』ってなんなのか?

という根本的な事です。

魯山人も書いているように、各自の眼には程度があって、自分の力の範囲だけしかわかりません。

好みというものもあって確かに他動的です。

では、

『百人のうち一人の偉大な評価力をもったものがわかると、他の九十九人のみる美はムダになる』

そうでしょうか?

美の中に味、味覚も含まれるとします。

味覚ってそれぞれですよね。

甘いのが好きな人もいれば、辛いのが好きな人もいる。

私はぬか漬けが大好きですが、臭くて顔も近づけられないという人もいる。

沖縄の山羊汁もそうですね。

沖縄には牛汁というのもありますが、本土の人はたいてい牛汁の方が美味しいと感じるでしょう。

でも、沖縄では山羊汁は上等だし、私は牛汁より山羊汁の方が美味しいと感じます。

では、どちらの味覚が上等でしょうか?

私は大阪の人間ですから、大阪の味付けが好きです。

昆布は利尻より真昆布のふんわりした広がりのある出汁が好きです。

これからの季節はどんなものよりも粕汁が最高に美味しいと感じます。

でも、それは小さいときから食べているからですし、なじんでいるからです。

逆に、沖縄で沖縄料理をしょっちゅう食べている私にとっては本土の沖縄料理は塩辛くて美味しく感じません。

使っている塩が違うからです。

でも、たぶん、ほとんどの本土の人は、本土の塩を使った沖縄料理の方が美味しいと感じるのでしょう。

私は、味に関しても、美に関しても、評価というものは相対的なモノでしかないと想ってます。

技術の優劣はあると想いますが、表現された結果である作品には基本的に優劣はない。

私みたいに自分でもヘタだなぁ、と苦笑いするようなのは別として、良い作品を造ろう、良い作品が出来た、と想っている作り手がいるということは、それを良いと思う人は他にもいるはずなんです。

染織品でも、私に『この作品はどうですか。どんなの造ったら良いのか教えて下さい』という作り手さんがいます。

『あなた、自分で良いと想って造ってるんでしょ?だったら、私が気に入らないとしても、他に高い評価をしてくれる問屋がいるかもしれないじゃないですか。私に合わせて物作りをするより、あなたと美意識を共有できる人を捜した方がいいんじゃないですか』

と言います。

売れる品物を造るなんて簡単です。

何にもこだわらなくて、売れる事だけに集中することができるなら、たやすい。

全てを捨ててしまって、造ったモノをお金に替えることだけを考える。

それで良いかどうか。

最期はそこに行き着きます。

ちょっと脇道にそれました。

美に関する意識、何を美しいと思うか、美を重んずるかどうか、それらはすべて人それぞれ、百人百様です。

では、美ってなんなんでしょう。

誰が決めるんでしょう。

それは工芸の場合、使い手が決めるんです。

私が良いと思えばそれが全てです。

ただし、それが本当に自分に合っているかどうか、です。

何からも左右されず、ただ自分に合うかどうか、自分が気に入るかどうか、だけでモノを選びとり、使って心地よいかどうか。

愛着が持てるかどうかです。

どんなに美しく絵付けがされていても、その茶碗で食べたらご飯が美味しいと思えなければ、それはタダのガラクタだと言っても過言ではないのです。

ガラス器でいうと、世界的に有名なモノにラリックとバカラがあります。

私はお酒を飲むのにこの二つのグラスを使っています。

ラリックは手が込んでいて、見た目も美しい。

芸術品的な感じです。

バカラはといえば、キレイなんですが飾り気は無い。

でも、酒飲みにはすぐ分かります。

グラスとしてはバカラの方が圧倒的に良い。

それは口当たりとか、座りとか、強度とか、様々なモノが『グラス』として使いよい様に造られて居るんです。

値段はバカラの方が安かったと思います。

魯山人はね、お金の事を考えたらダメだと言いますが、使う上で、値段というのは大事だと思うんですよ。

だって、使うモノ、壊れモノなんですから。

壊れる事を恐れていたら、安心して使えない。

大事に使うことは必要ですが、壊れたらまた買えばいい、くらいの気軽さがないと『使う工芸』としての価値は低いと私は思います。

工芸においては値段も美のうち。

高い安いはそれこそ、人それぞれ。

10万円が高いとおもうか安いと想うかは、品物にもよるし、人それぞれなんです。

10万円のグラスが高いとおもう人も500万円のクルマに乗ることもあるわけですから。

つまりは、価値観です。

美に対する意識も価値観の一つでしかない。

その中に絶対的な美を見いだそうとする。

見いだそうとするのは良いとしても、絶対的だと決めつける、これはちょっとムリのあることだろうと想うんです。

美の世界に生きる者として、他を排除するというのは、まことに間違った態度だと私は思いますね。

ただ、作り手や使い手の姿勢・態度というのはすごく大事です。

大切な事は作り手も使い手も『感性に磨きをかける』という事だと想うんです。

芸術作品や工芸作品をみて感動するというのも良いですが、一番は自然を観る事。

人間が作った物ではなくて、自然の美に感動する事。

つまりは、精神の自由を確保する、そういう事なんです。

『空』の境地と言っても良いかも知れません。

誰かがどう評価するかなんて気にしないで、

これが私の世界よ!

これで良いと想うんです。

万人の魂をえぐる美なんて、すり寄った作品に宿るはずがないんですから。

『『もずやの芸術論』第7話』2015/9/15

陶芸家を志す者のために

ー芸術における人と作品の関係についてーこの節は、アルフレッド工科大学での講演の内容のようです。
いつものように気になるところについて感想を書いていきますね。
『私のつくります陶器はほとんど、,心の芸として、心の美だけを頼りにし、常に美術眼から見た自然美を親とし、師と仰ぎ、それによって学び、美術価値を至上主義としての陶器をつくりださんとしている』

ポイントは『美術価値を至上主義として』という部分ですね。

作品を造るとき、美術価値を至上主義として、ってどういう意味なんでしょうか。

そもそも美術価値って何?

美術価値・・・?

植物が花をつけるとき、美術価値を意識して花を咲かせるでしょうか。

魯山人が言うままを再現してみると、

『よっしゃ、ここはこうやって、こないして、美術価値を高めたろ』

とか想いながら、造っていると言うことでしょうか。

でも、それじゃ、自然美を親とし師と仰ぐ事とは相反するような気がするのですが。

そもそも、魯山人が造ってるものって、陶器であり、あくまで料理をひきたてる為の『食器』ですよね。

食事の中で、器が大きな役割を果たすことは言うまでもありませんが、それはあくまで脇役としてでしょう。

私の場合着物が本業ですが、主体はあくまで着物をお召しになる人間であって、着物はその方に着て頂いてこそ、着る方に評価されてこそ、値打ちが出るのだろうと想っています。

着物がいくら美しくても、重くて着られないとか、人間が着るにふさわしくない柄であるとかですと、良いキモノとは言えない。

魯山人が言うことから逆算すれば、美術的価値の高い器に合わせて料理を造るということなんでしょうか。

美術価値を至上主義とするというのですから、そうとしか考えられませんよね。

でもですよ、陶器や磁器だけで、食事の器全てが揃うわけではありません。

漆器もあるし、場合によってはガラス器・金属器もある。

その全てに価値があり、かつバランスが取れていなければ、魯山人の言う様なレベルには行かないはずです。

『私はいろんな美しい物を観てきて、センスも抜群だから、器を作らせても最高のモノが出来る』

そう言いたいのでしょうか。

そこにつなげて、こうです。

『陶作にたずさわる人間のごときは、概して程度の低い者でみたされていますから、歴史に遺るような作品はまず当分は望み得べくもありません』

ビックリですよねぇ。

前にも書きましたが、魯山人の作品の多くは、絵付けだけをしたものです。ある時期から自分で土もいじりだしたんですが、それも、他人の道具や環境をそのまま居抜きでつかったものが多いと聞きます。

それなのに、ああそれなのに、それなのに、という感じです。

私の作品は凄いけども、あとは数百年さかのぼって、駄作ばかりで私の作品がダントツだ。

そう言っているのと同じ事です。

考えてみてください。

同時代には,浜田庄司、河井感次郎、富本謙吉などもいるのです。

それを差し置いて、『オレがダントツ』と言う。

すごい神経ですね。ほんとうに恐れ入ります。

分析してみると、彼は彼の美しいと想うモノにしか、美を認めないという事なのです。

ひいては、彼が正しいと思うことしか正しいとは想わない。

正解は私が正しいと思うこと、ただひとつ。

さから次の様な言葉がでてくる。

『すべての陶芸家が土をいじる前に、まず絵画をもって陶器を作る・・・を第一義とし、それが相当成功した上で、土の仕事にかかられても決して遅くない』

すごいですねー

私は陶芸においては土の仕事が最も熟達に時間がかかり、かつ重要だと想いますけどね。

そしてこう締めくくっています。

『下らない人間は下らない仕事をする。・・・人間を造る事はいわば作品の成果を得る基礎工事だと知れ』

外国だと想って、良く言いますよね(^o^)

上の事はそれはその通りだと想うのですが、上等な人間が、下職の陶工をさして『程度の低い者』なんて言うでしょうか。

大阪に『うどんすき』で有名なお店があります。

そこで会合があったときに聞いた話ですが、そこは元々は普通の料理屋だったんだそうです。

ところが、戦中・戦後の食糧難の時代に、なんとか限られた食材で美味しい料理を提供しようとして造ったのが『うどんすき』なんだとか。

しかし、当初は上手くいかず、うまくいなければ売れるわけもなく、毎日毎日、泣きながら出汁を捨てたといいます。

今の美味しいお出汁になるまで、何年かかったかは分かりませんが、プロの料理人がちょっと別の物を極めようとするのにも、こんな努力と辛抱が必要なんですね。

それを良いところ取りしている人間が、一から積み上げてご飯を食べている職工さんに、こんな言葉が言えるとは、私としては開いた口がふさがらない感じがします。

伝統工芸についてはすべてそうです。

先人が積み上げた物があるからこそ、今の自分がある、そう考えるべきです。

私達商人でもそうですよ。

堺の商人、大阪の商人が、営々と築き上げ積み上げてきた伝統があるから、その知恵でどんな困難にも勇気を持って立ち向かえるのです。

私が卒業した中学・高校では高野山に修養行事に行くんです。

そこで毎食前に『一粒の米にも万人の力が加わっております。ありがたく頂きましょう』と唱和するんです。

日本人の心とは、天地、そして、人間の力に感謝をするところから始まると私は考えます。

それを解さずして、いくら美を語ろうとも、それは日本の美にはならない。

魯山人はその部分が決定的に欠落している、と私には思えるのです。

『『もずやの芸術論』第6話』2015/9/10

           『私の作陶経験は先人をかく観る』その3


その後もなんかつらつら書いてありますが、気になったところをひとつだけ。

『もし長次郎が純金で茶碗をつくっておったら、これはまたすばらしい事にちがいない。これは珍品だということで土よりももっと高いにちがいない。またよさもあるし、金でできておるし、形から味から立派なものができるでしょう。しかし純金ならつぶしたら何にでもなるが、土だと落として粉にしたら三文の値打ちもないし、そんなにないから何百万円もする、こういうことが考えられるのです』

これを読んでどう思われますか?

昔、ある方から、外国の有名な画家が着物を造ってみたいというので、協力してくれないか、との話を頂いた事があります。

私は『それは観賞用に造るのですが、着用する着物として造るのですか?』

と聞きましたら、

『観賞用だ』というのです。

私は観賞用の着物をつくりたいとは想わないので、ご辞退申し上げましたが、

たぶん、高名な画家なら、見て素晴らしい着物は出来たでしょう。

しかし、着るための着物というのは、着るために備えていなければならない条件をふくんでいないとダメなのです。

つまり、絵を描くことと着物の柄を描くことは違う。

絵描きの絵をそのまま着物に持ってきても、着物として良いモノにはならないと私は思います。

それと同じ事ですぐれた陶芸家だからと言って、その人が優れた金属工芸品を造れるとは私には思えないのです。

それはアマゴ釣りの名人がアユを釣るどころの話ではなくて、森に入って鳥を撃つくらいの差があるのではないでしょうか。

漁と猟、似たようにに分類される事でも、道具も違えばフィールドも違う。

もちろん、狙う獲物の性質も違う。

それに、私が気になることは、魯山人が作家ごとに分類して作品を観ていることです。

わかりやすいようにという配慮かも知れませんし、この話を聞いている人達は美術鑑賞家、つまり素人なので、そういう話の仕方しかなかったのかも知れません。

染織に関して言うと、同じ作家でも、秀作もあれば駄作もある。

腕が上がってくることもあれば、逆に落ちていく時もある。

永年作家さんとつきあって、じっくり作品を観ていくと、それが分かります。

あ、この人はちょっと行き詰まってるな、とか

逆に、伸びてきたな、上昇気流に乗ったな、なんて時もあります。

行き詰まっている時に、道を拓く手伝いをするのも私の仕事です。

そういう事なので、作家ごとに分類して作品を十把一絡げに評価するというのは、モノ知らずのブランド好きとしか私にはうつらない。

もしかしたら、長次郎の駄作は利休がその場でたたき割ったかも知れないではないですか!

作り手と真摯に向き合っていると、その作り手の心の動きが作品から読み取れます。

おごりが見えたり、自信のなさがのぞいたり、色々です。

ある意味では、その精神状態を読んでアドバイスするのです。

ある高名な染織家がご自身の個展の作品でミスを連発されるという事件がありました。

その方に聞いた話では、自分ではミスに気づかない事もあるのだそうです。

その方だけでなく、誰でもが知っている様な有名な染織家が、驚くような初歩的ミスを犯すことも少なくないのです。

なぜそういう事が連発するかといえば、そばにいる人がちゃんと見ていないからです。

作品のレベルが落ちてきたり、ミスを連発したり、制作の方向性がおかしくなってくるのは、作り手自身のせいだけではなく、本来必要とされるアドバイザー的な人の力量のなさが原因だと私は考えます。
画家なら画廊、陶芸家なら工芸ギャラリー、染織家なら着物の問屋・・・
この人達はいわばボクシングのセコンドみたいなもんで、勇気づけたり励ましたり、ときには冷静になれと諫めたり。
時にはタオルを投げることもあると想います。
魯山人は、かわいそうですね。
そういう人の存在を知らない。
ちょっと前に『利休にたずねよ』とかいう映画があったそうですね。
私は見ていないのですが、その中に『萬代屋黒』という茶碗が登場します。
利休役の役者がホンモノを持って演技したそうですが、これは萬代屋宗安(私ではなく先代の(^_^;))が長次郎に注文して作らせた物だそうです。
なぜそれが長次郎のところにあって今まで伝わっているかと言えば、宗安が長次郎に何個も造らせて、大名やお金持ちの茶人に売ったんでしょう。

その見本が長次郎の手元にあった、そう考えるのが自然でしょう。

つまり萬代屋宗安は長次郎に何度もこの萬代屋黒の試作をさせているはずです。

その中で一番良いと想ったモノを、『注文あったら、これを見本にして造ってくれ』
そう言ったんでしょう。
それ以外のものはどうしたでしょうか。
たたき割ったんでしょうね。
だから、良い物しか残っていないのです。
もっとも優れた批評家とはユーザーであり、
優れたユーザーなしに、良い作品は絶対に生まれてこないのです。
ユーザーのレベルを超える作品は出てこないと言って良い。
これあかんやんか、
とか
これはええやんか、
とか
ここはもっとこないしてみたらどや、
とか

言いながら良い作品というのは出来てくるんだと想うんですよ。
つまり、実用の為に造られる工芸品というのは、作り手の独りよがりでは良い物にはなり得ないということなんです。

そのへんの事は、魯山人の星ヶ丘茶寮でしたか、の経営を見ていてもうかがい知ることができますね。
実用的工芸品の主役は器物ではなく、あくまでも使う人なのです。

次には新しい節にはいりますね。

『『もずやの芸術論』第5話』2015/9/8

      『私の作陶経験は先人をかく観る』その2
続きです。
魯山人はここで長次郎と利休の事について触れています。
『長次郎を利休が指導して立派な茶碗が生まれたというが、そんなことはない』
何度も繰り返し書いています。
その理由として、
1.指導によって、そんなに力量が変わるはずはない。
2.利休の書や茶杓を見ても、良いとは想わない。

1に関してですが、
『じゃ、あんた、お料理も全部自分の手で材料を吟味して、料理もしたのか?』
私はそう聞きたいのです。

茶道の事については私は初心者ですし、修行中の身で、あんまり書きたくないんですが、
今現在想ったり感じていたりすることを書きますね。

そもそも、茶道具というのは、茶道において使いやすいものが良い道具なのではないでしょうか。
当初は唐物や朝鮮の飯茶碗などを使っていたのでしょうが、『わび茶』と言う世界で、使いやすい物、点前において良いものを茶人そのものが考えて造りたいと想った。
それを陶工に造ってもらって、よい『道具』が出来た。
一人の竹工芸の名人がいたとしましょう。
その名人はすばらしい竹細工を造っていた。
そこに、釣り師が現れて、その作品と技量を見て、竹竿を造ってもらいたいと想った。
しかし、名人は釣りを知らない。
竹竿として必要とされる要素も解らない。
もし、釣りをしたことがあったとしても、その釣り師の求める水準が高ければ、その釣り師の指導・要求に従うより無い。

そして、その竹名人と釣り師のいわば合作によって、『素晴らしい竹竿』『すごい釣り道具』が出来上がるのではないでしょうか。

先日のお稽古で宗匠に教えて頂いた事があります。
点前が終わって、棗と茶杓を飾るときの事です。
宗匠は、棗・茶杓と私との距離について、教えてくださいました。

私は身体が大きいので、その距離が大きい方が良いのだそうです。
考えてみればそうですね。
私の膝前すぐに、棗・茶杓があると、道具は小さく見えるし、お客から見ても圧迫感があるはずです。

そんな事から考えても、茶人の体格などによっても使うべき道具やしつらえも違うのだろうと思えるのです。
茶には茶に、大男には大男に、良い道具というのがあるはずで、そこには使う人の要望・理想とする形があるはずなのです。
要は、利休は長次郎に対して自分の欲しいと想う茶碗を焼いてくれる人として認識していたということだろうと思うのです。
私が染織品を造ろうとするときも同じです。
自分の頭の中にあるものを、形にしてくれる人を捜すのです。
そもそも、魯山人が作陶をしようと想ったのもそこからではなかったのでしょうか。
それが出来なかったのは、作り手に力が無いのではなくて、魯山人に指導力が無かったか、人望がなかったか、あるいは、彼の美意識が実は研ぎ澄まされ整理されたものではなかったか、のどれかだろうと私は思います。

2の話ですが、ちょっとどうなんだろう・・って想ってしまいます。
実は私、利休の物なんていうのは、ハナから信用していません。
その話は置いておくとして、一番気になるのは、その茶杓が見てどうなのか、と言うことよりも、使ったみてどうだったのか、に全く触れていないことです。
お茶の稽古の時、宗匠が二つの茶杓を見せてくださった事がありました。
見た目でもその二つの茶杓のレベルは歴然でしたが、手に持ってみるとその何十倍、何百倍も違いが解るんです。
圧倒的に違う。
見た目はそれなりに出来ても、手に持ったときの感触は、これは鍛え上げられた感性がないと表現できないものです。
私なども、反物を見るとき、色柄だけでなく、じっくりハンドリングをします。
眼を閉じて、じっくりじっくり味わう。
心がザワザワするのはダメです。
持つと心が落ち着いて、しっとりした気分になるのが良いモノです。
スピリチュアルな話みたいですが、事実そうなのです。

そして、ここの区切りの最後の方で魯山人はこう書いています。
『先ず、名碗と言われているところの茶碗で、かれこれした席に入れて、感動に価する掛け物を掛けてくれて、良い名釜がかかっておって、炉ふちもなかなかのものだという事になってくると、茶道の功徳も分かってくるというものでしょう』

まさに俗物!
私にはそうとしか思えません。
私はよく、
『どんなお酒が好きですか』
と問われます。
『一に日本酒、二に泡盛、三にウィスキィ。でも一番大事なのは誰とどんなお話をして飲むかだと思ってます。』
魯山人の焼いた徳利とぐい飲みで十四代を一人酒。
そんな酒、美味しいでしょうか?
魯山人はまさにジョルジュ・ムスタキの世界。
『私の孤独』
孤独と二人なのです。

たとえ、ワンカップ大関でも、懐かしい友と酌み交わす酒。
コレの方がよっぽど美味しい。
魯山人は、民藝論を批判して柳宗悦と大論争をしていたようですが、どちらも同じ穴の狢です。
そこに、人間がいない。
酒を飲むのも、茶を飲むのも、茶を点てるのも、ご飯を食べるのも、すべて人間。
主役は器物でも、料理でもなく、人間であり、その心であるはずです。
利休の同時代に、『へちかん』という茶人がいたそうです。
その人は、あばら家に住み、飯や汁を煮る鍋で湯を沸かし茶を点てたそうです。
それでも、利休は彼と深い親交を持っていたし、彼を師とも仰いでいました。
へちかんが落とし穴を掘って利休を落とした逸話は有名ですね。
最後まで読んでみないと分からないのですが、いまのところ魯山人が『もてなし』に付いて書いた話を読んだことがありません。

『茶道の功徳』って何でしょう?
私はこう思うのです。
茶室では誰しもが平等で、俗世間の事から離れ、談笑し、ゆっくりと幸せな時間を過ごすこと。
利休が目指した『町人茶』の世界は、まさにこういう事だったのではないかと私は思っています。
あの茶室は何故造られたのかです。
当時堺で活躍した商人は、そこで生まれ育った人ばかりではありませんでした。
堺は東部の今で言う百舌鳥地区が元々の中心部であり、後に栄える港湾部は、塩田と漁業が中心の荒れ地だったんです。
そこに経済的利益を求めて、各地から商人が集まってきました。
緑豊かな所から、潮で草木の生えない堺にやってきた。
緑が無ければ、心の安らぎが無いのは、現代に生きる私達とて同じです。
堺に来て、昔の灯台の位置を確認してみてください。
あの茶室はそういう安らぎを求める心から生まれたものだと私は思っています。
利休は自分の好みや使いやすさで道具を発注し造っただけのことでしょう。

ちょっと話が長くなりそうなので、また今度・・・
この節はまだまだ続きます。

『『もずやの芸術論』第4話』2015/9/4

『私の作陶経験は先人をかく観る』その1

この節は長いので区切って書きますね。

ここで書いて居ることは、共感する部分が多いです。

なんでもかんでも、高名な作者が造った陶器を観ると

『結構だ』

『なんとも言えぬ』

で終わってしまっていて、まるで仏様を拝むようにひれ伏している。

それではだめで、どこがどう良いのか具体的に言えなければ鑑賞家とは言えない。

『長次郎でも光悦でもよろしいが、茶碗のかけらでも何でも、持ってみないとわからないものです。それを持たないで、ただ人の声だけで信心するのですからムリな話です。そこで長次郎を見てただ何とも言えぬだけで感心していないで、もっと直視して、長次郎というものはどういうものだ、長次郎のチャンはどこがどういいのかという事を根掘り葉掘り極めていきますと、しまいには長次郎という人間が浮き彫りになってくると想うのです。ただむやみにありがたがらなくて良いと想います。』

『長次郎と話をしようと想うところ無く、いきなり無条件に信心して、善男善女的信仰に陥ってしまってありがたいありがたいの一点張りで長次郎を見ているのでは、長次郎はなかなか友達になって話をしてくれないのです』

私達商人は

『これ良いでしょう?』

『これ、さすがですよね』

とか言うセールストークをよく使います。

魯山人もあとで触れていますが、それが超一流とされている作家のモノだったら、わーほんとだ』と感心してしまうんでしょう。

しかし、そんな商売をしていたのでは、売る事は出来ても物作りは出来ないんです。

何がどう良いのかを具体的に自分で把握していないと、それを作り手に伝える事はできません。

解ってないのに、物作りをしようとすると、それは作り手に模倣を強いる事になるのです。

それも、形だけの模倣です。

魯山人が言うように『作り手と会話する』ための一つの方法として、その作品を模して造ってみるというのもあると想います。

絵画でも、模写するのが一番勉強になるそうです。

私も芸大でやったことあるんですが、画面を細かく区切って、一マス一マス、丹念に真似ていく。

線も描けないし、色も全然でません。

試行錯誤を続けていくと、作り手の狙いや技量の度合いがわかるのだと想います。

もちろん、私はそのレベルには達することはありませんでしたが(^_^;)

陶芸を初めて良かったと思うのは、陶器を見れば『これ、どないして造ったんやろ?』としげしげ見るようになったことです。

作陶している中で持つ疑問や課題が、ある陶器との出会いで解けることがあるのかも知れません。

そういう事を積み重ねて行ってやっと、

『すごい!』

と感じられるんでしょう。

そうじゃなきゃ、美術館のガラスケースの中の作品にしか、感動しないなんて馬鹿げた事になるわけです。

ですから、『自分でやってみる』ということは、難しいし面倒くさいけども、鑑賞家やいわゆる繋ぎ手と言われる人には大事なことなんだろうと想うのです。

『「陶器のことなんて全然わからんね」という人がありますが、陶器だって絵だって同じなのです。陶器が解らなければ絵も解らない。絵が解らなければ陶器を見たってわかりはしない。同じ美の観点から出発していますが、美というものがはっきり掴めていないとその意義がる区別が解らないのです』

これもその通りだと想います。

自分の専門分野ほどは解らないということはあるにしても、『これは良いじゃないか』と感じる心は持てていないといけない、そう思います。

逆に『世間では良いと言われているけど、これ、そんなエエかなぁ?』と想えなければいけません。

『どこが良いの?』とプロに聞いてみて、具体的な良さが説明できないとしたら、それは、でっち上げであることが多いのです。

私達のようなプロは、美しいと心で感じるだけでは不十分で、それを分析して言葉で表現出来なければいけません。

私は陶器や絵画を同じようには出来ませんが、染織品なら、完璧に出来なければならないと想っています。

それがもし、間違っていても良いと想います。

新たな『気づき』によって、だんだんと変わってくるのが自然でしょう。

かつて、ある県展で、『この技法に関して知らないので評価することができない』と堂々と講評に書いた審査員が居ましたが、そんな人は審査員たる資格は無いのです。

プロや、鑑賞家たらんとするひとは、他人がした評価を鵜呑みにしている様ではまったくいけません。

『こんなもん、何がええねん』と言える勇気と見識がなければなりませんし、

逆に、『わー、これ誰が造ったの?すごいええやんか』と、戸板の上で売られているモノから名器を見いだせる様でなければならない。

美は共通である、という面に於いては、茶の湯の世界は総合芸術といわれ、極めるにはほんとうに幅広くそして深い研鑽が必要だろうと想います。

しかし、茶人の中には『着物なんて何でも良い』とおっしゃる方がおられます。

茶道具を引き立てるために華美な着物は避ける。

これは正しい判断なのだろうと想います。

でも、何でも良いと言うのは違うのではないでしょうか。

山上宗二記には茶席においてどんな着物が良いのかも書かれています。

茶事における緻密な作為の中に入る客にも同様の心得が必要であるとすれば、着物もその対象となるべきだと私は思いますが、どうでしょうか。

茶の湯初心者の私がえらそうに解ったような事を書くのはやめますが、茶道をやっていると、本当にいろんな事を考えさせられます。

ただそれは、求める者次第であるのだろう、と想っています。

この節の続きはまた後日・・・

『『もずやの芸術論』第3話』2015/9/2

『窯を築いて知り得たこと』

この節で魯山人が書いている事を要約してみます。

個人作家の権威ー自作と銘打って出す個人作品の権威について、次の様な条件を備えなければその資格は無い。

1.胎土の仕事から最後の焼き上げを終えて完器となるまでの仕事すべてを自分でなし果たさなければならない。

2.釉薬は自分の調合でなければならない。

3.土もまた、自分で吟味せねばならない。
また、その土は他の土と調合してはならない。

4.窯もまた、伊賀には伊賀、古志野には古志野の昔ながらの形を復元すべく研究せねばならない。

5.名器をみて学ぶ態度を修業の第一とし、自己流の当て寸法は慎まねばならない。

6.作品を最初から売品の目的にしてはならない。

まぁ、よう言うわ!という感じですね。

確かに言ってる事は当たってます。

その通りだと想います。

魯山人が、自分の窯を持っていたのも知ってます。

でも、これ全部を、自分一人でやるとして、どれだけの時間と労力、そして何よりも経験が必要なんでしょうか。

自分が陶芸をやってみて解ったことは、染織と陶芸の仕事の中で大きな違いは、陶芸には『手早さ』が必要である、ということです。

また染織よりも気候変動に左右される要素も大きい。

一つの技法だけをマスターして、それで一流になるのも至難の業なのに、あれこれといろんな技法に手を出して、それを上記の内容に即したものにして、超ハイレベルの作品がつくれるものでしょうか?

民藝運動家の河井寛次郎は釉薬の専門家であったし、浜田庄司は、『六十年+5秒』という言葉を残しています。

『六十年+5秒』というのは、クスリがけを一瞬のうちに済ませてしまう技を『たった5秒の仕事であれだけの作品を』との言葉に、『今目の前でやっている仕事は5秒でも、それには60年の経験と仕事の積み重ねがあるのだ』という意味で言われた言葉です。

工芸とはまさに、永年の経験と修練の積み重ねそのものであって、そこが個性をテーマとした芸術とは根本的に違うところです。

良い絵の具にするには、乳鉢で何万回、何十万回も擦らねばならないのです。

完成された良い道具、良い材料、良い設備があれば、そこそこのモノが出来るでしょう。

なぜなら、仕事がしやすいからです。

しかし、仕事がしやすい形、内容にするのに、どれだけの時間と試行錯誤があったでしょうか。

魯山人の上記の話は分業を否定しているととらえて良いと思いますが、分業すれば自分の作品とは言えないのでしょうか?

そもそも、自分の作品と銘打つ必要があるんでしょうか?

私は自分が不器用なせいもありますが、自分が作った物で、上手でしょ!と他人様にお見せできるようなものは一つとしてありません。

魯山人とは才能が違うといえばその通りなんでしょうが、良いモノを観ていれば、情けなくなるくらい自分の未熟さを感じる、それが自然な姿ではないでしょうか。

例えばです。

良い着物を着ていれば、良い織物が造れるでしょうか?

もしかしたら、造らせることは出来るかも知れません。

また、材料だけを指定して、やり方を決めて、思い通りで染まった糸を機にセットしてもらって、織るだけを自分でするというなら、それは器用な人なら3年くらいで出来るでしょう。

これは自分の作品と言って良い、私はそう思います。

でも、魯山人の決めた条件に合っているでしょうか。

山で蚕を見つけてきて、飼育して、糸をとって・・・

糸をとるには、まずどんな織物にするかが決まっていなければ、出来ません。

ということは、まずどんな織物にするかを決めてから、山に蚕を探しに行かなければなりません。

そして、想う色を出してくれる植物を探しに行く。

それも年中いつでもいいというわけではありません。

これだけで何年かかりますか?

一生のうちに何反できるでしょうか?

その何反かをつくる技術はいつ身につけるのでしょうか。

喜如嘉の芭蕉布でも琉球藍は買った物を使っているのです。

私が思うに、魯山人は物作りの本質を解っていない。

あるいは、解っていながら、眼を背けている。

自分を良く見せるために、真実を欺いている。

真実から眼をそらして、自然と対峙せねばならない工芸に向きあえるはずがないのです。

私としては、全工程を自分でやっているかどうかなど全く関心がありません。

たとえ全てを自分でやっていて、『これが本当の私の作品だ!』とか言われても、

それがどないしたん

でしかないのです。

要は、魯山人は自分の名前で売りたい、自分の世界を演出している事を世に知らしめたい、そういう事なのだろうと想うのです。

私は『もずや更紗』という染色品をプロデュースして造ってもらっています。

これは私の美意識をそのまま盛り込もうとしたものであり、作り手さんも、私の思うままに仕事をしてくれます。

これを全部自分でやるとします。

糸を造る

織る

型を彫る

染料・顔料を造る

糊を調合する

型置きをする

染める

水元

蒸す

・・・

織るまでを自分でやる人は居ますし、型彫り以降の仕事は紅型の人はやっています。

でも、全部を自分でやってる人は知りません。

魯山人の場合、紅型も京友禅も加賀友禅も、全部自分一人の手でやろうとして、全工程を自分でやらなければ自分の作品とは言えない、そう言っているのです。

えーっ!

職人さんからすれば

おちょくってんか!

って感じでしょう。

でもね、ちょこちょこ自分の手を入れるだけなら出来るんですよ。

魯山人の場合、絵は上手でしょうから、あとは土、絵の具、釉薬がよければ、素人を感心させるくらいのモノにはなったんでしょう。

私は、魯山人の作品自体は、良いと想いますし、好きなのもあります。

でも、彼の考え方には違和感を覚えずには居られないのです。

工芸というのは、自然の恵みであり、民族の歴史の積み重ねであり、先人の努力と英知の集積であり、協力者や使用者の知恵の賜物なのです。

『『もずやの芸術論』第2話』

『なぜ作陶を志したか』

 前は古い良い陶磁器を使っていたが、関東大震災で灰燼に帰してしまったので、代わりを探したが今のには良い物が無くて、自分で造り始めた。

初めは、生地をひいてもらって、それに絵付けだけを自分でしていたが、それでは自分の作品とは言えない。土の仕事からしなければと想って窯場を開いた・・・

ざっとこんな筋書きです。

この節の中で気になる一文があります。

『轆轤の仕事などは難しいとされているが、轆轤場に修業に来た徒弟が三年も経てば結構轆轤仕事が出来るようになる礼をもつてしても、自分は確信を以てそれに臨まれるとした』

・・・ちょっと待てよ・・・という感じです。

私も1年前くらいから陶芸を習い始めたのですが、書いてることが私の実感とかけ離れているので、陶芸の先生に聞いてみました。

『こんな風に書いているけど、魯山人は自分で全てをやっていたのですか?』と。

先生によればこうでした。

自分は魯山人に対して批判的な立場をとっている事をまず理解してもらった上で、聞いて欲しいのだが、彼は、簡単に言えばショートカットしている。

職人や作家の良い所どりをして、場合によっては工房を全部借り切って作陶をしたりしている。

実際、私自身も、ココは魯山人に勝っているという部分がいくつもある・・・等々です。

作陶と言っても、私がやっている初心者コースだけでも、あら練り、菊練り、てびねり、絵付け、クスリがけ・・・

手びねりをせずに、轆轤を回せないのは、手の感覚だけで瞬間の作業をせねばならないからです。

クスリにしたって、クスリの作り方はもちろん、絵の具やクスリ同志の相性もあるし、覚えねばならない事は限りが無い程です。

初心者の私でもそう思うのに、いくら魯山人が天才でも、手仕事の部分ではそれは通じないだろう、直感的にそう感じました。

それで先生に聞いてみたら、案の定でした。

この節でも、職人をバカにしたような事を書いて居ますが、そんな人に良い物作りが出来るわけ無い、私はそう思いますね。

魯山人がどんな料理を出していたか知りませんし、もちろん味わったことも無いですが、まぁ、大したことないんだろうと想います。

なかなか手に入らない山海の珍味を集めて、値打ちのある器に盛って、得意げになっていたんじゃないでしょうか。

陶芸だけの話ではなく、染織でもそうなんですが、全ての仕事は感謝や信頼が土台にないと絶対に上手くいかないし、良い作品は出来ません。

まずは自然の恵みに感謝する。

そして、一緒に仕事をする人。

糸を造る人、染料を造る人、織機を造る人、等々、関わる人は沢山います。

そして、それを使う人に届けてくれる人にもです。

完全に一人でできる工芸なんてあるでしょうか?

山で土をとってきて、それを練って陶土にして、絵の具や釉薬もどこから探してきて、自分でつくって、轆轤や窯も自分でつくって、焼いて、売って・・・

一生の内に何個できますか?

今仕事をしている個人作家も、先人の積み重ねがあるからこそ出来るわけです。

魯山人のこの節に書いて居る話を読む限りにおいては『愚か者』としか良いようがありません。

茶の湯を習っていると、それぞれの道具が極めて理にかなった作り方をされている事がよくわかります。

決して聞きかじりで『はいはい、その様にやります』では作り得ない。

我が国の文化というのは、必要最小限にして、要らない物は出来る限り削り取る事を特色としています。

だから、最小限の道具ですべての事が出来るように、ほんとうによく考えて造られて居ます。

それは、天才には出来ないんです。

先人の積み重ねと自らの実践、そして絶え間ない研鑽と研究。

これがあってこそ、実現する世界です。

そして、一番大事なのは、一つのモノやコトを作り上げる為に一緒に仕事をしてくれる人達、そして、豊かなる自然への感謝です。

私の経験上、傲慢な人に良い作り手がいた試しは無いのです。

この本も、もう投げ捨てたい感じもしますが(^_^;)、じっくり読み進めて、この連載も続けていきますね。

こういう感じの方が記事も書きやすいですしね(^_^)

『【新連載】 『もずやの芸術論』第1話』2015/8/6

釣りばっかりしてんと、もっと為になるブログ書け!とのお言葉を頂いたので、また連載始めますね。

元にする本は、

『独歩ー魯山人芸術論集』
平野武 編著 美術出版社

です。

とりあえず、第1話です。

『序にかえて』から

独歩の言葉は鎌倉時代の高僧の墨跡からとったものらしいですが、魯山人は

『小生は一生を通じて世外生活に近いと言って良い程の境涯を独り歩み続けてきた。独歩の二字は私の過去の生活を適切に良い現しているかの感がありすこぶる我意を得たものとして題字に選んだ』

と書いて居ます。

柳宗悦との反目や、星ヶ丘茶寮でのいきさつをみると、なるほどな、という感じがします。

魯山人に関して特に詳しくはないのですが、とてつもなく偏屈なオッサンというイメージがあります。

自分は食い道楽で、この本の中ではその体験史になるだろう。

そう書いています。

その中で、食べ物のおいしさを引き立てるには着物を着せなければならない、着物とはつまり器の事です。

しかし、現代には良い作品が見あたらない。

だから、自分で料理をつくり、器も自分で、となったということなんですね。

『これは理想に近い行動であると信じている』

魯山人の作品を何度か見た事がありますが、なかなか味わい深い感じで、上手につくってあるなぁ・・と関心します。

私も陶芸をかじっていますが、やろうとおもっても、そう簡単に思い通りの形が出来るわけではありません。

『良い物を観てるからできるんだろう』

そう考えがちですが、良いモノを観ている事は必要かもしれませんが、十分条件にはなりませんね。

そもそも、手が動かない。

自分の思い通りに動かないんです。

私はまだ初心者で全然わからないのですが、土、絵の具、釉薬の組み合わせを習得するだけでも、かなりの年月と修練が必要だろうと想います。

それをあの年齢から、あのレベルの作品が造れるようになるには、器用さも必要でしょうし、一種の天才なんでしょうね。

陶芸には手早さも必要なので、そう簡単じゃないです。

『ほんまに自分でやったんかいな?』

ちょっと疑わしく想えるくらいです。

たぶん、料理も器も出来る限りの贅を尽くしてやったんでしょうから、さぞ素晴らしい物だったんだろうと想います。

しかし、芸術家肌の弱みは採算を度外視してしまいがちなことです。

結局彼の横暴さと浪費が原因で星ヶ丘茶寮から追放されたということです。

料理を造る人が器も作る。

自分の料理を引き立てるに最高の器を選ぶ。

しかし、それが無い場合は自分で造るしか方法がないのかもしれません。

それはよくわかりますね。

でもですよ、様々な技法と素材がある陶芸の世界で、これも多種多様な料理に合う器が自分一人の力でできるもんでしょうか。

それが、ずーっと疑問でしたし、陶芸を習い始めてから特にそう思う様になりました。

調べていたら、ちょうど京都国立近代美術館で魯山人の展示会が開催されて居るみたいです。(〜8/16)

魯山人の本を少しだけ読んだ事がありますが、食べ物に関してもかなり決めつけと偏見の強い人だなぁと感じましたし、たぶん、陶芸に関しても同じような事だったんじゃないかと想うんですよ。

それだけ自分の世界が確立していて、自信があってこその事でしょうし、その裏返しとして偏屈でもあったんでしょうね。

自分の世界に強烈な自信がある・・この事こそ天才の天才たる所以なのかもしれません。

第1話はこんな感じで。

魯山人はズバズバと強烈に書いていると想うので、私はユルユル書き連ねていきたいと想っています。