もずやと学ぶ日本の伝統織物第7話

『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第8

【特産品として】

『生業として成りたたせるには、地域的にまとまって、その特性を打ち出して行く方法がある。個人としてのがんばりをこえたところに、特産品として生きていく道があると言えよう。いや、発展の道さえがあるのである』

ここに上げられている品物は、

掛川の葛布、出雲祝風呂敷、津軽こぎん、秋田八丈、秋田畝織、米琉、合図青木木綿、筑波絣、福光麻布、福野絣、手縞、能登上布、堺段通、弓ヶ浜絣、阿波しじら、土佐地織、江戸小紋、長板中型

です。

特産品として生き残りに役立っているものとして、

保存会の存在、そして県や国の無形文化財指定が上げられています。

特産品はいわゆる『産地』で造られるわけですね。

それに対抗する概念は個人作家でしょうか。

全国を見てみると、個人作家も産地の中に居る人が多いのですが、ぽつんと産地から離れて染織活動をしている人も居ます。

地元大阪では現在、河内木綿がすこし造られているだけですが、それでも染織作家がいないかというといらっしゃるわけですね。

私は沖縄中心の仕事ですから、産地の特産物という感じになるのでしょうが、産地から離れて仕事をしている作家さんと比べると、産地のひとはずいぶん恵まれていると想いますね。

沖縄を見てみると、まず組合がある。組合があると、糸や染料、染織道具などの購入が楽です。共同仕入れなどで安く有利に仕入することができます。

整経機や蒸し機なども、自分で持とうと想えば大変ですが、それも組合に持って行けば経費は少なくて済みます。

また、組合が販路を開いてくれたりするのは、仕事を続ける上で大変心強いでしょう。

後継者育成事業などもしっかり整えられています。

そして、大学があります。

沖縄県立芸大から様々な情報が流され、指導を受けることも出来ます。

もちろん、仲間がいれば、情報交換もできます。

産地に作り手がたくさんいれば、それだけ業者も頻繁に来ます。

2、3人いたって、そこまで問屋や小売店は来てくれないでしょう。

小売店が毎月の様に京都に行くのは、京都に行けばいろんなものがあるからです。

それと同じで、たくさん作り手がいるところに、買い手は集まります。

その都道府県にぽつんと1人いたって、よほど有名にならないかぎり、見向きもされないかもしれません。

日本工芸会や、国画会でそれなりの地位を占めて初めて認知される、という感じでしょう。

伝統というバックグラウンドも大きな財産です。

作品がヘボでも、産地の名前が付いてれば、それなりの価値を見出す人はたくさんいます。

どんなに良い物を造っても、たとえば『羽曳野紬』って表示されていれば『なんやそれ?』です。

でも『結城紬』とか『小千谷縮』と書いてあれば、『ああ、有名やな』と想うわけです。

つまり、産地の特産品というのは、有名ブランドなわけですね。

みなさん、ブランドと聞いて何を思い浮かべますか?

欧米の有名ブランドを連想する方が多いと想います。

ルイ・ヴィトンやシャネル、カルティエなどは誰でも知っているでしょうね。

じゃ、そのブランドの何が良いの?と聞いて、答えられる人は少ないのかもしれません。

でも、言える事は『ブランドにふさわしい最低限の品質が保証されている』という事なんですね。

まさか、ヴィトンやシャネルが、いんちきな物、粗悪品は造らないだろう、と誰しもが想っているはずです。

確かにそうなんです。

有名ブランドは、期待に応える品質を備え、表示内容にウソがない。

その代わり、原価から考えたら、ずいぶん高い価格が付いているわけです。

つまりは、信頼が価値になっているということですね。

では、わが国の染織品のブランドはどうでしょうか?

産地のブランド、メーカーのブランド・・・

そもそもブランドって何ですか?

ブランドというのは日本語では『銘柄』と訳されています。

銘柄、つまり商品の選択肢のひとつです。

多くの商品の中から、それを選び出すときのメドとしてブランド=銘柄が使われるわけですね。

そのブランドに一定の信頼と安心を持つから、お客様は購入されるわけです。

そのブランドが気に入れば、ブランド・ロイヤリティ(銘柄忠誠)が高まって、重ねて何度も同じブランドを購入するということになります。

『資生堂の化粧品なら安心だな』とか『トヨタの車なら故障の心配がないな』とか想って、また資生堂の化粧品やトヨタの車を買うのは、その『資生堂』『トヨタ』というブランドに信頼を置き、ロイヤリティが生まれているからです。

再度、元の話に戻ります。

日本のキモノはどうですか?

インクジェット・プリンターで印刷したキモノを京友禅と表示し、似てもにつかない様な品質の糸を高機で織った物を結城紬と表示する。

それで、両者に対して消費者が期待している品質に応えているでしょうか?

もちろん、手仕事の技術の低下で、品質の優劣は生じるでしょう。でも、その品質が素材と工程から生まれてくるものであるとすれば、それにのっとったものでなければならないと想うのは私だけでしょうか。

前述の通り、この事に関して、結城紬は勇気ある大英断を下しました。

でも、ようやくという感じです。

そうでなければ、これは、消費者を欺く、ブランド価値の悪用であると私は思います。

また、伝統の価値を傷つける、きわめてバチ当たりな行為だろうと想います。

産地というのは様々な意味で、恩恵を受けているのです。

イメージ戦略というのは大事です。

でも、イメージを悪用して、消費者を騙してはいけません。

それが、伝統に根ざしたイメージであれば、これは言語道断です。

ブランド・マネージメントというのは、企業が行うべき事です。

私が『もずや』のブランドを高めようが汚そうが、私と私の会社の問題です。

しかし、産地のブランドというのは、先人が営々と築き上げてきた、その地域の、そして日本国民みんなの財産なんです。

産地が産地として、仕事を続けていく事は、信用を高める事と相反することではありません。

各産地は、その有利性を活用して新しいブランドを立ち上げれば良いのです。

産地に大事なのは、産地としてのブランドだけではない。

『ものづくりの力と伝統』こそが財産なのだと、想います。

もずやと学ぶ日本の伝統織物第7話

『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第7話

【意志と家業と】

ここでははじめに黄八丈の山下めゆさんと、館山唐桟の斉藤豊吉さんの話が載っています。

『肉親による家業としての意志の伝達がもっとも典型的な姿をとっているのは、一子相伝方式であろう』

『意志の力が家業として打ち込まれ、それによって伝統織物がささえられているとき、存立には力強いものがある。ここには、おばあさんの愛情とは違った家伝にたいする使命感がみられよう。それは日本の伝統織物を支える一つの太い柱でもある』

つまり、伝統技法と一緒に伝統の仕事を親から子へ、子から孫へと伝承し、継承していくということですね。

いわゆる世襲です。

政治の世界では世襲が批判の対象になっているようですが、その政治も含めて世襲というのも大変意味のある、合理的なシステムなんですよ。

伝統染織だけでなく、他の伝統工芸も、伝統芸能も軸となっているのは世襲です。

茶道の家元も世襲ですね。

一子相伝ということでなくても、その道の『本筋』『本流』を継承していくという意味で世襲はきわめて有効なしくみです。

世襲でなければどうなるかというと、十把一絡げにはできませんが、世の中の動きや市場動向に応じて、道をゆがめる事があるかもしれません。

世襲ならそれは無い、とは言いませんが、可能性としては低くなると思います。

なぜかというと、世襲で受け継がれるのは技術だけでなく、マインドも受け継がれる場合が多いからです。

マインドは意志ともいえるのでしょうか。

私も世襲経営者ですが、私も含めて父親の働く姿、仕事に対する姿勢というのものを物心がつかないうちから見て育つわけです。

土壇場に追い込まれたとき、なんとか踏ん張りがきくのは、『親父に申し訳ない』という気があるからです。

もちろん、中には親から受け継いだ大事な仕事をただの金儲けの道具と思っている人もいます。

でも、親や恩ある師匠から受け継ぐのと、そうでないのとでは、使命感に雲泥の差があると私は思います。

そんなことばっかり言っててもしょうがないのですが、近頃の作り手が世襲が少なくなり、師弟関係が弱くなったのがどうも心配でならないのです。

道を踏み外そうとした時、本気で怒ってくれたり、悩んだときに親身になって相談に乗ってくれたりする師匠がいないと、伝統の世界はどんどんゆがんでいくような気がするんです。

陶芸でも、近頃は3年くらい師匠の工房にいたら、すぐに独立してしまう人が多いそうです。

そんな事で、本当によい職人芸がはぐくまれるわけがないと思いますし、しばらくはうまくいってもいずれ早々に行き詰まるように思うのです。

世襲とか一子相伝というのを勧めることも、強制することもできませんが、それが極端に減少し、世襲が良くないことの様に言われる風潮が伝統の継承をより難しくしているのでしょう。

江戸時代までは職業選択の自由がそれほどありませんでしたし、親の跡を継ぐのが長男としてのつとめでした。

親もそのつもりでマインドコントロールしたんです。

いまは、職人だけでなく、私たちのような商売人も商売を継がせない人が増えました。

このことは、永年積み上げてきた我が国の蓄積を失っていくのと同じ事のように思います。

といいつつ、私にも後継者がいません。

もし、私に後継者がいたとすれば、それは販売技術の継承でも、商品プロデュースのノウハウの伝授でもありません。

私の『マインド』しか受け渡すべきものは無いんです。

世襲とか一子相伝というのは、先代から、いちばん大切な『エキス』をもらっているんです。

とぎれるということは、その『エキス』が埋もれ、失われるということです。

商業であれ、ものづくりであれ、エキスが失われるというのは我が国にとっても世界にとっても莫大な損害なんですね。

沖縄でも若い作り手さんで、親もやっていたから、という人をあまり知りません。

とくに織は少ないように感じます。

紅型にくらべて、織の人に熱っぽさがすくないのはそのせいかもしれないな、と思わなくもありません。

もずやと学ぶ日本の伝統織物第6話

『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第6話

【生命と愛着と】

『生業がことばどおりの生業ではなく、準生業・半生業といったばあいには、比較的残りやすい。それをよく表しているのが「おばあさんの手」による伝承である。すでにそのおばあさんたちは、家計の担い手ではない。趣味とささやかな実益と、そして強い伝統への愛着と、それらによって、伝承の灯がともし続けられている姿は、意外に根強く伝統織物の底流をなしている』

『かつて女は、日本社会の下積みだった。下積みだったからこそ、もちこたえられてこられたこの伝承のエネルギー。しかし、現在この人達に何が心配かを問えば、それは、あとを継ぐ若い婦人たちがいないか、または極めて少ないという事である。愛着の系譜の切れたところでは、いま造っている人の生命だけの期限しかない伝統技法もある』

『愛のきずなが生命限りのものとなったとき、その前途は短い。だが、生命による支えがさらに愛着のきずなを次の時代につなぐ可能性は、まだなくなったわけではない』

染めはともかく、織、とくに地方の民芸的な織物の多くは女性の手によって担われてきました。

夜や農閑期に織ったわけですね。

『与作は木を伐る♪へいへいほ〜へいへいほ〜女房は機を織る♪トントントン、トントントン』の世界です。

なぜ、この世界が失われたのか?

それは需要、つまり着物離れの問題だけではないと私は思います。

産業構造の変化と女性の社会進出も大きく影響していると思っています。

機織をしているイメージってどんなもんですか?

与作の世界のように、昼間は百姓仕事をして、夜は女性が副収入として織っていたという形が基本です。

江戸時代まで各藩で産業振興の為にいろんな織物が織られるようになりましたが、農業を捨てて機屋をやっていたわけではありません。

西陣織のような織物と民芸的な紬織の世界とは成り立ちからして別と考えた方がいいと思います。

昔は問屋制家内工業の形で、問屋から糸をもらい、縞帳どおりに織れば、工賃仕事で農業以外の収入ができた。

ところが、農業では基本的な収入が確保できなくなり、また他の産業が伸びていく中で取り残される形になった農業からは、従事者が減り、兼業農家も多くなった。

そして、仕事を求めて、男は都会に出て行く。女性も社会進出が盛んになり、外の仕事が中心になった・・・

つまり、故郷や自宅が『労働の場』ではなくなったのです。

夜なべしてやっと手にする工賃より、会社に居て座っていればもらえる給料の方が高くなった。

紬織、民芸織物が他の工芸と一番ちがうところは、農村の女性がその担い手であったことです。

西陣や沖縄の首里は特異な例ですし、これらは民芸とは言いません。

そして、その上に、機械紡績や自動織機が登場した。

つまり糸は大量に紡績され、大ロットで染織される。もちろん、それは低価格化を招きます。

第5話でもお話ししたように、もう生業として成りたつどころか、造ったって買う人がいない、という状況に追い込まれたわけです。

今では考えにくい事かもしれませんが、『手より機械で造った方が良いモノができる』と思われていた時代がつい最近まであったのです。

考えてみてください。

つい最近まで、『手で書くよりワープロでうったほうが丁寧だ』と封筒に宛名を印刷していませんでしたか?

こぞって機械を導入したのは、安く大量に出来る、というだけでなく、手より良いモノができると信じられていたからなのです。

そんな世の中で、現実の世界で生活している人、とくに女性が、そのまま手仕事を続けていけるわけがありません。

ここに書かれている『命の灯をともしている』おばあさんはその端境期にいて、『てなぐさみ』としてやっていたのです。

つまり、ここでいう『きずな』というのは『てなぐさみ好き』の愛好会のきずなです。

布というのは不思議な力があります。

糸や布を触ったり、見たりしていると心が落ち着くんです。

とくに手作りのモノは威力があります。

夫婦げんかしたときには、部屋中に着物をまき散らして、心を落ち着けるという方を何人も知っています。

織っている時には、織機と一体になってしまうような感覚があるほどのめり込んでしまうのも、そのせいだと思います。

この『布の魔力』にとりつかれた人もまた、『きづな』でつながれた人です。

布が好きで、手なぐさみとして織をしたい、そういう人だけがやればいいのです。

私が出来る仕事というのは、その布が好き、造ってみたい、という人を一人でも増やして、仕事を続けられるようにする事くらいです。

テーブルセンターやマフラーからでいい。

楽しく造って、上手な人、才能に恵まれた人がさらに先に進んで、帯、着尺と織っていけばいい。

ちょっと前に『好縁社会』という言葉がはやりましたが、まさにその『好い縁』で繋がれた人々が助け合いながら仕事をしていけばいいと私は思っています。

その好縁社会のひとかけらが『もずや会』なわけです。

だから、もずや会の会員だからと言って、私が仕入れるというワケでもないし、まったく自由な染織が好きな人達の集まりなんです。

楽しくないとダメですよ、趣味仕事なんですから!

もずやと学ぶアーツ&クラフツ第5話

『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第5

ちょっとだけ動画でやりましたが、今年からは文章にしますね。

動画はたま別の話題でアップします。

動画で連載というのは、環境的に難しいようです。

でも、けっこう面白いのは面白いので、たまにやりますね。

【消えていった生業】

ここに『消えていった織物』として以下のものがあげられています。

・常磐紺形(宮城県)

・ぜんまい白鳥織(秋田県)

・開田麻布(長野県)

・井波絣(富山県)

・倉吉絣(鳥取県)

・半兵衛更紗・鍋島段通(長崎県)

・日代木綿(大分県)

昭和30年代に『消えていった』と認識されたものでこれだけあります。

このうち、倉吉絣と鍋島段通は復活したのですかね。

著者はこれらには共通点がある、として、それは要するに

『生業として成りたたなくなった』からだ、と書いています。

『それらは大なり小なり、その土地の産業だった。ある程度まで利害関係を離れた熱心な少数者(教員など)の努力によってその土地の産業は支えられてきた。しかしそれらは、時勢の移り変わりのなかで、ほどんど人知れず消えていったのである』

『生業である以上は、ほかのよりよい生業があれば、それに移ってゆくのはまたやむを得ない。それをおこし、推進したリーダーの姓名と意志のみで支えられるようなこの種の伝統織物は、やはり衰退すべき運命にあったのかも知れない』

悲しい事ですがこれが現実ですし、いまなお続いている状態でもあります。

食べて行かれなければ、仕事は続けられないのです。

沖縄でも石垣島に染織従事者が少ないのは、他に仕事があるからです。

観光の仕事が盛んで、物販も成果があがり、仕事があるのです。

ということは、新石垣空港が開港すれば観光客はさらに増え、染織従事者はさらに漸減していくでしょう。

久米島や与那国では他に仕事といえば、精糖と酒造(泡盛)くらいです。

そんな状態でも、織物の仕事を諦めなければならない人が出てくるでしょう。

沖縄は助成金などでも恵まれていますが、他産地はもっと厳しいですし、産地から離れた個人作家となれば、収入をアテにすることさえ難しいと思います。

では、どうしたらいいのでしょうか?

結論としてはどうしようもありません。

生業として成りたつことは無いと思います。

私が何度も書いている事ですね。

やるべき事はただ一つ。

生業として成りたたないという意識から出発することです。

ある産地の方がおっしゃっていた話がいまでも心に残っています。

『化学繊維が出来、自動織機が出来た現代、この布はもう終わった布なのよ。でも、その上で私たちはこの布を守っていかないと行けないの』

名言だと思います。

身を守り、体温を保つ為の布、衣服としては伝統工芸の布は役割を終えた。

代替品は安価に大量にあるんです。

ワンコインでシャツが買える時代です。

でも、その中で、自分達の仕事をどう位置づけるか。

どんなにねじ曲げた仕事をしても、手を抜いても、手仕事は割に合わない。

だから、やめるのか、それでもやるのか、です。

やるなら何の為にやるのか。

伝統を守るためにやる、自分の表現としてやる、そして造りたいからやる。

人それぞれであっていいと思います。

ちょっとしたお小遣いが好きな仕事して入るならそれで十分というのもいいでしょう。

私が思うのは、やると決めたからには、良いもの、自分の名前に恥じないモノをつくろうよ!ということなんです。

私とお付き合いのある作家さんは言われた事あると思いますが、私はしょっちゅう言います。

『この作品にあなたの名前が付いてでますけど、それでいいのですか?』

『この作品を造っていて、あなたは楽しかったですか?』

作家だったら、意に沿わないモノをつくるもんじゃありません。

問屋がどんなに言っても、イヤなモノをつくるんじゃない。

イヤイヤ、気の入らないモノを造ってもロクなものはできやしないのです。

その代わり、しっかり勉強することです。

『どうせ終わった恋だもの』じゃないですが、『どうせ終わった布』なんです。

売れるか売れないか解らないけど、とにかく良い物造ろう!楽しく仕事しよう!

そうしたら、良い物が出来て、造っているときの楽しい気持ちが伝わって売れるもんなんです。

伝統染織は正直にやればやるほど、手を掛ければ掛けるほど、もうけから遠のきます。

私の様な売る仕事も同じです。

でも、それでもやんねん!そやかて、好きやねんもん!

好きでも続けられないとうのなら、やめたらよろし。

恋も仕事も、諦めなければならない時もあります。

だからこそ、続けられるのであれば、腹の底で覚悟を決めて、楽しく仕事をしましょう!