【一、能に、強き・幽玄、弱き・荒きを知る事】
一昨日、長期の出張から帰還し、おかげさまで昨日48歳の誕生日を迎えることができました。
ありがとうございました。今後ともますます精進を続けますのでよろしくお願い申し上げます。
さて、ここで世阿弥はこう言っています。
幽玄が表現できるのは物まねの主体が幽玄に適しているからで、観衆が幽玄を望むなら、作家は幽玄に即した登場人物・題材を選んで書かねばならない。
着物でいえば、お客様が着物に対して持つイメージが京友禅の様な、はんなりたおやかな物であるなら、そういう商材を選ばねばならない、ということです。
着物ファンならずとも、一般の国民はキモノ=京都、と連想されることでしょう。
私も他府県の方と話をするときに、呉服業界の人間だというと、はじめから京都人だと決めつけられてしまっています。
大阪人=阪神ファン、というより強いかもしれません。
現実に、私は京都人でなく大阪人ですし、阪神ファンでなくてかつての近鉄バファローズファンです(でした)。
能=幽玄と思われていて、お客様もそれを望んでいるなら、それに応えた内容にしたほうがいいと言うわけですね。
だから、キモノのほとんどはいわゆる京風になっている訳です。
ところがどっこい、沖縄まで京風になってしまってきています。
これは問題ですね。
キモノ=京風=沖縄も京風でなければならない、とはならないはずです。
で、わたしは、壮大なる?実験をしてみたわけです。
仮説はこうです。
『伝統の美は普遍的である。地域や国を問わない。だとすれば、沖縄の伝統的な美も普遍的であるはずで、それはそのままヤマト人にも受け入れられるはずだ』
結論は、このブログの読者の方なら想像が付かれるだろうと思います。
仮説は実証されました。
では、キモノ=京風であるとすれば、京風のキモノのファンにも沖縄物は受け入れられるか?
伝統美が普遍的であるならば、受け入れられるはずです。
結論は受け入れられました。
京風と沖縄風。相反すると見えるような二つの染織に一人の顧客が双方を受け入れる。
これはどうしてか?
双方に共通する物は何なのか?
もちろん、双方とは京物でも一流品、沖縄物では弊社の作品群を指します。
美に共通する物は何か?
美とは何か?
それは『見て人間を心地よくするもの』ではないでしょうか。
美味しい物が世界共通であるように、美しい物も共通ですね。
それは、生物としての人間の中に心地よく入ってくる何かをもっているということです。
眼で見る物なら『心の栄養』になるもの、とでも言えばいいでしょうか。
そしてそれは何なのか?
私がいま思いつくところでは『しなやかさと力強さ』ではないかと思うのです。
私たちが景色として観る自然が、それをそのまま持っています。
その中に、身体の心地よさとか、ある意味での緊張感を持つ。
人間は美の中に、生命体としての意識をそのまま投影するのだと思います。
それは、暖かさであったり、明るさであったり、死生観であったり・・・
それは和琉共通です。そして、広い意味で世界共通です。
昔、近鉄バファローズに鈴木啓示という大エースがいました。
5年連続20勝を挙げていましたが、その後スランプに陥っていました。
その時、阪急ブレーブスから電撃的に着任したのが西本幸雄監督でした。
それまでは剛速球一本槍で、二段モーションで投げていた鈴木をよみがえらせたのは西本監督でした。
鈴木は、力投派から軟投派へ転換しようとして、ノーワインドアップ・モーションにし、流れるようなフォームになりました。
その時に、西本監督が言ったのは、
『美しいフォームの中にも力強さがなかったらアカンのや』という言葉だったそうです。
よみがえった鈴木は再度20勝投手に返り咲き、バファローズを初優勝に導くことになりました。
余談の様ですが、美について考えるに参考になる事柄です。
美しさと力強さがあって、そこにはじめて、『すごさ』が宿るんです。
『すごみ』という事ですね。
この『すごみ』こそが、世界共通なんだと思います。
世阿弥がここで言っている幽玄というのは、完璧なまでに完成された美です。
すごみをすでに持っている美です。
それを幽玄というのでしょう。
この『すごみ』を表現するにはどうしたいいのか?
私は小手先に頼らないことだろうと思います。
小手先で造った作品はすぐにわかります。
需要にすりよった作品もすぐに見抜けます。
すごみがないのです。
いかに作家さんが『すごい』作品を作り続けるようにするかがプロデューサーの腕です。
それには、その作家さんの一番好く表現しうる美をくみ取り、引き出し、提案してあげることなのだと私は心得ています。
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