もずやと学ぶアーツ&クラフツ第4話

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第4

【ジョン・ラスキン】

少し、投稿が遠のいたのは、この節をまとめるのに手間取ったからです。

中身が飛び散っていて、趣旨をつかむのに苦労しました。

それだけ、このジョン・ラスキンという人の活動範囲が広くまた、影響度も大きいということかも知れません。

ジョン・ラスキンは『前半は美の思想家、後半は社会の思想家』だったと書かれています。

経済論も展開したようですが、大したものではなかったようです。

しかし、経済論を展開したということが後のラスキンの存在意義を高める事になったようです。

『今日、我々は、概して、経済問題が道徳的議論から切り離せないという考えを持っている』

『ラスキンのモラリティックな芸術理論には今日の為のラスキンは無い。しかしそれは明日の為のラスキンであるだろう』

(ケニス・クラーク)

そして、

『ラスキンを芸術をこえて駆り立てていった上念の張力こそがラスキンお最上の作品に影響を与えているのである』

何度も何度も、この節を読み返したら解ったのですが、ラスキンの功績は

『芸術に精神性・道徳性を盛り込む事を示唆した』

ということなんですね。

『フロレンスの美について語るためには、まず我々自身がが我々の生活を美しくしなければならない』

『子供達が飢えて死んでいくとき、フロレンスの芸術は何の役にたったか、という芸術をおびやかし続ける原始的問題がラスキンによって提出される』

つまり、芸術というのは何の為にあるのか?という事ですね。

このあとに、印象派やらラファエル前派やら、キュービズムやら書かれているんですが、ポイントはココです。

『見ることと知る事の関係を明らかにしたゲシュタルト心理学的な構成概念の導入によって』

ゲシュタルト心理学:人間の精神を、部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。

この構成概念の導入が『ターナーの絵画の感覚性からゴシックの構築性へとラスキンを向かわせた』のです。

『建築とは人間によって立てられた建物を、用途は何であろうと、それを観る事が人間の精神的な健康、力、および快楽に貢献するように整え飾るところの美術である』

ようやく出てきましたね。

『芸術の効用』という物に目を向けたわけです。

『ラスキンは建築とは肉体的機能性のみではなく、精神性そのものとして定義する。構造と装飾の関係が問題となる』

『ラスキンには昨日主義的側面がある。しかし、機能主義とラスキンを分かつのは<必要>としての構造を超える精神的なものとしての建築の原イメージである』

つまり、建築の構造と装飾が人間の精神に影響を与える、という事ですね。

ひいては、物が精神に影響を与える、という結論が導き出されるわけです。

『機械による大量生産される製品に醜さに対して、ラスキンは中世の工人たちの工人たちの手仕事によってつくられた美しいかたちを理想とする』

『機械にまで物化した労働者と中世の自由な職人との対比。全的人間の自由な創造こそが真の建築を生み出すのであり、建築とは社会体制にかかっているのである。ラスキンの機械への反対を進歩への反対とするのは間違っている。それは人間の機械化への反対なのである。』

『神の家と人の家は等しく美しくあるべきであるという思想、建築は精神に働きかけねばならない、つまりは建築の原イメージ、芸術としての建築、がラスキンのアールヌーボーへの問題提起である』

後で出てくる、アーツ&クラフツ運動の主役、ウイリアム・モリスが家具やインテリアを中心に造ったのは、ここに流れがあるからなんですね。

『世紀末はすべてラスキンから流れ出している。ラスキンを受け継ぐのはウィリアムモリスである。生活の為の美として、民衆芸術の創造をモリスは目標とする。一方、世紀末のデカダニズムもラスキンをその根としている美のための美としての、芸術の自立性』

デカダニズムというのは19世紀末に現れた『世紀末の憂鬱』から出たものなのでしょうが、定義をググっても出てきませんね。

とりあえず、憂鬱な感じと覚えておいて、あとは当時の作品から感じ取ったらいいと想います。

『世紀末と美のための美、デカダンと社会主義はラスキンにおいて出会う、アールヌーボーの二つの顔である』

『世紀末』『デカダン』というのはアールヌーボーを考える上での大事なキーワードです。

デカダン:19世紀末に文学的な潮流として現れたデカダンスに属する動き。転じて、世紀末的な耽美的かつ虚無的な態度を意味する語としても用いられる。デカダント。

世紀末芸術というのを調べれば、なんとなく感じがわかるかもしれません。

なんとなく、先が知れない、憂鬱な感じ・・・と言えばいいでしょうか。

作品を見ても、なんか暗い影があるような感じがするのはそういう世相を反映しているのかも知れません。

そういう世の中でラスキンの思想が生まれ、ウィリアムモリスに受け継がれた、ということなんです。

ラスキンを源流として、芸術の流れは今にまで続いています。

とくに西洋絵画、アカデミズムとも言える大学教育では、その流れは顕著です。

どんな流れかというと、芸術に精神性を盛り込んだ、社会運動としての芸術、という流れです。

アーツ&クラフツ運動にもその流れが当初から来ていて、それが日本の民芸運動にまで連なる訳です。

注目すべきは、ラスキンと同時期にマルクスは資本論を著しており、ラスキン自身も労働者の権利回復の為の社会主義運動をしていたのです。

柳宗悦の民藝論を後で一緒に勉強しますが、柳が『貴族的工芸』を徹底的に攻撃したのも、ここに民芸運動の根本があるからだと私は考えています。

しかし、わが国では、貴族的工芸と民衆的工芸を分けることは出来なかったのです。

柳が忌み嫌った『下手な手で下手な細工をする』作り手は、『作品に意図を盛り込む』ラスキンの言う工芸家でした。

そこに、矛盾が生じ、アールヌーボーは、アールデコにとって変わられ、民藝論は自滅したのだと私は感じています。

もずやと学ぶアーツ&クラフツ第3話

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第3話

【ゴシック・リバイバル】

ゴシックってどんな感じのを言うか、イメージが湧かない方は自分で検索してくださいね。

『ゴシック・リバイバルはイギリス的運動であった。多分、造形芸術における唯一の純粋なイギリス的運動であった。』(ケニス・クラーク)

『それがまさにイギリスのものであるのは、イギリス・ゴシックが、決して、大陸のように途絶していたわけでなく、ブレイクがのべていたように、パーペンディキュラー(垂直的)なイギリス・ゴシックの線的性格が受け継がれていたことにある』

『本格的なゴシック・リバイバルの運動は1830年頃からである』

『ゴシック・リバイバルは実際の建築よりも、ゴシックの歴史的研究において成果をあげ、イギリスの伝統としてのゴシックに眼を向け、その構造と装飾の資料が集成された。ゴシックの家具やカーペットなどの文様が研究され、ウィリアムモリスの工芸運動を準備したし、ゴシックの地方建築(ヴィラ)などの素朴な美しさの発見はドメスティック・リバイバルをよびおこしている』

『この運動はラファエル前派と同じく、スタイルだけでなく、モラリッシュな様相を含んでいる』

『リバイバルの最上の精神・・・ビュージン、ラスキン、ウィリアムモリス・・・は芸術の変革から社会の変革へ、死せる装飾的フォルムの擁護から社会秩序の不滅の原理の擁護へと向かった』(ケニス・クラーク)

『ゴシックのカテドラルの構造はヴィオレ・ル・デュック』によって研究され、彼はゴシック構造を絶対的合理生としてとらえた。また一方で、ゴシックの装飾文様を紹介した。デュックの図案はアールヌーボーのソースとなっている』

ゴシック様式のリバイバルからそれを分解して構造・装飾が抜き出され、さらに、精神とか原理とかいう物へと昇華され、またさらに、そこから形つまり図案とか装飾へと戻っていったような感じがありますね。

精神というか抽象的なものから形、具体的な物へ、そしてそこからまた精神へというのは宗教でよく見られるんです。

たとえば、仏像です。

飛鳥時代、奈良時代の仏像と、平安時代以降の仏像は表情が違いますよね。

お寺に行けば絵解きというお釈迦様の教えをわかりやすく図解した絵がおいてあったりします。

それは、教えや伝えたいものが変わると、それを表現した偶像も変化していること、そして言葉よりも絵や像がより一般的に理解されやすい事をしめしています。

18世紀まで教会から委託されて描かれていた絵は、すべて聖書の話です。

つまりお寺の絵解きと同じです。

お釈迦様やキリスト様の教えがあって、それが様々な形となって、偶像として信仰の対象となる。

そこから、さらに新たな教えが生まれたりもするわけです。

私達日本人も西洋人も、美しいものに神が宿るような気がするのは同じことだろうと想います。

醜いものは神から見放された物と自然に感じるでしょう。

お釈迦様やキリスト様の醜い姿を描いた絵を私は見たことがありません。

あるはずがないのですね。

私達、日本人なら、東大寺の盧舎那仏(大仏様)の安らかで大きな姿を見て、何も感じない人はいないしょう。

その『感じた何か』が造られた目的なんですね。

私の住んでいる河内、飛鳥、奈良のあたりには国宝どころか、平安京が出来る前に造られた仏像がたくさんあります。

それらの仏像と平安遷都以降につくられた仏像とはなにかが違っているんです。

ここが、この美術工芸史をつかむポイントだと私は思っています。

ウィリアム・モリスが擁護を目指したという『社会秩序の不滅の原理』とはなんでしょう?

上記の話が間違っていないとすれば、この『社会秩序の不滅の原理の擁護』こそがモリスのアーツ&クラフツ運動の目的で、彼の作品の制作意図だと言えるでしょう。

モリスについては後で詳しく出てくるので今は触れませんが、芸術・工芸というものと思想・哲学との関わり方について考え、その距離感はどうあるべきなのかを考える事は、作家として生きていく上で大きな意味があることだと想います。

モリスは、社会主義運動をしながらも、モリス商会という会社を立ち上げ、自己の中に大きな矛盾をはらんでいきます。そこにも深く考えるべきポイントがあります。

もずやと学ぶアーツ&クラフツ第2話

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第2話

昨日は初釜、今日は謡い初めを終えて、いよいよ明日から仕事始めです。

【ラファエル前派】(プレラファエリズム)

ここくらいからいろんな芸術家の名前が出てきますが、できたらネットで背景や作品を参照してくださいね。

・ラファエル前派はミレー、ハント、ラセッティによって結成された。

・当時のアカデミズムはラファエルを偶像視し、『崇高なる芸術』という観念がヴィクトリア朝をとらえていた。

・ラファエル前派はこれに対して、初期ルネッサンスのジオットやオルカーニャなどの素朴で力強い描写に戻ることを主張した。

・『ラファエル前派には一つの理想はない。自然の中に見た物を画布に再現することである』(ミレー)

・コンベンショナル(慣習的)な技法ではなく、自然そのものから出発することを目標として掲げた。

・プリミティヴなもの、日常的なものにおける美の発見が求められた。

上に出てきた『アカデミズム』という言葉に注意してくださいね。

○ラファエル前派の自然主義=細部における写実、触感的表現→空気遠近法の否定、タピスリ的な工芸性

○ラファエル前派は目で見、触って確かめられるものしか描写しない。しかもこの自然の表面のみによって象徴としての幻影を主題としていたのである。

○この室内性、触覚性、工芸性がバーン・ジョーンズからモリスに受け継がれた。

○ラファエル前派の中で、

  ミレー・・・自然主義、写実主義を主張

  ロセッティ・・・幻想的象徴性・・・・・・・・・・→ウィリアムモリス

  ハント・・・中間的

☆ラファエル前派がアールヌーボーに送るのは触覚的写実(室内性、平面性、工芸性)による神話的幻影、象徴性

○ロセッティにおいてラファエル前派は大きく転回する

『外的自然への忠実』から『自分自身の内的経験への忠実』へ→ラファエル前派の自然主義はモラリッシュ(道徳的)

ーーーしかし神々は死んでいたーーー

実践理性としての道徳は神の代わりに美を選んだ(美の宗教)

=自然から出発しながら芸術至上に達する

→『自然は芸術を模倣する』(ワイルド)

○バーン・ジョーンズにおける

 

 ・自然の写実に関わる構成(コンポジション)の優位

 ・視覚言語としてのイディオムの構成

 →デザインの萌芽→ウィリアムモリスのアーツ&クラフツ運動はここから始まる。

○イギリスのロマン主義の道徳性は、フランスにおける象徴主義の社会からの断絶に比べてつねに社会的である。アールヌーボーがなぜイギリスにはじまるかという原因のひとつがここにある。

と、こんな感じのあらすじです。

かなりわかりにくいと想いますし、私の理解も不十分、あるいは間違っているかも知れません。

たぶん、こういう事だと想うんです。

教会が力を持っていた時代は芸術家は教会で教化につかう宗教画を描いていれば良かったし、王権が強いときは王家や貴族の絵を注文で描いてれば良かった。

しかし、宗教改革によって教会の権威は失墜し、神ー教会ー民衆から、神ー民衆とダイレクトに神と繋がっているという気持ちができた。

つまり、神は我々の中にある。

また、教会、王族・貴族から注文をもらっていた芸術家は絶対的パトロンを失った。

誰が買うとも知れない絵を描かねばならないわけです。

何の為に描く?

絵画の制作が労働とは捉えたくないでしょう。労働は原罪によって発生した罰ですから。

そこに入ってくるのは、自分の精神。

神と繋がっている自分から生まれてくる主張です。

大衆性と道徳性・倫理性、双方を満たさねばならないわけですよね。

結論として生まれてきたのが『抽象性』、つまりメッセージ性です。

卑近な題材の中を見出して、その中に挟まっている猥雑な物を取り払う。

単純化し連呼することで、自分のメッセージを作品の中に込める。

たぶん、『南無阿弥陀仏』『何無妙法蓮華経』のお念仏と同じです。

重要なのは、技法の変化つまり、ラファエル以前の表現に戻るべきだとした、ということよりも、『抽象化』し『デザイン化』した、という部分です。

表現にとらわれると、アールデコへの流れがわかりにくくなります。

結末して、アールヌーボーの自然写実的な表現は挫折し、よりデザイン的なアールデコになって初めて、幅広く民衆に受け入れられデザインとしての洗練を見せたと言えると想います。

とにかくこの話は建築から絵画、陶器、ガラス、金属器、洋服、舞台芸術まで幅広いジャンルに渡りますから、テーマを絞らないと訳が分からなくなるんです。

注目していきたいのは、抽象化、デザイン化というキーワードです。

この言葉から何を連想しますか?

私達、呉服業界の者なら、『家紋』だと想います。

世界中見渡しても、この日本の家紋ほどすぐれたデザインは無いと私は思います。

後にジャポニズムがいかにアールヌーボー・アールデコに影響を与えたかを書くことになるかと想いますが、日本人のデザイン力が如何に図抜けているかが解ると想います。

デザインとはデ・サイン。

つまり記号化です。

絵画、彫刻などの純粋芸術、工芸などの応用芸術、舞台芸術まで含めて、その中に記号として作者の主張を埋め込む。

この記号がデザインです。

続きはまた今度 (^_^)

もずやと学ぶアーツ&クラフツ第1話

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第1話

さてさて、今日からはじめましょう。

私は美術工芸論の専門家でもありませんし、学者でもありません。

知識は十分ではありませんし、あくまでも自分の仕事に役立つような読み方をしていきます。

アーツ&クラフツ、アールヌーボー、アールデコ、といっても建築からファッションまできわめてジャンルが広く、社会現象とも言える大きな潮流です。

この中で、私が焦点を当てていこうとするのは、あくまでも日本の工芸であり、最終的には染織です。

大学で勉強した、あるいはしている方もいらっしゃると想いますが、学者さんとはまた違う視点というのを感じてもらったらいいのではないかと想います。

私は、工芸の世界に生きていますし、工芸品には興味を持ってきました。工芸論を体系的に学んだのは大阪芸術大学の通信教育です。

通信ですから講義はありません。本を読んでレポートを書くだけです。

私の記憶によれば、このジャンルの科目は数種類あったと想いますがオールAでした(^_^)v(あたりまえですが)

この連載もその知識をベースに、私なりの味付けをして書いていく事になると想います。

ゴタクを並べてないで書きますね(^_^;)

 プロト・アール・ヌーボーの歴史】

【アール・ヌーボーの起源】

ここではアール・ヌーボーの起源としてウイリアム・ブレイクをあげています。

ウイリアム・ブレイクというと民芸運動の柳宗悦が研究者として知られています。

これはポイントですので、押さえておいてくださいね。

なぜかというと、19世紀末からの工芸・芸術の流れは宗教・哲学・思想とは切っても切れない関係にあるからです。

そこを知らないと、『芸術・工芸の呪縛』から解かれることはないし、それがこの連載を書く目的の一つでもあります。

『ブレイクにはアール・ヌーボーのライトモチーフのすべてがある。流れるような動線とそのリズム。非対称性。植物的モチーフ』

ここであげられている『アール・ヌーボーのライトモチーフ』は日本人にとっては自然に感じられる物です。

ジャポニズムとアール・ヌーボーとの関係についてはあとでお話しする機会があるだろうと想います。

ブレイクがアールヌーボーに先駆すると考えられる点としてこの本の著者は次の3点をあげています。

1.モチーフ、形態

2.印刷技法によるグラフィックアート

3.詩にうたわれた思想(社会主義、宗教的、象徴的、芸術的ユートピア、宇宙的感覚)

そして、こう書いてます。

『ブレイクにおいてはこれはスタイルの問題ではなく、その終末論的思想によって選び取られたものである』

『ブレイクの抱いていたのはそこにおける天国と地獄の結婚というユートピアであった。終末感、予言書とは社会の激動と抑圧の時に現れる。それは社会の抑圧への怒りから生まれている』

ブレイクをアールヌーボーの起源として捉えるとすれば、そこには同じものが流れていると考えるのが自然でしょう。

ブレイクのもった抑圧への怒りとは何に対してであったか?

それは『革命思想』です。

ブレイクの生きた時代を確認してみてください。1757−1827ですね。

この間に何がありましたか?

非難爆発バスティーユ。1789年、フランス革命の始まりとなるバスティーユの襲撃が起こっていますね。

最近、慶應の通信で政治学の教科書を読んでいて気づいたのですが、この芸術の流れは宗教改革から始まっているんですよ。

つまりマルティン・ルター、カルヴァンの時代、実に16世紀の話です。

ここから、教会の権威の低下、王権への不満・地位の低下、フランス革命、各国で王権の打倒と民主化、芸術の主役の交代・・・

と繋がっていくのです。

この流れの中から、宗教・哲学が無くなることはありませんでした。

というより、常に宗教と哲学が核心にあったと言うべきでしょう。

これが理解できないのは日本人の特徴かもしれませんが、民藝論までの流れを考える上でも大変重要なポイントです。

柳宗悦がウイリアム・ブレイクの研究をしたこと、白樺派に参加していたことも注目すべき点です。

話を戻すと、このウイリアム・ブレイクからラファエル前派の運動を経て、アールヌーボーへと流れ込んでいくのです。

『ブレイクがあらゆるジャンルを超えた普遍的芸術家としてアールヌーボーの理想であることであり、究極的には普遍的人間を志向していたということがある』

普遍的芸術、普遍的人間って何でしょう?

『ブレイクの終末感、ユートピア思想における社会と歴史の弁証法の洞察、社会と芸術の孤立でなく葛藤。ブレイクはヴィジョネール(幻視者)であり、レボリューショネル(革命家)である』

そしてこう書かれています。

『子供の無邪気さと悪魔の美しさと、美と政治の揺れ動き、芸術を超えてかりたてられていく衝動こそブレイクとラスキン、モリスを、そしてアールヌーボーを外的スタイルのみでなく、内的精神においてつなぐものである』

なんとなく解るでしょう?

つまりは政治・社会を芸術で『革命』しようとしたのです。

宗教改革は神と民との直接の繋がりを意識づけた。

民はだれも、神の下において平等である。

すなわちこれは教会や王権の存在否定に繋がります。

ここから、持てる物による持たざる物の収奪という観念が生まれ、マルクス・レーニン主義を生み出します。

唯物史観です。

神の否定。反商業主義。

ウィリアムモリスも社会主義運動家であった事を考えると、この流れを指摘しない方がおかしいと想います。

そして、これには産業革命も大きく影響しているのです。

後に詳しく書く機会があると想いますが、王権の崩壊によって経済の主体は民衆に移った。

それによって、大衆文化が発展したんですが、これは蒸気機関の発明もあって機械による大量生産が行われる事になった。

それまでの職工は機械に仕事を奪われることになる。

これが、アーツ&クラフツ運動の原点となったんです。

という感じで、今日はこんなところにしときます(^_^;)

もずやと学ぶアーツ&クラフツの意義

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』の意義

来年からはじめる、『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』について、なぜ今、この話を書きたいのか、をお話ししておきたいと思います。

一番は、その流れなんですね。

ヨーロッパの王政の崩壊から、近代機械産業の発展、消費の主役の交代、その流れとともに、アーツ&クラフツ、アールヌーボー、アールデコと移っていきます。

この流れを宗教、哲学、思想、経済、芸術、工芸と並べて見ていくと、この先、私達が何を目指せばいいのか、何を取り戻さねばならないのかが解るのではないかと想うんです。

今の芸術論、工芸論は昔から言われてきた物ではありません。

ほんの100年ほどの歴史しかない。

機械産業の隆盛で、町には失業者が溢れ、同時に、機械生産による美を伴わない品物が生活に入り込む。

ウィリアムモリスの運動も、彼が社会主義者だったことを忘れては語れないのです。

しかし、モリスの作った品物も結局は庶民の暮らしには程遠い高価なものだった。

アールヌーボーも同じです。

そこで生まれたのが、『デザイン』をメインにしたアールデコです。

機械生産により、洗練されたデザインのものが数多く、廉価に市場に行き渡るようになった。

この時点で、『手仕事はデザインに敗北した』といえるかもしれません。

そして、その流れは今も続いていて、デザイン自体も衰退し、機能と価格が最高の訴求内容となってきています。

安い、温かい、丈夫等々・・・

デザインの美しささえ顧みられなくなる。

建築もアールヌーボー・アールデコの代表選手ですが、建築さえも無機質な機能最優先のものばかりになってきています。

つまり、生活の全てから美しさが消えようとしているのです。

19世紀末からの流れをみると、それは上流から下流へ、高きから低きに流れる、必然と言えるかも知れません。

工芸に身を置く方々は、その流れに身を任せるのか、あるいは、流れに逆らってあくまで美しさを追求するのか。

そして、その美しさは何によって表現するのか?

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉があります。

私は、この話の中で、読んでくださる皆さんに一方的な方向付けをするつもりはありません。

無論、私の主観、哲学、人生観が話の中にも大きく反映してくるとおもいますが、それに気を取られないで、歴史の流れを把握して、自らの頭でこれからの自分の方向性を考えて欲しいのです。

また、芸術や工芸のありかた、政治や宗教、哲学とどのように関わってきたのかを知り、また芸術・工芸の様々な分野がどのように影響しあってきたのかも知って欲しいと想います。

そして、その中で日本の民藝論をどのように位置づけるべきなのか、も考えてもらえたら、と想います。

あくまで、このブログは私の書きたいように書きます。

独断と偏見で書きます。

それに反対意見を持たれるのもいいでしょうし、共感されるのももちろん結構です。

どちらにしても、学びを深め、自分の立ち位置をしっかり見据えるきっかけになればと想っています。

話の流れとしては、先にあげたテキストを元に、アールヌーボー→アールデコ→民藝論と進んでいきます。前二つはヨーロッパ中に話が飛びますし、他分野にまたがった話になりますので、かなり時間がかかるかもしれません。

私も大好きな分野の話なので、楽しみながら書いていきたいと想います。

年が明け次第、開始しますので宜しくお願い致します。