『商道 風姿花伝』第35話

商人として心得ねばならないことのひとつです。

鑑識眼、審美眼のある人だけを対象にした商品づくり、説明でいいものか。

いわゆる玄人好み、わかる人にはわかる内容でいいのか。

たとえば料理なら、おいしいものは誰が食べてもおいしいと感じるはずです。

ただ、ここでも世阿弥は書いていますが、その土地その土地の好みに合いそうなものを演じる。演目にしても舞い方にしてもそうなのだろうと思います。

その土地に根付いた商売なら、その土地の好みに合わせて物作りをすればいいのでしょうが、私のように全国を歩いて回る場合は商品づくりが非常に難しいのです。

どこにでも通用する商品というのは良さそうで、結局はどこにも通用しない。伝統産業の場合は売れ筋とうのは研究しつくされていて、大手がたくさん持っていて値段も崩れていることが多いのです。

オーソドックスなフォーマルというのは売れそうで売れない。どうみても無難な商品ほど売れ残るんです。

では、どうすればいいかというと、私の場合は今、あまりみないけれども、昔から美しいとされている『伝統美』を探し出して形にするんです。

古い物をみるだけではそれはわかりません。古い物は経年変化しています。それが作られたときにどういう状態だったか、を推測しなければいけません。

世の中の流行というのはいい加減なもので人が勝手に作り出したものです。

多くの場合、生産者、提供者の都合でブームを作って集中販売するわけです。それは好みではなくて流行にすぎないんですね。

伝統にいきる物は流行という物の外にいます。

流行れば必ず廃る。

流行廃りのない日本人のそして人間の奥底にある美意識を捜し当てることこそが普遍的な美の追求なんだと私は思うのですね。

沖縄では私は派手な作品を好むといわれている様ですが、それは関東の織物市場が圧倒的に大きいことと、他社のバイヤーが無難に流れているせいだと思います。

関東が地味好みだといいますが、本当にそうかなぁ?と私は思います。

色のセイの好みの差はありますが、関東で地味物しか売れないかといえば、全くそんなことはありません。

あるとすれば、昔から娘さんのお嫁入り需要が少なくて、派手物が出回らなかったのでしょう。

銀座とかで、華やかな着物を上手に着ているご婦人をみるとうっとりします。

派手な着物を着れないというので、よく聞くのは、『近所の人の手前』です。

贅沢をしているとか、ちゃらちゃらしているとか、近所の人に言われるからというのです。

もちろん、大都会ではそんな話はありませんが、今でもそういう事をおっしゃる地域があるんですよ。

地域性とか、そのお客様のご都合とかいろいろ考えていると、商人が着物のプロデュースなんてできません。

全国区で通用するためには、『あまり深く考えないで自分の好きな物を作る』のが良いように思います。

私の場合、自分で指図して、自分で売るのですからなおさらです。

お客様のお好みは変わっても、私の想いだけは変わらないわけです。

結論としてけっこう、これで通用します。

すべてのお客様に気に入られる品物など所詮できはしない、というあきらめも必要だと思います。

問題はそれが奇形的でない、奇抜でないという事です。

あくまでも、伝統と正統に沿っている。

そうでなければ、普遍性はないし、本当の感動は与えられないでしょう。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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