『商道 風姿花伝』第31話

【奥義に云はく】

ちょっとだけ飛ばして先に進みます。

『ただ望むところの本意とは、当世、この道のともがらを見るに、芸のたしなみはおろそかにして、非道のみ行じ、たまたま陶芸に至る時も、ただ、一夕の戯笑、一旦の名利に染みて、源を忘れて失ふ事、道すでにすたる自説かと、これを嘆くのみなり』

飛ばした部分でも、世阿弥は申楽=能のなりたち、能という芸能がどういう意味をもっているのかを何節にも分けて書いています。

それを土台にして、この章があるわけです。

『その場限りの喝采や一時的な名声に目がくらんで本芸をわすれて伝統を見失ってしまうようでは、能ももう終わりだ』と書いているのです。

そして、それに歯止めをかけるために、誰にも知られたくないこの本を書こうと決意した、ということなのです。

我々商人も、心せねばなりません。

とくに伝統に関わる呉服商は肝に銘じなければならないと想います。

私達商人の使命は、『必要なモノを必要な所に届けて、世の中を豊かにすること』そしてその報酬として利潤を頂くのです。

ですから、利潤を追求することは、商人として当然の事であり、必要とされている度合いが高いほど利潤が大きくなることは当然なのです。

では、大もうけをすればそれでいいのか?

それと同じ事を世阿弥は問うている、そして、それでは行けないと想って風姿花伝を書いたのです。

なぜ、それではいけないのか?

能をはじめとする芸も、商売も『社会性』を持って居るからです。

能は、世の中を平安にし、豊にする効果をもつとされました。

商売も、同じ事です。

そして、特に呉服商は『伝統』というものを背負っています。

伝統を背負うと言うことはどういう事か?

それは、世の中がどう変わろうが、自分の環境がどうであろうが、あくまで守っていくべき物であるということなのです。

だから、世阿弥は書いているのです。

その覚悟を、後進や周りにいる人に伝えたいと想って書いたのだと想うのです。

呉服商の中でも伝統染織に関わる人は特にそうあらねばならないと私は思っています。

もちろん、着物も能も時代と共に、形を少しずつ変えてきたでしょう。

でも、変えて良い物と変えてはいけない物、これをきちんと分別する事がなにより大事です。

そのためには、『この仕事がどういうものなのか』という事を自分の中で整理し、強い信念として持っておくことだろうと想います。

能ならば、受ければいいのか、名声が高まればいいのか?

商いならば、売れれば良いのか?儲かればいいのか?

これは、必要条件であって、十分条件ではないのです。

なぜか?

これらはすべて相対的なモノだからです。

見ている人の好みや、世相を反映して、能の評価は変わるかもしれません。

商いは、景気がよくなればたくさんの人が儲かるし、ブームに乗れば、大もうけとなります。

昔、飛ぶ鳥を落とす勢いだった芸能人や商人が、見るも無惨に落ちぶれている姿は枚挙にいとまがありません。

でも、きちんとした信念と思想をもって仕事に当たってきた人は、時代がどうであろうが、その人がどういう環境であろうが、凜とした気迫に溢れ、尊敬を集めます。

それは、大海を渡る舟の船長のようなものです。

私達、伝統に生きる者は、木造船で南蛮へ渡ろうとしているようなものなのです。

もし、台風に遭ったら・・・帆柱に体をくくりつけて舟もろとも沈むしかないのです。

それが、伝統に生きる者の誇りであり、木造の帆船で如何にこの荒海を渡っていくか、そのための鍛錬を欠かさないのです。

加古たちは、お金の為に乗っているのかもしれません。でも船長はお金のためであってはいけない。

無事に目的地に着くことが最大唯一の目的でなければならない。

私達にとって目的地とはなにか。

次世代に手渡す事です。

世阿弥もまさに、それを憂えているのです。

そして、伝統染織の世界も、破滅の危機がもうそこにまで迫っているのです。

そうなると、他を出し抜いて、結果だけを先に取ろうとする人が必ず出ます。

出し抜かれると、また、次々と後を追う。

これは世の常です。仕方のない事かも知れません。

みんな、自分がかわいい。お金が欲しい、有名になりたい、良い生活がしたい。

しかし、そうしてまで得た果実は、時代が変われば、使ってしまえば、もう何も残らないのです。

それはもう能楽師でもなければ、商売人でもない、と私は思うのです。

簡単に言えば『お金より仕事を大切にする』ということです。

商いでも、利潤を得るにはいろんな方法があります。

その方法が天に恥じないものかどうか、自分自身に問うてみよ、という事です。

そして、お客様にお渡しした品物が様々な角度から見て、自分の『信用の分身』として恥ずかしくないか?という事です。

非常に怖いことですが、扱っている商品は、その人の人格を明らかに反映します。

商品内容や値付け、展開方法を見ていると、その会社の社長の人格がわかるものです。

芸でも同じじゃないでしょうか。

ですから、私達商人は、商品、そして商売のありかたでその人間性を見透かされるのです。

いい加減な商いをする人に、人格者は絶対に居ない。

こすい商売をする人は、かならずいろんな面でこすい。

だから、非常に怖いのです。

怖いから、精進せねばならないのです。

常に突き詰めて、商売とは何か?伝統とは何か?そしてそれを守るということはどういう事なのか?を自問自答し、己を高めてこそ、本当の商人になれると想うし、それが次世代への継承にも繋がる、と私は考えています。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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