『商道 風姿花伝』第29話

ここでは、天竺での猿楽の始まりと称して、釈迦が祇園精舎を建てたときの祝いの席で宴席しているときに、邪魔するものがあり、舎利弗の知恵で六十六番の物まねをして追い払ういきさつを記し、これがインドでの申楽の始まりだと書いています。

我が国での商売の初めはどういう事になっているのかは知りません。

商売の神様といえば『戎さま』ですね。

大坂では『えべっさん』と言われて、西宮戎神社が一番古いというか元だと言われています。

戎というと夷。

堺には戎町という地名があります。

ほかの土地の商業地区にも戎町というところがあると思います。

戎というのは夷で、外からやってきた野蛮な人達のことを言うんでしょう。

あと商売の神さんというたら、このへんでは生駒の聖天さん。

これは歓喜天。インドのガネーシャをまつっています。

生駒というのは『夷駒』なんですよ。

聖徳太子が仏教を国教にしてから、仏教への帰依を拒む人達が追われて山の上に逃げたり、環濠集落をつくった。

この中に住んでいる人達は夷=戎です。

堺もそうですが、奈良の今井町や近江にあるような環濠集落は全部そうなんですね。

だから、古い商家には神棚があって、仏壇はご先祖さんに手を合わせるだけ、というのが多いんです。

戎たちは、耕作地を与えられませんから、魚を捕るか、木・竹などの自然のモノを加工するか、それを売るか、芸をするか、で生計を立てていたわけです。

能=申楽がインドに起源があるということですが、日本の今でも基幹産業となっている金属工業もインドからの流れを継いでいるんだと私は思っています。

お釈迦様はシャカ族の王子ですが、そのシャカ族というのが世界中に散らばって、シャカとかサカイとかいう町を造って、そこでは金属工芸が盛んなのだそうです。

堺が鉄砲の生産地となり、世界一の刃物をつくるのも、そういう歴史的な土台があるからなんですね。

産地があって、商売が生まれるわけです。

堺は鉄砲も造っていたんですが、一番のポイントはマカオからの硝石の輸入を独占していた事です。

鉄砲自体は近江や大和でも造られていました。

でも、硝石=火薬がなければ鉄砲があっても弾が飛ばない。

だから、堺だったんですね。

太古の昔から、難波津や堺の港に入った世界中の品々は、竹ノ内街道を通り、奈良、明日香、京へと運ばれました。

竹ノ内街道というのは日本最古の国道です。

一番大事なのは塩です。

千利休はとと屋という塩魚屋でしたが、塩魚は塩がなくては造れません。

塩がなくては人間は生きていけませんが、奈良や京都では塩は取れないと思います。

都はもとより、戎として追われ、山中で採集生活をしている人達にも塩を届けたのは商人だったはずです。

我が国は、水や草はどこにでもありますが、命をつなぐのに不可欠な塩は海にしかありません(岩塩もあるでしょうけど)

我が国で人がまんべんなく住もうと思えば塩の流通さえあればなんとかなるわけです。

長野や岐阜などの海のないところでどうやって塩を手に入れていたのか、どこの商人が持って行ったのか非常に興味深いところです。

幕藩体制が敷かれてからは、それぞれの藩がやっていたのでしょうが、初めからそんなものがあったはずはなくて、どうしても必要だから遠くから持ってきた高い塩も買ったはずです。

海水を砂場にまいて造る訳ですから、ボロもうけです。

でも、農産物は潮を嫌いますから、塩づくりは農民には出来ない。

海の民の限定職です。

士農工商。

漁民は入っていませんね。

工商の民は自然のモノを採取したり加工したりする海の民で、限定職だったんです。

海の民だからあっちこっち出向くのも平気だし、拠点を移して商売をしたりするんです。

いわば自由人ですね。

日本中にある堺町とか堀の周りに柳が植えられている土地は堺衆が移り住んだ所だと言われていますし、伊勢丹や松坂屋の名のあるとおり、松阪商人はお江戸でお店を持つのを目標にしていたし、近江商人の活躍はご存じの通りです。

塩の他、薬なども商人が全国に売り歩いたものですね。

衣料や蚊帳などになる繊維製品も特産的な品物で、持って行かなければ生活できない土地もあったのです。

いまでこそ、モノが溢れ、流通が整備されて、商人など要らない、メーカーだけあればいいという人もいますが、元々の商人というのは日本各地で生きていく上で必要不可欠な存在だったんです。

商人が自分の近くで取れたモノを遠隔地へ持って行く、その遠隔地やその途中でで仕入れたものを、地元でも売る。

そうやって、モノも文化も運ばれて日本という国は形成されていったんです。

北回り船がモノだけでなく文化も運んだことは良く知られています。

商人というのは土地に縛られない自由な存在です。

困っているときに足下を見られたり、高い値をふっかけられたりする商人がいれば、いろんな中傷を受けたりもするでしょう。

でも、基本は、『モノと共に文化も運んで人々の暮らしを豊かにする』のが商人の仕事です。

農民が土地を持っているようには、商人には身分や財産の補償はありません。

お金など、為政者によって価値が変えられてしまえばそれまでです。

大名貸しも何度踏み倒され、どれだけの商人が武士の横暴に泣かされてきたでしょうか。

だからこそ、神仏にてを合わせ、生活を慎ましくし、つねに謙虚に3Sを大切にするのです。

3Sとは『始末・才覚・信心』です。

奢らず、高ぶらず、腐らず、常に淡々と『牛のよだれ』のように商いを続ける。

私も、毎日念じて、心がけています。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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