『商道 風姿花伝』第24話

【問ふ。能に位の差別を知る事は、如何。】

世阿弥は能の芸格に関して三つの言葉を使っています。

・たけ・・・芸の品格。生まれつき持っていることがある。

・位・・・たけの中でも優美なもの。

・かさ・・・押し出しが立派で迫力ある演技。どんな芸でもこなしてしまう。

その上で、未熟なものは稽古するときに、位を目標にしてはいけない。もし位を目標にしたらすればするだけ芸はさがるだろう、と書いています。

私の感じ方からすれば、『上手と言われる人の語り口や所作をまねない』という事になるでしょうか。

現実のあきないで、これをしても全然上手にはなりません。

かえって嫌味、不自然になるんです。

品良くしようとしてもだめです。

品の良いように見える商人が、現実にはそうではないように、品良く見えることと品の良いことは違うのですね。

ですから、お行儀はよくするとしても、品良くしようとしないで、気品が身につくような修練をすることが大事なんだと思うんです。

また、威厳というのも同じ事ですね。

これも威厳たっぷりに振る舞っても威厳はでません。

そう見えることと、そうであることは別で、現実にそうであり、外からもそう感じてもらえる様になるためには修練しかありません。

その修練をすれば、他の人が、どんな中身なのかが解るようになります。

あきないというのは、最終的には、信頼できる相手と商売することであり、自分が信頼されることです。

ですから、形だけ取り繕ってもかえってボロが目立つだけなんです。

世阿弥も稽古の年功を積んでくると『位』が自然と発現することがある、と書いています。

おのれを信じて、修練をつむこと、勉強をすることが、自分の『位』つまり商売の格を上げることになるんだと思います。

私の語り口や商いのやり方というのは私独自のものですし、なかなか真似できないと思います。

それは、私のいままで生きてきた人生の延長線上にあるものだからです。

でも、私と同じ修練や努力をすれば、またその人独特の発現の仕方をするんだろうと思います。

それがその人の財産であり、商売の格を上げることになるのでしょう。

私たちの業界にはインチキな商売をする人も多くいるようです。

インチキな商売はどこから生まれるかというと、必ずその先輩や上司がインチキなんです。

インチキを真似るからさらに輪を掛けてインチキになる。

その時は、よく売る先輩のマネをしているつもりなんでしょう。

でも、真似をすると悪いところも一緒に身についてしまう、というか悪いところだけが先に身につくことが多いのです。

でも、自分で別の本質的な修練を積んでいたらどうだったでしょうか。

良い所だけを取り入れることができたんじゃないかと思います。

自分が高まらないうちに、人の良いところだけを真似するというのは非常にむずかしいことなのかもしれません。

野球界では長島、王、落合、イチローと個性あるバッターがいますが、それを真似した人で球史に名を残した人はいません。

でも、それぞれ、一流と言われる人は、知らないうちに良い所を取り入れているものなんだと思います。

それは自分が確立しているから出来る事で、形だけを真似しても崩れてしまうだけなのでしょう。

真似る前に何万回と素振りをするという地道な努力が必要なのと同じなんでしょうね。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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