【問ふ。得手得手とて、事の外に劣りたるシテも、一向き上手に勝りたる所あり。これを上手のせぬは、かなはぬやらん、また、すさまじき事にてせぬやらん】
世阿弥はこの章の中で
『どんな変な役者であっても、すばらしいところがあると見たなら、上手であってもこれを学ぶべきである』と書いています。
最後には
『上手は下手の見本、下手は上手の見本である』
と書いています。
つまり、どんな上手、どんな下手でも、貪欲に他人の良い所を取り入れて精進を重ねるべきである。慢心は一番いけない、というわけです。
『そら、そうやなぁ』と誰しも想うわけですが、これがなかなかできるもんやおまへん。
カシコがアホのマネできるか?っちゅうたら、そら、なかなかできまへんのや。
だってですよ、ほんまにすごい、自分より全然上や、と想う人にでも、『わしとは才能ちゅうか、ポテンシャルがちゃう』とか言うて、努力を放棄してしまうことが多いわけです。
これを実現するには、飽くなき『貪欲さ』が必要やと想うんです。
私の場合を言って恐縮ですが、新しい商品を考える時、デザインに行き詰まったとき、フラフラと街中を歩く。
キモノ屋のウィンドウ見たって、あんまり参考になるものはありません。
て、そいういうのがアカンのかも知れませんけど、私の場合は、女性のファッションとかインテリアを見ます。
デパートの呉服売場で暇をもてあましているとき、他所の商品を見て、ハタと、『あ、これはこんな味付けしたらもっとええもんになるんとちゃうやろか』というアイデアが湧いてくるんです。
いまは、インターネットとかでも、他社の商品は見れますが、画面上では湧いて来にくいですね。
案外、プリントのキモノとか、芸大生が自由な発想で造った物とか、そういうのから、ヒントがもらえるんです。
というのは、私達のような言わば高額品を扱っているといろんな『とらわれ』があるわけです。
価格とか、TPOとか、市況とか。
でも、そんなの関係無しに『イェーイ♪』って造ったのは、こちらが楽しくなるような勢いがあるんですね。
それをそのまま持って来ても、うちの商品とはなりませんが、それを言うたら、『どない値打ちかますか』がプロデューサーの腕です。
世の中には、『見ている分にはむっちゃええけど、なんかしらんけど売れへん』もんというのがたくさんあるんです。
また、本来の魅力を忘れられ、殺されて、その辺に転がっている商材というのもたくさんあります。
それをどない見つけ出して、生き返らせるか、生き返ったら、どないしつけしてシャンとしたもんにするか、です。
相場の格言で『知ったらおしまい』というのがあって、今売れているのは、後追いしても、もうすぐに売れなくなるんです。
バーンと売れたら、すぐにシューッてなって、今は、商品のライフサイクルも短い。
ですから、今の業界には、昔の売れ筋が累々と積み重なって行き倒れしています。
これって、案外、宝の山で、そのままでは売れませんが、いろんな工夫をしたら、生き返るんですよ。
ところが『もうあんなもん値打ちあらへん』と決めつけて扱わない業界人が多いのです。
せいぜい、一山なんぼで、叩き売られ、バッタ屋を言ったり来たりするのが落ちです。
でも、本当は、良い物で良い所があったから、売れたはずです。
良い物であるなら、一時は廃れたとしても、また受け入れられるはず。
要は作り手とプロデューサーがどれだけ発想の転換をはかれるかですね。
そういう意味で、素人の縮こまった作品というのは、全然面白く無いんです。
織物やったら、帯造ろうとか、着尺造ろうというのでなくていいんです。
一枚の布でええ。
50?くらいの長さでええから、そこにいろんな工夫をして面白い布を作ってみる。
作り手も、見る人も、その中からいろんなヒントを得られると想うんですね。
下手くそでもいいんです。
特に、若いうちは、はちゃめちゃに面白いのをつくったほうがいい。
無難に造って、売れたらいいな、なんて想わない方がいい。
そんなもん、それこそ値打ちあらしまへん。
面白いのを造ったら、それこそ、名人と言われる人も、『これ、誰つくったん?』と目を見張ることでしょう。
そこから、商品へと派生していけばいいんです。
商売でもそうですね。
若いうちは、うまいこと言うて売ろうと想わない方が良い。
それより、商品の事を勉強して、心からその商品が好きになって、その気持ちをお客様にぶつけるほうがいい。
その姿が、ベテランの心を撃つでしょうし、忘れていた気持ちを取り戻すでしょう。
常に初心を忘れないで、純粋に、その道での向上を目指す、ということが一番大切なのだと想います。
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