『商道 風姿花伝』第21話

『申楽の勝負の立合の手立はいかに』

他座の役者との競演に勝つためにはどうしたらよいか、を世阿弥は書いています。

その方法として、

?たくさんの上演可能演目を保有して相手方の能とは違う姿の能をぶつける

?そのためにも和歌を学び、自作の能を持つこと。

としています。

浮ついた理屈を書くのではなく、あくまで実践的に書いているところが世阿弥のすごさだと思います。

着物の商いでもまったく同じ事が言えるのではないかと思います。

相手と違う能をぶつけるためには相手の得意な能、出してきそうな能を見極めなければなりません。

傾向と対策がきちんと練られていなければ、相手と違うもへったくれも無いわけです。

世阿弥レベルになると仮想的は絞られていたはずで、仮想的に勝つために己の長所を最大限に引き出す能を自作していたんじゃないでしょうか。

変わっている、他と違うだけではダメなのです。相手の長所を抑えて、さらに自分の長所が相手の長所を上回らなければ勝つことはできません。

ここで、注目すべきは、観る人=勝敗を下す人の視点が全く触れられて居ないことです。

『良い作品を、うまく演じて、上々の出来である』のが上の能だと書いています。

『敵人の申楽に変へてすれば、いかに敵方の申楽よけれども、さのみに負くる事なし。もし能よく出で来れば、勝つ事は治定なるべし』

つまり相手と違う感じのをやれば、どんなに相手の出来がよくてもボロ負けすることはないし、こちらの出来がよければ必勝である、というのです。

こちらの出来がよければ必勝、というに至るにはかなりの自信がなければいけませんよね。

その域にまで達するにはやはり『自作』でなければならない、と考えて良いのではないでしょうか。

競演の場合、普通に考えて、演技力は五分と五分。

それを見比べるのが競演の楽しみなのですから、力が圧倒的に違う役者はでてくるはずがありません。

力とその日の出来、そして選んだ演目が勝っていれば勝つのはあたりまえ。

弱含みの時に、どう戦うかが、不利とみたときに、いかにドローに持ち込むか。

勝負の本質とは負けないことであると私も思います。

私の場合、競合他社と比べて規模は小さいし、相手は大きな集散地に属しているし、普通に考えたら問屋としては勝てません。

沖縄染織の仕事は父から受け継いだモノですが、私が会社を引き継いだときに、『どないして戦っていこうか』とつくづく考えました。

毎月の様に沖縄に行って、ただ、フラフラとあっちの組合、こっちの作家さんと、訪ね歩いていたんです。

実はいまお付き合いしている作家さんたちは、ほとんど私が開拓した人達で、親から引き継いだのはほとんどいません。

作家さんたちに色々聞くと、『どんなの造ったらいいですか』という質問がやたらと多い、というかそんなのばっかりなんです。

ですから、京都の問屋の人が来ても、同じような質問をしてるはずなんですね。

そうするとどうなるかといえば、京風のものになるか、無難なものになるかのどちらかです。

『こら、あかんわ!』と思ったわけです。

京都へ京風の沖縄モノ持って行ったって、勝てるわけがない。

京風は京都で造った方がいいのができるに決まってますから。

それで、私はジッと考えてみたんです。

何を考えたかというと、沖縄と大阪人である自分の事です。

沖縄の歴史、風土、そして大阪のそれ。

私のでどころである堺の歴史・文化・風土・・・

来る日も来る日も考え続けて、ある時、一つにまとまったんです。

それは、山から日が昇り海に沈む地形、海を臨み諸外国と交流し歴史、その風土の中で育まれた文化。

そこには、庶民のたくましい生きる力があった。

それを表現した染織品を造ろう!というのが私のものづくりの原点です。

そして、小袖展などを観て感じたことは、いまある『わびさび』の美意識への疑問です。

『わびさび』を否定しているのではありません。

しかし、利休が行き着いた境地と、今考えられているものとは違うような気がしたのです。

京都の文化・美意識はすばらしいものであるけれども、それがすべてではない。

着物といえば、京都だと言われることに息苦しさを感じている人も多いはずだ。

伸びやかで力強い=堺と沖縄に共通した=南方のおおらかな美しさを提案して、世の中に元気を贈りたい!

貴族的ではない、私たちが日々の生活を元気にはつらつと送っていける、作っても使っても楽しい、豊かな気持ちになる、そんなものを作ろう!

敵を知り、己を知らなければこの戦法は採れないわけですから、多大な努力が必要です。

しかし、双方をしれば、自分の守備範囲も広がります。

ですから私は、商品の扱いとしてはオールラウンダーです。

でも、私の生み出した作品は、私が一番の扱い手です。

この分野、この美の範疇に入ったら、私に及ぶモノは居ない。

絶対に勝てる、と信じています。

つまり、十八番(おはこ)なんですね。

十八番を競争対抗戦略に基づいて、作り上げる。

これが競演に勝つ秘訣だと私は思います。

勝ち負けは、受け手の好みや作品の出来不出来も左右します。

でも、比較されにくい強みを持っていれば、下位や劣位に置かれることはないのです。

芸術の世界は、能などの舞台芸術も染織などの工芸の世界も同じです。

トップまるどりです。

ですから、下位・劣位に置かれることは死を意味します。

そうならないように並列されて評価される様に持って行くことが大事なんです。

その差・違いを生み出す為には、作品の差や違いを考える事より、他者と自分がどう違うのかを突き詰めて考える事が大事なんだと思うのです。

生み出す土壌の差を適切に認識することが、それを活かした作品を生み出し続ける事に繋がるのではないでしょうか。

ですから、自分を愛すること、親戚・先祖を愛すること、郷土を愛すること、祖国を愛すること。

これがなければ、根無し草な小手先の作品しか出来ないし、人の心を打つことはできないと私は思います。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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