『商道 風姿花伝』第18話

【唐事】

ここでは、中国人の物まねの話が書かれています。

かといって、私達が中国人の物まねをして『これ、琉球絣アルヨ』とかは言えないわけで(^_^;)、今回は、外国文化の影響を強く受けた今のわが国で、キモノというものをどう捉えてお客様に話をすればいいのかを考えて見たいと想います。

ちょっと前に『キモノを着ている呉服屋が良い呉服屋とは限らない』と書いたら、えらい反響を頂きました。

消費者の方の多くは、呉服屋にキモノを着ていて欲しい、と想っていらっしゃる事がよく分かりました。

でも、ひとつ付け加えるとすれば、今、世間で想われているいわゆる『キモノ』というものが和装の全てではないということです。

テレビでやっている時代劇とか、歌舞伎をご覧になる方なら、役者の衣裳をよく思い起こしてみてください。

職人は職人の、農民は農民の、漁民は漁民のそれぞれ、仕事にふさわしい形の衣服を着ています。

『キモノが動きにくいなんて言うな』というご意見もありましたが、今の袖の振りがあって、裾までの身丈のある長着というのは、本来動きにくいもので、おうちでゆっくりしたり、あまり動かないで良い人達のキモノの形だったのです。

柳田國男という民俗学者も『木綿以前の事』という本の中に書いています。

わかりやすく言えば、お祭りの時に法被にモモヒキであったり、柔道着、剣道着なんかも和装=キモノであるわけです。

それが、スタイリッシュに労働着を着て且つ接客も出来るようになったというのが洋服=背広だと考えたら良いのじゃないかと想います。

商店街の呉服屋さんのように、ノーネクタイにカーディガンなんていうのは、ちょっとどうかと想いますけど、今は昔のような徒弟制がなくなって、一人の人がいろんな業務をこなします。

私などは、亭主であり、番頭であり、丁稚でもあります。

特に小売の世界では、亭主もあらゆる業務をこなしている場合が多いですから、合理的に考えて背広がいいのです。

つまりは、筒袖の綿の着物にモモヒキでお客様の前には出られないので、それが背広になったというだけのことです。

すなわち、いまのキモノというモノを考える時に、現実の生活の中で捉えて、合理的に判断する俯瞰的かつ客観的視点が必要だと私は思うわけです。

お客様に『○○さんの△△祝賀パーティーに行くのだけれど、梅雨時だから雨が心配なのよね。キモノで行きたいのだけど、洋服ならなにがいいのかしら』

という話を聞いて、『お洋服なら○○が適切かと存じます。』と応え、アクセサリーやバッグなどの持ち物まで、適格に答えられなければ呉服屋ではありません。

何故、呉服屋が洋服にまで口を出さねばならないか?

それは当然なのです。

呉服屋は冠婚葬祭のコーディネーターであり、アドバイザーだからです。

呉服屋で一番大事なのは、品名を知っている事ではありません。

どんな時に、どんな場に、どんな装いをしていけばいいのかを、適格に答えることです。

洋服であろうが、和服であろうが、日本の冠婚葬祭は日本の習慣に沿って行われます。

また、季節もそうですし、日本人の感性というものに沿って『場』が生まれるわけです。

ですから、これは外国人には解らないことです。

結婚式場は結婚式の、葬儀屋は葬儀の事について知っていますが、すべてを知っているのは呉服屋だけです。

また、呉服屋というのはそうであるべきで、責任をもって適切なアドバイスができなければなりません。

いまのキモノのしきたりというのは、実はそんなに昔からあるものではありません。

しかし、アタマの良い人が考えたのでしょうか、非常に合理的に考えられています。

また、日本人の感性にあっていると想います。

また、なぜ、日本人にしかできないかというと、微妙な親戚関係、友人関係、隣人関係をかみ分けて、『分別の効いた』装いをして頂く事も必要だからです。

私もいろんな場所にお招き頂きます。

完璧ではありませんから、顔から火が出る想いをすることもあります。

でも、そこから次には絶対に間違わない、パーフェクトにやってみせる、という気持ちで知識を整えるのが呉服屋の使命です。

もちろん、『なんでもええねん』というお客様もいらっしゃいます。

しかし、お節介と言われても、お話しだけは聞いて頂きたいのです。

なぜかというと、もしかしたらお客様が恥をかかれることになるかも知れないからです。

また、自分も『出入りの呉服屋』として恥をさらすことになるからです。

今、誰も笑いません。ほとんどの人は、装いとかドレスコードについてご存じないからです。

でも、もし一人でも、気づいた方がいらっしゃったら・・・

そう思うと、いてもたってもいられない、これが呉服屋本来の感覚だと私は思うのです。

キモノをよく知っているといはどういう事か?

それは、日本の文化・習慣に精通しているということなんです。

品質と価格が釣り合っているとか、適正な品名表示がされているなんて言う事は、本来、全く当たり前の事なんです。

例えば、結婚式にお出ましになると言うときにはお客様に様々な質問をさせて頂かねばなりません。

まずは、だれの結婚式なのか、です。ご子息なのかご令嬢なのか、甥御、姪御さんなのか、友人なのか、友人の子供なのか、仕事上なら、お得意先なのか、仕入れ先なのか、使用人なのか・・・

そして、どの立場で出席なさるのか。

季節は何時か。

配偶者は同席されるのか。

どんな形式の結婚式なのか・・・

会場は・・・

等々です。

そこから、適切な装いをはじき出していくわけです。

それが洋服であっても同じ事です。

というか、洋服のTPOがちゃらんぽらんであることに、私は慨嘆を禁じ得ないのです。

なぜなら、これだけ豊になったのに、装いという事に関しては本当にメリハリが無くなってしまったからです。

紬屋だから紬だけ知っていればいいというものではありませんし、呉服屋だからキモノだけ知っていればいいというのではありません。

『何故、キモノを着るのか?』

日本の文化だから、なんて耳がイイダコになる位聞く話ではなくて、もっと広く深く、世界の中の日本、そして服飾の中のキモノ、そしてキモノの中の○○という風に考えを詰めていかねばならないと私は思います。

服飾は歴史や文化と深く繋がっています。

他の服飾がそうであるように、キモノ=和装というのは日本人の感性が表現されたスタイルブックのようなものです。

私達、呉服商は、お客様の感性の表現のお手伝いという大きな役割を担っているのだ、という自覚が必要だと私は思うのです。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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