『商道 風姿花伝』第15話

【修羅】

修羅とは・・・

注釈にはこうあります。

六道の一つで帝釈天との戦闘に明け暮れる、阿修羅王の世界。ここは、修羅道に落ちて苦しむ亡者を指す。

ウィキペディアによれば、

修羅能(しゅらのう)とは、能の演目の中で武人がシテになる曲を言う。修羅物とも言う。五番立においては二番目物となる。修羅道に落ちて苦しむさまが語られることからこう呼ばれる。多くは『平家物語』に取材し、源平の武将を主人公とするが、『田村』などの例外もある。

戦いに負けた側がシテである負修羅(まけしゅら)がほとんどであるが、戦いに勝った側をシテとする勝修羅(かちしゅら)もある。

とあります。

商いにどうこじつけようかと、いつも悩むのですが(^^;)、今回は商談の中での、生産現場の様子、そして生産者とのお話をするときの事を書きたいと思います。

別に、生産者が修羅道に落ちた亡者だという意味ではありません(^^;)

まぁ、いろんな苦悩をもって、またそれに勝る喜びをもって、生産に当たっているということです(^_^)v

私は、お客様とお話しするときに作り手さんとどんな話をしているのか、をお話ししたりします。

また、沖縄や工房へ行ったときに、どんな事に感動したのか、それもよく話します。

本に書いてある作り方とか、作家さんの略歴なんかはどうでもいいので、あんまり話しません。

それより、どんな環境の中で、どんな心境の中で、この作品が生まれたのかを話します。

こういう話をするためには、まず自分の感性を磨いて、感受性を高めておかなければいけません。

消費者の方が、工房に行かれて感じる事と同じくらいのレベルの話しかできないのでは、話だけでお客様を魅了する事はできないのです。

写真でもだめですから、これは感受性に加えて表現力も必要です。

でも、感じる事が無ければ、表現することは出来るわけがないのですから、まずは感受性です。

感じたことを織物にするのが織物作家で、染め物にするのが染め物作家。話にするのが商人だと思えばいいでしょう。

ですから、私が手がけた作品には必ずストーリーがあります。

ストーリーの無い品物は、作品とは言えません。

作家さんと初めて会うとき、もちろんまずは作品を見せてもらいます。

その瞬間に、ストーリーを考えるのです。

ストーリーが考えつかない物は、私の手に負えないものなので、諦めることもあります。

ダメだと思っても、ある日突然、閃光の様にストーリーを思いつく事もあって、その時にまたお願いしたりします。

私は、作家さんを訪問するときにはほとんど作品の話をしません。

世間話や、他の染織作家さんの話、業界の話など、周辺の話題がほとんどです。

でも、そんな中だからこそ、いろんなエピソードが生まれるんです。

一番大事なのは、価値観の共有と信頼関係ですね。

それを確認するために話をするわけです。

そいういう土台があって初めて、お客様の心をうつ話ができるのではないかと思うのです。

沖縄という産地の話をするときでも、沖縄が好きでも嫌いでもない、染織品も良いのか悪いのか解らない、でも、なんとなくやっているというのでは何も伝わらないでしょう。

私は沖縄という所も、沖縄の人達も、嫌いな部分もあるし好きな部分もあります。長い付き合いというのはそういうものだと思います。

なんかそういう霧が立ちこめたような、けだるい関係の中に、ガツン!とした感動に直面することがあるんです。

それが自然だったり、光景だったり、作品だったりする。

日本酒を飲み過ぎて、二日酔いでしんどいときに、とんでもなく美味しいグレープフルーツジュースを飲んだような新鮮な感動?です。

パーッと目が開いて、心もさわやかになって、気分が軽くなる。そんな感動がたまにあるんです。

それを、お客様の前で表現するのです。

ですから、まずはその感動を得ることです。

どないしたら、そんな感動が得られるのか?

ヘロヘロになるまで、もうあかん!と思うところまで、また、くそったれ!と憎しみを持つところまで、つまり、産地や作り手との間に強い愛憎が生まれるまで、想いを深くして、作品作りに立ち向かう事です。

愛情ではありません、愛憎です。

そこまで至ってはじめて、感動が生まれると思いますし、他と違う物が作り出せると思います。

そして、それをバネにして、お客様にお話しするのです。

汚い所はお見せしなくても良いのです。綺麗なところだけで良い。

でも、自分は汚い所を知っていてこそ、美しい物をさらに美しく見せることが出来るのじゃないでしょうか。

お話しの中でいろんな表現をするということについては、お客様だけでなく作家さんに対してもそうですね。

お客様の作品に対する反応を教えてあげるのも大切な仕事です。

これも同じ事。やはり感受性です。

感受性を高めるには、ごまかしをしないことも大切な事です。

詐術を弄して成約に至っても、何も得られませんし、何も伝えられません。

私の頭と心には、その作品に対してのお客様の反応が事細かに記憶されます。

それが、作家さんへのアドバイスと仕入れ行動に反映するわけですね。

これが出来れば表現力は自然に伴ってくると思います。

淡々として話すべき時は淡々と、感動を伝えるときには抑揚を加えて話せばいいのです。

そのままです。

もし、表現力に自信がないというのなら、カラオケに行ったときに、情感たっぷりに歌う練習をされたら良いと思います。

表情は要りません。

声の出し方と間で、感情を表現する練習をしてみましょう。

あと、朗読もいいと思います。良い朗読を聞くと表現力が高まります。

美味しい物を食べたとき、

『これ、おいしいね』というのではなくて、

『(ちょっと間をためて)おいしいなぁ〜』と言う方が美味しそうに聞こえるでしょう?

作品をお見せするときも、勝負所では、すぐにお見せしない。

反物を左手に持つ。

反末を持つ。

2〜3秒ためる

おもむろに引き出す。

さらに数秒ためる。

お客様の反応を見る。→お気に召した様子

さらに数秒ためる

『ええでしょう』(ドヤ顔)

そこから、またおもむろに、この作品の背景、ストーリーを静かに話し始めるのです。

このときは、まさに淡々と声のトーンを落として話す。

盛り上げるとき、笑ってもらうとき、じっくり話を聞いて頂きたいとき、そしてクロージングの時、等々、場合と状況に応じて声色とトーン、スピードを変えなければなりません。

これは経験で自然と身につきますが、修練も必要です。

修練したほうが、上達は早いですし、お客様の満足度も違うと思います。

『そんな事しなくても、売れるときは売れるよ!』という声もあると思いますが、この修練を積まないから、様々な努力をしないから、自分を磨かない、磨いた形跡がないから、商売人は馬鹿にされるのだと私は思っています。

なぜ、商売人が馬鹿にされるのかといえば、目に見える付加価値がないからです。

だから、右の物を左に持って行って暴利をむさぼっていると、言われてしまう。

商売人が造っている付加価値とは何なのか?

それは、『満足の最大化』というサービスなのです。

ワインを飲むだけならソムリエなんて要らない。

料理に合うワイン、お客様のお好みに合うワインを選び、会話で楽しい食事のお手伝いをする、それがソムリエの仕事であり、ワインをただ飲むだけでは得られない満足感がソムリエの仕事に対する報酬でしょう。

私たち商人は自分の仕事に対して誇りを持たなければなりません。

では、何に対して誇りを持つべきなのか?

それが理解されていないから、外道を踏んだり、卑屈になったりするのではないでしょうか。

同じワインでも、どこの店で飲むのか、どの料理に合わせるのか、どのソムリエに世話してもらうのかで味わいが違うはずです。

その違いこそが私たちの仕事なのでしょう。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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