【四十四五】
この頃は、商売の世界に入って、25年〜30年たったころでしょうか。
私がまる23年目ですから、もうそろそろこの時期に入ります。
世阿弥は、『ワキのシテに譲れ』と書いています。
体力や見栄えなどいろんな事で衰えが見えてくるから、二番手を前に立てて、自分は少し後に下がることを勧めています。
着物の商売で言えば、男女で差があると想います。
男性は、信頼感が増すと共に、今まで可愛がってくれたお客様が高齢化したり、自分自身も横着になってきたりで、この風姿花伝にもかかれてあるとおり、商売の形を変化させねばならないときです。
女性の場合は、お客様からすれば20代30代の同性ですから、なかなか大きな商売は難しいかもしれません。
それが20年キャリアを積むと、それなりに貫禄もついてきて、お客様と共通の会話も出来、ようやく一人前のセールスになってくる感じです。
着物の場合、お客様のほとんどが女性ですから、売り手が男性か女性かによって大きく違うのです。
『ワキのシテ』に任せろ、と言うことですが、男性の場合は、一歩引いた方がいいと想います。
女性は、ガンガン押しても良いですが、男性は『引き』の商売を心がけるという事だと想います。
私のような50前の男がガンガン押しの商売をして、良い事になることはないと想います。
展示会に行けばよくある光景ですが、畳に座ってガンガン押しているのは、たいていマネキンのおばさんです。
マネキンさんは、その場限りだと言う事もありますが、女性ならではの語り口の柔らかさというのがギリギリのところで、救いになっているのだと想います。
もし、今の私が同じ事をしたら、大クレームになることでしょう。
男性でも、小柄で語り口の優しい人や、ちょっとナヨ系の入った人なんかは、結構いけるみたいですが、
私のような巨漢で、声の大きいオッサンが、立て続けに押しまくると、逆効果なようです。
前述のように、商売人には『かわいらしさ』が必要ですから、それを脂ぎったオッサンがいかに演じるかが大事なのです。
これは、決して卑屈になれ、という事ではありません。お客様に話しをじっくりと聞いてもらうための演技です。
立て板に水のごとく、セールストークをまくし立てるよりも、将棋や囲碁で一手一手打ち込むように、お話しを勧めていくのです。
この時期に一番具合が悪いのは、『慢心』『おごり』なんですね。
どうしても、押しつけがましくなってくるのです。
『私はもう30年ちかくやってるんだから』とか『私のセンスが信じられないの』とか、今までの自分の実績や経験を過信して、お客様にそれを押しつけようとする。
でも、そんなことはお客様には関係ないのです。
実はお客様の多くは、『センスの押し売り』を非常に嫌がっておられます。
『お客様はこんなのがお好みでしたよね』と毎回同じような着物を勧める販売員がいます。でも、これは案外、息苦しいものなのだそうです。女性なら、たまには冒険したいし、自分の好み以外の物も見てみたい。とくに経済的に余裕のある方ならそうです。
また、大きな展示会場の場合は、マネキンがたくさんある商品の中から、数点を取りだしてお客様に着装してお勧めすることが多い様ですが、この時、マネキンが取る商品は実は『そのマネキンの好みの着物』なんです。
とくに女性販売員はそうです。自分の好みをお客様に押しつけがちです。
これは、好みがお客様と同じ場合は大きな戦力となりますが、逆の場合は、どうしようもありません。
男性販売員は、お客様の好みに応じてお勧めする、ここが大きな違いだと想います。
男女、それぞれ、有利な点、不利な点があります。
私の場合は、扱っている品物が私の好みなので、私の意に沿わない品物が展示会や外販の商品の中にあることは希です。
ですから、とりあえず、パッパパッパと、お見せしていきます。
私が対応している展示会に来られた方は、ご存じでしょうが、そのお客様の年代とご用途によって、ある程度はしぼりますが、どんどんお見せしていき、一息ついたら、どんどんしまいます。
お客様の目線を追いながら、気になっていらっしゃる作品だけを残していきます。
これは、熟練しないと非常に怖いやり方です。
お客様が何も反応なさらないで、全部しまってしまったら、それでチャンチャンだからです。
でも、その時は、チャンチャンなのです。
20年以上やっていれば、お客様が関心を持っていらっしゃるかどうか感覚で感じ取らなければいけません。
それで、感じ取れないということは、気に入っていらっしゃらないということなのです。
気に入っていらっしゃらないものをお勧めできませんから、チャンチャンです。
ですから、私は『売る気がない』『商売気がない』とよく言われます。
『どれがいいかしら』と迷っているご様子なら、それを察知して、さらに詳しくお聞きして、お勧めします。
私の場合、超初心者の方をお相手しているわけではないので、お客様はある程度自分の好みやタンスの中身を把握してらっしゃると私は考えています。
好みが先行する品物と、『提言商品』と言って、一つあれば着物ライフに役に立つ、という物もありますから、これは説明が肝心です。
初心者の方にはそれにふさわしい内容の品物がありますし、進め方もあります。
中級者にも、上級者にも、それぞれの作品と進め方があります。
いずれにしても、こちらが押しつけるのではなくて、『まずはお伺いする』という姿勢が大切なのだと想います。
それを『聞き出す力』が本当の販売力なのだろうと私は思っています。
私の年代になると、どうしても『自我』が前に出てきます。
お客様を押さえつけようとするのです。
お客様より上に立とうとする。
これは、どんな理由があってもしてはいけないことです。
太閤秀吉のまわりには、彼に進言する『おとぎ衆』という人達がいたそうです。
私達、呉服商はこの『おとぎ衆』なんですね。
自分の知識や教養は、出来ることなら言葉にせず、『気』や『態度』『しぐさ』で示す。
言葉にする場合も、にじみ出るような話し方をする。
これは非常に難しく、私も修練していますが、なかなか上手く行きません。
どうしても、カッときたり、言葉が荒くなってしまったりします。
どんな事があっても、顔や態度に表してはいけない。
笑顔も演じるのです。これは安っぽい演技という意味ではなくて『自分を完全にコントロールする』という事です。
私はよくプライベートで『起こってるのか、悲しいのか、嬉しいのか、よく分からない』と言われます。
これは、感情の抑揚・起伏をなくすように、普段から修練しているのです。
大きく喜ぶ人は、大きく悲しみ、大きく怒る。
それが、真剣勝負の場に出ては負けです。
はらわたが煮えくりかえっている時でも、ニッコリと自然な笑顔が出来るようにならなければ、一人前の商売人とは言えません。
だから『役者が違う』という言葉があるのです。
泣き笑いは、普段思いっきりやればいいのです。
舞台に上がったら、それこそ、能面を着けているかのように無表情でそこから、自分の意思で表情と声色をコントロールできなければいけません。
私達は、お客様に喜んでもらって、満足してもらってなんぼです。
そのために全身全霊を傾けるのです。
『商道 風姿花伝』の極意はまさに、そこにあるのです。
この情報へのアクセスはメンバーに限定されています。ログインしてください。メンバー登録は下記リンクをクリックしてください。