『商道 風姿花伝』第

6話

『三十四五』

世阿弥はこの時期までに『天下の許され』を得ていないとダメだと書いています。

天下の許されとは、将軍の愛顧の事です。

つまり、三十代半ばまでにトップに登っていなければあとの成長はおぼつかないということです。

商いの世界では20年くらいキャリアを積んだ40歳すぎた頃でしょうか。

もうベテランの域という感じになってきます。

呉服業界というのはイメージが先行する商売で、年配の女性が着物に詳しいと想われがちですが、実際はそうでもありません。

着物を永年着ているから着物に詳しいかと言えばそうでもない。

男性が何十年背広を着ていても、背広や毛織物に無知なのと同じです。

オシャレと言われる男性で着る物にもこだわりを持っている人手も毛織物に対する知識といえば、空っぽの事が多い。

洋服屋でも毛織の事は知らない人が多い。

なぜかというと、専門知識というのは、漫然と使っていたり見ているだけでは身につかないからです。

芭蕉布の良さは、芭蕉布を着てみないと本当の良さは解らない。

私も昨年、自分で芭蕉布を着てみて、それがよく分かりました。

本題にもどりますが、芸術の世界というのは基本的に『てっぺん丸取り』です。

トップに居る人が市場の美味しい所のほとんどを取ってしまいます。

ですから、一定の領域・ジャンルでトップに立つことが大事です。

それは、たとえば、久米島紬でトップになるとか、首里織でトップに立つという意味では必ずしもありません。

そのもっと細分化された、狭い領域でトップに立てば良いのです。

久米島のグズミでNo.1になるとか、手縞を織らせたらこの人に適う物は居ないとか、それでいいわけです。

そのためには、自己の存在領域=自分がどこで勝負するかを決めなければなりません。

この40歳くらいのころまでにそれをしなければなりません。

『なんでもあり』は『なんにもなし』なんです。

また、自分の制作や商いのスタイルも決めなければならない。

公募展を中心に制作を回していくのもいいでしょうし、1軒の問屋だけに決めて取引するのも一つのスタイルです。

また、自分で個展をして売るんだ!というのもいいでしょう。

宗旨替えというのが一番いけません。

厳しい様ですが、沖縄の人はこのあたりのモラルが非常に低いように想います。

商いというのは点で捉えてはいけません。線で繋がっているのです。

いくらお金の為とは言え、それまで支えてくれた問屋に不利益なことをしたり、商売敵に安く流したりするのは、商道徳に反します。

それで一時は楽になるかも知れませんが、最後はだれも支えてくれなくなります。

そういう歴史が復帰後、何度となく繰り返されてきているのです。

例えば久米島紬ですが、無形文化財指定された後、産地出し価格は高騰しました。

その時、すでにかなりの増産をしていましたから、問屋はかなりの在庫を未だに抱えているはずです。

しかし、景気がさらに後退し、市場価格が下がりだした。

この時、産地が価格を下げたらどうなりますか?

それだけでなく、品質も下げて同じ証紙を貼る。

以前に買った業者は高い価格の在庫を抱え、最悪の場合逆ざや=仕入れ値が市場価格を上回ることになります。

こうなったら、にっちもさっちもいきません。

後出しじゃんけんが得をすることになります。

沖縄はブームになりやすい。

だからこそ、商売のスタイルというのをきっちり決めておかねばならないのです。

自分の作品のポリシー、そして商売のスタイルをきちんともって貫いていく。

それをこの時期に決めておかねばなりません。

うちの場合は、あくまでも私の審美眼と価値観に沿った『ちょいちょい着てもらえる着物』を目指しています。茶道や舞踊などお稽古ごとをしていらっしゃる方や着物好きの方を対象にしています。

ですから、基本的に自分で着られない方にはお勧めしない事にしています。着ないと言う方にも無理強いしない。

私は私の好きな着物を造って、集めてご紹介していますので、まずはうちの着物のファンになって頂く事が第一義だと考えています。

決して万人向きではないと想いますし、万人に向く事を目指していません。

しかし、一方方向に流れがちな着物の趣向の中で、うちの作品を見て楽しい、元気が出る、明るくなると想ってもらえたら良いと想います。

そこから、価格帯や着物のジャンルも決まっていきます。

振袖や留袖もやらないわけではありませんし、実際お世話させて頂いておりますが、あくまでも、軸足は私の造った集めた作品に置いています。

良く着る方の為の品物ですから、生地や染色堅牢度には気を配りますし、着具合や、仕立て映えも考えます。

ポリシーとスタイルが決まらないと、そこからの絵図が描けないのです。

フォーマル中心のお店や、廉価品、超高級品をやっているお店はまた別のポリシーとスタイルがあるはずですし、そうあるべきです。

いけないのは、『なんでもあり』です。

確かに、いま需要が縮小する中で、狭い範囲にしぼってやるのは大変ですし、ご飯が食べられないかもしれません。

あくまで軸を決めておくことです。

『わたしらしさ』『うちらしさ』を軸に範囲を広げていけば良いと想います。

それが無くて、いま流行だからと扱うのはやっている方も面白く無いし、長続きしません。

つまり『自分の世界』を造る、わたしなら『もずやワールド』を造る事です。

私の場合、造る、仕入れる、売る、それぞれに私らしいスタイルがあると想いますし、品物にも『らしさ』を大切にしています。

それに適さない品物が入ってくると、なんかイヤなのです。結果的に売れない。

なんというか『売ったるわい!』という気力が湧いてこないのです。

『まぁ、これくらいが無難か』と想って仕入れたのは、無難なんだけどなかなか売れないことが多いのです。

逆に『これ好きやけど、難しいなぁ、売れるかなぁ』と作品の前で座り込んでしまうようなのは、不思議と売れるのです。

いかに、商売において『自分』というものが大切かということです。

マーケティングというのは消費者に対応していく術である様ですが、本当は自分が売りたい物を作って売るのが基本なんだと想います。

自分が良いと思わない物は誰も良いと想わないのです。

ですから、着物を売るという仕事は、自分の美意識を、自分の価値観に乗せて消費者に届けるということなのです。

その人の作品や商売のやり方を見ると、その人の内面が解るのもそういう事があるからなのです。

その考え方の軸をこの40代前半くらいにしっかりと持っておく、という事ですね。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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