日本の美術と工芸 第3話2017/1/18

『今伝えたいのは他の国に先んじて英国において、特に工芸にたずさわる人々に日本美術の影響が明らかに見られるということである』

『英国工芸の日本美術の受容はヴィクトリア女王の夫君アルバート公の後援により非常に熱心に進められた。アルバート公はその生涯を通じて日本製品を英国の工芸品へ適用していくことについて熱心であり、科学と芸術の重要性を教えるという目的をもっておられた』

1867年のパリ万博、1873年のウィーン万博で日本の工芸品が世界に散らばって大きな影響を与えたと言うことですから、ウイリアム・モリスがアーツ&クラフツ運動を始める頃ですね。

当時は、産業革命で多くの人が職を失っていて、手仕事の良さをもっと認めさせよう!という気運た高まっていた頃です。

機械に仕事を奪われた労働者の貧困問題が顕著になってきていて、芸術や工芸の問題というより社会問題だったようですね。

このあいだ読んだ経済史の本に書いてあったのですが、日本の様にそれぞれの職人が腕を競って造っていたのではなく、ギルドによって厳しい制限が加えられていた様です。

織物なら、Aとうギルドなら、経糸何本緯糸何本、Bならまた別の品質と決められていて、それに違反すると厳しい罰則があったそうです。

そういう手工業のギルドの中ですから、労働者は良い意味で安定したでしょうし、悪く言えばあぐらをかいていたんでしょう。

そこに出現したのが機械生産という手段を持つ資本家です。

ギルドのオキテなどお構いなしにどんどん作って売る訳ですね。

ハイレベルな技術を要するものはおいそれとは機械で替えられないでしょうが、ボリューム品なら十分だったでしょう。

当時の王族が街中を歩いたときに『貧困者が溢れている!』と驚愕したといいいますから、ここに書いてあるアルバート公は、ものづくりに携わる人達の救済の為に動いたという事かも知れません。

原料は植民地からガンガン入ってくる訳ですから、資本家としたら、それを安価で加工して、国内やら、輸出やらで儲けを大きくしたいわけです。

そこには産業革命で現実となった機械による大量生産があるわけですから、生産手段を持たない労働者、とくに単純労働者は職場からはじき飛ばされてしまいます。

ウイリアム・モリスが社会主義運動に傾倒していたのは有名な話ですが、社会保障も無い時代で、英国王室もそんな世情の中、浪費を続けていたというのですから、不満がたまるのも当然です。

ギルドのシステムで緩やかに守られていた人達が、当然、凍り付いた荒波の中に放り込まれるわけです。

芸術や工芸も、経済に大きく影響されて変化していくということが良く解る時代です。

日本の工芸は、物作りする人達が再起をかけるための目標とされるくらいにレベルの高いものだったということです。

陶芸などはすぐ思い浮かびますし、モリス商会で造られていた様な染め物もその中のひとつになっていたでしょう。

しかし結果として、アーツ&クラフツ運動は労働者を救うことは出来なかったのですが・・・

せっかくですから、アーツ&クラフツ運動の事も少しチラ見しながら読み進めていきましょう。

(つづく)

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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