『びんがたも作品を』2015/2/22

こないだの沖縄で、ある作家さんと長々話をしていたんですが、どうも最近びんがたに面白い作品がない、とくに、市場に出回ってる作品の魅力が薄れているなどと話をしていて、どうしてなんだろう?と二人で話し合っていました。

沖展を見ても、織物の方はそれぞれ産地ごと、作家ごと工夫をして、将来性を感じる若手が出てきて頼もしい感じがするんですが、びんがたはというと、どうも面白くない。

デザインは斬新であっても、作り込みが甘い。線が美しくない、色も冴えてない。

いろいろと考えてみたんですが、結局は受注形態にも問題があるのでは無いかという事になりました。

織物の場合、ひとつひとつ、一点限りのつもりで、創意工夫を凝らして糸を染め、織り上げる。

びんがたはというと、見本となる作品を造り、それに対して問屋が生地を渡して発注するという形です。

後者の場合、どうしても『仕事をこなす』という事になります。

ちょっと位出来が悪くても致命的な欠陥が無い限り、問屋は仕入れて金を払ってくれます。

悪く言えば『やっつけ仕事が通ってしまう』事にもなりかねないのです。

人気作家になると、ひと柄で何十何百も造る事になります。

それに魂を込めろと言っても、難しい事です。

びんがたの作家さんも、実はそんなに柄数をもっている訳ではありません。

そしてその多くは古典をアレンジしたものです。

完全な創作というのは、創作紅型の作家といえども、現実にはそう多くない。

古典をベースにしていることがほとんどなんです。

我々が発注する場合でも、実は、染め上がった現物が工房にあるわけではありません。

たいていは、写真です。

写真で色柄を確認して、発注するわけです。

当然、色柄の緻密な部分は解らないですし、生地によっても感じがまるで変わってきます。

作品が出来上がって来て、開いてみると、あんまり良くないという場合でも『ま、こんなもんか』という様な感じで、それに対して厳しい言葉を発するというのは、業界でもほとんどないでしょう。おそらく私くらいでしょう。

出来上がって来て『アララ・・』というのが多いのも確かです。

でも、この作品そのものを仕入れると言う場合には、アララ作品は仕入れません。

つまり、織物と紅型では、自ずと一つ一つの作品造りに対する真剣さが違ってくるんです。

見本の作品を造るときには、丹念にやったとしても、発注の場合は納期もあることですし、目の前にお金がぶら下がっていますから、作り込みが甘くなる事も十分にありえるわけです。

顔料の調合ひとつ、型を彫りなおす場合は、型紙の彫り方ひとつひとつに入る気持ちがかわってくるはずです。

型染めといっても、版画の様に同じ絵の具を多数の作品に使う訳ではないですし、現実、同じ型、同じ配色を発注しても同じに上がってこないのが、びんがたの現実です。

もう人気作家まで登り詰めた方は良いとして、これから頑張っていこう!という中堅・若手のびんがた作家さんには、自分で生地を仕入れ、渾身の力を込めて染め、その作品を売ることが必要ではないかと想うのです。

作り手として十分な力がついていない、まだまだ試行錯誤を重ねていかねばならない状態で、たくさんの注文が来たとしても、駄作を市場にばらまくだけです。

一時、駆け出しの若手にも注文が殺到していた時期がありました。

それは、その人の作品が良いからではなくて、ただ『びんがたが欲しい』というブームに乗っていただけなんです。

それがアララ作品を多数生んでしまい、市場にヘドロの様に溜まっている、そういう状況なんだと想います。

びんがた作品を作る事は、特に難しい事ではありません。

テーブルセンターやタペストリーくらいなら私でも出来ます。

大事なのは、基本的な技術と、『作り込み』です。

びんがたは分業ではなく、ひとつの工房内で工程が完結します。

だからこそ、手を抜いたら手を抜いただけの結果しかでないのです。

手を抜いたつもりでなくても手が抜けてしまう。

それが受注というシステムのワナです。

金銭的に一時は潤ったとしても、長い目で見れば力が付きにくいと私は思います。

同じ作品は二度と造らないんだ!くらいのつもりで、デッサンをし、柄を造り、型を彫り、色を調合する。

そして、ひとつひとつ最高のものを仕上げる。

そもそも、そうでなきゃ、使ってくださるお客様に失礼でしょう。

びんがたの型は大量生産の為の型ではありません。

型の持つ美しさを最高に表現できるのがびんがただと私は考えています。

精一杯つくった新しい作品なら、もっと高く問屋に売っても良いでしょう。

いま自分が手がけている作品が本当に自分の作品と言えるのか?

生地を問屋任せにしていて、それで自分の作品の魅力が十分に発揮できているのか?

10や20の創作柄を持っていたって、作家と呼ぶにはほど遠いです。

織の人は、自分で糸を買って、造った作品は自分で持って、問屋に対峙しています。

少なくない人が、同じ作品は二度造らないという気持ちでいます。

びんがたは絵画です。

作品を前にして語れる様でなければ、あなたの作品とは言えないのです。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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