『違いこそ宝 〜「風に舞う布 琉球染織の美」』2015/6/2

大阪くらしの今昔館で

「風に舞う布 琉球染織の美」

が始まっています。6/28(日)までです。

http://konjyakukan.com/kikakutenji.html
こちらで配布?されている図録が今日届きました。
実は、原稿を頼まれて、ちょこっと書いたのが巻末に載っています。
図録のは少し手が入れられているので、このブログでは私が書いたままを掲載します。
『沖縄染織の現状と展望』というテーマでのご依頼でした。

違いこそ宝この度は開催おめでとうございます。私の沖縄との出会いといえば、父がお土産に持って帰ってくれたチョコレート、ガム、プラモデル。そして日曜日のお昼のポークたまご。そのおかげでこんな肥満体になってしまいましたが、父との大切な想い出の一つです。父は、20歳の頃から某商社の駐在員として、沖縄に居住していましたから、沖縄とはかれこれ60年のお付き合いになります。当時はまだ米国の施政下でしたから、弊社創立時は、糸や染料などと共に、学生服などの生地を沖縄に納めていました。当時のお得意先が株主になってくださったりして、大変な応援をしてくださったんですね。染織界では、大城廣四郎さん、大城カメさんには大変お世話になったと聞いています。私が廣四郎さんにお会いしたのはまだ幼稚園生の頃で、大阪の展示会に来られたときに、お小遣いを下さったのを今でも明確に覚えています。確か5000円でした(笑)沖縄が本土に復帰してからは呉服一本になったのですが、沖縄といえば、必ず父の姿が重なって見える、そんな感じでした。いまでも、そうなんですが。沖縄の事は父を通じて、いろんな事を間接的に学んでいました。それこそ、本当に『いろんな事』です。 私がこの業界に入ったのは25歳の時ですが、太くなったり細くなったりしながら、沖縄との付き合いはずっと続いていました。その9年後に父が倒れて、そのまた1年後に亡くなるのですが、その時に父から言われたのが、『もう一回、沖縄の織物に力を入れてみたらどうや』という事でした。そして、『そのかわり、沖縄に骨を埋めるつもりでやらなアカンで』とも言われました。若いときから長く沖縄と付き合っていた父としては、いろんな感情があったようですが、この言葉が遺言の様に私は感じています。私がこの世界に入った当時は、まだ沖縄の染織とえいば、二級品扱いだったそうです。それで、入社して最初に父から教えられたのが、沖縄の輝かしい歴史と文化でした。そして、京都、加賀、江戸と並ぶ沖縄染織というジャンルを確立する事を目標としているという話を熱く語ってくれました。復帰当時、多くの問屋の意識は『裸足の沖縄』だったそうです。沖縄は裸足で生活しているような貧しいところだから、手作りの物が安く手に入る。こんな意識だったのです。その中で弊社だけが、琉球王朝の輝かしい文化にスポットを当てていたんです。今は首里城がその歴史を語ってくれますが、当時は守礼の門しかありません。自ら歴史を学ばない者にはその文化は知るよしもなかったのかも知れません。35歳で父から会社を受け継いでから、私はむさぼるように、沖縄の歴史を学び、民藝論の本を読みました。その中でやはり、父の教えは間違っていなかったと想いましたし、沖縄染織のあるべき方向性を深く考えるようになりました。 父がよく言っていた事ですが、『沖縄の染織品は力強くなくてはいけない』と私は思っています。私が沖縄に通い出した頃、もうすでに創業当時お世話になった方々は第一線を退かれていて、また、新たな業者の参入もあり、仕入れにも苦労しました。猛暑の中、もうろうとした頭でたどり着いたのが、久茂地にあった沖縄物産センターでした。こちらとも古いお付き合いで、平良さんご夫妻には大変よくして頂きました。平良さんの奥さんも『沖縄の染織はパワーをくれるんです』と父と同じ事をおっしゃっていたんですね。 沖縄染織の将来や展望と言っても、私の様な内地の人間があれこれ言うのは適当ではないかと想います。私の願いはただ一つです。沖縄の方々の中から本当に沖縄染織の価値や魅力を知って、それを護り続けていこうという熱い気持ちを持ったリーダーが存在し続けること。今や、花織やロートン織、紅型と言っても、技法自体は、内地のあちこちで使用されています。技法自体に価値が見いだされる時代では無くなっています。20年前は、花織を見せるだけで一発で売れていたんです。それが今や『あぁ、花織ね』です。技法の特異性が他より秀でたもので無いとすれば、今後の沖縄は何に力点を置いて市場での存在意義を保ち続ければ良いのでしょうか。沖縄でしか造れない物、沖縄の人にしか造れない物。それは一体何なんでしょうか。それを自ら深く考えて、認識した物作りをしない限り、和装市場の中で埋没してしまうのでは無いかと思います。今、和装の物作りは世界に及んでいます。いわゆる沖縄物によく似た着物や帯が外国で安く造られはじめています。それに対して、明確で抜群の魅力が無ければ、デフレの波に必ず飲み込まれてしまいます。均一な物を大量に造るようになれば必ず値段は下がります。値段が限界まで下がれば従事者も後継者も居なくなります。そうならない為にはどうした良いのか、です。 私は、『伝統を踏まえた個性』にその答えがあるのではないか、と考えています。伝統だけではない、しかし、個性の発露だけでもない。その両者がシナジー効果を得て、最高の物になるのではないでしょうか。沖縄には、私達本土の人間とは違う個性があります。異なる美意識がまだ残っています。これはまさに宝物なんです。日本国中で同質化が始まっています。私はあちこちに出張で出かけますが、どこの街に行っても同じ飲食店、同じ服。でも本来、違うことにこそ価値があるのです。その違いをどう活かすか。それは沖縄のみなさんが考える事です。私はこれからもそのお手伝いをさせて頂きたいと想っています。                萬代商事株式会社
                 代表取締役社長 萬代学

 てな感じです(^_^;)

 書きたいこと、言いたいことは山ほどありましたが、『私らしい感じで』という事でしたので、柔らかく読んで楽しい?内容にしたつもりです。伝統染織を語るとき、流れを止めて点でみては正しい判断は出来ないのだと想います。あくまで歴史から未来へつながる線でみるべきです。今こうだから、未来はこうならねばならない、それだけじゃだめなんです。今までこういう事があった、こういう歴史をたどって来た、それを踏まえて、こうしなければならない、という考え方が必要だと想うんですね。そうでなければ、先人の遺産を食いつぶしてしまうだけになりがちです。現に、いまそうなりつつあるではありませんか。
 まぁ、私の講釈読んでるより、作品を観に行ってくださいね。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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