『沖縄染織の魅力と売り方』2015/11/25

11月恒例の下関巡業を終えて、先週の金曜日の深夜に帰阪しました。

暖かくて、気持ち悪いくらいでした。

今日の大阪は寒くて、すでに厚着をしています。

事後の事務処理も一段落して、久しぶりにブログを。

うちは、創業以来沖縄と深く関わってきて、来年の8月でまる50年になります。

私ももう26年沖縄物を売っていると言う事になりました。

復帰直後、祖国復帰10周年、20周年、30周年と、沖縄ブームというのがあって、30周年あたりのブームが大きすぎたせいか、40周年は全体として不発という感じで終わってしまいました。

いまや、沖縄の染織といっても、珍しいものではなくて、総合展なら定番という感じになっているのかも知れません。

では、なんで沖縄の着物を売っているのでしょうか。

大島や結城に比べたら、1972年までは米国の統治下にあったので、スタートが遅れ、いわば『最後の珍品』であったからでしょうか。

でも、もうすでに、沖縄の着物といっても、珍しいわねぇと言ってくださる着物ファンは少ないでしょう。

花織やロートン織、花倉織と言った技法が面白いからでしょうか。

しかし、そんなのは機械織で安いのはいくらでも出来る時代になっています。

沖縄の染織が珍しいから売場に並ぶのであれば、沖縄で沖縄の技法を用いて造ってさえあればいいと言うことになります。

私の実感として、沖縄の染織を見て、珍しい!という反応をされる方はほとんどいないのです。

いわば、七色の変化球を投げ分ける新人投手に面食らって、三振の山を築いてしまったけども、次のシーズンは打者も慣れ、研究もされて、その投手の本当の実力が試される、そんな状況なのだと想います。

珍しいと言われていた時代は、『そうね、沖縄のも一つもっておいても良いわね』的な買い方をしてくださった方も多かったんだろうと想います。

新しいだけでなく、特徴がありますから、それだけで十分な魅力だったんです。

しかし、市場に沢山出てくると、その特徴も見慣れたものになってしまいます。

次は特徴から、『魅力』の有無に焦点が移ります。

購買動機が、変わるということです。

カップヌードルが出たのはもう40年以上前だと想いますが、当時はオシャレな食べ物として、フォークで食べたりしていたんです。

価格も高かったんですが、それでもたくさん売れたんだろうと想います。

しかし、類似の商品がたくさん出てくるようになり、カップ麵という言葉が浸透してくるようになると、次は味の勝負ということになります。

カップラーメンだけをみても、すごいバリエーションがありますよね。

カップ麵は身体に良くないという話もありますが、これだけ大きな市場になったのは、それ相応の魅力があるからでしょう。

まず、そこそこ美味しい、手軽、安い、器が要らない・・・などなど。

では、他の着物ではなくて、沖縄の染織品を買う決め手って一体何でしょうか。

芭蕉布、宮古上布、八重山上布、久米島紬、読谷山花織、南風原の絣、首里の織物、琉球びんがた、与那国織、などなど、たくさんの種類があります。

例えば、ちょっとお出かけするのに着る、気軽な紬が欲しい、そんな需要があったとします。

紬は日本全国にいろんなのがあります。

その中で、例えば、久米島紬を選んで買ってもらうにはどうしたらいいでしょうか。

これは売り手に問いかけているのではありません。

作り手に向けてお話しているんです。

結城、大島、牛首、そして久米島紬がお客様の前に並べられたとします。

久米島はどうやったら、お客様の心をとらえることが出来るでしょうか。

イメージするには、結城、大島、牛首がどんな品物かを知っている必要がありますね。

夏物でもそうです。

越後上布、能登上布、そして、八重山上布が並んだ。

八重山を選んでもらうには何が必要でしょうか。

どういうものづくりをすべきでしょうか。

それらがどれにも特に際立った特徴がないとすれば、どれも選ばれないという事もあり得ます。

特徴の中で、相手に良い影響を与えるものを魅力と言って良いのだろうと想います。

本当に魅力があれば、同じアイテムのものを二点、三点と求められるはずです。

珍しい、持っていない、が購買動機であれば、一点こっきりで止まる可能性が高い。

同じ作家さんの作品を複数点お買い上げになるということは、その作家さんの魅力、すなわち、その世界に魅了されていらっしゃると言ってもいいかも知れません。

要はそこまで考え、工夫を凝らして、制作に当たっているかという事です。

作り手はお客様の作品に対する反応を見ることが無いというのも、ちょっとかわいそうな感じがしないでもありません。

作品を広げた途端、まだ宙を舞っている布を手にとって、手から離すことなく、じっと凝視していらっしゃる・・・

しばしの沈黙・・・

この時が、私達商人の至福の時であります。

そういう時間が来そうな予感がする、私はそんな作品を日々追い求めているのです。

話を元に戻しましょう。

沖縄染織の魅力を考える時、何が良いのかをハッキリと言葉にできなくてはいけません。

大きな展示会場に他の種類の着物と並べられたときに、際だった異空間を造れなければなりません。

沖縄染織の魅力とは何か?

異空間を構成しうる、色の深みとコクなんだと私は認識しています。

そして、その深みとコクのある色が多数存在し、表現しうる。

これが沖縄でしかできないことです。

なぜかは知りませんが、おそらく、その気候と風土、そして伝統でしょう。

私は沖縄染織だけを売っているのではありません。

しかし、その魅力を核にして、同心円の中にあるモノを集め、造っているんです。

えばみりをん、もずや更紗などなど、他産地の染織品でありながら、沖縄の染織と一緒に並べても、とくに浮き上がってしまうことがない。

これはなぜかというと、私がプロデュースしているからです。

そして、その周辺部の作品があるからこそ、沖縄物の魅力がまた引き立つのです。

相乗効果、シナジー効果というやつです。

てっちりにひれ酒、スモークチーズにピート臭のバッチリ効いたウィスキー。

それぞれの魅力がかぐわしく匂い立ってひとつになり、魅力が何十倍にもなる。

沖縄染織を扱っている問屋は他にもあります。

沖縄だけしかやっていない問屋もあります。

でも、それは沖縄を産地として区切り、銘柄として分断してしまって、その美の核がどこにあるかでまとめていません。

京友禅には京友禅の、加賀友禅には加賀友禅の、大島紬には大島紬の魅力があって、美の世界は産地で区切られるものではないのです。

時計でも、ロレックス、オメガ、タグ・ホイヤー、パテック・フィリップ、バセロン・コンスタンチン、オーデマ・ピゲなどなどありますが、銘柄=ブランドをだけをぞろぞろ並び立てるだけでは、その時計はブランドで買われるだけになるのは当然です。

手作りの機械時計という事、そして、一種の工芸的価値のある時計という事でまとめなおすと、そのコレクションの見方はグッと変わると想います。

ブランド、ブランドと、コンサルは口やかましく言いますが、ブランドはいつかは廃るんです。

でも、沖縄の染織が永続を宿命づけられた伝統工芸であるとすれば、プロダクト・ライフ・サイクルに乗せてはいけないのです。

マーケティング・マイオピアという言葉があります。

初恋の味・カルピスといえば、私の同世代以上の人なら知らない人はいないでしょう。

カルピス・ウォーターで一時は盛り返しましたが、いま、一年に何度カルピスを飲むでしょうか。

出されれば飲むし、飲めば美味しいと想います。

でも、カルピスというブランドが連想させる味、イメージが、購買を阻害しているんです。

ブランド化して長続きしているモノなど、実はほんの一握りなんです。

逆にそれは、有名ブランド以外のものを市場から排除してしまう、消費者の眼を本来の品質から遠ざけてしまうという大きな副作用もあることを知らなければなりません。

着物業界でいえば、大島紬ですね。

昭和50年代までは一世を風靡した商品群、ブランドと言っても良いでしょう。

それが今はどうでしょう。

1980年から、ある業者が安売りをはじめ、一時は良く売れたでしょうが、今や産地は半端じゃない危機に瀕しています。

ブランド化というのは、一種のカンフル剤と想った方がいいと想います。

いま、自分だけが儲ければ良いと想う人には効果ありです。

いくらマーケティング戦略を駆使したとしても、喜如嘉は芭蕉布しか造れないし、宮古島、石垣島は上布しか造れない。

でも、それは高価で、現代の実用からは遠く離れている。

それをどう支え、永続させていくのか・・・それなんです。

これから10年で良い物は無くなるという話を良く聞きますが、沖縄の染織はなくすわけにはいかないんです。

身体をはってでも、残していかなくてはいけない。

繁栄しなくても良い。

どうやったって、良い物はたくさんは造れないんですから。

ですから、良い物を良い物と認識してもらう工夫、そんな当たり前の事がとても大事なんだと想うんです。

沖縄の染織に携わる人達を中心に、美意識を共有できる人だけが愛してくれるだけで十分です。

大事なのは、その美意識を明確に認識してもらうこと。

私はなぜ、こんなに沖縄の染織に惹かれるのか。

その理由を明確に認識してもらえさえすれば、きっと道はあると想います。

それは売り手とて同じ事。

輪島塗を売るには、他の産地の塗り物とどこが違うのか、どういいのかを明確に認識し、伝え、自らも作品を愛することが出来なければ、末長く商うことはできません。

それが出来なければ、どんどん流行を追って、商売を変化させていくだけ。

それは今時の商売かも知れませんが、時代に取り残されれば去るのみです。

しかし、伝統の世界は時代に取り残されてもなお、正道をたえまなく歩いて行かなくてはならない。

ある種の諦観と、ど真ん中を突破する信念も必要かと想います。

長々と書いてしまいましたが、世情が不安定ですし、消費税も今のままで行くと増税という事になりそうです。

作り手も、私達商人も、土性根をすえていかねばならない時に来ていると想います。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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