『沖縄の染織〜新しい時代へ〜』2015/8/7

沖縄の染織は着物ファンの中でもかなりの感じで知れ渡り、それ自体を『初めてみましたぁ』なんていう言葉は聞くことも無くなりました。

沖縄の織物は大きく下の様にジャンル分けされています。

喜如嘉の芭蕉布
読谷山花織
知花花織
首里織
南風原の各種織物
久米島紬
宮古上布
八重山上布
与那国織

ざっとこんな感じです。

リュウキュウイトバショウで造られる芭蕉布、苧麻で造られる八重山上布、宮古上布を除いて、他はすべて絹織物が中心です。

読谷
知花
首里
南風原
与那国

どこにどんな特徴があるでしょうか。

作品だけをみて、これは首里、これは読谷、これは南風原、これは与那国と完璧に見分けられる消費者の方は多くないと想います。

同じ技法で造っていながら、なぜこんな風に分けられているんでしょうか?

実は、昔、30年位前は花織はすべて『琉球花織』として販売されていました。

首里織という言葉ができたのも、那覇伝統織物事業協同組合が設立された40年前からではないかと想います。

もちろん、首里には首里の、読谷には読谷の、歴史と伝統があります。

技法的にも正統なものは、それに則って造られて居ます。

しかしながら、現実にはもうグチャグチャです。

私でも、これが首里織と言えるのか?と想うほどの粗い作品もあります。

逆に、これは上手だし気品があるな、と関心させられる他産地の作品もあります。

産地別の縦割と作家の技量別の横割で沖縄染織の作り手、あるいは作品は位置づけされるのだろうと想います。

ざっと描くとこんな感じになるかと想います。

レベルの高い順にA,B,Cとランク付けするとしましょう。

(首里織は全体として他の産地よりレベルが高いとかそういう話はまた別の機会に(^_^;))

沖縄の織物展を開くとしましょう。

Aランクばかりを集めた展示会も、Cランクばかりを集めた展示会も、おなじ沖縄の染織展です。

たくさんの作品を集めようとすると、同じ資金量ならCランクの作品を集めた方が仕入れ値が安い分だけたくさん集まります。

南風原の絣が安価なのは、素材や織物の品質と共に、同じ作品を大量に生産するというシステムにも理由があります。

ですから、そういうものばかりを集めると、どこにでもある作品が大量に集められる事になります。

『沖縄』とか『首里』『読谷』など、種類が細かく分けられれば分けられるほど、沖縄染織展は、種類が多くなります。

詳しく知らなければ、とりあえずアイテムだけを集めようとするからです。

首里織3点、読谷山花織5点、知花花織5点、南風原花織5点、南風原の絣10点・・・

こんな風に集められるわけです。

ですから、知花花織の経て浮き花織を読谷がやっても、問屋の需要は増えないと観るわけです。

細かく分ければ需要は増えるの法則です。

そこには品質への眼は無きに等しいと言っても良いでしょう。

もし、品質本意で観る眼があるなら、Aランクの作品だけを集めて、産地にはこだわらない、そういう考えもあるはずです。

正直言って、私がアソートするなら首里花織帯と南風原花織帯が同数なんて事は考えられないわけです。

産地によって技法が細かく規定されているのは、ひとつは伝統工芸品指定の問題。

あとは、産地同志が争わずに共存共栄していくためです。

首里で織られていたのは、今の首里織の規定内の技法だけではありません。

那覇全体で見れば小禄や泊のあたりでは綿織物も盛んに織られていたと読んだ記憶があります。

首里でも当然の様に無地も織られていたし、麻も織られていたでしょう。

首里には桐板という織物がありましたが、その原料は竜舌蘭とも苧麻とも言われています。

花織の歴史を見れば、首里以外では読谷山の長浜地区の人達だけに特別に許されていたという事ですから、読谷でも芭蕉布を始めいろんな織物が織られていたとおもわれます。

歴史をひもとくと長くなるので差し控えますが、産地名や産地の技法を規定するのは今までは、作り手を守ることにつながったのかも知れませんが、これからもそれで良いのか、という問題です。

沖展などで若い作り手の作品を観ると、『この人にあれを造らせてみたい』『この技法なら絶対もっと良くなるはず』と言う感覚が湧いてくることが多いのです。

しかし、作り手がその産地に縛られていると、自ずと技法にも制限がかけられます。

知花の人に、ロートン織は造らせられないのです。

その気になれば出来ますよ。

でも、狭い沖縄の社会で、仲間から突出した事をするのは大変な勇気の要ることで、現実的には組合員なら、脱退という事にもなりかねません。

長くなりましたが、結論として

『自分の技法は自分で決める』

それで良いと想うのです。

使う素材も、染料も、全部自分で決める。

完全自由の、作家主義です。

沖縄にいると沖縄の中にしかなかなか眼が行きません。

でも、ちょっと内地の染織家に眼を向けると、そんな制限やしがらみ関係なしに、ありとあらゆる技法を取り入れて創作活動をしています。

そんな中で、

私は読谷山花織の作家で、伝統があるのよ!

なんていっても、そんなのは文化庁に言ってくれ!てな話です。

伝統、風土、環境・・・様々な面で、沖縄は染織のメッカです。

ますます、その存在価値は高まっていくでしょう。

しかし、その作品の価値、とくにAランクの作品の価値は正統に評価されているとは思えません。

なぜか?

BCランクずらりの産地事のアソートで足を引っ張られているからです。

今となっては、産地ごとにブランドを色分けしたのでは、その産地に着いたイメージもつきまとう事になります。

特定産地のの作り手として、縛りを受けるのは一長一短ある、そう考えた方が良いと想います。

産地のイメージ、これは悪く言えば色眼鏡です。

いくら創意工夫を凝らし、個性溢れる作品をつくっても、色眼鏡で見られたのでは、正統な評価が得られるはずもありません。

沖縄染織の作家から

沖縄の作家へ。

そして日本の作家へ。

沖縄の作家さんだけを観ても、お腹が一杯になるくらいの輝く個性を感じることができるのです。

さぁ!飛び立ちましょう!

求められているのは、沖縄の染織ではなく、あなたの作品なのです!

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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