『『国宝消滅』を読んで』2016/2/25

昨日ネッ

それにして昨日の午後注文して、その日の夜に届いたのには驚きました。

3時間ほどで読了しましたが、まずは、著者のデービット・アトキンソン氏には、我が国とその文化を愛して頂いて有り難うとお礼を申し上げておきます。

読み通すと、そんなに奇異なことも書いて居るだけでなく、私とは立場と感覚、そして価値観が違うだけのように感じました。

ネット上には和装業界をして『伝統と書いてぼったくりと読む』と書いてあり、カチンときたんですが、本全体としては、伝統産業全般について書かれており、その内容もわからないではないというものでした。

しかし、少なからずケンカを売られた形なので、拙いながらも反論と疑問点の提示をしておきたいと想います。

全体の2/3を読むと、この本は、外国人対応の観光立国指南書なのか?という印象をうけます。

日本はこれから人口減少に向かうのだから、GDPを維持拡大するためには観光を振興し、観光立国を目指すしかない、著者は一貫してそう主張しています。

そして、観光立国のためには、文化財の保護と活用が必要だと言います。

なるほど。

同感する方も多いと想います。

わが故郷の河内地区も、現在『百舌鳥古市古墳群』の世界遺産認定について、議論が戦わされています。

まず、GDPが増えることが、国民の幸せにつながるのか、という点が疑問です。

著者はGDPが減れば、今の社会保障体制が維持できないと言います。

それはそうかもしれません。

でも、人口が減ればGDPは減るのか?

著者はデータをもって、先進国では必ずそうなると書いて居ます。

では、GDPが世界一位の米国、世界二位の中国は社会保障制度が充実しているんでしょうか。

私は良く知らないので、なんとも言えませんが、そんなことないという印象です。

年金が減って社会保障全体が縮小すれば、日本人は不幸になるでしょうか。

社会保障制度がなかった時代、日本人は苦難の時代だったんでしょうか。

なんか腑に落ちません。

まず、この『GDPが減れば社会保障制度も維持できなくなり日本人は不幸になる』という前提が私にはしっくりこない。

そして、『だから観光立国しかない』というのも、あまりにも飛躍しすぎのような気がします。

私は百舌鳥古市古墳群の世界遺産申請には反対している立場ですが、なぜそうかといえば、沖縄の変遷を見ているからです。

沖縄は離島も含めて、私が子供の頃に行った姿と全く変わってしまいました。

本島中南部で、美しい海を見たいといわれて、どこに連れて行けば良いでしょうか。

海岸線は埋め立てられ、そこにはホテルが並び立つ。

貴重なビーチも、ホテルのプライベートビーチになり、地域住民の憩いの場ではなくなってしまっています。

基地・観光・公共事業の3Kが沖縄の基幹産業と言われる位ですから、観光が地元にとって大きな収入源であることは間違い有りません。

しかし、観光関係の人達以外は、自分達の故郷が汚されることを大変悲しんでいます。

そして、神聖な場にも、不遜な態度で足を踏み入れ、時には許されないような行為をする。

久高島には立ち入り禁止区域がたくさんあるそうです。

それは神の住む、神聖な島だからです。

うちから山を越えた向こうには大神神社という日本一由緒のある神社があります。

そのご神体は実は、三輪山で、そこへの立ち入りは出来ません。

著者は、文化財も立ち入り禁止にせず、イベントなどをして、有機的に活用すべきだ、と書いて居ます。

三輪山の神域に、外国人がいちびって立ち入ったとしたら、私達は許せるでしょうか。

著者は、『そんなこと言うてたら、おまえら貧乏するだけやで』そう言っているのです。

前編を読み進む打ちに何でしっくりこないんだろう、と考えたんですが、結論はこうです。

『日本は神の国であると言うことを骨の髄からは理解していない』

神社仏閣でなくても、お城であっても、山や海であっても、私達日本人は、そこに神がいると想っています。

私はそんなことないよ、と言っても、最後は神に手を合わせる。

日本人だからです。

そういえば著者はまたこう反論するでしょう。

『職人気質もそんな感じで言われるが、これはビジネスの論理で言っているんだから』

少なくとも私は『余計なお世話』だと想います。

こちらでは日本人の気持ちをビジネスと金をたてに、踏みにじって置きながら、最後の方では、中国産漆を使った京塗りを高値で買わされて文句を言っている。

また、金箔が中国製だったとか、着物も糸は中国製で、仕立てはベトナムだと言っている。

そして、職人の仕事を増やすことが技術継承で一番大切なことであると言います。

そもそもです!

プロなら、作品をみて素材を見極められるか、そうでなければ事前に知っておくのがあたりまえです。

文化財修復に関わり、日本の伝統産業に関して本をだすくらいなら、知ってるのがあたりまえ。知らないのがおかしい。

いえ、私は十分な鑑識眼と美意識を持っています、そうおっしゃるなら、外国産の素材でも問題がないくらい、職人の技術は優れていると言うことです。

本当に日本の漆を使った京塗が欲しいのなら、それ相応の選択をしなければならないはずです。

基本的に私達日本人は、モノを愛さない。

自分では気づいていないかもしれませんが、形有るモノを愛していない。

ゆく川の流れはたえずして・・・

諸行無常、形は変わり、いずれは朽ち果てる。

大切にしているのは、モノならそれを造った職人の技術であり、心です。

そして、そのモノにも神が宿っていると考える。

それが、異国の神であっても、です。

伝統工芸品規格では様々な制限がされていますが、素材は世界中から良い物を集めて造るというのも日本の伝統です。

中世から絹糸は大陸から買っていたんです。

琉球漆器は昔から中国の漆を使っています。

それでも琉球漆器です。

でも、沖縄の職人が沖縄の気候風土に合わせて、昔ながらの技法で造っていて、良い物が出来たら、それで良いわけですし、だれも文句は言いません。

著者は、自分が購入した京塗や着物の善し悪しには全く触れていないのも気になります。

もしかしたら、あなた、モノが解らないで買ったの?と問わずにはいられない。

それで、文化財の修復の社長やってるって、材料の仕入れ間違えるでしょって!

さすがゴールドマンサックスとやらの元金融アナリスト、銘柄は絶対と想われていたんでしょうか。

もしかして、札束もって、一見で高級店にはいられたとか?

25年も日本で暮らしておられて、誰の紹介でもない一見客で、それも外国人で、良い物を勧めて貰えると想ってる事がちょっと理解できません。

私達の世界は本来、客と店は、もちつもたれつ。

本当に良い物が解る人に良い物を勧めねばならないが、そんなものはそうは回ってこない。だから、本当に良い物は奥に置いてあるはずです。継続して付き合ってくださる常連様には、特別のはからいをする。現代的ではないかもしれませんが、これが私達の世界の習慣であり伝統のひとつです。

着物の事にも多く言及されておられますが、原価2万円のものが4〜50万なんて、どこから資料もらったんですか?

いくらなんでも、そんな値付けしているお店ないですよ。

(もしかして、あの紫色の店?)

価格が40万のモノなら小売店が35万、職人が5万って・・・

それ、へんな資料もらったんでしょう。

つまり優秀なアナリストといえども、情報ソースがおかしければ、まともな分析はできないということです。

そして、私には情報の出所や、その真偽についての意識も低い感じがします。

モノの値打ちや価値は、株式市場の価格表示とは違うんですから。

私達和装業界がぼったくりとか言われる原因のひとつに、生産原価からの積み上げで上代を決める方法が採られているせいもあると想います。

陶芸なら、作り手が上代を決めて、それに対してギャラリーが何割とるかを決める。

呉服の場合は、作り手から入った値段から様々なコストを積み上げて上代を設定するんです。

ちなみに綿反などの太物は機屋が上代を設定しています。
小売店に太物が並ばないのはこの習慣の違いのせいもあるのかもしれません。

かたや何割、かたや何倍ですから、誤解されやすいのですが、結局は同じ事です。

問屋は作り手から作品を買って、小売店に出すわけですが、作り手と問屋を分けて考えるのがそもそも誤解のもとなんです。

作り手と問屋は多くの場合一体です。

そうでないブローカーの様な問屋もありますが、基本的には、問屋は作り手と共に物づくりをし、永年付き合っていく、いわば『チーム』です。

メーカー問屋とかつぶし屋とか言われる存在ですが、そう考えると、一般的に着物の値付けは極めて良識的であると言えます。

もちろん、一部におかしなところもありますが、それはどの業界でも、どの国でもあることです。

最後に分業について批判しておられますが、分業をやめる、あるいは企業を集約して1社にすれば職人の仕事が増えて、技術の継承ができる、とおっしゃっていますが、分業しているから、高度な専門性が保たれ、その結果として、世界に冠たる製品が作られていくわけです。

京友禅は分業であるが故に、存続が危ぶまれていますが、じゃ、分業をやめたら、どうなるでしょうか。

これまでの品質はとうてい保てない。

品質の落ちた京友禅を守ろうなどとは京都の人は思っていないと想います。

どうしたらいまの品質を維持していけるのかに頭を悩ませている。

著者は、京友禅について『京都で造っている染め物』としか想っていないんでしょうね。

そうではない。

業界は日本一、世界一の染め物である京友禅を残したいと想っているんです。

そうでなければ、京友禅を残したことにならない。

びんがたもそうです。

いくらでも生産性を上げる方法はあります。

でも、それだけじゃ、びんがたを残したことにならないんです。

最後にこの本を読む限り、決定的に欠落している部分を感じる事があります。

それは、『職人の生活への配慮』です。

これは民藝論にも共通する部分です。

技術の継承、伝統の保持。

もちろん大事です。

でも、仕事をするのは職人で、カスミを食べて生きていく事は出来ない。

そして、こと伝統産業では、主と職人、あるいは使用人は家族です。

『そんなのもう古い。そんな事では伝統は保存できない』

そういうでしょう。

でも、悪いけどこれで、2000年以上やってきたんです。

それも我々日本人は、他所の国から収奪することなく、自己完結して、今の文化、伝統を作り上げてきたんです。

著者は大変よく勉強されているし、本当に我が国を愛してくださっている事はよく伝わりました。

しかし、なんでもかんでも貨幣や経済に置き換えるのは、悪いクセです。

我が国の文化財は、私達の魂そのものです。

文化行政がいかに不十分でも、私達がこころから大切に想っているモノは、私達が責任もって大切にしていきます。

三輪さんや、天神さんが、朽ち果てる事は無いし、いくら古くなっても、参拝者が減る事はないでしょう。

ご心配ありがとうございます。

でも、私達はお金の為に魂を売るようなことはしません。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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