紬のたのしみ2017/5/16

いきなりですが、紬というのは紬糸を遣っている織物の事をいうのであって、シャレ物の織物全般を言うのではありません。

沖縄でも南風原の絣は昔、多くが経緯生糸(平絹)を遣っていましたし、首里の織物、特に花織、花倉織の類はたいていは生糸遣いです。

生糸が繭から糸を引き出す方法で糸を造るのにたいし、紬糸というのは繭を湯で解いて、角真綿にし、その真綿から糸をつむぎだす方法をとります。

こうすると繊維の間に空気がいっぱい入りますから、温かくふんわりした風合いになるという訳です。

江戸時代、奢侈禁止令が出たときに絹織物の着用が制限された時代がって、オシャレな人が苦心して綿織物に見える絹織物としてつくらせ、愛用したという話です。

そもそも、養蚕あるいは絹糸生産が伝統的に日本で盛んであったのか、といえば、そうではありません。

綿糸、あるいは絹糸のほとんどは輸入に頼っていたんです。

糸割符舟というの出て、堺や京都の許された商人だけが独占的に扱っていたんですね。

と言うことは、紬は、捨てるようなクズ繭からひいた野良着である、などという言い方は全く当たらないということが良く解ります。

逆に紬織物というのは、日本人の美意識がつくり出した最高点の衣類であると言って良いと想います。

なぜなら、庶民が幕府から規制をかけられながらも、オシャレ心を忘れなかったということの象徴だからです。

羽裏にしゃれた物をつける、というのが日本人らしい美意識だと言われますが、それと同じ、いや、それ以上の象徴的存在なんですね。

私は紬以外の織物も、染め物も手がけていますが、正直言って、紬が一番好きです。

なぜかというと扱っていると気持ちが安らぐからです。

まずは温かい風合い。

経緯の糸が織りなす『織味』

とくに絣は、そのかすれ具合が絶妙になって、引き込まれそうになります。

紬は、造って良し、見て良し、触って良し、着て良し、持って良し。

そして一番はね・・・

自分で作り上げる、あるいは完成させることが出来るという魅力なんです。

染め物というのは出来上がった時にすでに完成されていて、あとは劣化していくだけです。

しかし、織物、とくに紬織は、そこから自分が着ることによって進化させることができるんですね。

染め物は30年くらいしか持ちませんが、紬織なら、いいものは50年、100年と持ちます。

30歳で買って80歳まで着ると、どんどん風合いも見た目も変わってきます。

まるで、使い込まれた茶器の様に味わいを増してくる。

それを楽しむのも紬の楽しみのひとつです。

最近はみんな、せっかちになってしまって、ジーンズでも履き古したもの、あるいはそういう感じを新品のときから出した物が好まれるそうですが、繊維好き、布好きの私からしたら、あーもったいない!という気がします。

紬は自分で着ることで完成させる過程を楽しむことができるし、それが一番の楽しみだと想うのです。

八掛がすり切れて、エリも汚れて・・・

いろんな事が出て来ますが愛情を持って、お手入れをする。

5年、10年、20年、30年・・・

着るごとに表情が変わってくるはずです。

それはまさに、美術館で展示された茶碗と、何百年も遣われ続け、あるものは金継までされた茶碗の差を見るようです。

50歳で紬の着物を買ったとしたら、あと30年、40年、どんな風になるかな?と楽しみをもって見て頂けたらと想います。

そして、子から孫へ。

大事にすれば100年前、ひぃおばあちゃんの着物だって着ることが出来るんです。

代々に渡ってタスキを渡されて、着物を完成させる・・・

こんな素敵な事があるでしょうか。

・・・

話が止まらなくなってくるので、今日はこのへんで(笑)

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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