プロデューサーとしての物作りと才能2017/9/18

私は染織、とくに沖縄染織のプロデューサーと自称しています。世間的に見ればただの問屋です。『自分で織ったことも染めた事も無いクセに何を偉そうに』そう想う人も多いでしょう。でも、実はちょっとやったことがあります。しかし、プロとして活動するには技術と共に才能が必要です。染織に関しては、私は『手を動かす』という事において全くの無才能です。全く不器用なのは、私の図画工作の成績が物語っています。プラモデルもろくに作れたためしがない。染織家としてプロになるどころか、工芸全般において、まったくの圏外にいると言っても良いでしょう。だからこそ、素人としていろんな物作りや芸術に触れて、『感性』だけを磨いているんです。それで、素人だから出来る事もあるんです。プロにとてつもない提案をするのも素人ならではです。それがそのプロにできるモノであり、乗り越えられるハードルであるかどうかを判断する。それが物作りのアマチュアであるプロ・プロデューサー?の真骨頂だと私は思ってます。そのためには、物作りは知っていないといけないし、頭の中に完成された自分の作品を持って居ないと行けない。こないだのラジオ番組でなかにし礼という作詞家が、少年の頃の体験を、ある歌手との出会いがキッカケで歌にした、と言う話をしていました。なかにし礼は、少年時代に父親がニシン漁で大もうけして、その後失敗して路頭に迷ったそうです。それをいつか歌にしたいと想っていた。それで現れたのが『北原ミレイ』でした。北原ミレイの声を聞いて、『この女に歌わせよう』と想ったんだそうです。そして出来たのが『石狩挽歌』です。https://www.youtube.com/watch?v=UpEioKGUEcY

『そこまでの想いを込めた歌なら自分で歌えばいいじゃいか?』
シンガーソングライター全盛の今ならそう想うかも知れません。でも、その詩情を伝えるには、その世界を表現する、『歌い手』が要るのです。作詞家はもちろん自分でも歌えるでしょう。自分が歌うのが一番と思えば、そうするでしょうし、もっと、良い表現者が居ると想えばそうする。それだけのことです。京友禅とかだとわかりやすいですが、優れた作品はたいてい分業で成りたっているんです。作家といわれる人でも、実は全部自分でやってるわけじゃない。図案も図案家に描かせている人も居るし、自分では刷毛を持たない染色家もたくさんいます。でも、その染色家、染織家が、『自分の世界』を持って居れば、それは作家と言われるにふさわしいのです。でも、私は作家じゃないし、作家とも呼ばれたくない。染織家と出会ったら、その人の特長をよく把握して、自分の世界との接点を見出して、共に作品づくりをしていくというのが私のスタイルです。ですから完成された人や、自分の世界から一歩も動かない人は、お互いやりにくい。自分の世界を構築し、それを相手に伝える、それも出来るだけ具体的に伝えたい。だから、シコシコ勉強したり、チマチマとヘタなりに物作りをしてみたりするんです。趣味でいろんな物作りをしたり、絵を描いたりしてる人は、自分のジャンル以外の事に踏み出してみても面白いと想いますよ。絵を描く人が、『これこれこんな感じでバッグに刺繍してみて』とかね。そのかわり、出来てきたモノはドーンと受け入れる度量は必要ですよ。自分の伝え方が悪かったのか、あるいは、自分が思う世界にその刺繍するひとが合わなかったのか。その繰り返しがまた、自分の世界をさらに突き詰めるキッカケにもなりますしね。まぁ、いずれにしても、楽しく物作りしないと、良い作品にはならないです。それが私の一番のモットーです。

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投稿者: mozuya

萬代商事株式会社 代表取締役 もずや民藝館館長 文化経営研究所主宰 芭蕉庵主宰  茶人