『大学における芸術教育を考える』2015/7/10

大学における芸術教育・・・

芸大、美大以外でも、一般教養科目として、美術という科目があるし、文学部では芸術論や美学などを学ぶ機会もあるかと想います。

私はいままで二つの大学で学んだ事があって、初めの大学では一般教養として、二つ目の大学では、工芸の染織テキスタイルコースで専門科目として受講しました。

初めの大学はAとB(えとび)と言われた超楽勝科目ということで履修したので、何の記憶もありません。授業には2,3回出たでしょうか。

二つ目は、近くの大学だったんですが、仕事をしていましたので、通信教育でした。

通信教育でもレポートだけという訳ではなくて、染めたり織ったりする課題もありましたし、スクーリングで大学に行って実際に指導を受ける機会もありました。

レポートの方は、割に得意なので、チョロチョロっと書いて単位を取るなんていうのは、たやすいことでした。ある程度の予備知識もありましたしね。

問題は、染織の実技です。

私は一年の2/3近くをホテルで暮らすのですが、そこでは染めたり織ったりできません。

たまにオリビエという卓上織機をホテルに持ち込んで織ったことはありましたが・・・

染めは全くムリです。

家でやるのも大変で、外に出てガレージでやってました。

元々、不器用なので上手くいかず、なんども再提出を喰らいましたので、かなりの数は染めたり織ったりしたと想います。

季節によっては極寒の中、猛暑の中、外でビショビショになりながら、染めてました。

難儀して、なんとかクリアして、やっとこさで卒業制作まで来たんです。

ほぼ一年かけて卒業制作にあたるわけですが、構想から完成までを担当の教員と話をして、半分くらい進んだとき、あろうことか、別の教員が出てきて、ひっくり返されました。

まったく別のものをつくれ、と言うわけです。

まぁ、その時のことは思い出したくもないし、今でもあの大学の校舎の前を通ると気分が悪くなるのですが、エエ歳こいたオッサンに罵詈雑言。

あれでも大学の教員か?と想うほど、ひどい言葉を浴びせかけられ、無理難題を押しつけられました。

私は、下手くそですけど、まじめにやってましたし、ちゃんと順序も踏んでやってたつもりでした。

あまりにひどいので、もう勉強すべき事は勉強したし、卒業証書も必要なかったので、さっさと退学しました。

しかし、被害にあったのは私だけじゃなくて、同期の人も卒業制作の方向を全面的に変更させられた人もいました。

その人、あとで聞いた話では、卒業制作の発表の時も笑顔ひとつなかったそうです。

あたりまえですよね。

退学届けを出した後、実はその大学の別の教員の人からメールが来たんですが、その人から聞いた話では、他にもいっぱいいるんだそうです。

沖縄でも、その大学で学んだ人の中には、その教員のせいで機をたたんだ人もいるとか。

私は、退学届を出した時に、これじゃ、学生さんがかわいそうだと想って学長宛に上申書を出したんですが、それもどうも握りつぶされてしまったようで、なんの回答もありませんでした。

個性を伸ばし、物作りの楽しみ、表現することのすばらしさを学ぶはずの大学においてこんな事が現実にあるのです。

自分が芸術大学に身をおいて、いろんな楽しい事やイヤな事を経験してから、芸術教育というものに対しても関心を持つようになりました。

その教員は『学士さんになれるんやで、学士さんに』と同級生に盛んに言ってましたが、これはまぎれもなくアカハラでしょう。

つまりは、何を学ぶかより、卒業証書が大事だと、教員自ら指導しているのです。

ありえない!!!

私はそう思います。

他の芸大・美大は知らないですが、じゃ、芸大で何を学ぶんでしょうか?

技術なら、芸大で勉強したくらいで、プロにはなれないですよ。

じゃ、なんですか?

私は芸術の存在意義や、芸術への考え方・姿勢を学ぶ場であろうと想うんです。

経済学部で経済学を学ぶ意義は、なにも株式投資をするためではなくて、経済学をとおして、市場の仕組みを知り、自らがどう対応するかを考える基軸を得るためでしょう。

つまり、学問を通して、様々な事象をどう分析するか、その考える基軸を得ようとするのが大学という場であると私は思っています。

であるのに、です。

『私の言う通りにしなきゃ、卒業させないよ』

なんていうの、アリでしょうか?

作品を通して、世の中に自分の思いを発信したい、そう想ったときに、

『ちょっとまてよ、こんなこと表現したら、さしさわりあるかも』

なんて、ちまちま考える芸術家を育てるのが芸術大学なんでしょうか。

仕事柄、沖縄県立大学の卒業生と接する事が多いのですが、わりとノビノビした人が多い感じはします。

教員の方々の中に第一線で活躍されている工芸家・染織家の方が多いのも大きな魅力でしょう。

しかし、もしです。

自分が二流以下の工芸家であるとしても、学生の良い所を見抜いて、できないなら、見いだそうとして、指導を積み重ねるというのが最低限必要なことだろうと想うのです。

私の行っていた芸大もひどい教員ばかりではなかったです。

私の立場や学びたいことをきちんと理解して、やりやすいようにしてくださった先生方も多くいらっしゃいました。

個性を伸ばすべき場でありながら、個性をたたきつぶし、おかしな世渡りだけを覚えさせる大学なら、そんなものは必要ないと想います。

芸大・美大からたくさんの中高の美術教師が生まれます。

そんな教育を受けた教師は中学生・高校生にどんな指導をするでしょうか。

ぞっとします。

ええやんか!

たのしいやんか!

うまいやんか!

それでないと、伸びはしませんよ!

『ここはちょっと、こないしたらどや?』

それで充分なんです。

大学であっても、私がいまやっている仕事でも、『共に学ぶ場』であると考えています。

ほれ!もっとガツーンといきなはれ!

そう言ってあげて欲しいです。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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