『化繊の着物か芭蕉布のかりゆしウェアか』2015/7/6

世の中に『キモノ文化』という言葉があります。

着物業界の人は『キモノは日本の文化です』と良く言います。

この『キモノ』って何でしょう?

いわゆるキモノの形をした衣服でしょうか。

キモノの形って?

あの一般に認識されている形ですか?

伝統的に日本で着られていたとされている形?

あの形だけですか?

お百姓さんはあんなキモノを着て、農作業してたんでしょうか?

漁師は?

日本全国同じですか?

身分によっても違ったのでは?

・・・

キモノって何?

あの形にするだけなら、世界中どこでも縫えるでしょう。

どんな布だって良いのなら、世の中がどう転んだって出来ます。

そもそも、文化って何?

ならわしや習慣は文化といえるでしょうか?

だとしたら、私達の生活の大部分は文化ですよね。

お茶を飲む、白いご飯をお茶碗とお箸で食べる。

おはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい・・こんな言葉を交わす事も文化です。

日本人の存在自体が文化の塊じゃないですか。

では、なぜ、キモノだけを取り立てて文化文化というのでしょうか。

それは消えかかっていると想われているからでしょうか。

文化だから残さなければならない・・・

そういう気持ちから『キモノは文化』と言うのでしょうね。

しかし、形だけをキモノにするなら、いつの時代でもどこの国でも出来ます。

100%外国人の手だけを使ってもキモノは作る事が出来ます。

素材的には、木綿はもちろん、ウールや化繊もありですし、文様も、西洋風の物でもOKでしょう。

となると、キモノは世界にあるいろんな素材の仕立て型の一つにすぎない、という事になりますね。

ちょっと待てよ・・あの着方をしないとキモノとは言えないのじゃないか?

前を合わせて帯を締める。

あれが、和装であり、キモノとはあの着姿の事じゃないか?

そうとも想います。

キモノを和装にしたてて、決まり通りに着る。

これがキモノ文化でしょうか。

だとしても、廃れはしても、全くなくなることは無いでしょう。

無くなるかも知れないキモノという文化って何なんでしょう?

例えば仮の話としてです、宮古上布の生産が完全に途絶えてしまって、もう造れないとします。

苧麻をうむ人も、十字絣を合わせて織る人も、砧打ちをする人も居ない。

復活も不可能です。

これは仮の話ですが、充分にあり得る話ではあります。

それで、宮古島の人は、『やばい。収入源が無くなる。外国で経緯ラミーの反物を織って、それを宮古上布αとか名付けて産品として売りだそう』

なんて事になったとします。

(あくまで仮定ですから、宮古島の人、抗議とかしないでくださいね)

宮古上布の名前は残るし、キモノファンの方々も、『ま、それで良いじゃないかぁ』と想われるかも知れません。

沖縄だけでなく、日本の各産地で同じ事が起こったら・・・

結城紬αが、どこか海外で糸も布も作られ、縫製も海外でミシンで・・・

これを着た日本人が『キモノは日本の文化だもの』って・・・

インド産の琉球ガラス以下の話じゃないですか?

ちょっと変わった風に仕立てて、ブーツ履いたら、そりゃブータンの民族衣装でしょって。

同じ工場で、韓服やチャイナ服も造ってたりしたら、その工場は世界の服飾文化工場っていうことになりますね。

キモノは日本の文化です。

いや、我が国が世界に誇るべき文化なんです。

キモノのどこが誇るべき所なのか?

私達日本人は、かたくなに和装を守ってきたわけでもありません。

戦後、早々に脱ぎ捨ててしまったといっても過言ではない。

しかしながら、伝統衣装を脱ぎ捨てたのは日本人だけではありません。

フランス革命以降、貴族が衰退し、女性の社会進出が進んでから、全世界で動きにくく、堅苦しい服から、軽快で着回しの効く服に切り替わったんです。

代表的なのはココ・シャネルのスーツですね。

欧米人に、かつての服に対するノスタルジーがあるかどうかは解りませんが、日本人には、まだキモノに対する愛着が少なからずあるように想います。

何故でしょうか?

キモノを着なくなった時代が、まだそんなに昔ではない事もあるでしょう。

私が子何処の頃はまだまだ、着物姿の人はたくさんいたし、祖母はずっとキモノだったという世代です。

そして、まだ20年位前は、キモノは『娘に持たせるもの』でした。

自分の物を買うより、娘に買ってあげるという需要の方がはるかに多かった様に想います。

そして、冠婚葬祭には、新調してキモノを着たんです。

裕福な家庭では、お正月にはみなが新調したキモノで集まるという事もあったでしょう。

家族だけでなく、村の親戚とか、一門が集まるようなお正月もあったでしょう。

婚礼となるとまさにそうだったんだろうと想います。

つまり、キモノというのは家族、一族の絆、つながりそのものであったし、想い出や歴史がすり込まれたものだったんですね。

だから、『キモノは文化』なんです。

晴れの場に対して、ケ、つまり日常はどうしょう。

大昔はお母さんが織ってくれた、縫ってくれたキモノでした。

30年位前は、反物で買って帰られる方が圧倒的で、みな自分で縫われたんですよ。

そんな温かい記憶がいっぱいしみこんでいるのもキモノでした。

そして、我が国が世界に誇る『手仕事』の文化です。

染、織とも比類を観ない、追随を許さないと言って良い。

世界最高、それもダントツの最高の技が日本のキモノには詰め込まれているんです。

そんな衣服を着ている民族は世界中さがしてもどこにもいないはずです。

『衣・食・住』という言葉があります。

これは生活に必要なものを列記したと想われがちですがそうではないそうです。

宗匠が教えてくださったのですが、衣・食・住の順が文化的序列。

衣が一番文化度が高く、その次が食、住は二の次なんだそうです。

住まいは慎ましくても、身なりをちゃんとして、キチンとした物を食べるのが先なんです。

では改めてキモノ文化って何でしょうか?

キモノ文化はつまり、日本人の服飾文化であり、服飾に対する意識だと私は思います。

実は、その劣化がキモノの衰退に直結しているのだと私は感じています。

芭蕉布や宮古上布を観て、すばらしい織物だと本当に感じられる感性があるなら、冠婚葬祭にはできるかぎりの物を着て、気持ちを表したい、その感覚があれば、もし、一時期にキモノを着る人がいなくなっても、すぐに復活できると想います。

しかしです。

染織の技術はおいそれとは元に戻らないのです。

テーブルセンターやコースターは織れても、キモノは織れなくなります。

品質は当然、遠く及ばない。

何とか上布αしか造れなくなります。

なんとか友禅βばっかりになると想います。

そんなキモノを着た日本人を外国人は鼻で笑うでしょう。

嘲笑される事よりも、それをなんとも想わない日本人の感性の劣化が問題です。

染織技術は、まぎれもなく、その技術を認める消費者が居たから育てられたのです。

今の私達にそれが出来るでしょうか。

良い背広を着ていてもブランドの話になるだけ。

良い背広ですね、どこで誂えられたのですか?

なんて聞かれた事はありません。

生地も仕立ても、解る人はほとんどいない。

それが現実の我が国です。

キモノ文化だけでなく、服飾文化までも失いつつあるのです。

もちろん、工芸文化ももっと早くに失っています。

文化が廃れれば、行く先には産業もへたれます。

日本の産業は伝統工芸の下地があったからこそ、急成長できたんです。

日本人は、世界でダントツの貴重な宝を自ら捨て去ろうとしています。

どうしたらいいんでしょうか・・・

結局は、私の立場としては、良い物を世に送り続けるしかないんでしょうね。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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