『コピー商品について考える』2014/5/2

最近、あちこちの和装関係ブログでコピー商品問題について取り上げられていましたので、ちょっと。

どこのどの商品をどこがコピーしたのか全然わかりませんが、

基本的に繊維製品にはコピーはつきものです。

肯定しているのではありませんが、現実にはそういう事です。

昔、『あかんたれ』というドラマがあって、主人公がステテコを開発したんだけども、出回る前に、別の販売力のある問屋の息子が、コピー商品を作るという、話がありました。

結局その事をコピーした側の店の主人が知って、息子をどやしつけ、元々の主人公から仕入れて売るようになり、双方とも繁盛した、という話で決着したんだと記憶しています。

それ以外のドラマでも、色つきシャツを考案して1枚100円で売り出したと想ったら、近くの店がそれをまねして、レインボーシャツという名前で、5色セット300円で売り出した、なんて話もあったように想います。

うちは元々、毛織物の貿易商ですが、大手の紡績や毛織物メーカーからサンプル帳をもらって、それに似たようなものを作って商売をするなんていうのは、普通だったみたいです。

糸を変えたり、整理を変えたりすれば、安く作れて、欲しい所がたくさんあったからです。

ですから、そんなもんといえば、そんなもんなんです。

沖縄でも、ある作家が、永年かけて探し当てたヒットデザインを、他者にコピーされて、広められてしまい、泣きの涙だったという話も耳にはさんでいます。

そもそも、南風原という産地は、首里織のコピーからスタートしたんですから、そもそもがそういう関係にあるんです。

でも、首里織の中でコピーはなかなか難しいと想います。

みんな、首里織の作家同士、だれがどんな物を作ってるか良く知っています。

私が『これこれ、こんな感じで作ってみたらどう?』と言っても、

『それ、○○さんがやってるからイヤ』

と、言下に断られてしまいます。

それに、自分の手に合わない、気に沿わない、そういう状態で作品を作っても良い物が出来ない事を、みんな良く知っているんです。

私も、そのことは良く理解しています。

コピーじゃなくても、うちの留柄を他所に流すなんて事もあります。

これはコピーどころの話じゃありません。

これは『泥棒』です。

うちが図案師に図案を描かせて、型も発注して、それを染め屋に持ち込んで染めるワケですが、

そのデザイン、つまり型を使って、他社から注文を取る。

これはコピーじゃなくて、そのものを『横流し』してるわけです。

でも、案外彼らには罪の意識がないんです。

要はね、『して良いことと、悪いことが解っていない』ということなんです。

倫理観とかいうのじゃなくて、ちょっと昔までは、鷹揚に許されていたんです。

まぁまぁ、いいじゃーないか、で済ませて来たんです。

でも、市況が厳しくなって、そうも言っておられなくなった。

だって、沖縄のモノをコピーしている産地なんて山ほどあるでしょうよ。

花織なんて、いまじゃ、どこでも造られているし。

紅型なんて、ホンモノの方がはるかに少ない。

本紅型なんて、言われちゃって、それ以外が紅型ですか?

ニセ紅型とか、コピー紅型とか?言わないですよね。

それとデザインやアイデアをコピーすることは違うって?

そんなことないですよ。

紅型のあの独特のデザインと色彩は、沖縄の人達の大切な財産であるはずです。

手結の絣だってそう。

色絣だってそう。

パクリまくられています。

でも、やっている人はパクってるとは想ってないですよね。

花織だって、浮き織と表示すれば済むはずなのに、わざわざ、花織ってする。

花倉織なんていうのも、つかわれちゃって。

花倉織は登録商標ですから、勝手に使えないんですよ。

でも、知らないでしょう?

じゃ、どないしたらええねん?って、事ですが、

現実にはどうにもなりません。

決して肯定して言うのではありません。

無くならないのです。

始めはコピーと言われても、それが本当に良いモノなら、だんだんと広まって、スタンダードになるんです。

歯止めを掛ける方法があるとすれば・・・

締め上げることです。

コピーが蔓延するのは、それを買う、あるいは望んでいる、問屋、小売店、消費者がいるからです。

私は道に外れた行為をした仕入先は、バッサリ切ります。

これは、あくまでも、私の尺度での話です。

私が、『これはアカンやろ』と想った事をしたら、取引しない。

図案も型も引き上げます。

自分が迷惑していなくても、他社がえらい目にあっていて、それがおかしな事だと想ったら、そうします。

罵詈雑言を言い放つとことはしませんが、悪人との関係を絶つことが、自分のためにもなると想うからです。

他人がされたことは、きっと、自分にもされる。

他人が泣いて、自分だけがいい目を見ることなどできないと私は思ってます。

でも・・

それが出来ない業界なら、そんな程度なんですよ。

国なら民度と言われますが、業界民度というか、会社民度、そういうのもあるんだと想います。

私が、作品の画像を公開しないのも、お分かりになるでしょう?

似た様なものは、簡単に造れるんです。

私の立場なら、精魂こめて作家がつくったものをまもってあげないといけないんです。

それは、その作品を買ってくださるお客様の為でもあります。

でもねぇ。

せっかくコピーするなら、元の物より良いモノを安価で!くらいの根性を持って欲しいですね。

それなら、プラスの工夫が加えられて、そのメーカーは勝利した、とも言えるわけです。

昔のナショナル=松下電器がそうでしたよね。

劣化コピーを重ねれば、だんだんと根性も腐ってくるんです。

当たり前です。前向きな仕事じゃないんですから。

コピーはなくせないし、なくならないと想います。

でも、同じコピーするなら、経営資源を総動員して、もっと良いモノを作るんだ!くらいの気概があってほしいと想いますね。

そもそも、みんなコピーなんですから。

西陣織だって、堺に来ていた南蛮渡来の織物を応仁の乱で逃げてきた京都の人が真似て作ったのが始まりです。

いま広まっている物、元々と想われている物がオリジナルなんて事は無いんです。

でも、元から工夫を加えて、どんどん良い物を作ってきた。

これが文化でしょう。

いつの時代も、前向きな人、後ろ向きな人、良い人、悪い人、色々います。

上への力が強くて、世の中を良くしていけるか、下への力に負けて、どんどん社会が劣化していくのか・・・

和装業界だけでなく、私達日本人の真価が問われているのかもしれませんね。
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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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