沖縄もずや会のさるちゃんにお願いして、図録を送ってもらいました。
なかなか沖展に合わせて行くことができず、もう何年も見てません。
ちいさな写真で意見を書くのは難しいのですが、せっかく、さるちゃんにもお手間をとっていただいたので、想うところを書いておきたいと想います。
【染色】
んー、なんかいつもどおり。
ガッカリです。
ほとんどの作品が、和装で言うところの『いわゆる小紋』じゃないですか。
小紋を意識しているとしか想えないほど、柄が小さい。
私は、琉球びんがたの魅力は突き彫りで作られる線の美しさだと想ってますが、
これじゃ、全然わかんないじゃないですか?
文様を大きく採って、空間を空ければ、線の美しさ、造形のすばらしさは良くも悪くも現れると想うのです。
モチーフなんて正直、どうだっていいと想うんですよ。
極端な話、線だけ描いてたって美しい物は美しい。
この図録に載っているのは全部、そのまま紅型小紋として問屋に卸せる物ばかり。
その為に作っているとしか想えないです。
こういう作品の写真を載せるなら、絵羽の全体写真なんて要らないでしょう。
柄の一部分、ワンリピートのアップで良いし、そうあるべきです。
そうすれば、写真でも、技量は一目瞭然です。
仲本のなちゃんの作品について、墨のラインを細くした方が良いって書いて居る人いますけど、そんなコトしたら、スカスカで個性のない作品になっちゃいますよね。
この力強い線があるから、パンチがあって、流れがあるんです。
現物を見てみたいとおもったのは、のなちゃんの作品だけですね。
準会員賞の宮城守男さんの作品はもちろん素晴らしいと想うし、美しいとも想いますけど、びんがたでコレを作る必要があるかなって、私なんかは思うんですよ。
この手の作品なら、京都でもつくれます。
なぜ紅型なのか、なぜ顔料を使うのか、それを考えると紅型でしか出来ない物を望みたくなるんです。
すごい技術だと想いますし、センスも良いと想います。
でも、そんなのは日本中にごまんといます。
加賀友禅もあるし東京友禅、名古屋友禅と良い染めはたくさんある。
ですから、『これは紅型でしかできないな!』と想えるものじゃないと、魅力を感じない。
せっかく自分で図案を作って、型まで彫るんですから、ドーンと自分を前にだした作品にしてほしいんですよね。
キレイなだけの作品は世の中にいっぱいあるし、室町に転がってますから。
【織物】
会員の人達はさすがですね。
素晴らしい。
祝嶺先生の手縞は圧巻です。
ページを開いた途端にドーンと目に入ってきました。
でも、全体的にはちょっと手詰まり感は感じますね。
会員の元気な作品に比べて、準会員以下の作品の精彩の無いこと・・
写真が載せられているのは確かに技術的には上手な人ばかりですが、華やかさが無いですね。
沖展といえばお祭りなんですし、若い人に刺激を与えるくらいの作品を出して欲しいですね。
紅型もそうですけど、そのまま問屋に卸せるような作品つくっても、その辺のゴフクヤの展示会みたいになるだけです。
その辺は会員の方々は解っていたんでしょうか。
非常に華やかな作品が多いです。
こんな時代だからこそ、パーッと会場が明るくなるような作品で満たして欲しいと想うんですよ。
沖展なんかで作品を見て、『あー!この人にならあの作品を作らせてみたい!』と想えなきゃ意味ないんです。
『この人なら、できるかもしれない!』
それを感じるために足を運ぶんです。
藍をつかっただとか、なんの染料だとか、技法がどうだとか、そんなのは私にゃ関係ないんです。
その素材や技法を使って、どれだけ『可能性』を感じさせてくれて、沖縄の染織の明るい未来が見通せるか、それが大事なんです。それがすべてです。
手織りの産地としてこれだけ意匠が競えるのは沖縄だけだと想います。
もっともっと、自分の技術を、デザイン力を、色のセンスを、全面に堂々と打ち出してきても良いように思います。
作品だけを見て、誰が作ったか解る様でないとダメだと私は思いますね。
【総評】に関して、一昨年まで辛辣に批判してきましたが、昨年からは良くなったようです。
でも、もっと沖縄染織を引っ張っていく熱い気持ちが伝わるような総評であってほしい。
染色に関しても織物に関しても、そう思います。
また、なぜ沖縄タイムスHPへの掲載をやめてしまったのでしょうか。
批判されるのが怖いからですか?
染め物や織物を作って世に出す人が、自分の意見を批判されたから、表に出すのを制限するというのはいかがなものでしょうか。
マインドの無い染め物も織物も、そんなのは伝統染織ではない。
マインドを胸を張って語れないなら、審査や論評などする資格もない。
そんな人が作品を作っても、だれかの批判を避けたような腰の抜けた作品しか出来ないに決まってます。
私も自分の言葉や文章を責任と信念をもって公表しています。
このブログを読んで反感を持つ人もいらっしゃるでしょう。
しかし、表現者たるもの、それを恐れるべきではない。
それが染織品であっても、言葉であっても同じ事だと私は思います。
沖縄染織の主戦場は沖縄にあらず。
言うまでもなく、本土です。
本土の目の肥えた人達が見る。
そして、周りは全国の腕自慢の染織家の作品ばかり。
その同じ土俵で戦うのです。
そこをキチンと見据えて作品作りをし、作家としての姿勢を正さない限り、
沖縄染織の将来も決して明るい物とは言えない、私はそう思います。
出品者のみなさん、お疲れ様でした。
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