基本的な話です。
機械か手仕事か。
どっちがいいか?
芸大の課題の中に、製図もあるんです。
烏口を使って、チマチマ細かい図を描くんです。
本当に骨が折れました。
で、線を引く。
直線。
あるいは円を描く。
定規をあてて、細い線をまっすぐに引く。
円はコンパスで。
方や、熟練した絵師が、まっすぐに線を引く。
あるいは筆で円を描く。
真っ直ぐという事に関しては、定規を当てて、細いペンで引いた線が良いでしょう。
そういう意味で美しい。
でも、フリーハンドで描いた線は?
定規を当ててみると、ゆがんでいるかも知れない。
でも、美しいと感じる・・・かもしれません。
美しく、つまりキレイに線を引く。
それを正確にという事でとらえるならば、定規で引いた方が良い。
でも、それは本当に直線なのか?
顕微鏡で見ればゆがんでいるに決まってます。
定規通りにしか直線は引けません。
熟練した絵師がフリーハンドで引いた線は?
それも正確にはゆがんでいるはずですが、真っ直ぐに見える。
線を二つ並べてみると、たぶん、絵師の線が美しいと感じるだろうと思うんです。
何故?
絵師は美しい線を引こうと鍛錬を積んでいるからです。
定規の当てられた線は、定規にその形を完全に依存します。
でも、定規は美しい線など意識していません。
意識して造られてもいない。
つづれ織の課題を造った時、丸を織るのにとても難儀したのですが、先生の言うとおりにやっても、丸にならないんです。
何度、やりなおしても、菱形にしかならない。
先生に『どないしたらええんですか?』
と聞いたら、『丸にしようと思って織るんです』
丸にしょう、おもてますわいな!
でも、手しごとの世界では、本当に想いが手に伝わる、という事があるみたいなんです。
歌なんかもそうですよね。
情感を込めて上手に歌おうと思わないと、良い歌唱にはなりません。
コンピューターで楽譜通りに音声を出させることは出来るでしょうけど、楽譜通りには出来ても、良い歌、上手い歌にはならない。
私が今、お稽古している謡曲はまさにそうで、一つの能の中で役柄や場面によっても声の出し方が違うんです。
造形の世界も同じじゃないでしょうか。
一つの作品をつくるのに、勝負所や強弱の付け所があるはずです。
それを眼と手で素材に触れながら感じ取って、思う形にしていく。
染織も、陶芸も、素材の状態や気候によって、微妙に条件が変わってきます。
それは、人間でないと解らない。
機械では読み解けない部分なんです。
つまり、素材と向き合いながら、対話しながら、一体となって作業を進めていく。
そこに手しごとの価値があるんだろうと思うんです。
手しごとといいますけど、実際は、手だけじゃなくて、眼や耳や皮膚などすべての感覚を総動員して作業は進められるはずです。
織物なら、一度打ち込むごとに経糸のテンションを確認したり、絣がきちんと描かれているかも確認できます。糸の状態もすべて眼で観て、手で触れて確認する。
糸が切れて初めてブーと鳴ったり、ランプが着いて知らせるのとは違うわけです。
作り手は一手間一手間、確認しながら、作業する。
それも、美しくなれ!と想いながら。
私は商人ですから、作品に対しては厳しい眼を向けます。
どんなに手間がかかっていようが、ダメなモノはダメと言います。
しかし、糸の一本一本にかけれれた手間、それを糸の表情から感じ取りながら観ているんです。
作品をご覧になる時は、心を静めて、ジックリと味わうようにしていただければと思います。
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