今、流通業界では『モノからコトへ』というコンセプトの取り組みが広がっているらしいです。
つまり、モノを所有することから、コトを体験することを通じてモノに導いていく、という事でしょうか。
焼き物なら、お抹茶を頂く事で、茶道に触れてもらい、そこから茶碗の購入を誘う。
着物なら、着物の着付けの講習会をやったり、着物を着る機会を造って、それをきっかけに。
今は『体験』はなざかりです。
本格的ではなくて、ちょっとさわりだけ味わって、良い気分になる。
歌舞伎や文楽を観て、ちょっと文化的な気分になる。
オーケストラのクラッシックを聴きに行くというのもそんな感じですね。
とりあえず、『ちょっとやってみましょうよ』というところを突破口にして、商機をうかがう。
こんな手法が、今良く使われています。
難しく見えることを、ちょっと実際にやってみると、そうでもなかったり、やると案外興味が湧いたり。
始めることで消費は大きくなるから、市場開拓にはもってこいです。
現実に私も、お茶やお能もそういう事から入りましたし、そのおかげで人生が楽しくなりました。
良き師匠にも恵まれ、お稽古やって本当によかったなぁ、と思っています。
だれしもが気軽にその入り口に立って、雰囲気を味わえる。
とても良いことだと思います。
ただ、作り手さんは、そうであっては不十分な様に思うんです。
モノからコトへ、というのは、入り口への誘いです。
作り手さんが、その体験を作品作りに活かそうとするなら、そこから、グイと踏み込まないといけないように思います。
何故?どうして?
常にそう考え続ける事によって、創作活動への示唆が得られる、私はそう思うんです。
特に伝統の世界は、根っこのところですべて繋がっています。
茶道もお能も、紅型も織物も、全部根っこは同じです。
その根っこのところに触るまで、踏み込まないと意味が無いように思うんです。
特に、『自分には才能が足りない』と思う人は、他分野に足を踏み入れることで、得られることが多い様に思います。
サワリじゃなくて、踏み入れないとダメです。
そういう意味で、いまどきの『モノからコトへ』は、作り手にとっては逆風だとも言えます。
前述の『嗚呼勘違い』と同じ。
サワリの部分で売れた事がかえって成長を阻害することがあります。
私達が目指さないといけないのは、
モノから超モノへ
です。
実用品でありながら、実用品を超えた美しさをもつ。
そんな作品を造らなければなりません。
ご飯を食べたり、お茶を飲んだりする焼き物、陶磁器。
寒さから身を守る為の着物、染織。
それらは実用品ですが、得られるモノは本来的機能以上のものです。
それは、使うことによる『喜び』や『幸福感』です。
大切にしたいコトというのは、体験するコトではなくて、実感するコトなんです。
『これ、ほんまにエエなぁ』
そう思って貰える作品を造りたいのです。
逆に、自分の作品からコトへと誘う。
この着物が着たいから、茶道を習おうとか、そういうのもあるんです。
『モノからコトへ』というのは、うがった見方をすれば、それだけのパンチ力のある作品が無くなったか、見つけられないか、見分けられないか、供給できないか、というかもしれません。
私がよく使う言葉にこういうのがあります。
『まぁ、これでエエわ』と言って買われたいですか?
無難ね、と買ってもらって嬉しいですか?
本当に良い作品というのは、お客様の顔色が変わるもんなんです。
手に持って、あるいは抱きしめて離さない。
自分の作品を、そうやって買ってもらいたいと思いませんか?
そのために何をしなくてはいけないか。
常に本質に眼を向けて、考え続ける。
そして、明るく楽しく前向きに仕事する。
私の様な商人はお客様に興味を持って頂けるようにお誘いするのですが、作り手はその興味を長く持ち続けられる様に、本当に良い作品を造ってもらう事が大事なのだと思います。
この情報へのアクセスはメンバーに限定されています。ログインしてください。メンバー登録は下記リンクをクリックしてください。