『蚕と繭』2014/1/20

毛織物の工場にいるときに、上司に質問したことがあるんです。

当時、婦人の方で80のボイルという非常に薄くてむこうが透けて見える様な生地を造っていたんですが、私が担当していた輸出の生地は60のトロピカルと言って、分厚い。

何が違うんですか?と聞いたら、

『糸が違う』

当たり前ですよね。

『そんなんは解ってますよ』というと、

『もちろん、原料=毛が違う』という訳です。

つまり、織物は組織や密度などの設計によって違うのは当たり前。

その前の原糸加工、糸が違うところまでは想像できると思うんです。

じゃ、細い毛糸はどうやって造るのか?

毛糸の構成本数を減らしただけじゃダメなんです。

毛糸、獣毛と言っても色々です。

カシミヤやビキューナ、アルパカなんかがそれぞれ違うことは解りますよね。

じゃ、ウールでどれだけ違うのか?

同じウールでも全然違うんです。

原料となる毛が違うから、結果としての糸が違うんです。

毛の細さ、品質によって出来上がる毛糸は違う。

ところが、表示される番手にその品質までは表示されません。

60なら60,48なら48です。

毛糸の番手は単位長さあたりの重さで表示されます。

もうはるか前の話ですが、私が見ただけでも明らかに糸の品質は違います。

見ただけで解る程違う。

原糸は撚糸や染色されて、織物になります。

当然、織物の品質は糸、糸への加工、製織方法、いちばんは原毛の品質に影響されるわけです。

いくら技術があっても48の糸で80のボイルを織ることは出来ない。

薄けりゃいい、軽けりゃいい、という訳ではないからです。

輸出品ならJWIFという団体の輸出検査を受けますし、内地物でも、具合が悪ければ、縫い上がっていても返品されたり、製品直しで戻ってきます。

着物よりはるかに厳しい世界です。

それを踏まえて、絹織物、つまり着物の世界を見てみると・・・

糸が良いと、良い織物が出来るというのは誰もが持つ共通の感覚ですよね。

だから、手紬だの、座繰り糸だの、生絹だの、小石丸だの、と言うわけです。

では、小石丸は別として、手紬したから、座繰りでひいたから、良い糸になるんでしょうか?

蚕、繭の品質に言及した話はされているでしょうか?

否です。

織物作家でも、出来てきた糸の状態でしか品質を判断できません。

良い毛糸にするためには良い羊が良い状態で飼育されていなければならないのと同じで、

良い絹糸を取るためには良い蚕が良い状態で飼育されていなければならないはずです。

調べてみると、『繭検定』という制度がある(あった?)様です。

http://www.nias.affrc.go.jp/silkwave/hiroba/Library/SeisiKiso/mokuji.htm

これによれば、繭の状態では品質の善し悪しはわからない。

また、その善し悪しも生産効率が上がるかどうかが判定の基準になっているような感じがします。

ということは、蚕の吐く糸の品質は、ひかれて糸にならないと解らないということです。

織物にする人は、その出来上がった糸を見て、良いとか悪いとか言う訳ですね。

でも、本当はその糸が良いのは、蚕が吐くその細い糸が良いから何じゃないでしょうか。

よい蚕が吐く良い原料を使えば、良い糸は自然に出来るはずです。

良い焼き物には良い土が必要なのと同じです。

あと、どんな加工をするかは、求める風合い、味わいに合致しているかによって選択されるだけです。

特別な手法や、昔ながらの方法をとっているから、良い糸ができるとは限らないのです。

また、繭に関しては素人であろう、織物作家が、繭を買ってきて、良い糸がひけるでしょうか?

前述のとおり、繭の状態ではどんな糸になるかまでの品質判断はできないそうです。

良い布は、良い糸と良い染料と良い技術から生まれます。

良い糸は、良い原料からしか生まれない。

悪い原料をどれだけこねくり回しても、本当に良い糸にはならないし、良い布も出来ない。

それが真実ではないでしょうか。

国産だとか、手引きだとか、座繰りだとか、色々付加価値は付けられますが、一番大事なのは、蚕の吐くその糸ではないでしょうか。

その割に、蚕や繭の話はほとんど聞いたことがありません。

とても不思議です。

何故でしょう?

あのシルクワームを思い出すのは着物を売る上でマイナスだからでしょうか?

蚕の品質の差別化が難しいからでしょうか?

養蚕家がここまで減ってしまっては聞く術もありません。

芭蕉や苧麻ではどうでしょうか?

芭蕉は、糸の色や柔らかさなどによって厳密に選別され、使い分けられていると聞きます。

苧麻も同じです。

しかし、同じ 芭蕉布や宮古上布でも、造られた年代や作品の個体によって、布の品質は
大きく違います。

それは、芭蕉や苧麻の品質が変わったからでしょうか?

織物の品質というのは、

原料の品質×原料の加工技術×糸の加工技術×製織技術

で決まり、どれ一つ欠けても良い物にはならないと思うのですが、

絹織物に関しては、原料の品質についてもっと勉強しなければならないし、

付加価値を付けるための加工技術に眼を奪われすぎているような気がします。

工芸は素材から。素材は自然の恵みから。

染織というものには、農業的視野が不可欠だと思います。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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