『西洋化生活と民芸』2014/1/12

民藝、手しごとを考える上で、日本のモノにこだわる必要は無いと想います。

世界中の手仕事の作品を自由にとらわれずに観た方が鑑識眼・審美眼は高まるはずです。

これだけ生活が西洋化してしまうと、和のものを生活の中に取り入れる事自体が困難だからです。

世界中の手仕事作品を観て、眼を肥やしていれば必ず、日本の手しごとの素晴らしさにも自然に気付くはずです。

金属工芸のアクセサリーでも良い。

毛織物でも良い。

西洋食器でも良いんです。

モノの良さがわかる様になれば、あとは好き嫌い、ライフスタイルの問題です。

毛織物の良さが解って、絹織物は解らない、そんな事は無いんです。

キモノが解る人は、必ず陶磁器や他の工芸もある程度目が利く。

根底は同じだからです。

値段というのは需給のバランスで決まるモノですから、良いモノが高く、下らないモノが安いとは限りません。

しかし、その物の価値はある程度見抜けるはずなんです。

作家名やブランドでモノを買ったり、評価したりしているひとは、全く眼が育ちません。

カーナビを頼りに運転していると、いつまでたっても道を覚えられないのと同じです。

マーケティングは私の専門分野ですが、消費者側から観れば、マーケティング技法の一つであるブランディングというのは、消費者の判断の軸を崩壊させ、本質的な内容から眼をそらさせるための目隠しです。

世界のスーパーブランドの偽物がかつて氾濫して、被害者がたくさん出たことは記憶されている方も多いと想います。それはもちろん、ブランド側が仕掛けたことではありませんが、お求めになった方は作品を見ず、ブランドのロゴとデザインだけを見ていたに違いないのです。

イタリアのヴェニスに行くと、ヴェネチアン・グラスの販売所に案内されますね。私が行ったところは、本当にひどいモノしか置いていませんでした。

でも、ヴェネチアン・グラスはやっぱり本場で買えば良いモノがあるのだろうと、大枚はたいて買う人もいたのです。

カメオしかり、金細工しかりです。

でも、作品をしっかり見るクセがついていると、だんだん解ってきます。

『浜田庄司の皿』ってだけでは騙されない。

富本賢吉、河井寬次郎はそんなに作品が多くないので、駄作もすくないですが、浜田庄司や金城次郎は、見るに堪えない作品もあります。

紅型などの染め物、首里織などの織物も同じです。

同じ作家でも、秀作も駄作もあるのです。

あまりの駄作の場合は、『これ、ニセモンちゃうか?』と想うときもあります。

私流に言えば『投げ頭巾』的なものもあれば、たたき割ってやりたいと想う作品もあるんです。

美術館・博物館に行っても、能書きを先に読んでいるようではダメだと想います。

作家名や産地・年代を当てたり出来る事と、モノの価値が解ることとは違います。

それは骨董屋の仕事です。

新しく世に生み出されたモノ、これから本当に私達の生活の中で使うモノ。

これの価値を、自分なりに、自分の物差しで判断出来る事が大事なのです。

あなたが自分でくだした価値判断、あなたの物差しには誰も口を出すことは出来ません。

それはあなたの宝物だからです。

朝、コーヒーを飲むときに使うカップで良い。

夜、ワインを飲むときに使う、グラスで良い。

身につける、ネックレスやブレスレットでも良いのです。

手仕事のものは、昔と違って高価です。

出来るモノから、身近なモノから始められては如何でしょうか。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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