『『もずやの芸術論』第2話』

『なぜ作陶を志したか』

 前は古い良い陶磁器を使っていたが、関東大震災で灰燼に帰してしまったので、代わりを探したが今のには良い物が無くて、自分で造り始めた。

初めは、生地をひいてもらって、それに絵付けだけを自分でしていたが、それでは自分の作品とは言えない。土の仕事からしなければと想って窯場を開いた・・・

ざっとこんな筋書きです。

この節の中で気になる一文があります。

『轆轤の仕事などは難しいとされているが、轆轤場に修業に来た徒弟が三年も経てば結構轆轤仕事が出来るようになる礼をもつてしても、自分は確信を以てそれに臨まれるとした』

・・・ちょっと待てよ・・・という感じです。

私も1年前くらいから陶芸を習い始めたのですが、書いてることが私の実感とかけ離れているので、陶芸の先生に聞いてみました。

『こんな風に書いているけど、魯山人は自分で全てをやっていたのですか?』と。

先生によればこうでした。

自分は魯山人に対して批判的な立場をとっている事をまず理解してもらった上で、聞いて欲しいのだが、彼は、簡単に言えばショートカットしている。

職人や作家の良い所どりをして、場合によっては工房を全部借り切って作陶をしたりしている。

実際、私自身も、ココは魯山人に勝っているという部分がいくつもある・・・等々です。

作陶と言っても、私がやっている初心者コースだけでも、あら練り、菊練り、てびねり、絵付け、クスリがけ・・・

手びねりをせずに、轆轤を回せないのは、手の感覚だけで瞬間の作業をせねばならないからです。

クスリにしたって、クスリの作り方はもちろん、絵の具やクスリ同志の相性もあるし、覚えねばならない事は限りが無い程です。

初心者の私でもそう思うのに、いくら魯山人が天才でも、手仕事の部分ではそれは通じないだろう、直感的にそう感じました。

それで先生に聞いてみたら、案の定でした。

この節でも、職人をバカにしたような事を書いて居ますが、そんな人に良い物作りが出来るわけ無い、私はそう思いますね。

魯山人がどんな料理を出していたか知りませんし、もちろん味わったことも無いですが、まぁ、大したことないんだろうと想います。

なかなか手に入らない山海の珍味を集めて、値打ちのある器に盛って、得意げになっていたんじゃないでしょうか。

陶芸だけの話ではなく、染織でもそうなんですが、全ての仕事は感謝や信頼が土台にないと絶対に上手くいかないし、良い作品は出来ません。

まずは自然の恵みに感謝する。

そして、一緒に仕事をする人。

糸を造る人、染料を造る人、織機を造る人、等々、関わる人は沢山います。

そして、それを使う人に届けてくれる人にもです。

完全に一人でできる工芸なんてあるでしょうか?

山で土をとってきて、それを練って陶土にして、絵の具や釉薬もどこから探してきて、自分でつくって、轆轤や窯も自分でつくって、焼いて、売って・・・

一生の内に何個できますか?

今仕事をしている個人作家も、先人の積み重ねがあるからこそ出来るわけです。

魯山人のこの節に書いて居る話を読む限りにおいては『愚か者』としか良いようがありません。

茶の湯を習っていると、それぞれの道具が極めて理にかなった作り方をされている事がよくわかります。

決して聞きかじりで『はいはい、その様にやります』では作り得ない。

我が国の文化というのは、必要最小限にして、要らない物は出来る限り削り取る事を特色としています。

だから、最小限の道具ですべての事が出来るように、ほんとうによく考えて造られて居ます。

それは、天才には出来ないんです。

先人の積み重ねと自らの実践、そして絶え間ない研鑽と研究。

これがあってこそ、実現する世界です。

そして、一番大事なのは、一つのモノやコトを作り上げる為に一緒に仕事をしてくれる人達、そして、豊かなる自然への感謝です。

私の経験上、傲慢な人に良い作り手がいた試しは無いのです。

この本も、もう投げ捨てたい感じもしますが(^_^;)、じっくり読み進めて、この連載も続けていきますね。

こういう感じの方が記事も書きやすいですしね(^_^)

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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