『『もずやの芸術論』第8話』

魂をえぐる美

あえて全文掲載します。

この節に関しては基本的には同意し、共感します。

ここで考えてみたいのは『美』ってなんなのか?

という根本的な事です。

魯山人も書いているように、各自の眼には程度があって、自分の力の範囲だけしかわかりません。

好みというものもあって確かに他動的です。

では、

『百人のうち一人の偉大な評価力をもったものがわかると、他の九十九人のみる美はムダになる』

そうでしょうか?

美の中に味、味覚も含まれるとします。

味覚ってそれぞれですよね。

甘いのが好きな人もいれば、辛いのが好きな人もいる。

私はぬか漬けが大好きですが、臭くて顔も近づけられないという人もいる。

沖縄の山羊汁もそうですね。

沖縄には牛汁というのもありますが、本土の人はたいてい牛汁の方が美味しいと感じるでしょう。

でも、沖縄では山羊汁は上等だし、私は牛汁より山羊汁の方が美味しいと感じます。

では、どちらの味覚が上等でしょうか?

私は大阪の人間ですから、大阪の味付けが好きです。

昆布は利尻より真昆布のふんわりした広がりのある出汁が好きです。

これからの季節はどんなものよりも粕汁が最高に美味しいと感じます。

でも、それは小さいときから食べているからですし、なじんでいるからです。

逆に、沖縄で沖縄料理をしょっちゅう食べている私にとっては本土の沖縄料理は塩辛くて美味しく感じません。

使っている塩が違うからです。

でも、たぶん、ほとんどの本土の人は、本土の塩を使った沖縄料理の方が美味しいと感じるのでしょう。

私は、味に関しても、美に関しても、評価というものは相対的なモノでしかないと想ってます。

技術の優劣はあると想いますが、表現された結果である作品には基本的に優劣はない。

私みたいに自分でもヘタだなぁ、と苦笑いするようなのは別として、良い作品を造ろう、良い作品が出来た、と想っている作り手がいるということは、それを良いと思う人は他にもいるはずなんです。

染織品でも、私に『この作品はどうですか。どんなの造ったら良いのか教えて下さい』という作り手さんがいます。

『あなた、自分で良いと想って造ってるんでしょ?だったら、私が気に入らないとしても、他に高い評価をしてくれる問屋がいるかもしれないじゃないですか。私に合わせて物作りをするより、あなたと美意識を共有できる人を捜した方がいいんじゃないですか』

と言います。

売れる品物を造るなんて簡単です。

何にもこだわらなくて、売れる事だけに集中することができるなら、たやすい。

全てを捨ててしまって、造ったモノをお金に替えることだけを考える。

それで良いかどうか。

最期はそこに行き着きます。

ちょっと脇道にそれました。

美に関する意識、何を美しいと思うか、美を重んずるかどうか、それらはすべて人それぞれ、百人百様です。

では、美ってなんなんでしょう。

誰が決めるんでしょう。

それは工芸の場合、使い手が決めるんです。

私が良いと思えばそれが全てです。

ただし、それが本当に自分に合っているかどうか、です。

何からも左右されず、ただ自分に合うかどうか、自分が気に入るかどうか、だけでモノを選びとり、使って心地よいかどうか。

愛着が持てるかどうかです。

どんなに美しく絵付けがされていても、その茶碗で食べたらご飯が美味しいと思えなければ、それはタダのガラクタだと言っても過言ではないのです。

ガラス器でいうと、世界的に有名なモノにラリックとバカラがあります。

私はお酒を飲むのにこの二つのグラスを使っています。

ラリックは手が込んでいて、見た目も美しい。

芸術品的な感じです。

バカラはといえば、キレイなんですが飾り気は無い。

でも、酒飲みにはすぐ分かります。

グラスとしてはバカラの方が圧倒的に良い。

それは口当たりとか、座りとか、強度とか、様々なモノが『グラス』として使いよい様に造られて居るんです。

値段はバカラの方が安かったと思います。

魯山人はね、お金の事を考えたらダメだと言いますが、使う上で、値段というのは大事だと思うんですよ。

だって、使うモノ、壊れモノなんですから。

壊れる事を恐れていたら、安心して使えない。

大事に使うことは必要ですが、壊れたらまた買えばいい、くらいの気軽さがないと『使う工芸』としての価値は低いと私は思います。

工芸においては値段も美のうち。

高い安いはそれこそ、人それぞれ。

10万円が高いとおもうか安いと想うかは、品物にもよるし、人それぞれなんです。

10万円のグラスが高いとおもう人も500万円のクルマに乗ることもあるわけですから。

つまりは、価値観です。

美に対する意識も価値観の一つでしかない。

その中に絶対的な美を見いだそうとする。

見いだそうとするのは良いとしても、絶対的だと決めつける、これはちょっとムリのあることだろうと想うんです。

美の世界に生きる者として、他を排除するというのは、まことに間違った態度だと私は思いますね。

ただ、作り手や使い手の姿勢・態度というのはすごく大事です。

大切な事は作り手も使い手も『感性に磨きをかける』という事だと想うんです。

芸術作品や工芸作品をみて感動するというのも良いですが、一番は自然を観る事。

人間が作った物ではなくて、自然の美に感動する事。

つまりは、精神の自由を確保する、そういう事なんです。

『空』の境地と言っても良いかも知れません。

誰かがどう評価するかなんて気にしないで、

これが私の世界よ!

これで良いと想うんです。

万人の魂をえぐる美なんて、すり寄った作品に宿るはずがないんですから。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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