3−1流通チャネルの機能と累計
この流通の問題も染織マーケティングを考える上で、重要なポイントですね。
まず、基本的なことを押さえていきましょう。
【流通チャネルの機能】
流通チャネルの次の3つで構成されている。
- 物流
作り手と買い手の間に生じる、空間的あるいは時間的なギャップを埋める役割を果たす。=保管、輸送
- 情報流
作り手と買い手の間にあるさまざまな情報のギャップを解消していく。
=受発注情報のやりとり、販売予測精度の向上、製品・サービスの特徴・使い勝手の伝達
- 商流
取引の流れ
→相手次第である。
取引である以上、相手に取っても一定のメリットある仕組みを確立せねばならない。=ウィン・ウィンの関係
【流通チャンネルの類型】
チャネル① 生産者→→→→→→→→→→→→→→消費者
チャネル② 生産者→→→→→→→小売業者→→→消費者
チャネル③ 生産者→→卸業者→→小売業者→→→消費者
- 小売業者だけでなく、生産者の数も多い場合、卸業者の多段階化が生じやすくなる。
- どのチャネル類型が優れているかは、ターゲットとなる最終顧客、取引先として利用できる流通業者、競争企業が採用している流通チャネルの類型、自社の経営資源などの条件によって異なってくる。したがって、同じ産業の中に、異なる流通チャネルの類型を選択する複数の企業が併存する場合もある。
和装業界の流通が問題とされるのは、その多重構造と流通コストでしょうね。
生産者から複数の問屋を経由して小売店を通り、ようやく消費者の手に渡る。
生産者から出た価格の数倍、場合によっては10倍以上の価格で消費者に売られているから、消費者は着物離れをしたし、生産者は貧困にあえぐことになる。
まぁ、これが一般的に言われていることですかね。
しかし、この教科書にも書かれているように、和装業界でも単一の流通チャネルしか存在しないという事はありません。
消費者に直接売る人もいるし、小売店としか取引しないところもある。また多重構造の中に商品を流す人もいます。また、それを併用する人も居ると、まさに人それぞれです。
基本的に自分のこだわりの『作品』をごく少数制作している人は当然高価になりますので、直販体制と採る人がいます。地域密着で地元の需要のみに対応している人もいます。
芭蕉布なんかは、内地の着物ファン以外に琉球舞踊家の需要があって、その人達は別に平良敏子さんの工房の物でなくても良いわけです。しかし、本物の芭蕉布の着物を持たねばなりません。それで、直販を前提に芭蕉布を造って個人を対象にしている人も存在します。
琉球びんがたや加賀友禅も地元需要がありますので、地元の人から直接発注があり、直販する体制があります。
つまり、少数の商品と少数の需要者の場合、直販は成り立っているのです。
小売店と取引する人は結構います。つまり問屋とは取引しないという事ですね。なぜ、そういう選択をするかというと、問屋を通すと末端価格が高くなる事、集金が思うようにいかないこと、などがあるのでしょうか。
正確に当てはまるかどうかは解りませんが、千総さんや川島織物さんなんかは小売店としかやらないはずですから、この形ですね。帯のメーカーさんは多くこの形を採っています。これはその商品にブランド力があるからです。ブランド力があれば、問屋の流通力に頼る必要がない。小売も直接声を掛けてくる。また、ある程度の大量生産が出来て、大量の需要があるという場合にこの形は成立すると言えるのでしょうか。
大量の需要がないとこの形が成立しないというのは、そうでなければ、メーカーも小売店も在庫負担に耐えられないからです。もちろん、自分で少しずつおった織物を地元の民芸店や呉服屋に置いてもらうというスタイルもあり得ます。しかし、小さなチャネルは小さな需要しか喚起しません。小さな需要は大きな供給を産みません。そこそこの規模の需要がなければ、生産者から小売りへの直接取引は継続し得ないといえます。
たとえば、AさんがBという小売店に品物を置いてもらう事にした、とします。
しばらくは順調に売れたのですが、ある一定の期間を過ぎると売り上げが止まった。なぜか。Bの持つ顧客に行き渡ったからです。止まらない為には、Bの本来持って居る顧客以外に売れなければなりません。BはAの商品によって顧客が広がる事も望んでいるわけです。それができなければ、Bは売れ行きが落ちた途端、Aの商品に変えて新しいCという作家の品物を店頭に置くでしょう。
そしてAはまた、新たに品物を置いてくれる店を探す事になります。次はDに置いてもらう事にした。それでも、また同じ事の繰り返しです。小売店は販売機会が制限されている、つまり売場を効率的に使いたいし、販売機会を大切にしたいのです。ですから、売れない物は置きたくない。逆に言えば『売れる物を置きたい』わけです。
『売れる物』=『需要の大きい物』です。
つまり、小売店は消費者を中心として『売れる物を追っかける』ということです。小売店は店の立地・面積、そして暖簾=信用が財産で、それを有効に活用していこうとします。よい立地に豊富な売れ筋の商品を置いておけば、必然的に成功するわけです。
ですから、小売店と直接取引するというのは、消費者に直接売るよりも遙かにハードルが高いと言えます。
もちろん、年に一度とか期間を区切って個展としてやるなら可能かもしれませんが、その場合でも、その作家に一定以上のネームバリューが無ければ困難です。小売店はその作家の名前で顧客を呼び、販売促進に結びつけたいと思うからです。基本的に『利用価値ある物を利用し、売れる物を売る』というのが小売のスタンスだと思わなければなりません。
そして、もっとも一般的と思われるチャネル③の生産者→問屋→小売→消費者のパターンです。問屋というのは、基本的に一定の『くくり』で商品を扱います。うちなんかは『沖縄』というくくりですね。帯の問屋は帯というくくり、加賀友禅をくくりとする問屋もあります。つまり一定の特徴=強みを持っているわけです。これは問屋制家内工業の名残で、かつては問屋が主導して各家で行われる織物を統括していた訳です。問屋は出来上がった織物を工賃と引き替えに受け取る。これが産地問屋の前身です。さらに、産地問屋から集散地にむけて商品は送られる。最大の集散地が京都、そして、東京ですね。京都の室町といいう場所がそのメッカです。東京は掘留です。
ここにある問屋は、前売問屋といいます。小売店に売る問屋です。産地問屋が生産を統括しているのに対し、前売問屋は小売の細かい要望に対応していくのが仕事です。前売問屋の場合には、総合問屋というものが存在するわけです。つまり、各地の産地問屋や作家・生産者を束ねて小売へのパイプ役となる問屋です。また前売問屋には産地問屋を兼ねている、つまり、生産者に直接指図したり、生産者と直接契約しているところもあります。うちもその一つですね。
すなわち、問屋はどの位置にあっても、生産者や商品に顔を向けていると言うことです。
問屋は品物を持って需要を喚起し、探そうとする。小売は需要に当てはまる商品を探す。ですから、問屋は買い取り、小売りは委託になるのです。極端な話、小売りは売れれば何でも言い訳で、宝石・毛皮・ハンドバッグ・婦人服などを売っている呉服屋が多い事でもそれはわかります。うちが洋服売ると言ったら、かりゆしウェアくらいです。
いわば問屋はメーカーのマーケティング部門とも言える立場であるわけです。
この教科書に載っているような大メーカーにはすべてマーケティング部門があります。そして小売店には小売店のマーケティング部門がある。小売店の場合は売場と棚を持って居て、そこに置いてもらわなければどんなに良い品物でも売れることはありません。それを置かせる、良い場所に置かせる、広い場所を獲得する、そのために必要なのがメーカーのマーケティングなのです。
そのメーカーのマーケティングを考える上で必要な事が人・モノ・金・ノウハウ・情報という経営資源の把握であって、小さな経営体が大企業に真正面からぶつかって勝てるわけがありません。そこにマーケティングの出番があるわけです。
小売店というのは売れる物の他に『儲かるモノ』を置き、積極的に売ろうとします。それがPBであり、高利益率商品であるわけです。
高い家賃を払っている銀座の呉服屋さんが、売れもしない儲かりもしない低価格の品物を置いてくれる道理が無いわけですね。
沢山の需要を掴んでいる一等地の呉服屋さんが売れて儲かるモノしか扱わないとしたらどうでしょう。
売れる物=ネームバリューのあるもの
儲かる物=安く仕入れられて高く売れる物
相矛盾する二つの条件をなんとかクリアしようと努力しているのが問屋なのです。
デフレ経済になって、価格の天井が抑えられても、小売店の粗利益率(販売価格—仕入れ価格)÷販売価格%は下がりません。かえって実質的に上がってくる位です。
小売店が悪いと言っているのではありません。呉服販売はそれだけ高コスト体質であるし、現実に、一等地に店舗を構えたり、華やかな催事をやらないと着物は売れないという事なのです。
日本経済全体が底上げされ、天井が上がらない限り、現状の和装業界が潤うことはありません。でも、それは望み薄です。
結論は、流通を簡素化するしかない。
そして、作家と問屋がきちんと役割分担して、お互いの使命を完璧に果たして、低コスト化を実現していくしかないのです。
小売店は立地と販売装置と顧客を持って居ます。
これは転用可能です。売る物をかえれば良い話です。
でも、作家と問屋は扱う商品をおいそれとは変えられないのです。
着物需要を支配している小売に、いかに対応して、自分たちの流通状の地位を高め、利益配分をメーカー側にとりもどすか。
それは、消費者に『Aさんの作品が欲しい』と小売店に言ってもらうようにすることです。
ビールでいうなら、『スーパードライ作戦』ですね。
むかし、居酒屋でビールを頼んだらキリンしかなかった。でも、アサヒビールのマーケティング戦略で客が『スーパードライはないの?』と言うようなったんです。いつのまにか、どこの居酒屋でも『キリンとアサヒ、どっちにします?』と聞かれるようになった。高知県の居酒屋に行くと『たっすいがはいかん』というビールのポスターが貼ってあります。『たっすいが』というのは、味気ないと言う意味でアサヒのビールを指します。高知県といえば、キリンビールの県民一人当たりの消費量が日本一のキリンのメッカです。そんな場所でもこんなポスターを貼るほどキリンは追い込まれているのです。
つまり、消費者への『ダイレクト・マーケティング』です。チャネルは既存の物をつかうとしても、需要の喚起は作り手から直接行っていく。
すべての人が出来るとは思いませんが、考えの隅にこの発想を入れる事で、選択肢と発想は大いに広がるだろうと思います。
『自分は消費者と直接つながるんだ。そのために問屋や小売店をチャネルとして利用するんだ』と思わなければなりません。
イメージは画家と画廊の関係ではないでしょうか。
問屋の役割については、また後日。
3−3 メッセージの選択
今回も水曜日は沖縄に滞在しているので早めにアップしますね。
ここは、最重要ポイントです。
この間私が受けた『アートマネジメント』の核心はここにあります。
ここでは、コカ・コーラのはなしが書かれていますね。
非常にわかりやすいと想います。
- 優れたプロモーションを行うには、考えられるさまざまなメッセージの中から、製品・サービスの販売を強力に促進するものを選択しなければならない。
そのためには以下の3つが必要だと書かれています。
- ターゲットとなる買い手に対する訴求力がある
- 競争相手が模倣することの困難な優位性が確立される
- マーケティング・ミックスの他の要素との整合性がとれている。
コカ・コーラのはなしを読んでいると、発信しているメッセージが味や効能ではないことに気づくと想います。コーラはおいしいとか、体によいとか、栄養があるとかはありません。
コカ・コーラが発信するのはコカ・コーラの提供する生活シーンや心の状態であることがわかるでしょう。
重要なことは、コラム3−4に書かれています。
メッセージの作成はコンセプト形成→表現制作の順をたどります。
マーケターが担当するのはこの『コンセプトの形成』です。
この染織マーケティングでは、マーケターとは染織家自身を指します。
メッセージの作成は通常はコピーライターや音楽家が行います。
染織の場合は、問屋や小売店かもしれませんね。
コンセプトが間違っていれば、有効なメッセージは絶対に作れないということです。
- マーケティングの役割はメッセージのコンセプトを定めることで、さまざまな専門家との協同作業の効率性と創造性を高めることである。
=『コンセプト・ブリーフ』を作成すること
コンセプトとその背景の明確かつ簡潔な記述
とても重要ですよ。
今の状況はどうですか。
物を作って、問屋や小売店に渡し、販売にかける。
問屋や小売店は、どんな情報を持って、どんな事を言って売っているのか、作り手は知らないし、知ろうともしない。
沖縄の染織はどういう風に紹介されてきたでしょうか。
40年前の沖縄復帰のとき、沖縄染織に対して問屋が掲げたコンセプトは『裸足の沖縄』だったのです。当時、沖縄ではまだ裸足で生活しているお年寄りがいらした。それを見た問屋が『沖縄はまだ裸足で生活している。貧しい沖縄だから手作りの物が安くできる』と言われていたのです。ですから、当時は、良い物をつくるよりも安い物を作る事が優先されました。八重山上布は経緯ラミーでしたし、南風原の絣もスリップするような代物が多かったのです。そんな中で、『琉球王朝の輝かしい歴史と文化』を掲げたのは唯一弊社だけだったんです。
首里織と琉球びんがた(以下紅型)を見てみましょう。
首里織と紅型は主に氏族によって作られ、着用するのも貴族・王族といった上流階級でした。沖縄は海洋国家として繁栄したとされていますが、それは同時に他国からの侵略に悩まされてきたという事でもあります。南洋の小国であった琉球がいかにその存在を保ってきたのか。それは卓越した文化力であったのです。その文化の象徴が首里織であり紅型なのです。紅型がなぜあれだけ華やかなのか。それは琉球王朝の威厳を表しているからなのです。
それがどう紹介されていると想いますか?オバアやオジイが作っている素朴な織物、染め物と紹介されているのです。
そこには民芸運動の影響も大きく影をおとしていると言わざるを得ません。首里の人はなぜ、首里の織物や紅型は決して民衆的工芸などではない、と反論しなかったのでしょうか。私が民芸運動を執拗に攻撃するのは、民芸の呪縛から沖縄を解放するためなのです。
沖縄染織を紹介するときに、歴史や文化の知識が必須であるのは、その光の部分を知っていないと、正しく有効なメッセージが形成できないからです。
なぜなら、沖縄の歴史や文化は『誰もまねの出来ない独自のものだから』です。
私が、内地の趣味にすり寄ったいじけた作品を嫌うのは、コンセプトが間違っているからです。
もちろん、現代の和装需要に見合った作品を作る努力はしなければなりません。しかし、その根本には『沖縄の歴史と文化に対する誇り』が無ければならないと私は思います。
宮古上布、八重山上布、久米島紬が紹介されるとき、人頭税の話がよくされます。私は、この種のお涙頂戴的な話をすることにずっと疑問を持ってきました。
どんな本を読んでも必ず書いてありますし、ビデオを見ても出てきます。人頭税石も映されてたりしています。
これって、これらの作品をアピールするために有効でしょうか。もちろん人頭税によって苦しめられたのは事実です。でも、だれに抗議をしているのか。それに同情したり贖罪意識をもって作品を購入する人など皆無です。それより、『イヤな話を聞いた』と購買意欲をそがれてしまう場合の方が多いのではないでしょうか。
私は最近『ミンサー全書』という本を読んで、人頭税に対するモヤモヤが吹っ飛びました。なぜ、あれだけ人頭税に苦しめられる事になったのか。誤解を受けるといけませんので、ここでは書きませんが、沖縄の女性のつよさと勤勉さをよく物語っている話だと想いました。
作品についてよい印象を持ってもらう。そのためにコンセプトを作るのです。
苦難の歴史など、聞きたくもない。
沖縄に行くと戦争の話をされるから、行きたくないというお客様もたくさんいらっしゃるのです。
しかし、沖縄というところは、何度も言うように素晴らしい歴史と文化を持っています。そして、風土や県民性も非常に魅力的です。
それら、歴史・文化・風土・県民性から染織は生まれるのです。
伝統工芸のコンセプトはすべからく、ここから生まれるのです。
ですから、沖縄を愛していない人に、沖縄の染織が扱える訳がないのです。
沖縄の染織に携わる人、また、それ以外の地域でその地方の伝統工芸に携わる人は、ご当地の歴史、文化、風土を深く知り、研究すべきです。
宮古上布、八重山上布、久米島紬、芭蕉布・・・
これらを野良着と馬鹿にする人がいます。
とんでもない話です。
首里王府にはデザインルームがあり、その中でデザイナーがデザインを決めて、織らせていたのです。それが各離島にも波及した。そのデザイン本が『御絵図帳』です。
そのデザイナーが決めたデザインで作られた染織品たちは、貢納布として、王族・貴族が着用したり、島津藩への上納品、あるいは輸出品とされていたのです。
この、どこが野良着ですか?
作り手はその事を、問屋などの流通業者にきちんと理解させねばなりませんし、自らの作品に誇りを持たねばなりません。
その『想い』こそがコンセプトの源であり、それが波及して、作品づくり、流通業者の扱い方、消費者の見る目が変わっていくのです。
価値があるのは物である作品ではありません。
作品にこめられた『想い』です。
その『想い』こそがコンセプトであり、
『想い』は形がないから無限に広がるのです。
3−4メディアの選択
一週間お休みして、失礼いたしました <(_ _)>
<プロモーション・ミックスの構成要素>
プロモーション・ミックスとは
- 広告活動
- PR活動
- 人的販売
- セールス・プロモーション
の4つのメディアの事を言う。
プロモーションのメディアを選択する際には、以下の3つの要件を考慮する事が必要になる。
- プロモーションのメッセージは、多くの人々に確実に伝わらねばならない。
- プロモーションのメッセージはターゲットとなる買い手に効率的に到達せねばならない。
- プロモーションのメッセージを伝えるには、映像表現や音声、あるいは製品情報の詳細な提示が必要となる場合がある。
沖縄染織を考えたときに、どんなプロモーションが行われているでしょうか。
本土復帰30周年の時代を振り返って考えて見ましょう。
沖縄染織のプロモーションは必ず沖縄自体のプロモーションと共に行われます。
というより、沖縄への関心の高まりに乗っかるという形がとられています。
本土復帰30周年の時代もそうでした。NHKのちゅらさん等で沖縄への関心がたかまり、ビギンの『島ん人の宝』が大ヒットし、大沖縄ブームになりましたね。
復帰直後、10周年、20周年も同じようなイベントと共に沖縄ブームが演出されてきたのです。
30周年に向けては、様々な染織の写真集の出版、人間国宝の誕生があり、低迷していた和装市場において最大の目玉となったのです。商材に渇望していた和装市場において、話題性のある沖縄染織はもてはやされました。引き合いの増加に伴って、生産も拡大。どこもかしこも沖縄染織展という時代でした。美しいキモノやきものサロンという雑誌にも夏以外にも沖縄物は誌面を飾りました。
沖縄染織のプロモーションは必ず県がらみで、大沖縄ブームと絡んできました。沖縄染織が単独でブームを起こしたことはありません。強いて言えば民藝ブームとの連携時代でしょうか。
弊社の場合は、沖縄復帰直前、直後のブームの恩恵にあずかったのですが、古い社員に聞くと、まさに引っ張りだこで、展示会をするとすべて商品が売れて無くなる位の勢いだったそうです。
しかし、その勢いも永くは続きません。現在と同じように過剰に生産された品物は沖縄のあちこちにうずたかく山積みされたのです。復帰10年、20年と同じ事が繰り返されてきました。一時は県の農業団体?が品物を管理していた事もあると聞いた事もあります。
当時はまだまだ着物市場が大きかったので、なんとか消化できましたが、この30周年に起きた過剰供給・過剰在庫は未だに解決していません。
そして、もうすぐ40周年。またまた、ブームを起こそうという気配が感じられます。その第一弾が『テンペスト』あたりではないでしょうか。
ここで、またまた消費増大を当て込んで生産が拡大する事になれば・・・もう終わりです。
そう考えると、伝統工芸品そのもののプロモーションなどというものが本当に必要なのだろうか、と考えざるを得ないのです。
たとえば、一人の作家を強烈にプロモートしたとします。一時は売れるでしょうが、量産すれば必ず品質は落ちます。作家物というのは基本的に万人受けしないのですから、いずれ行き渡ります。売れ行きはピタッと止まる。その時、品質は落ちている。それを見越して生産調整をすればいいのですが、それは至難の業です。作家はいままでの所得を得ようとして別の販路を探すでしょう。品質の落ちた作品がどんどん拡散することになる。なんども言いますが、伝統工芸に於いて画期的な技術革新は望めません。作家の作風を大きく変えることも大変な困難を伴います。
沖縄染織の場合も、節目ごとの大ブームに乗っかることと引き替えに、多くの模造品を産みました。琉球びんがたは本物の方が遙かに少ないという状態ですし、花織やロートン織も沖縄だけの物ではなくなってしまいました。
染織品は綿、毛、絹を問わず、似たものを造るのはそう難しいことではありません。20年前に毛織物市場ではベネシャンという繻子織が大流行しました。いわゆるDCブランド全盛の頃です。でも、いまベネシャンを観る事も難しくなりました。猫も杓子もベネシャンを織ったからです。
着物市場でも、中国物ブームがありました。明綴れの帯や中国刺繍の着物はたいそうな高値で取引されていたのです。良いとなると、群がるのが商人の習性です。中国物は大増産と共に品質が低下しました。そして、最後は値の付かないところまで価値を下げ、どの商人も触らなくなって、市場からほとんど姿を消すことになったのです。
では、染織のプロモーションはどうすればいいのか。
大プロモーション→仮需の増大→生産の増大→品質低下→需要の行き詰まり→価値の低下→負け犬商品
となる、この悪循環を断ち切らねばならないのですが、どこで断ち切るかです。
生産が増大すれば品質は落ちるのですから、厳密な生産管理、適正な量の生産というのが何より大事であると私は思います。
それを基本にして、自分の思うところをブログに書いたり、雑誌に寄稿したり、取材を受けたりはとても必要な事だろうと思います。
しかし、それに伴う引き合いの増加に安易に乗ってはいけないのです。
はっきり言える事は、多くの商人にとって、作家は使い捨てでしかない、と言うことです。
こちらがダメなら、またあちら、あちらがダメなら、また別の作家・・・永遠に売りやすい、売れる作家を捜し回るのが商売人の性です。
自分で無名の作家を捜して育てるなんて言うのは希有な話なのです。
みんな、大きな流れに乗りたい、乗り遅れたくない、それだけです。
それに振り回されては、作家は自滅します。
ここに挙げたプロモーションの手法は、あくまで作家が自分の手で、作品作りを基本にして行うべきです。
そんなことより何より、信頼できる商人と確実なパートナーシップを持って、プロモーションの方針を伝え、ゆだねると言うことが一番大切で現実的なのではないかと私は思います。
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