第6章 事業の定義

6−1 マーケティング近視眼を避けよ

ここは面白いですね。

マーケティング近視眼というのは英語でマーケティング・マイオピアと言って、私が学生のころはカルピスが題材として使われていました。

いまは、ほとんど見なくなりましたが、私が子供の頃は『初恋の味 カルピス』と言って、ほとんどの家庭の冷蔵庫に入っていたはずですし、お中元にもよく使われていました。夏は水で割って氷を入れて冷たくして飲み、冬はホットカルピス。ところがあまりにもこの白い濃縮液が強力な商品であったために、商品開発を怠ったのです。フルーツカルピスやカルピスソーダは出ましたがどれもぱっとせず、いつのまにか市場から消えていったのです。もし、カルピスが自分たちの提供する商品が『カルピス』という濃縮液でなく、『生活に潤いを与える清涼飲料水』だと考えていたら、幅広い商品展開ができたはずだということです。その後、カルピスは、『おいしい水で割ったらおいしい』という社員からのヒントによって『カルピスウォーター』という形で大ヒットしました。これは、ある意味で家庭で水で割って飲まれていた事からチャネルと場所を変更したわけですね。つまりカルピスを味わう機会を広げたわけです。昔は、家でしか飲めなかった。つまり、商品というのはその品物ではなくて、品物が与える便益であると考えれば良いわけです。

では、沖縄染織について考えてみましょう。

沖縄染織は数年前まで何度目かの興隆期を迎えていましたね。本当によく売れたでしょうし、作り手も潤ったことだろうと想います。もちろん、沖縄の染織が素晴らしい物であったこともあるでしょうが、マーケティング近視眼に陥らないためには、視点を変えて見ることが必要です。

消費者は、沖縄染織の何に興味を持ち、何に魅力を感じて購入に至ったのか?ということを考えてみましょう。そのためには、他の染織品と比較してみるとよくわかると想います。結城紬と沖縄の絹織物を比較してみると、どうでしょうか。織物としての完成度、着心地、体が感じる部分での機能性では圧倒的に結城紬が勝っています。結城は経糸、緯糸とも手引きの真綿糸です。かつ地機で織られています。沖縄はどうですか?論じるに値しませんね。

では、なぜ、消費者は結城を買わないで、沖縄の織物を買ったのか?

答えはズバリ、『それが沖縄の織物であったから』です。

それが証拠にほとんどの消費者は琉球びんがたや花織の帯を1本持っていたら、それ以上買おうとしません。

なぜだと想いますか?一つあれば十分だと想われているからです。

大島を数枚持っている消費者はざらにいても、久米島紬を2枚以上持っている人はまれです。

なぜ?そのもの自体に強い魅力を感じていないからです。

なのになぜ売れた?

沖縄にスポットが当たっていて、沖縄染織ブームだったからです。

悪く言っているのではなくて、客観的に考えなければいけないということです。

本来、魅力を感じた物なら、繰り返し繰り返し、その満足を与えてくれた物、あるいは周辺の物を購入するはずです。

私はカレーライスが好きですが、毎日カレーライスでもOKです。

本当に好きだというのはそういう事です。

でも、ブームは起こせても、根強いファン、久米島紬にせよ、読谷山花織にせよ、リピーターを作る事は出来ていない。

なぜ?

作る人、あるいは作らせる人が、沖縄の染織によって消費者がどんな便益=魅力を感じるかを理解していなかったからではないかと私は思うのです。

沖縄染織と聞いて、なにをイメージするか。

まず、青い空と青い海。照りつける太陽、そしてそれに映える琉球びんがたの衣装。そして芭蕉布を着た涼しげな姿。

これがナイチャーが思い起こすイメージです。

基本的に、ナイチャーは沖縄が大好きです。

沖縄が嫌いだという人に私は会ったことがありません。

私の周囲では私が一番沖縄嫌いかもしれません (^^;)

そして、沖縄のイメージといえば、素朴で純情な人たち。

そして、オバア。

ここで普通の人は止まってしまいます。

沖縄を観光するだけでは、沖縄がいかに素晴らしい文化と歴史を持っているかなど伝わっていないはずです。

沖縄染織の強みってなんでしょう?

豊かな自然、暖かい気候、染織に適した水、そして、豊穣な文化。

沖縄というのは日本の他のどこよりも染織に適した土地なのです。

そして、沖縄ほど多様な技法、多様な素材、多様な色彩感覚に恵まれた所はないのです。

そして、最大の付加価値を生み、私たちナイチャーが逆立ちしてもまねが出来ないのが、沖縄の人たちの美意識なのです。

沖縄染織を永年みていると、内地の作家では絶対に作らないという作品にたびたび出くわします。

想いもしない配色が見事に調和している。

そして、私たちナイチャーでは絶対に作り出せない色を生み出す。

そして、おおらかで力強い線。

これが沖縄染織の最大の魅力であり、強みなのです。

この魅力にはまれば、絶対にリピーターになるはずですし、たとえ沖縄の名前を出さなくても、一瞥しただけで、見入ってしまうはずなのです。

それを忘れて、特長を抑えた物を作ればどうなるでしょうか。一時期は口当たりが良く食べやすいので、多くの人がとりあえずは買ってみるか、と求めるでしょう。でも、次がない。流行のラーメン屋みたいな物です。

伝統染織というのは商品ラインの拡張に限界があって、そもそもマイオピアにならざるを得ない部分があります。伝統というのは近視眼を乗り越えてまだ、生き続けているという超ロングセラーなのですから。

しかし、いまの沖縄染織は伝統のロングセラーではない、と私は思います。

なぜかというと、一番大切な物、一番魅力的な物を忘れて、食べやすいけど、それほど美味しくない商品になってしまっているからです。

大阪に『551の豚まん』という大ヒット商品があります。デパートで行われる『うまいもの市』ではどこでも行列が出来るそうです。私たち大阪人は子供の頃から食べていて、並んでまで、とは想いますが、今でも定期的に食べる癖になる味です。

ところがこの豚まんは、クサイ。電車に乗って持って帰ると電車の中に充満するのです。でも、みんな持って帰る。

そのにおいが、豚まんを食べる光景を思い起こさせる。つまり豚まんと一緒に暖かい家族の団らんがイメージされるからです。

むかし、『551の豚まんがあるとき(笑顔)無いとき(がっかり)』というCMがありました。

つまり、551の豚まんはその味だけでなく、暖かい家族のシチュエーションを提供しているということなのです。

では、沖縄染織は何を提供できるのか?

美意識の強い人は必ず、『沖縄の染織(=もずやのコレクション)を見ると元気が出てくる』とおっしゃいます。

私は、これが沖縄染織の魅力の本質だと想います。

そして私もそれを実現できる染織品づくりを目指しています。

染織家は布を織り、布に染めているのではありません。

みなさんが織り込み、染め込んでいるのは、歴史と文化そのものである問うことを忘れないでください。

それが、マーケティング近視眼を廃し、永遠の染織となる道だと私は信じて疑いません。

6−2 製品ポートフォリオ管理との関係

ここでは『何を軸にして事業をとらえるか』について書かれています。

わかりやすく言えば、機能=用途(なんのため)、顧客(誰のため)、技術(どうやって)という事業の見方の切り口によって、ポートフォリオ戦略は変化するということです。

沖縄染織の場合なら、機能の観点から見ると、着物・帯を造るという事になるでしょうし、誰のためと言うことでは呉服の問屋・小売店のため、そして、技術面なら、染めたり織ったりすると言うことを事業と定義づけすることになります。

たとえば、私がびんがた染をやっているとしたら、

①機能=着物・帯→別の技法で着物・帯をつくる

②顧客=呉服屋→帯締め、帯揚げ、草履、バッグなどをつくる

③技術=びんがた染→インテリア製品、デザインをプリントに転用

などなど、新事業の拡大が考えられると思います。

②③はすでにやっている人も多いと思いますが、なかなかそれをメインにというのは難しいようですし、①に関してはほとんど行われていないのが現状です。

  • の他の染織技法の導入は琉球びんがたに対する沖縄県民の熱い想いとプライドがそうさせるのでしょうが、私はそれはそれでいいと思います。

ただ、顔料に樹脂顔料が使われ、酸性染料が導入され、蒸しがされるようになってから飛躍的に品質が安定したように、消費者の便益になるものは積極的に学んでもいいだろうと思います。

②③がなぜ、主力にならないかといえば、一つはやはり着物・帯にしたほうが高く売れるということでしょうし、せっかく造った物を切り売りするのは忍びないという作り手の気持ちもあるでしょう。また、着物・帯を造ってこそ、一流の作家という世間の見方も大きく影響しているのだろうと思います。

手工芸の作家の場合、作る事の出来る量が限られているわけですから、利潤を高めて豊かになるためには、作品を高く売る事と、売れ残りを出さない事に尽きるわけです。作品を高く売るためには、『作家の格』と言う物が大きく影響してきます。この格付けには、必ずしも納得できないものも多いのですが、高く値付けをしても受け入れられるためには、日本工芸会や国画会でどのランクにいるとか、人間国宝であるとか現代の名工であるとかいうのがモノを言うわけです。でも、値付けしたからと言って、消費者段階で値段が通るかというとそんなに甘くない。消費者が価値にあった価格であると感じなければ売れ残り、発注も来なくなります。しかし、『格』に伴わない値付けをしようとすればよほどの魅力がなければ通りません。これは現実です。

話がそれたようですが、染織作家はやはり帯・着物を造って、工芸界に認められなければ、多くの利潤を得る事は出来ないと思います。また、技量の向上のためにも、常に着物・帯の制作にチャレンジすることは意義の大きな事だと思います。

その上で、安定した仕事を続けるためにはどうするか。それを考えるために、このポートフォリオ管理を役立てられればいいと思います。

例えば、城間栄順さんは、琉球びんがたを代表する作家さんですが、みずからデザインしたプリントハンカチを販売されています。これには、批判も多いと聞きますが、私は多くの弟子を抱える工房主として当然の戦略であろうと思います。城間さんは自身の名を載せるからにはそれなりの品質管理をされているでしょうし、これによって、高価なびんがたの着物・帯を買えない人も、身近に紅型の美しさを生活に取り込むことが出来ます。だれも、このハンカチがいわゆる伝統技法の『琉球びんがた』で造られているとは思わないでしょう。もちろん弊社でも『城間栄順デザインのプリントハンカチです』と名言して販売しています。

製法上、素材の特性上、どうしても不適切な用途というのはあると思いますが、もっと幅広く作品を捉えてみても良いように思います。

バッグや財布などの小物の場合は、カッティングの仕方や、小物そのもののデザインまで総合的にプロデュースすれば、それは間違いなくその作家の作品になるわけです。

①〜③までの切り口を総合的に展開しても、事業領域を広く見積もりすぎたと言うことにはならないだろうと思います。それはそもそも、沖縄染織というものがどの市場においても超ニッチ市場だからです。

芭蕉布が好きな人、上布が好きな人、紅型が好きな人、あるいは沖縄が大好きな人・・・そんな消費者の身近に作品を投入できればよいわけです。

ただ、その場合、手作りなのですから、単価が高くなるということは計算にいれなければいけません。

まずは、自分の生活のなかで楽しめる作品を作って見ることから始めたらいかがでしょう。そして、お母さんやおばあちゃんへのプレゼントを自分でつくってみたら。そんな中に大きなヒントが隠されているかもしれません。

生活を楽しくする、沖縄の伸び伸びとした美を生活に取り込んでもらえれば、別に着物・帯でなくても良い、私はそう思います。

そもそも、自分が着物を着たことが無い、着物に興味がない若い作家が着物を作る事自体に無理がある、と断言しておきます。だって、自分が着物を着ないのに、着ている姿や着心地など、想像できるわけがないし、工夫のしようがないでしょう。

沖縄では着物姿を見ること自体が少ないわけですから、自分で着物を着る努力をしなければ内地の作家に太刀打ちできません。いままでが夢だったのです。これからそんな甘い世界は戻ってきません。ここのところは沖縄の作家の大きな反省点です。

私が、女物の着物を着るのは、着心地や着姿を自分でチェックする為ですし、文楽や能を見に行くのは、現実のコーディネートがどうなっているのかを学ぶためです。

最近になって、ようやく、若い作家さんが自分で造った着物を着て、国立劇場おきなわへ、組踊りや舞踊を鑑賞にいく動きが出てきたと聞き、非常に喜ばしく思っています。

消費者に生活の中に取り込んでもらうためには、自分も体で感じなければなりません。そこに工夫が生まれます。創造も生まれます。

私達商人もそうですが、ものづくりをする人達も、自分たちが『文化の当事者』だという認識を強く持つべきだと私は思います。

そのためには、とくに若い人達にはもっともっと幅広く勉強して欲しいと強く願います。

6−3 事業を定義し、成長への指針を描く

ここではスカンジナビア航空やゼロックスの実例が書いてありますね。

マーケティングを通して学んで欲しいのは、世間にある何気ない事柄からその奥にある企業や人間の戦略・思惑を読み解くという事です。

前に書いた様に、マーケティングを考える上では、たくさんの解決方法を持っている方が有利です。引き出しが多く、またその引き出しに処方箋がたくさん詰まっている方が勝負に勝てる可能性が高い。その処方箋がどこにあるかといえば、本に書いてあるわけでも、誰かが教えてくれる訳でもありません。そのタネは世間に転がっているのです。それを見過ごしているだけです。たとえば、自分のライバルとなる作家がどういう作風なのかを分析してみる。売れている人は何故売れているのか考えてみる。あんなのダメだ、とか運が良いから売れているんだ、とか思っていたらいつまでたっても進歩はありません。結果にはそれなりの必然性があるのです。数々の選択肢から自分がどれを選択するか、それだけのことなのです。ですから、街を歩くとき、市場を歩くとき、売れている店と売れてない店。売れている店でも、売れる人と売れない人。売れる商品と売れない商品。どこがどうちがうのか、じぶんなりに結論を見つけてみる。逆に、売れない店、人、商品がどこをどう改善したら売れる様になるのかを考えて見る。それが何よりの訓練になります。そして、私達、商売人は日常的にそれをやっています。商売人というのは商売をする人の事ではなくて、商売を人生としているひとの事を言います。政治家なら政治を、教育者なら教育をつねに考えている様に、商売人はどうしたら売れるのか、どうしたら儲かるのかを考えている。おなじようにものづくりをする皆さんは、どうしたらよいもの=消費者が喜んでくれるものを作れるのかを常に考えていなければプロとは言えません。

今日は事業の定義から派生して、『誰に売るのか』という事について考えて見ましょう。教科書の中の2つの事例で中心になっているのも『顧客を誰に設定するのか』という事です。

私が書いたのを読む前に、ちょっと自分で考えてみてください。・・・・・

問屋?・・・・ブーです。

染織家の顧客は消費者、つまり着る人、身につける人だと考えなければなりません。問屋や小売店は、そこへ持って行ってくれるパイプだと考えるべきです。貯水池に水があっても、田んぼに届ける水路がなければ田植えはできません。でも、水路に入れるのが目的ではない。あくまで田んぼに水を入れ、苗に水をやるために水があり、水路を引くのです。

では、消費者ってどんな人?

イメージ湧きますか?

あなたがつくった着物や帯を着けた人、見たことありますか?

それはどんな人ですか?

まず、あなたたちが造っている着物ってどんな着物?

着物ってどんな種類があるか解っていますか?

そんな事さえ知らないで、成り立っていたというのが奇跡なのです。

そこまで言わなくても、って?

いいえ、致命的な事なのです。

陶器を例に考えて見ましょう。

その陶器が飯茶碗に使われるのか、湯飲みに使われるのかで作り手は認識が違って当たり前なのです。

なぜか?

飯茶碗は手に持って箸でご飯を口に運びますが、湯飲みは口を直接つけるからです。

つまり、飯茶碗と湯飲みでは必要とされる品質がビミョウに違うと言うことです。

あなたの造っている着物はどんな時に着れられているの?

着物には『格』というものがあります。

第一礼装という最高の格を持った着物は既婚女性なら黒留袖・喪服、未婚女性なら振袖・訪問着です。その他、色留袖、付下、色無地は準礼装・略礼装ということになりますが、家紋の入れ方によって変わります。それぞれがどんな形状をしているかは、本やネットで調べて勉強してください。

じゃ、みなさんが造っている着物はどこに分類されますか?

基本的に上記の礼装類には属しません。紅型ならたいていの場合、小紋という街着・おしゃれ着に分類されますし、織物はさらに下の普段着の分類となります。ちなみにこれはあくまでも和装における分類です。

つまり、和装というくくりの中で着る上では、沖縄の着物は一部の例外を除いて結婚式には着られないと言うことです。

一部の例外というのは、紅型の中にも絵羽模様と言って縫い目のところで柄が切れずに連続しているものがありますね。これは振袖としていままでも着用されていますし、中には訪問着と同じ柄着けのモノがありますので、これは全く区別無く礼装として着用できます。しかし、どんなに柄が連続していても織物は結婚式には不向きです。また、どんなに高価なものでも格とは関係がありません。

宮古上布や芭蕉布がどんなに高価でも、結婚式には着れない。これが和装の『しきたり』です。久米島では久米島紬を結婚式で着ると聞いた事がありますが、それは日本全体からみれば特殊な事なのです。

ですから、みなさんは基本的に晴れやかな場所では着られない着物を造っていると思わないといけない、と言うことです。

これは着物そのものの優劣とは全く関係がありません。たとえプリントの着物であっても、それが留め袖や訪問着の形をしていれば、礼装として着用されるのです。ですから、沖縄のものでどうしても礼装に適うモノをつくりたければ、紅型で留め袖や訪問着をつくればいいわけです。でも、それは現実のは非常に少ない。

沖縄の着物を着る場というのはせいぜいパーティー、軽いお茶席、観劇、お出かけなどなどです。

反対に考えれば、その気になればいつでも着られる着物であると言うことですね。

つまり、着る機会を日常的、定期的に持って居る人、着物が好きな人、そして大事なことは着物を自分で着られる人だということです。

私は基本的には、自分で着物を着られない人にはお勧めしない事にしています。

若い女性ならお母さんやおばあちゃんに着せてもらうというのもあるかと思いますが、本当に着物が好きなら、自分で着られるようになりたいと思うのが人情だと思います。

ですから、みなさんの造る着物をきてくれる消費者というのは着物を自分で着られて、着る機会をそれなりにお持ちの方だということです。そして、価値観こそ多様でも、基本的には好きで着物を着ている、ということです。

晴れ着をホテルに持って行って、着付けをしてもらうしか着る機会を持たないと言う人と、自分で自分の家で着て、街を歩く人と、当然ながら、趣向が違います。

どういえばわかりやすいですかねぇ・・・

お祝いしようというときに、我が家で手料理でもてなそうという人と、料理屋でおいしいモノを食べようという人が居ます。どちらがどうという事は別にして、同じお祝い、同じ料理でも、全く意味が違うと言うことです。

晴れ着はお祝いが終われば、さっさと脱ぎ捨てられてしまう。しかし、普段の着物はいつまでも着られる。なぜか?普段のきものは着て心地よいものだからです。

でも、普段着だといっても、TシャツやGパンとは違うのです。そこが、大和のそして沖縄の服飾文化のすごいところです。普段でも素晴らしい文様が色とりどりに書かれた染めものや、趣向を凝らした織物が着られていた。こんなところは世界中探してもないと思います。それが民衆レベルにまでひろがっていたのですから驚異的です。

そして、この着物の文化というのはその延長線上にあるのです。

ですから、本当の意味で消費者に受け入れられるモノをつくるには、どんな消費者か、を知らねばならないわけで、みなさんが相手にしている人達は、高価な着物を普段に着るだけの財力と鑑識眼がある人だと考えるべきだと言うことです。

ちょっと前までの事はただのブームでした。

真価が問われるのは、これからですし、ブームが終わった後の愛好者が本当の沖縄染織ファンだと言うことを忘れないで欲しいと思いますね。

みなさんは、その人達の期待に応える素晴らしい作品を世に送り出す責任があるのです。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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