第7章 消費者行動の理解

7−1消費者対応の考え方

この章ではマーケティングの中の『消費者行動』というジャンルに入っていきます。ここが一番面白いかも知れません。

私の学んだ大学では文学部にも消費者行動の講座があって、当時、担当されていた井関利明先生の講義は欠かさずに聴講していました。というのは、この消費者行動というのは心理学の範疇にはいり、心理学は文学部の管轄だからです。

もし、マーケティングに興味を持ち、消費者行動をもっと深く学んでみたいと思うなら、心理学事典を購入されることをお薦めします。マーケティングの分析において心理学は欠かせない枠組みで、今後、いろんな事を考える上で必要になると思います。

さて、本題に移りましょう。

  • 『消費とは人々が製品・サービスを購入し、使用し、廃棄する全プロセスだ』

とテキストには書いてありますね。また、この章のNavigationにはこうあります。

『工場を出た段階での製品は、まだ半製品なのです』

=製品は、顧客の手に渡った段階で初めて完成品となる。

つまり、作家のみなさんが『消費者の手に渡る』事を意識しない限り、いくらマーケティングを学んでもなんにもならない、と言うことです。

  • マーケティングにおける最大の関心は『自社の製品・サービスを消費と結びつけること』にあるからである。

まさにそういう事です。

  • マーケティング・コンセプトと販売コンセプト

マーケティング・コンセプト

 『消費者を理解し、消費者に喜ばれる製品・サービスを作る事を第一とする』という発想を企業経営や事業運営の基本的な指針とするという考え。

販売コンセプト

 『企業がつくりだした製品・サービス、あるいは企業が有している技術や能力をいかに売るか』というもの。

一般には、マーケティングといえば下の販売コンセプトだと思われているようですが、本当は違うのです。

私が染織家のひとたちに理解して欲しいことは、まさにこの『マーケティング・コンセプト』なのです。

みなさんが仮需=流通の中間需要しか意識していないうちは、なんの解決策も生まれないのです。

眼を向けるべき対象は消費者であり、みなさんが造った作品は、消費者に購入され、着用され、ひいては廃棄されるまで着つくされてこそ、完結するのです。

そこに性根を据えないから、問屋の言葉に右往左往し、粗造乱売を繰り返し、そのあげくには莫大な流通在庫を抱え、価格崩壊を招くような事態になるのです。

消費者を個で捉える、あるいはかたまりで捉える。

みなさんが思っているほど、問屋はかしこくありませんし、情報も持って居ません。そして、問屋も小売店もあなたの敵の味方なのです。

ですから、自分の事は自分で決めるのです。

  • インプット-アウトプット分析とメカニズム分析

インプットーアウトプット分析

 マーケティング・ミックスの変更、あるいは所得水準やライフスタイルの変化という刺激に対して、消費者の行動がどのように変化するかを捉える。

そのメカニズムは無視=ブラックボックス

メカニズム分析

 刺激と反応との間をとりもつプロセスの作業を解明する。

  • 問題を特定し、解決へと導くにはメカニズムに関する知識が欠かせない。同様に、消費者とのインプットーアウトプット関係を改善したり、修復したり、新たに創造したりしようとする際にもメカニズム分析が必要となる。

つまり、インプットーアウトプット分析は、消費者行動をパターン化して捉え、メカニズム分析はそれが何故そうなったのかを分析し、一般化するという事です。

どちらも戦略的に有用なことですが、非定型的な消費者行動を理解するにはメカニズム分析が必要です。

とくに、染織の場合、マーケティングリサーチが難しいですから、消費者の心理の分析というのが非常に大切になってきます。

その心理を単純にしか捉えられないから、ただ単に安売りをしたり、雑誌に載せるだけ、商品に似つかわしくない業者に売りさばく、などの事が出てくるのです。

自分たちがどのような消費者を対象としているのかを、明確化し、その人達の心理をきめ細かく分析して、作品づくりはもちろん、流通などのマーケティングミックスを選択しなければなりません。

沖縄染織の場合、それなりの最終価格になるわけですから、消費者はそれなりの富裕層になるわけですから、決してマス=大衆市場を考えてはなりません。着物市場でかつ高額品市場、そしてカジュアル市場なのですから、本当に小さな小さなマーケットなのです。そしてこのマーケットはどんどん縮小している。

そんな市場に大量の規格品を投入すれば、市場からあふれかえるし、富裕層は見向きもしなくなることは自明だったのです。

富裕層は自分だけのもの、人が着ていないものをほしがるのです。

しかし、産地・組合は生産効率向上のために、デザインの規格化をしようとした。これがそもそもの間違いです。

デザインを無視して、機能で内地物に勝てるのは沖縄に置いては宮古上布だけしかありません。

だのになぜ、そんな暴挙をしたのか?

消費者をみないで、生産量を上げることしか考えなかった。そしてそれを助長したのは造れば取る問屋が居たことです。

ですから、もうここで気づかなければいけないのです。

誤解しないでください。『節を曲げてまで売れる物を造れ』と言っているのではありません。

あなたの作品を良いと思ってくれる消費者はどんな人で、その人に喜んでもらえる作品を作り続ける事、こそが大事なのです。

私が良くないと思っても、好きだという消費者はいます。その逆ももちろんあります。

自分の作品の良い所、悪いところを知り、作品を愛してくれる人はどんな人かを知り、その人を満足させる作品を世に送り続ける。そして、その輪をどんどん広げていけばいいのです。

あなたが良いと思って造った作品は、かならず他にも良いと思ってくれる人が居るはずです。だから、自分で良いと思う物を手を抜かないで作る事です。そして、そこに『消費者の笑顔と満足』を思い浮かべるという作業を付け加える事です。

こCS(=Customer Satisfaction)の概念を常に忘れないで、あなたの作品を愛してくれる消費者を決して裏切らない。

それは品質・デザインはもちろん、流通にも責任を持って、へんなお店で売られたり、不当に安く売られないようにするべきです。

それも、すべてマーケティングなのです。

7−2 購買意思決定の分析

まず、はじめにポイントというか用語を整理しておきましょう。

購買意思決定:購買する場合、消費者は購買可能な製品・サービスの中から裁量の物を選ぼうとする。さまざまな選択代案を知覚して、それらを評価すること。

消費者情報処理:消費者は複数の銘柄について、これらの多岐にわたる属性とその細目を何らかの形で知覚し、評価しなければならない。このプロセスを『消費者情報処理のプロセス』という。

ヒューリスティクス:知覚や評価の進め方のルール。マーケティングにあたっては、どのようなヒューリスティクスがターゲットとなる消費者の知覚と評価を導いているのかを十分に考慮する必要がある。

手段−目的の連鎖:消費者の必要や欲求を手段と目的の連鎖的な構成物としてとらえたものである。

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この『もずやと学ぶ染織マーケティング』ですが、テキストは『ゼミナール マーケティング入門』という本を使っています。

なぜ、この本にしたかというと、私が学生時代に使っている本は内容が古いと思ったこと、基礎的なことをわかりやすく書いていること、例がたくさん引かれていること、そして、著者の一人に村田ゼミの先輩の嶋口充輝さんがふくまれていたこと、等です。

この本を何で探したかというと、アマゾンです。まず、マーケティングと書き込んで検索する。そうすると何冊も出てきます。その中で、入門書を探す。薄っぺらい物だとすぐに終わってしまって面白く無いので、そこそこの分量があるものにする。そして最後は著者です。マーケティングと言っても出来れば同門の学者さんが書いた物が私としては受け入れやすい事は間違いなく、それらを総合してこの本に決めたわけです。

  • この勉強会の記事を読んで下っている方が最近多くなってきて喜んでいますが、もし、テキストを買っていらっしゃらないなら、ぜひ、お買い求めください。私は何の利益供与も受けておりませんが、本代をケチってはいけません。とくに学生さんは、いまのうちにいろんな知識を詰め込んで置いてください。あとになって必ず役に立ちます。

話はそれましたが、つまり、アマゾンで知覚し、購買意思決定プロセス、目的−手段の連鎖を経て、購入したわけですね。

ちょっと考えて見ましょう。

沖縄の染織においては、どこに問題があると思いますか?

評価するためには、事前に情報が必要だということは分かりますね。

知覚されるだけでなく、評価されるためにも、露出=アピールが必要な訳です。

では、着物の場合はどんな感じになっていますか?

最近は、雑誌でも、本でも沖縄の染織を取り上げていることが多くなってきましたので、消費者の方のほとんどはそこで情報を得ているのでしょう。

あとは、展示会ですよね。店頭に常時沖縄物を置いているところというのは、ほとんどありません。

でも、着物を初めとする衣料品が正しく知覚・評価されるのに、写真や画面、あるいは生地の状態で見るというので、本当に十分でしょうか。

とくに高額品の場合、本物を観る事さえ、困難です。風合いや色合いなど、どんなに技術が進んでも、正しく質感が伝わることはないと思います。

ですから、私は基本的に作品をネットに載せることをやめました。

京友禅などの場合、どんなところで見て、評価のための情報を掴むかといえば、内地では結婚式やパーティー、京都に行けば芸妓、舞妓が来て歩いています。銀座や新地のクラブに行けば、ママが良い着物を着ていたりします。

沖縄染織は?

どこで着ている姿を見ることが出来ますか?

私はもう何十回と沖縄に行っていますが、街中で着物姿の女性に会ったことがありません。せいぜい、民謡酒場の女性か国立劇場の出演者です。

八重山上布、宮古上布、芭蕉布は着ていると涼しい。裸で居るより涼しい。とくに琉装に仕立てると、風の中に居るようでたまらなく心地よい。

しかし、教科書に書いてあるように手段−目的の連鎖の中で、購買の必要や欲求は『偶有性』を帯びているのです。

つまり、着て涼しいなら、Tシャツに短パンで良いじゃないか、という事もあり得るわけです。

それをどうやって、着物を着せる、とくに沖縄の着物を着てもらうと言う風に誘導するか、それがマーケティングにおいて考えなければならないことなのです。

つまり、暑い夏→着物は涼しい→沖縄

というイメージを確立せねば、浴衣や他の夏物に負けてしまうと言うことです。

夏休み時期に沖縄に行くと、空港では紅型装束の女性が迎えてくれたりします。

でも、なんで、クソ熱い時期に、あんな格好をしているのですかね。

せめて、駒上布くらいを着せて、きりりとカンプーにジーファーの髪で迎えたら、さぞ、観光客も涼しく感じる事だろうと思うのです。

国立劇場に行っても、着物姿の観客を見たことがありません。

私が沖縄で着物姿を大量に見たのは、那覇伝統織物事業協同組合の30周年パーティーの時だけです。

もっているなら、なぜ、もっと着ないのでしょう。

沖縄に来る観光客の中には沖縄の染織に興味を持たれている方も大勢いらっしゃるはずですし、県民の中にも、着ている姿を見れば美しいと思い、自分も着てみたいと思うようになるでしょう。

造る人が自分の作品を使ったことがない、これは本来、恐るべき事です。『良い物を造っている』と言いますが、何をもって良い物と言っているのでしょう。

それは『昔から良い物とされている』技法を使った物に過ぎないんじゃないでしょうか。それが現代人の体や、現在の気候・風土にあっているか、自分で感じてみないで、どうやって良い物が造れるのでしょうか。

昔は王府が品質を管理していましたから、一定の内容は保たれていたでしょうが、今は、吟味出来る人が流通に居ません。消費者にダイレクトに判断がゆだねられてしまうのです。

商人でも、自分が着てみもしない、作者と会ったこともない、どんな内容かも知らない、品質を吟味する術も知らないで、ラベルだけを信用して『良い物ですよ』なんて、よく言える物だと思います。

作家さん個人ではなかなか資金的に作品を買い取ったりすることは難しいかもしれません。とくに宮古上布や芭蕉布などは非常に高価ですし、数量もすくないので不可能でしょう。

だったら、くだらない助成金・補助金を組合に渡すより、県が染織品を買い取って、職員に着せて、首里や国際通りを歩かせればいいのです。

作り手は、B反や不合格反を出してしまったら、自分で買い取って着ればいい。

着て歩く事が、観る人の知覚と評価をこちらに向けることになるのです。

そうすれば、制作においてもまた違った観点が生まれてアイデアが出てくるでしょうし、『着るための着物』『締めるための帯』ということが実感できるでしょう。

造り酒屋の主は、たとえ酒が飲めなくても、味見くらいはして、品質を確かめる物です。それもしないで、良い材料できちんと造ったのだからおいしいはずだ、というのはタダ単なる傲慢であり怠慢です。

沖縄県民自ら、着物を着る事です。

まずはじめに、染織に関わる者から始めましょう。

それが最大のマーケティング活動になると私は思います。

7−3 市場細分化—多様性への対応

ここは、じっくりやりましょうね。

市場細分化というのは文字通りマーケットを属性ごとに切り分けて、誰に狙いを定めるかをはっきりさせることです。

思い違いしてはいけないのは、これは、最大市場を対象とするのではない、ということです。

つまり、ここを狙えば最大のマーケットシェアが獲得できる、という話ではないのです。

実例をあげて考えていきましょう。

わかりやすく、今回は特別にもずやの戦略を見てみましょう。

紬市場。

日本全体を見ると、紬のマーケットというのは、大島・結城を筆頭に、素朴さ、手織りの質感というところから、地味、粋という所にイメージが行っています。

大島や結城のデザインを思い起こしてみてください。

色も柄もあっさりとしていて、淡彩な味わいがあります。

ほんの一部の商品を別にして多彩さや華やかさとうものは無い。

しかし、地味や粋を解さない、それを『貧乏くさい』『ババくさい』と感じる人も少なからず存在する。

そういう人たちの需要を紬市場は無視し続けてきたのです。

なぜ、そんなことになったのか、というと、西日本の多くが友禅市場で、関東に織物市場が大きく開けていたからです。

ですから、西日本では圧倒的に染めが強かった。それと比例してフォーマルの着物を着る場面も多かった。

東京を中心とした関東圏では、冠婚葬祭がかなり前から簡略化されていたこともあり、着物というと、普段にも着るいわゆる着物好きという人が多かった。

自然にしておくと、マーケットの大きさに合わせて、紬は地味に、染めは派手になっていくのです。

しかし、日本で唯一華やかな紬を織る産地があった。あったというより帰ってきた。それが沖縄です。

他産地の紬が地味で似たり寄ったりなのに対し、沖縄の織物だけが華やかで強い独自性を保っていた。

マーケットを地味・派手、織り・染めで区分けしてみると下記の様になります。

 染め好き織り好き
派手好き ☆沖縄☆
地味好き  

ここの、織り好きで派手好きのセグメント(細分化された市場)がガラ空きだったのです。

他のセグメントは強敵が一杯です。言っちゃ悪いですが、沖縄の技術で勝てる道理はありません。技術で勝てなきゃ感性で勝てばいいのですが、400年以上もわびさびに接しているヤマトンチュウにウチナンチュが対抗するのは至難の業です。

大きな市場に割り込むと大きな市場が得られると想ってしまいがちですが、一時的には押しのけられても、必ずまた揺り戻しがくるものなのです。

地味に造った沖縄物が一時的には市場でブームを造っても、結局は、もとの自分たちの慣れ親しんだ物に戻るはずだ、私はそう読んでいました。

しかし、沖縄の人に近い美意識を持った人や、華やかな着物、それも織りの着物が大好きだとかいう人にとっては、全くと行っていいほど、品物が無かったのです。せいぜい色大島くらいでしょうか。

教科書にも書かれているように、人間の価値観といのは決して一つでくくれるものではなく、人それぞれバラバラです。

沖縄の生産体制を考えたら、その供給を裁くのにそう大きなマーケットは必要ないし、長い目で見れば市場の拡大をはかるよりも、沖縄の一番の特長であり魅力である物を発揮させるのが最善だ、と私は考えたわけです。

なにも、沖縄の染織の美しさに惚れただけで、みなさんにいろんな提言をしてきたわけではありません。

きちんとしたマーケット・セグメンテーションによる戦略立案があってのことなのです。

ところが、マスマーケットを信じすぎた問屋などの指導で内地寄り、つまり地味な紬を造らせようとした。

沖縄ブームがある間は良かったのです。

沖縄ブームは時とともに去り、大半の消費者は自然の摂理でわびさびにへの方向へ帰って行った。その反面、本来、ターゲットとすべき派手な織物が好きな消費者の期待に添うことも出来なかった。

結果として、沖縄染織はどのマーケットも完全に把握することが出来ずに、ブームを終えてしまった、ということです。

私の仲間が造ってくれた作品は、私の鑑識眼で選ばれた作品たちですから、華やかな織物・しゃれ物が好きな方の満足をある程度は得ているはずです。そのおかげで、長い間に渡ってご愛顧を頂き、もずやファンのお客様は弊社の着物を継続してお作り頂けるのだと想います。

そもそも、趣味の着物というのは、どれだけのファンを得られるかが勝負であって、多くの人になんとなく買ってもらうのでは、決して長続きしないのです。

ファンを造るというのは、デザインであったり、色であったり、着心地であったり、作家さんの人柄であったりが、その誘因となります。

なのに、中森明菜が松田聖子のまねをしてブリッコしてもファンはつかないのです(古!)

私の恩師の村田昭治慶應義塾大学名誉教授は『恋愛もマーケティングだ』とおっしゃいましたが、まさにそういうことです。

恋愛は相手に合わそうとしてもうまくいかない。ましてや、大衆受けする自分を演出しても相手の心をうつことは出来ない。自分らしい自分をいかに相手に理解させるか、そして自分を受け入れてくれる異性がどんな人なのかを的確に選び出す事が、末永くうまくいくかどうかの鍵なのです。

7−3 消費者をいかにリードするか

昨日、疲れて寝てしまって(^_^;)、1日遅れのアップです。

失礼致しました<(_ _)>

この項で書かれているのは、いかに『マーケティングの独善化』に陥らないか、ということですね。

マーケティングの独善化に陥らないためには、市場細分化の軸を『製品・サービスの属性』から『消費者の属性』へと切り替える事が突破口になると書いてあります。

言い換えれば『ライフスタイル・マーケティング』という事でしょうか。

つまり、どんな生活パターンや趣味趣向を持っている消費者の為に商品づくりをし、マーケティング・ミックスを構築するか、ということです。

着物の場合はどんな感じに考えたらいいでしょうか。

『製品・サービスの属性』という面で市場を切っていくと、着物の場合は振袖・留袖・訪問着・付下げ・色無地・小紋・紬、そして帯の場合は袋帯・名古屋帯・半幅帯と分けられますね。

それぞれに区切って商品開発を行えば、どうなるかというと、着物・帯の場合は着用シーンとひっついてきます。

留袖なら結婚式、振袖なら成人式、訪問着なら結婚式のおよばれやお茶会、小紋・紬ならカジュアルですね。帯もその格に応じて決まってきます。

つまり和装の場合は製品ごとに細分化すると生活シーンごとに自ずとセグメントされることになる。

つまり、和装市場自体は高度に成熟化していて、市場全体を見ると縦横共に敢然な網の目が張られているということです。

生活シーンごと、産地ごと、色柄ごと・・・あらゆるアイテムがそろいに揃っている。

問題はそれを売り手が意識していないということです。

呉服屋さんというのはほとんどが儀式用の着物でご飯を食べています。

儀式用の着物を買うお客様というのは、昨今では儀式の予定が決まってから買いに来られる事が多い。

ですから、いつ、どんなお客様が来られるのか、呉服屋さんには解らないわけです。

だから、店頭には無難な物、どこにでもある普及品が並ぶことになり、実際に売るのは大がかりな展示会になるわけです。

着物というのは専門的に言えば『専門品』(=事前に様々な情報を集めて購買にいたる、日常買わない商品)なので、本来は店ごとに店主の好みというのが反映されているべきだと私は思います。

ところが、先の銀座での展示会でも聞いたように『どこに行っても同じような商品ばかり』というのが実情です。

これは、店主がマーケット・セグメンテーションというものを理解していない、あるいは、品揃えにおいて無策である事が原因です。

私の場合は、デパートの売り場に変わって品揃えをしているわけですから、大手の問屋が出来ない、私ならではの商品構成を考え、商品づくりもします。

それは大手に囲まれて生き抜くための常套手段ですが、もしそれをやらないとすれば、大手と同じ品物をディスカウントして売る以外生きる道はなくなります。

そういう道もあるにはあるのですが、私は選択しませんでした。

いま、どんどんデフレになっていっているのも、和装をはじめとするすべての市場の品揃えに特徴が無くなっている事が大きな原因ではないでしょうか。

つまり、生産が大手によって寡占的に牛耳られていて、流通もこれまた、大手の寡占状態にある。

そうなると、商品はコモディティ化するのです。

コモディティというのは、お米や豆のように差別化されない、簡単に言えば相場で動く商品です。

こういう商品は一つ一つ吟味されることなく、丼一杯いくら、1トンいくらで取引される。着物なら一山なんぼ、という世界です。

現実にそうなりつつあるんですよ。

ちょっと前に、ある商品が10点で5000円という話を聞きました。

私は、パジャマ代わりに病人用のガーゼの寝間着を愛用していますが、他の着物も同じような事になりつつあるわけです。

だいぶ話はそれましたが(^_^;)、そもそも、着物というのは嗜好品なのですから、お客様はもちろん、扱う方も、造る人も自分の好みを最前面に打ち出すべきだと思いますし、その事が自動的に市場細分化、ターゲットマーケティングに繋がると思うのです。

もちろん、中にはセンスの悪い人もいるでしょうが、誰にも認められないセンスしか持って居ない人がこの仕事に携わっていること自体が無理なわけですし、

転廃業を考えられた方が業界のためだと思います。

私は、私が好きだ、美しいと思う着物は、他の誰かも同じように思うはずだという信念を持っていますし、制作をお願いするときも、買い付けをするときも、そういう気持ちでやっています。

『お客様の顔を具体に的に思い浮かべて』仕入れする、という話をよく聞きますが、『じゃ、外れたらどうするの?』と私は率直に思います。

私の選んだ、あるいは指図した着物を買ってくださる方が私と同じ美意識や価値観を持って居るとするならば、つねに誰かが買ってくださるはずです。

ですから、私とお付き合いある作家さんは耳にたこ焼きが出来るくらい言われているのが『自分の好きな物をつくりなさい』という言葉です。

『あなたが良いと思って造る着物は必ず誰かが好きと思ってくれるはずです。それともあなたはそんなに自分のセンスに自信がないのですか?無いなら今すぐやめてしまいなさい』いつもこんな事を言って作家さんを脅しています(^_^;)

もちろん、売れ筋の傾向や、コーディネート、着用機会(お茶席など)の観点からのアドバイスはします。

しかし、織るとなれば、少なくとも1ヶ月はその作品と作家は向かい合うのです。

嫌いなヤツとそんな長い間向かい合えますか?

良い作品ほど、早く上がってくる物です。

言葉は悪いですが、『これがワテの作品や。どや!!』と言うくらいの気合いを作品に載せて欲しいのです。

着物市場は高度に成熟化し、飽和しています。

そんなマーケットに規格品をどんどん売りつけようとすることは理に適っていない。

自分の好きな物が具体的にイメージできないとしたら、美術館や画集で絵を見て、好きな絵を探す。その色の構成を真似てみるというのもいいでしょう。

私はやっぱり絵画も、カラフルで力強い作品が好きです。

あなたの目指す市場はあなたの中にこそあるのです。

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投稿者: mozuya

萬代商事株式会社 代表取締役 もずや民藝館館長 文化経営研究所主宰 芭蕉庵主宰  茶人