2−1 製品サービスとは何か。
Navigationは飛ばしますね。
ここでのキーワードは『便益の束』ですね。
『便益の束』とは
消費者が問題の解決を期待する複数の製品・サービスの固まり
の事です。
『束』とは上手く表現していますね。
それで、
顧客とサービスの関係は、購買を行う前に製品・サービスの知識を得る段階から、使用した後に製品・サービスを廃棄する段階にまで及ぶ。
すなわち、顧客にとって製品・サービスとは、認知し、取得し、使用し、廃棄するものなのである。
ということは、買いやすさ、使いやすさ、使うメリット、あとのフォロー、捨てやすさまで、含めての『便益の束』だという事ですね。
ターゲットとする顧客は何を求めているか、競合他社はどのようなサービスを提供しているかといった問題を見極めながら、どのような『便益の束』を提供するべきかを決定していくのである。
じゃ、ちょっとケース・スタディしてみましょう。
宮古上布を題材に取りますね。
まず、宮古上布のターゲットは?
ん百万する盛夏用の麻織物ですから、もちろんかなりの富裕層の女性ですね。
かつ、着物が好きで、着る機会があって、自分で着れる人、という事になりますね。
宮古上布が消費者に与えられる便益とはなにか。
まずは、重要無形文化財としてのネームバリュー=所持する喜びでしょうね。
あとは、涼しいこと。
三世代、100年は着用できると言う信用。
その他は?
基本的に針の穴ほどのマーケット・サイズですから、露出が高い必要はないと想います。
それで、例えば、宮古上布が欲しいという消費者が呉服屋さんの店頭に現れたとします。まぁ、たいていは在庫などないでしょうね。琉球染織展なら、おいてあるかもしれない。
でも、重要無形文化財の宮古上布となると、藍の十字絣のみですね。それなのに、たいていは会場に1〜2反あるかないかでしょう。
これは、選択する、見比べて楽しむ便益を阻害している事になります。
お求めになって、着用いただければ満足されることでしょう。
宮古上布は麻織物ですから、シワになります。
着用すればシワになる。これは至極当然の事です。
そして、だんだんとクタクタになってくる。
これを直すにはどうしたらいいですか?
夏にクタクタの着物を着ていたら、いくら宮古上布でも清涼感は半減ですよね。
真夏は良い着物をピシッと着て居てこそ美しい。
キネタ打ちをし直したら直るんじゃないですか?
そんなこと、呉服屋さん、知ってますかね?
そんなサービス、宮古上布の産地として提供する体制はありますかね?
私達、問屋の在庫も、だんだんと反末がクタりかけてきます。
ん百万もする着物が、あとのフォローが無視されているんです。
すくなくとも、万全の体制をとっているとは思えません。
それと、消費者の他に、もう一つ問屋という客がいますよね。
問屋は在庫を抱えて、小売店の店頭や催事に宮古上布を持って行くわけです。
高価な夏物ですから、そうそう簡単には売れません。
そのうちに、反物を入れてある紙箱がボロボロになってきます。
ん百万する着物がボロボロの紙箱に入っていたら、それはまずいのです。
高級品は高級品なりのパッケージも必要です。
木箱にするだけで、長い流通に耐えることはできるし、値打ちもあがろうというものです。
和装業界が長い流通で、消費者の顔が見えにくいことに問題があるとは想いますが、見ようともしないことは大いに問題だと想います。
『サービスの束』が、高級品にしては細すぎるという事です。
宮古上布のイメージ作りも必要ですし、やることはいくらでもあります。
それを今までは問屋が肩代わりしてきたのですが、これだけ沖縄物が世の中に出回った後では、本気になって肩入れしてくれるところは、おそらく出てこないでしょう。
売れなくなったら、ポイ、です。
ポイされた今、ものづくりの命をつないでいくのは、作り手しかいません。
あるいは、宮古上布を誇りに思う宮古島の人でしょう。
大々的なキャンペーンなど必要はないのです。
問屋や小売店が安心してお客様にお勧めでき、消費者の方が満足と信頼を持って着用を重ねられる体制を作る事が作品の品質とともに重要な束の一つになると私は思います。
いまの、伝統染織はつくることにあまりにもかまけていた。
製品の周りにあるサービスも、品物のうちだとの意識改革を早急にしなければなりません。
2−2新製品・サービスの開発プロセス
- 優れた技術を開発することと、それを製品・サービスとして市場に送り出すこととの間には大きなへだたりがある。この両者の隔たりを埋めるのが、新製品・サービスの開発プロセスである。
まぁ、簡単に言えば、新しい技術をどうやって、実際に役立つものにするか、生活を豊かにするものにするかを考えるということですね。
たとえば、口の中でサクランボの軸を結ぶ事ができるとしますよね。それだけでは、すごーい!で終わりです。この舌のこまやかな動きを何に役立てるのかを考えるのがサービス開発のプロセスということです。何に役立つのか知りませんが(^^;)
図2−3に新製品・サービスの開発プロセスが書いてありますね。
- アイデアの創出
- コンセプト開発
- 技術・収益性計画
- 製品・サービス設計
- 要素技術開発
- 工程設計と生産準備
- 市場導入
このプロセス全体を通じて、マーケティング・ミックスと連動して行くということです。
今回は南風原の絣をテーマにして考えてみましょうか。
- アイデアの創出
ここで行われるのは、いわゆるマーケティングリサーチというやつですね。雑誌やアンケート、業者間の情報などからアイデアを得るわけです。
この過程を通じて、『もっと安くて普段に気軽に着られる絣を作ったらどんなかね?』と思いついたとします。
- コンセプト開発
簡単に言えば、『普段に気軽に着られる』というのはどういう事で、現実にどんな風に着てもらおうとするのか。
つまり、生みだそうとする製品がどんな『ライフスタイル』や『生活シーン』を提案できるのか、ということです。
それで、『普段に気軽に着られる』というアイデアをコンセプトに変換すると、
- 家庭で洗える
- 安価である
- ケアに手間がかからない
- 洋服の中に入っても違和感がない
- 目立たない
などがあげられるのかと想います。
- 技術計画と収益性計画
まぁ、こんなのは当たり前の事ですわな。
そのコンセプトを現実に形にするための技術があるのかどうか、そしてそれが、そろばんにあうのかどうかを考えるということです。
コンセプトを形にする為に、例えば『綿糸』を使うとしましょう。
南風原で綿を栽培して紡ぐなんてことはできませんし、当然コストも合わない。
綿を織る技術はありますね。綿糸を買えばなんとか南風原の中では染織は可能です。
次は、それが採算に乗るかです。
P39に出てきている製品コンセプトと連動する『ターゲット』『ポジショニング』はここで必要となってきます。
ここはポイントですよ。
いろなマーケティングミックスや開発プロセスの構成要素がありますが、それが登場してくるのは、いつどんなときか特定できないのです。それを考えつくのには『経験』と『情報』が必要です。
今回の新製品は安価なものですから、いままでの絣を買っていた人よりも所得の低い層を狙っているわけですね。
市場価格で仕立て上がって10万以下という感じでしょうか。
ポジショニングというのはその製品が市場の中でどんな位置をしめるかという事ですね。要は、『その製品の存在価値』の置き所という感じです。
縦軸に価格、横軸にフォーマル→カジュアルと取り、市場を割っていくと、
新しい製品は、低価格でカジュアルの右下の方に位置します。
いままでの絣から価格帯として2段階下げたものと位置づけるとします。
その周りにある商品群はなにか?
10万前後のカジュアルの着物・・・
手織りではありませんね。案外この部分の手織り製品はありません。
ということは、もしかしたら存在価値があるかもしれない。
それで、綿糸を手でかすり括りして、手織りで織って、市場価格10万でいけるのかどうかです。
無理ですね。
いくら大量生産して、効率を上げても無理だとします。
南風原の絣として伝統工芸品となるためには手投げヒを使わないといけません。
ここは、崩せない要素です。
ということは、絣を減らす、経絣だけにする。あるいは縞にする。
これでどうですか。
また、色を規格化して、5色にしぼって、大量に糸染めをする。
悪知恵ですが、糸の染色は外部委託する方法も考えられます。
それでだめなら、ポジショニングとターゲットを変えるのです。
現実とすりあわせしながら、市場における製品の位置を変えて試してみる。
この作業を繰り返していくのです。
- 設計から試作・生産へ
上のようにして考えたプランを現実に形にしてみる作業です。
ここで、本当に実現可能なのか、できあがった商品を見て、競争の中で勝ち目があるのかどうかを、現実の問題として考えてみるのです。
できあがった、シンプルな綿の絣あるいは縞のきもの。
これが10万円で消費者に受け入れられるのか。
ここでも必要なのは、『経験』と『情報』です。
いままでは、問屋がこの二つを提供する機能を担ってきました。
いわば、作り手は市場活動において受動的な立場であったわけです。
作品づくりは能動的であっても、市場においては、問屋や消費者に選別され、指図されるだけの存在であった、それが現実の姿です。
しかし、これからは、自らの手で斬り込んでいかねばならない。
問屋が『こんなの作ってみたら』と言うのを『イヤ!』とか言っているのではなくて、自分で納得して自分らしさを市場の中に押し出す知恵を得る。それがマーケティングなんですね。
生産活動と市場活動は重なってはいますが同じではない。
市場を見ない生産活動は、闇雲にトロール漁船を出してエチゼンクラゲを捕っているようなもんです。
話はそれましたが(^^;)、糸や機に向いている目をほんの20度ほど上にあげて、市場を世の中を見てみる。これがマーケティングマインドの導入です。
- 市場導入
この段階で、最終的に市場に投入されるわけですが、マーケティングはここでも終わったわけではありません。製品の売れ筋や売れ行きを見ながら、修整を加えてかねばなりません。マーケティングとは市場との会話です。同じ綿の絣でもどんな色がよく売れるのか、どんが柄が好まれるのか、季節によってそれは違うのか、もうすこしターゲットを高所得者層に変えてみようだとか、案外年配者が若向きの色を買っているから、それに向く色を増やしてみようだとか、いろいろ市場が教えてくれるわけです。そしてそれをまた上記のプロセスで組み立て直してみるわけですね。
作り手の中には、『私は作るのが好きでやっているのであって、売れても売れなくても良い』というなら、それはそれでいいのです。それも工芸家としてあってもよい姿勢です。ただ、マーケティングの発想法は染織家として食べていけるようになりたいと言う人の助けになるだろうと想います。また、売れない事を他人のせいにしている人には、自己を分析し反省する材料を提供するものともなるはずです。
大切な事は、作っている作品は消費者に着てもらって初めて命を得るのだという事です。いくら織ったり染めたりしても、着てもらわない着物は彫っただけで魂の入らない仏像と同じです。それはそれで観賞用として存在価値はあるけれども、本来の価値は発揮されないのです。
要は、自分の価値観・美意識の中で作り出された作品にどうやって『命』を吹き込むか、その作業工程と発想法がマーケティングなのだと考えたらいいと想います。
ただ、売り込むのでもなく、市場におもねるだけでもない。
自分を、そして自分の作品を正しく評価してもらうために工夫する術なのです。
2−3アソートメントのデザイン
アソートメントというのは簡単に言えば品揃えとかラインナップという意味ですね。
『製品・サービスのアソートメントは、企業が扱っている製品・サービスの「ラインの数(カテゴリーの数)」と、各ライン内の「アイテムの数」とによってとらえる事が出来る。前者を製品・サービスの「ラインの広がり」、後者を製品・サービスの「ラインの奥行き」という』
このテキストではトヨタ自動車が例に挙がっていますが、これはちょっと微妙なんですよね。
なぜかというと、市場におけるその会社の位置づけによって、アソートメントの戦略は変わってくるからです。
これを『競争対抗戦略』と言いますが、企業を市場における位置づけで四つに分類して、その戦略を類型化する考え方です。
目次を見てみると、この事はテキストに掲載されていないようです。
私が大学時代に学んだのはこのテキストの著者の一人で、村田ゼミの先輩である嶋口充輝さんが書かれた『戦略的マーケティングの論理』という本です。
アマゾンで中古本が売ってますから、良かったら詠んでみてください。
ここで、簡単に説明しておきますね。
企業は、市場における位置によって、リーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーの四つに分けられます。
それぞれの戦略的特徴は、
- リーダー[オーソドックスな戦略]
全天候型戦略
市場シェア、利潤、名声を追求する
- チャレンジャー[差別化戦略]
経営資源ではリーダーに劣るが同一市場を狙う
リーダーに対する徹底した差別化戦略
リーダーに取って代わることを狙う
- フォロワー[模倣戦略]
リーダー、チャレンジャーが争っている部分を避け、二次市場、三次市場を狙う
リーダー・チャレンジャーの模倣戦略
- ニッチャー[市場特定化戦略]
特定市場部分にのみ経営資源を投入し、そこに独自能力を集中発揮するゆえに、利潤と名声を得つつ、相対的にかなりの強みを有する。
私の場合、この市場対抗戦略のモデルが自らの戦略を練る上での土台になっていますね。
かつての自動車市場では、リーダーがトヨタ、チャレンジャーが日産、フォロワーがマツダ、ニッチャーがホンダと言われていました。
今はずいぶん違いますがね。
今は、リーダーはトヨタで変わりませんが、チャレンジャーはホンダ、日産はニッチャーになっているという感じでしょうか。
この類別は市場シェアと連動する場合が多いですが、必ずしもそうとは言えません。そこが面白いところで、家電なんかはどうでしょうね。
リーダーがパナソニック、チャレンジャーがソニー、フォロワーが東芝・日立、ニッチャーがシャープでしょうか。
お菓子とか清涼飲料水とか、当てはめてみると面白いですよ。
それで、肝心の染織の世界はどうか。
これは、小売店や問屋の世界で考えるとわかりやすいのですが、差しさわりがあるので、やめときます (^^;) 自分で考えてみてください (^o^)
産地別で考えてみましょう。
織物はわかりにくいので、染め物で行きましょうか。
リーダーは圧倒的に京都ですね。
チャレンジャーは・・・不在です。
フォロワーは十日町
ニッチャーはその他、東京、金沢、そして沖縄です。
ニッチャーの戦略はどうでしたか?
特定市場部分にのみ経営資源を投入し、そこに独自能力を集中発揮するゆえに、利潤と名声を得つつ、相対的にかなりの強みを有する。
ということです。
いいですか?
独自能力を集中発揮するゆえに、かなりの強みを有するのです。
すなわち!
フォロワーの様な模倣戦略をとっては、市場において存在価値を失うということです。
フォロワーである十日町の戦略はどうですか?
京都の模倣を基本にした、低価格路線です。
これが、分業されていない加賀友禅や紅型で可能ですか?
ニッチャーの戦略は簡単に言えば、すき間戦略です。
京都がやらない、やれない部分に集中して強みを発揮するのです。
ということは、京友禅とは存在領域を分けるということです。
ですから、沖縄は沖縄のよさ、金沢は加賀友禅独特の良さを、最大限に発揮するための努力をすべきであって、京友禅の美意識にすり寄ることは、埋没を意味するのです。
美空ひばりがどんなにうまくても、カンツォーネではミルバに勝てっこないのです。
京風の紅型がいいなら、京都の人が紅型をやるでしょう。
京加賀が本加賀に勝てないのは、金沢の人の持つ美意識に加賀友禅が合っているからでしょう。
紅型だって同じです。
ですから、沖縄は、京都の後追いや模倣をしてはなりません。
あくまでも、独自性を追求することこそが生きる道であると考えるべきなのです。
商品のアソートメントもそこから考えなければなりません。
紅型の強みはどこにあるのか。
キモノなら留袖、振袖、色留袖、訪問着、付下げ、小紋とあります。
そして、帯ですね。
そして、小物。
どこに、どう使ったら、紅型のよさがきわだつか。
その特性を踏まえることがアソートメントを考える一番の基本だと想います。
2−4 価格の役割
- なぜ価格のデザインを行うのか。
おもしろくなってきましたね(^o^)
ポイント
- いかにすぐれた製品・サービスであっても、適切な価格で提供しなければ、買い手は購買しようとしない。
- 価格の設定を通じて、製品・サービスに対するプロモーションの効果を高めたり、取引条件を改善したりすることもできる。
『価格とは、製品・サービスを購入する際に、買い手がその対価として支払金額のことである』
『価格デザインの中心的な問題は、製品・サービスの価格をどの水準に設定sるかという問題である。生産に同じ費用を要する製品・サービスでも、価格を高く設定した方がよい場合もあれば、低く設定したほうが良い場合もある』
ここは大きなポイントですね。
大切な事は、価格をかかったコストにもたれて設定してはいけない、ということです。
これは『芸がない』と俗にいいますね (^o^)
価格とは、製品やサービスの対価として支払う金額の事なのです。
生産から流通に渡るコストや利益の累計ではない、ということです。
つまり、結果として『価格は消費者が決める』
もっと簡単に言えば、『価格を受け入れるかどうかは消費者次第だ』ということですね。
世の中には価格に対して『良心的』とか『リーズナブル』という言葉がよく使われます。
でも、現在においては価格は決してリーズナブルではないし、社会的に見て良心的なものが中心となって動いてはいません。
着物に関しては原価を下回っているものもあるし、それが結果として生産者を苦しめています。
これはリーズナブルでも良心的でもありません。
しかし、消費者が受け入れた価格がその商品の価格であると、結果的にはなってしまいます。
消費者は受け身であるけれども、主導権を持っていると言うことです。
求婚と同じですね。
男性がプロポーズしなけば、女性が受け入れるということもない。
では、男性が決めるのかといえば、決めるのは女性です。
男性は事前にいろんな手段を講じて、女性にイエスと言わせる下ごしらえをします。
悪く言えば包囲網をかけていく。
でも、男性がどんなに自信があって、社会的に価値ある人だとしても、求婚を受け入れるかどうかは女性の判断にまかせるしかしょうがない。
これが自由競争というものです。
なかには、半ば強引にというケースもあるようですが・・・ (^o^)
大きく横道にそれましたが、
つまり、価格は消費者が受け入れた時点で確定するけれども、流通が提示しないことにはその実現は無い、ということです。
いまの呉服業界はどうでしょう。
完全なる価格崩壊です。
着物ファンにとっては、嬉しいことかもしれません。
しかし、私は、これは将来に禍根を残す業界の大失敗だと想います。
バブル崩壊から、金融危機、つい最近のリーマンショックと着物の価格は、まるで下りのエスカレーターのように右肩下がりを続けてきました。
これは、着物は高いから売れないのだという声や、過剰生産のはけ口を求めた事など、様々な原因があります。
でも、基本的に着物市場の需要が絶対的に減少したのだという理解が全く不足していた事が原因ではないかと思います。
その上に、ネット販売の拡大や、NC(大手チェーン店)の過量販売によって信販がくめなくなったのも大きな原因でした。
でも、このままの状態では、新たな生産が出来ません。
コストが全く見合わないからです。
なぜ、こんなことになったか?
流通が市場を無理に広げすぎたからです。
それも、莫大な借り入れをして、市場をこじ開けたために、販売縮小ができなかったのです。
なぜ、そんなことが出来たのか。
それは、低金利政策のおかげです。
でも、状況は一変した。
低金利政策で金は借りやすくなったが、金利所得で贅沢品を買う人が減った。
その分、ローン販売で裾野を広げてきて、成功したのですが、そのローンが組めない。
信用と、利潤と、作り手の将来と・・・
価格政策の失敗はあらゆる物を破壊してしまいます。
伝統工芸においては、画期的な技術革新は望めません。
大増産してコストを下げても、それを受け入れるだけのマーケットも無いのです。
伝統染織の世界は、作り手も流通も犯してはならない罪を犯した、と言うしかありません。
とても残念ですが、認めねばならない現実です。
その落ちた価格から、どうやって元に戻して、作り手が生活していけるレベルに戻すか、それを考えなければいけません。
限定的ですが方法はあります。
消費者の方からよくお聞きする話は、問屋や小売店が利益を取りすぎだ、という事ですが、これは現状では正しくないと想います。
結果として、消費者の方は産地まで直接買いにおいでにならないし、直接消費者に売る作り手は流通が相手にしなくなります。いつお越しになるかもしれないお客様を待って作るほど、作り手はのんきでも裕福でもありません。もちろん、限られた人はやるでしょうが、業界全体としては現状では非常に困難です。
価格を下げて品物を出した作家が同種の流通から締め出されるという例は枚挙にいとまがありません。それは、いろんな理由がありますが、流通が悪いともあながち言えないのです。現状では、作り手の安定した制作と生活の為には流通の役割は無視できないという事だろうと想います。
優秀な流通ほど、価格動向をきちんと見ているものなのです。
そして、価格が品質と同じくらい店の信用を担っているというのも事実なのです。
価格に関しては、現在のところオープンプライスですが、作家は自分の作品の希望小売価格を設定してみるべきだと想います。
例えば着尺を100万円で小売して欲しいと想えば、各流通段階にいくらで出せばいいのかが算出できるはずです。自分の希望する流通ルートの設定もできるはずです。問屋を通すのか、問屋を飛ばして小売りに自分でアタックするのか。その両方なのか。流通のどの部分に商品を流すかによって作家出しの価格を決めればよい。それを一緒くたにするから、おかしな事にもなるのです。作家が自分で流通政策を決めて、価格をコントロールする。これは永く仕事をしていく上で、非常に大切な事です。
価格が壊れるのは、作り手の流通の無理解や、流通の市場無理解が原因です。
産地とつながらない個人作家なら、個人が壊れるだけですみますが、産地がバックにある伝統工芸の場合、産地と歴史が壊れてしまいます。
価格政策は大所高所に立って、将来、道を継ぐ人たちのことも考えて、あくまでも長い目で行わなければなりません。
- 『安さ』の魅力
ここでは本文よりも、コラムに書いてある『ロス・リーダー』(目玉商品)について考えてみたいと想います。
『製品・サービスの価格は一般に、生産や調達に必要とされるコストを回収できるように設定される』
これが大原則です。
でも、それを下回って出てくる品物があります。
これがいわゆる『目玉商品』です。
スーパーのチラシなんかにデカデカと出ている品物です。
卵10個で10円とかいう、あれですね。
これが、着物市場にまで入り込んでいます。
人間国宝の帯と着物で○○万円。
えっ!? です。
これを客寄せに使って、他の利益をたっぷり載せた商品でもうけようという戦術ですが、これが破綻しています。
いま、結果として、目玉しか売れなかったという話を良く聞きます。
それは、小売りや問屋が損するだけで済みますが、もっと大きな問題があります。
目玉は、低価格のイメージ効果が出やすい物が対象になりやすい。
沖縄の物でいえば、芭蕉布なんかがそうですね。
一般的に非常に高価で、希少性も高く、ネームバリューもある。
しかし、作家の格(ランク)と価格は正比例していないと、正常な市場は形成されません。
簡単にいえば、同じ産地の物で、人間国宝が作った物と、芸大出たばかりの新人が作った物とでは厳然たる価格の差がなければ、市場の天井は落ちてしまって、市場全体が壊れてしまいます。
プロ野球の世界で年俸が永く低く抑えられていたのは、王・長島が年俸闘争をしなかったからだと言われています。落合が天井を上げたからいまの一億円プレーヤー乱立という時代になったわけです。
ところが、人間国宝の作品が、中堅どころの作家の価格より安くなったらどうでしょう。
具体的には、人間国宝の作品が10万円で出されているときに、中堅は7万、若手は5万で出ていたのが、人間国宝の作品が5万で出るようになった。あるいは、人間国宝自体が出し値を下げた。
中堅は5万、若手は3万・・・
これでやっていけると想いますか?
工芸のトップにいる人は、強烈な自覚を持たねばなりません。
トップの人が高い値段を通しているのは、窮地に陥ったときでも、値段を崩さないための保険だと想うべきなのです。
自分の作品の価値だと思い上がってはいけないのです。
トップに君臨する作家は、絶対に天井を下げてはいけない。
安く売る流通があったら、そこから品物を引き上げるくらいの覚悟をしてもらわなければいけませんし、そのために、それまで高い価格で通してきたのです。
値段が通らなければ、品物は出さない。
それが、王座に座る物のプライドでありましょうし、将来を担う人たちへの責任です。
誰だってお金は欲しいし、豊かになりたい。
そして、現実に生活をしていかねばならない。
だからこそ、価格政策においては、自我を抑制し、周りをよく見て、また、自分の立場を十分にわきまえて、判断すると言うことが必要なのです。
2−5 戦略的な価格デザイン
ここは本当に面白いですし、生活の中でも、実感できる部分が多いのではないでしょうかね。大半の話題は教科書を読めば解るでしょうが、少しずつみていきましょう。
<需要の価格弾力性>
価格弾力性というのは経済学の用語です。
つまり、なんぼ値段あげたら、どんだけ需要が増すか、そういう話です。
値段さげても、大して売り上げ上がらないのに、値段さげてもしゃーないやん。
下手したら、かえって売り上げ落ちたやん。
そんな話がよくあります。
これはその商品が価格弾力性が低いから起こることです。
ですから、価格を下げるときには、結果として絶対に成功させなければならないと言うことです。
私は、下げて、売れなかったら、商売人として恥や、と思っています。
なぜか?
自分の扱っている商品の特徴や市場の特性を把握していなかったということになるからです。
これは、経済学とマーケティングを学び、商人として生きる者には、耐えられない屈辱です。
まぁ、自分の事は良いのですが(^_^;)、教科書に書いてある通り、値段をあげたら逆によく売れる様になった、という場合もあるのです。
ここが面白いところです。化粧品や健康食品なんかはそういう傾向があるそうですね。
これは『価格に依拠した価値の推定』がされていると判断するわけです。
つまり、こんだけ高かったらよう効くやろ、と考える、ということです。
教科書に書いてあることは、実はマーケティングという学問の本質を表しています。
経済学では、変数として取る物以外を一定と考える。そしてその変数の相関関係を考察していくわけです。
でも、マーケティングは、その変数から数式やらを、まわりの別の要素を使って揺り動かしてやろうとするのです。
経済学的に言えば、良い食材を使って良い料理人が調理すれば、美味しいものが出来ると考える。でも、マーケティングは、その前に、食べる人の好みや、空腹感、料理を出すタイミング・組み合わせで、その前提を突き崩そうとするのです。
ここで、ポイントです。
- 一般に、短期的には、価格を引き下げることで製品・サービスの販売料は増える。だが、長期的に見ると、価格の低下は、製品・サービスに対する顧客の評価を低下させることになりやすい。製品・サービスの価格を設定する際には、短期的に直面する需要の価格弾力性だけでなく、価格に依拠した価値の推定から生じる長期的な影響についても配慮することが必要である。
基本中の基本ですね。
昔、ヒロタのシュークリームというのがありました。
とても美味しいシュークリームで、幼い頃に両親がお土産で買ってきてくれるのが楽しみでした。ところが、あるところから、値段を下げた、ところが、その分、小さくなって、カスタードクリームの量も減って美味しくなくなった。
そんな経験を誰しもがしているわけですね。ですから、値段が下がったら、その分、品質も悪くなっているんではないかと、誰もが疑心暗鬼の眼を向けるわけです。そして、誰も買わなくなって、ヒロタのシュークリームはどこかに消えてしまいました。
この価格に関する話は、主婦にとってはとてもわかりやすい事だと思います。
それだけに、いかに価格戦略というものを企業は綿密に多角的に取っているかがよく分かるでしょう。
反面、私達和装業界はどうでしょう。
伝統工芸には、技術革新もなく、デザインの大幅な変更や、新たな用途の提案などはほとんど望めません。その中で、あるときはぼったくり、ある時は投げ売り。これは、マーケットインでもなんでもありません。安定した需要は安定した供給とそれにともなう安定した価格があってこそ生み出されるものだと私は思います。
私は街を歩くとき、すべての商品(もちろん和装品以外も)の価格をあてっこして行きます。商品を見て、その商品の価格を当てるのです。そして自分の商品を見る目と価格感覚を養い、世間とのズレを修整していくのです。
デパート、スーパー、大阪なら船場センタービルなどで、どんどん端から端までやっていく。
もちろん、高級とされる着物も宝石も、美術品も。
なんのためにするかといえば、適正価格を導き出すためです。
それが出来ないと、仕入れが出来ないのです。
作家さんが出した作品を見て、それがいくらで売れるか。
作家さんが提示した値段を聞いて、それで採算がとれるのかどうか。
そのためには、その時点での市場動向と、他の同じ分類の商品とのバランス、品質、デザインなど、ありとあらゆる要素を考え合わせて仕入れするかどうか判断するのです。
ですから、新人作家でも、人間国宝でも、バランスさえ取れていればOKなわけです。
新人でも、すばらしくセンスが良い、価格は中くらい。これならいけます。
人間国宝で価格が高い。でも、センスが悪い。これはいけません。
価格など他のマーケティング・ミックスを考えるときに大切な事は、
一度プロの世界に入ったら、新人も人間国宝も同じ土俵で戦うのだという認識
を持つことです。
消費者は、新人だからと甘く見てくれません。
序の口が横綱と戦うときにどうすればいいのか。
相撲の世界なら、胸を借りるだけでいいでしょう。
でも、私達の世界は負け続けでは、食べていけませんよ。
才能と努力に自信があるなら、Productの差を他の3Pで補うことです。
同じProductでも、低いPriceなら勝てるかも知れない。
別のPlace,別のPromotion.
対象顧客を変えれば観る人も変わる。評価する人も変わる。
造らなきゃ、腕は上がらないし、買ってもらわないと、仕事は来ません。
ゴルフの様にハンディはありません。
今回の価格戦略をはじめ、マーケティングを自分の制作や販売に生かすためにはできるだけ沢山のパターンを頭に詰め込むことです。
この章に書いてある事例を理解するのはもとより、他の身の回りにある商品の戦略を自分で分析して当てはめてみる。
そうすれば、自分の作品に一番適する戦略が描けると思います。
その時、考えなければいけないことは、自分がどの立ち位置に居るかです。
創作なら何をしてもいいでしょう。
でも、伝統工芸に立脚しているとしたら、それは自分の前と後にいる人の事を考えなければならない。
そこが染織マーケティングを考える上での根幹です。
なぜ、和装業界が現在のていたらくなのか。
それは、作品を大して知らない、愛していない流通がマーケティングをコントロールしているからです。
それは販売が難しいという商品の特性にも起因していますが、基本的には作品のマーケティング・デザインは作り手が主導すべきだと私は思います。
作り手は、品物を問屋に出せば、それで終わり、これでは、せっかくの作品が菜っ葉や大根の様に扱われても仕方がないのです。
今や、菜っ葉も農家が色々工夫をして、味だけでなく安全と安心を、自分の顔と名前でアピールしている時代です。
一番、生活に密着したマーケティング。それは価格戦略です。
まずは、身の回りから見て、じっくり考察してみましょう。
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