民芸運動と観光公害2016/10/20

私は民藝運動家のはしくれと自負をしておりますが、そもそも民藝とはなにか?といえば以下の様に柳宗悦は定義しています。

  1. 実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
  2. 無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。
  3. 複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
  4. 廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
  5. 労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
  6. 地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
  7. 分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
  8. 伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
  9. 他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。

民藝運動の話をしだすと長くなるので話ははしょって行きますが、以上の様に言っておきながら、浜田庄司、河井寬次郎、富本賢吉、芹沢けい助らの個人作家が中心になって運動を展開し、かれらが開く作品展が彼らの作品によって埋め尽くされたのは何故か?
結論から言えば、『カネが無かったからだ』という話を某民藝運動関係者から聞いた事があります。
私自身も色々と理由を考えてきましたが、それでストンと腑に落ちました。
民藝運動を続けるには『お金』が必要だったから、有力作家の作品を民藝作品の名前に載せて、高値で売って稼いだのです。
それに対して、駒場の民藝協会を半ば追放されるような形で、大阪に民藝協団を設立した三宅忠一氏は、実業家であったため、私財をなげうって、民藝の本筋を貫き通す事が出来た。そういうことなのです。
民藝運動が批判される事の一つに『昔からのやり方で、そのままで』と言い続け、生産者の生活を無視していた事があげられます。
『じゃ、あんたんたちは、沖縄に来るのに手こぎ船で来たのか?』と言い返されたのは当然でしょう。
工人には、『昔のままで』と無理難題を突きつけ、『無名で無学な工人』とバカにしていながら、自分たちは清らかな看板を偽って、本末転倒な運動をしている。
民藝作品を観ているとだんだんと解ってきますが、濱田や河井といえども駄作がたくさんあります。
無名な工人の素晴らしい作品よりも、自分たちの駄作を民藝運動の旗頭の下、高値で押しつけたのです。
無論、民藝運動は大きな貢献もありましたし、成果もありました。
しかし、結果としては、『寝返った』と言われても仕方ない事になってしまっていると私は考えています。
人間国宝の個人指定を受けるなどと言うのは、民藝とはまったく筋の違う事です。
いくらどう説明しても、『カネの為に本筋を曲げた』責めは負わなければならないし、その延長線上に工芸デザイナーが民藝協会トップを歴任するという事があるのだろうと想います。

今回のブログでお話ししたいのは、民藝運動の事ではありません。
ひさしぶりに沖縄を回って、観光と環境の事について考えた事をフェイスブックに書いたところ反響があったので、すこし考えて見ました。
題名に書いた『観光公害』というのもおかしな言葉で、公害というのはたいてい観光開発などの経済発展と共に出現してきます。
私の故郷、大阪でもかつて光化学スモッグ、地盤沈下、水質汚濁、土壌汚染など、ありとあらゆる公害がありました。
それは、『東洋のマンチェスター』といわれた経済発展と裏腹でもありました。
ふるさとの川は黒くよどみ、泡を吹いて、魚の住まない川になりました。
体育の授業はしょっちゅう中止になり、運動場には『光化学スモッグ警報』と赤い旗が張られました。
工業の発展で儲けた実業家達は、空気の良い兵庫県や奈良県の高台に移住していきました。
大阪に行けばお金が儲かると、地方からもたくさんの人達が移住してきました。
あいりん地区という日雇い労働者が集まる場所が出来、市民のやすらぎの場所である天王寺公園はあっという間にホームレスの寝床と化しました。
そういう状況を『活気溢れた』と表現する人も多かったと思います。
しかし、それと引き替えに、大阪、堺、河内・・・それぞれの暮らしの彩りを失ってしまったことも事実です。工業の基盤が海外に移り、サービス業中心の産業構造になると、こんどは大阪に観光客を呼ぼうという流れが出来てきました。
海遊館、USJなどが出来てから、私が若い頃とは比較にならない位、観光客が増えました。
昔は、友達が来ても食べ歩きくらいしか思い浮かばないくらい観光するところが無い、そんな所でした。
ミナミや新世界には国の内外から観光客が溢れ、ごったがえしています。
そうなると、観光客相手のお店ができるのは必然です。
ミナミも天王寺も阿倍野も、新世界も・・・私達が古くからなじんだ姿ではなくなってしまいました。
同じ事が沖縄でも起こっている、否、もっと深刻でひどいことになっているんです。
沖縄の南北を貫く58号線を走って、中部までの間、美しい海を観る事はありません。
多くの海岸や浜は埋め立てられ、美しいビーチはホテルに占拠されて見えなくなっています。
波の上ビーチは街中から手軽に行けるビーチとして親しまれていましたが、その眼前に道路が通り、景観は台無しになってしまいました。
沖縄の名物とも言える、色とりどりの農産物、海産物がならぶ市場も、大手SCの進出で壊滅にちかい状況となり、次第に観光客相手の内容となっていきて、いずれは黒門市場の様になってしまうでしょうね。
昔は沖縄に来る前から、飛行機が次第に空港に近づいてくると、青い海が窓から見えました。
だから、みんな窓側に座りたがったものなのです。
窓から離れた席に座っている人も、小さな窓から必死になって青く澄んだ海を見ようとしていました。
ところが今はどうでしょう。
『キレイな海が見たい』
そういわれたら、北部を目指すしかない、そういう感じになっていきています。
リゾートホテルというリトル沖縄の箱庭に閉じ込めて、南国を満喫する。
それが観光客が沖縄に望んでいる事でしょうか。
巨大DFSやアウトレットモール、メインプレイス、ライカムなどで買い物することを望んでいるんでしょうか。
私は行ったこと無いし、行きたいとも想わないです。
それより、地元のスーパーや共同売店、道の駅に行った方が、楽しいし、美味しい物もあります。
『観光客が沖縄に何を求めているのか』そして『沖縄の観光地としての存在価値はどこにあるのか』
はたしてそれを理解して開発は進められているのでしょうか。
沖縄の経済は3Kで成りたっていると言います。
基地、観光、公共事業の3つです。
しかし、この三つの為に、一番大切な先人から受け継いできた資産を食いつぶしているとは言えないでしょうか。
『切り取って額縁に入れる』
今の開発はそういう感じにしか見えません。
これは京都のお寺が高い拝観料を取っているのと同じような事です。
うつくしい自然を見るのにお金がいるのです。
これがまた、沖縄の住民にも適用されるのです。
私は釣りも趣味のひとつですが、釣り歩いてみると、釣りの出来るところが非常に少ないことに気づきます。
海沿いの多くの場所が、なんらかの管理がされている。
つまり、がんじがらめなのです。
話は戻って大阪です。
大阪は様々な文化を産んできました。
大和・河内、そして堺。
これが我が国の文化の生みの親です。
しかし急激な工業化にともなう自然破壊と人口移動によって、その基盤は薄らいだ、私はそんな感じがしています。
あの無機質な街並みから、あたらしい文化がうまれるとはとうてい思えません。
お笑いにしてもかつての人情あふれる喜劇から、滑稽さだけを売りにした薄ら寒いものになってしまった様に思うのです。
沖縄も同じでしょう。
私達は大切な物と引き替えに経済的繁栄を得てきたのです。
でも、もうそろそろ一度立ち止まってみる時じゃないでしょうか。
本末転倒なのです。
豊かな暮らしを得るために経済活動を拡大してきたのに、どうして豊かさが実感できないのでしょう。
民藝運動を標榜している人達が、なぜ機械生産を受け入れて、それをヨシとしているのでしょう。
手段と目的がごっちゃになっているんです。
民藝運動とは、名前の知られた有名作家や、有名陶器店のものではなく、無学な工人の手による物の中に本当の美がある、それを知らせるための運動であったはずです。
沖縄の観光開発も、そもそもは沖縄の経済発展を目指して行われたはずです。
しかし、自然が県民の手から奪われ、お金を払わなければ満喫出来なくなったとき、富裕な県民は、沖縄から離れ、残された人々は、コクリートの壁の中の故郷で窮屈に暮らしている。
いろいろ考えてみると、民藝運動も、大阪や沖縄の経済発展も、主役が思われていたものとは違っていたのかも知れません。
民藝運動の主体は、民藝をつくる工人ではなくて、民藝運動家たちであったのです。
沖縄の観光開発の主役は・・・果たして誰だったのでしょうか。
基地・観光・公共事業・・・
それがなくて沖縄は今の様に豊かになれたのか。
それは否と言わざるを得ないでしょう。
しかし、あまりにも調子に乗りすぎ、乱暴であったのではないでしょうか。
自然や伝統文化を食いつぶしてしまうと、あとに遺るのは荒涼としたガレキのみです。
そこからは何を生むこともできません。
なぜなら、天才は自然の中からしか生まれないからです。
沖縄の染織を見てもだんだんと昔のような力強さや温かみのある作品が出てこなくなっています。
こじんまりとまとまった、売り物にするのに良い物ばかりです。
でも、なにか冷たい。
心を撃つすごみがない。
それは、自然が失われた事と無関係ではないと想います。
那覇の子供達の中には美しい海を知らずに大きくなる子供もいるかも知れません。
沖縄=美しい海
であるのに、その美しい海がない沖縄。
手作りの作品の無い民藝運動。
ノリの無い巻き寿司みたいなものです。

この情報へのアクセスはメンバーに限定されています。ログインしてください。メンバー登録は下記リンクをクリックしてください。

既存ユーザのログイン
   
新規ユーザー登録
*必須項目

投稿者: mozuya

萬代商事株式会社 代表取締役 もずや民藝館館長 文化経営研究所主宰 芭蕉庵主宰  茶人