南部を2軒回ってから沖縄県立美術館に行ってきました。
国展の沖縄展と日本民藝館の『沖縄の工藝』が同時開催されています。
先に国展、後に民芸館展と観たのですが正解でした。
まちがっても逆に観てはいけません。
国展の方は沖縄を意識してか、染織の出品が多いので見ごたえがありました。
大阪市立美術館での出品よりはるかに多いのではないでしょうか。名古屋なんて無きに等しかったですし。
全体的に『こぎれい』な作品が多くて物足りない感じがしました。
デザインは良いのだけれど、織物としての完成度はどうなのかな?と感じる作品もちらほら。
パイルやらローケツやら型絵やらいろいろあって楽しかったです。
民芸館展のほうは、今まで駒場で何度も観た作品も多かったのですが、さすがに内容は良かったです。
しかし、染織以外では濱田庄司や河井寛次郎、棟方志功らの作品が陳列されていたのは腑に落ちないです。
沖縄の作品にもっとスペースをとって、じっくりと観れる様にしたほうが良いのではないかと想います。
濱田や河井の作品もそんなに逸品ぞろいという感じもしませんでしたし、沖縄の陶芸家が観てどれだけ収穫があったか、聞いてみたいです。
3階で民芸館展、1階で国展、という開催になっているのですが、やはり両方見ると染織品を比べてしまいます。
国展のは確かに創意工夫が凝らされていて、近くにじっと寄って、『どないしてつくってあんのやろ?』と分析したくなるものが多いのですが、
民芸館展の染織は、いわば伝統的なシンプルな技法によっていて、文様やデザインも目新しいものはないのですが、どういうわけか、質感とか魅力が全然ちがいます。
作品として魅入ってしまうのは圧倒的に民芸館展の方でした。
紅型もたくさん出ていましたが、『なんで今の作品はあんなんなんだろう?』と考え込んでしまいます。
もう100年以上前の作品ですから、色はさめているし生地も劣化してるはずですが、まず線のイキイキ感が違う。
経験上、元の図案より型を彫ったほうが、よくなるはずなんです。
絵から型に写す事によって、単純化されて、アクが抜けるからです。
でも、今はそうなっていない作品が多い感じがします。
織物でもそうですね。
絣や組織という技法より目立つのはテキスタイルとしての質感の差です。
『手が劣化しているからか?』
そう考えてみました。
でも、違う!と思い直しました。
手じゃない。
『眼』が劣化しているんです。
人間は思えばその方向に近づいていくはずです。
生物の進化は必要とするものを手に入れて来た結果です。
想っていないから出来ないんです。
ということは、何が美しいのか、何が目指すべき本当の姿なのかが、見えていないんです。
それは作り手も、見る人も、使う人もです。
産業革命以降、人々の生活から手作りのものが失われてしまった結果が今の我々の『眼』なのでしょう。
民芸館展では昔の沖縄の工藝の様子が映されたビデオが放映されています。
沖縄の人たちの昔のくらしぶりが垣間見れて私も座り込んで観てしまいました。
工藝に関係する方々は、2つとも是非ご覧になるべきだと想います。
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