『衣服のTPOと着物のしきたり』2016/2/24

洋の東西を問わず着衣には習慣やきまりごとが存在する場合があります。

それをドレスコードとか、我が国ではしきたり等と呼びます。

私は日本全国あちこちに着物をもって巡業しておりますが、地方地方で着物はもとより、冠婚葬祭のきまりごとも違います。

呉服屋ですから、ご婚礼にまつわる事のお手伝いもさせて頂いてきましたが、全国の市場で一般論をもってして対応することは不可能でした。

ですから、地元の営業の方に習慣を細々と聞いて、お勧めするとき等に役立てております。

関西でも、大阪、奈良、京都、兵庫、和歌山とそれぞれ違います。

大阪の中でも、摂津、泉州、河内地区では微妙に違う。

婚礼だけでなく、ご葬儀も違います。

宗教によっても全く違いますので当然ですね。

奈良は天理教の方も多いですから、習慣をお聞きして驚いた事もあります。

私の様な仕事をしていると、それぞれにきめ細かく対応しなければならないので、地元の方に色々とお教えをこうことも多いです。

なんにしてもそうですが、『これはこうだ』と決めつけるのは非常に危険ですし、商売の場合はお相手もあることですから、独りよがりは許されません。

私が巡業している地区なら解りますが、そうでない場所の習慣はわからない、それが正直なところです。

もともと我が国は、小さな国の集合体で、それぞれが独特の文化・習慣を持っていましたから、あたりまえといえばあたりまえです。

沖縄もその国のひとつと考えられる訳ですから、そう思えば、習慣やきまりごとをひとくくりには出来ない事は自明なのだろうと想います。

沖縄を例にあげますと、まず『家紋』というものがありません。

『家紋』を持つおうちは、王であった尚家の末裔と、久米三十六姓といわれるシナからの渡来人の末裔だけです。

正装も琉装と呼ばれる形ですし、実は琉球以外でも、衣服の形はちがっていたのかも知れません。

いまの『しきたり』らしきものが一般化したのは、主に戦後で、高度成長期を経て、豊かになると共に定着していったと考えて良いと思います。

ヨーロッパに目を向けると、1800年代まで身分の高い女性は、大きなヒダが着いたドレスを、きついコルセットで締め付けられて着用していました。

それから貴族階級が崩壊し、女性の社会進出がはじまって、軽装化が進みます。

そこに登場したのがココ・シャネルなどのデザイナーです。

シャネルスーツというのは、働く女性がそのままの姿で夜会にも行けるという事で受け入れられていったんです。

100年前ならとんでもないと想われていた服装が、盛装として通用する事になるわけです。

私は民俗学の本を読むのが好きで、明治時代くらいまでの各地の様子をそこから知るのですが、本当にびっくりするくらい、想像を絶するほど現代とは違っています。

全国がある程度統一した価値観に支配されるのは、戦後テレビが普及してからと言ってもいいんじゃないでしょうか。

ですから、衣服のきまりごとやセオリーは、時代によって動いていく物で、『昔からこうです』とか『こうあるのが本当です』なんていうのは無いんです。

今、周知されている事や、私達プロがお手伝いさせて頂く上で基本としている事は、『今の常識』に過ぎません。

茶道の着物のきまり事について、宗匠にお聞きしたところ、家元としても流派としても、なんの決め事もしていないそうです。

ただ、お免状を頂くときには『これこれこういうのがいいよ』という言い伝えのような物があって、それに準拠されているんだろう、という事だったと想います。

花柄はダメとか、こんな色はダメとか、全然ないのです。

緑はお茶席には着れないという茶道の先生もいらっしゃると聞いて仰天したこともあります。

利休時代にどんな出で立ちで茶の湯に臨むのが良いと言われていたか、ご興味がおありのかたは山上宗二記をご一読ください。

考えてみれば解ると想いますが、昔は今のようにたくさんの布が無いわけです。

糸は手で紡ぎ、織は全て手織り。

化学染料も無く、もちろん全て手縫いです。

そもそも、綿や桑を育てるのに農薬もないわけです。

着物にかなりの財産価値が認められるくらい、貴重品だったわけです。

あれこれTPOに合わせて、引っ張り出して着れるのは、一部の富豪だけだったはずです。

たくさんの布が世の中に出てきたのは、戦後、高速織機が出てきてからです。

ただ、昔こうだったからといって、今それを適用するにはムリがあります。

昔は紬に黒紋付の羽織を着れば結婚式に出られたと言いますが、それが真実だとしても、今のこの時代には、おすすめしかねます。

私が中学生くらいの頃は、入学式卒業式といえば、色無地に黒紋付の羽織というのが定番でした。

でも、そこから5年くらいたつと、そういう出で立ちのお母さんはほとんど見られなくなりました。

羽織に関して言えば、私がこの世界に入ってから一度も注文を承ったことがありません。

そもそも、市場で羽尺というものを見なくなりました。

沖縄でも手縞が礼装として着られていた事も完全に忘れられているような状況です。

衣服の決まり事というのは、その時時の時勢、習慣、常識が反映していて、これで絶対永遠不滅というのはないんです。

これは我が国に限ったことではなくて、全世界共通だと想います。

季節の衣替えも、北海道から沖縄まで全く同時期に、というのも、とてもじゃないがムリがあるように想います。

沖縄だと袷のきものを着れる時期はせいぜい11月から3月くらいでしょう。

それ以外だとアセモだらけになってしまいます。

私が普及活動をしている琉装は、沖縄の気候に大変あったものですし、沖縄の伝統的な衣裳の形の一つですから、沖縄の方には是非お勧めしたいのです。

ちょっと冗長になってしまいましたが、『何をどう着るか』で一番大切なことは、状況判断です。

どんな場所で、どんな内容で。

人と会う、人の集まるところに行くのなら、その人達との関係。

そして、自分がそこにどんな気持ちで出かけていくのか。

着物の値踏みをされたり、コーディネートをチェックをされているようで、プロを敬遠するようなお話をよくお聞きしますが、私達が見ているのは、着物の質やコーディネートよりも、その方が装いで何を語ろうとしているのかに興味を持ち推量しているんでs。

どんな上等な着物でコーディネートも着付けが完璧でも、似つかわしくない場所もある。

簡単に例を引けば、主役より目立つ様な衣裳を着けてはいけない場合もあるわけです。

つまりは『わきまえ』も重要な要素なんですね。

今の着物にしても洋服にしてもそうですが、何を着るかに関して、この『わきまえ』が欠けている感じがします。

また、本来この『わきまえ』こそが日本人の美徳であり、日本文化そのものなのです。

実際なかなか、難しい事ではありますが、着ていく着物や洋服に困ったら、高価で華美なものだけにとらわれるのではなく、この『わきまえ』=他人との関係も頭のすみっこにでも入れて置いておかれたら、と想います。

着物だけではありません。洋服でも同じ事です。

洋服を着ていても、日本人としての心を忘れない。

これこそが、日本の文化だと私は思うんです。

着物を着ていくとき、主体は着物ではなく自分自身であり、賞賛されるべきものも、着物ではなく、その方、ご自身なのです。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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