第4章 顧客
はじめに、なぜ、顧客の構成に関心を持つのかが書かれています。
?どんな人が集まっているのかに注目するのかは、観客の一人となる事が個人の幸福に繋がると信じるからである。
?チケットの価格決定や流通方法を検討するには、観客の特徴を知らねばならないからだ。
?政府支援の問題と結びついている。
?効果的なマーケティングを指針とすれば、当の商品を必要とする人々の事を全くしらない訳にはいかない。
それから色々と細かく書いてあるのですが、結論としては、
?ジャンルや都市や公演は違っても、観客構成には注目すべき一致が見られること。
?観客はアメリカ人口のかなり狭い部分から集まっている。概して、観客は驚くほど高学歴で、高所得、主に専門職で、青年から中年のあいだである。
?観客の層と動員数をもっと大きくしようとしたり、学歴が低い人やそれほど裕福でもない人の興味をひこうとしたりしても、これまでのところその効果はたいして上がっていない。
?観客の構成は入場料を無料にしても変わらない結果が出ている。
現実にはもっと細かく書かれていますが、要旨をまとめれば以上のような事です。
これは1960年代のアメリカでの事ですが、いまの我が国の舞台芸術の状態と比べてどうでしょう。
この時代のアメリカに於いては、統計上は男性の観客が女性よりも多い、ということになっています。
性別・・・男性が多いがほとんど変わらない(データの信憑性に疑問)
年収・・・高収入
学歴・・・非常に高い(大学院以上が多い)
職業・・・専門職
これが舞台芸術の主な観客の特徴です。
我が国においてはどうでしょうかね?
性別・・・圧倒的に女性が多い
年収・・・高収入が比較的多い
学歴・・・相対的に高い
職業・・・???
という感じでしょうか。
舞台芸術を見にらっしゃる方は、お友達にどんな方が多いか考えてみてください。
私の場合、能をよく観に行きますが、誰かと一緒に観に行くということはほとんどありません。
良く観に行くという人は、謡曲や仕舞・お囃子を習っているという人が多いです。
それも圧倒的に女性が多い。
文楽もよく行きますが、これはもう少し範囲が広いですが女性が圧倒的ですね。
感覚的には女性9に対して男性が1という感じでしょうか。
所得層は、これは解りませんが、女性でも自分で仕事をしていて収入があり、標準以上の生活をされていることが多いと思います。
学歴、これも聞いたこと無いので解りませんが、大学・短大以上じゃないかと思います。いまじゃ、標準以上という感じですかね。
職業はさまざまですが、女性が多いので割と時間のある自由業、OL,専業主婦が多いのでしょうか。
と考えてみると、女性が圧倒的という以外は、標準以上であれば、ひとそれぞれという事がいえるのでしょうか。
じゃぁ、何が舞台芸術を観に行く決め手になっているのでしょうか。
私は、ライフスタイルや価値観、そしてそれの元になる環境というのが大きいのではないかと思います。
今のアメリカであれば違う結果がでたかもしれませんが、我が国とアメリカの歴史の長さ、国の成り立ちの違いも大きいのだろうと思います。
お金をたくさん持っていたり、学校でたくさん勉強したりしても、舞台芸術を見たいと感じるとは私には思えません。
当時のアメリカでは、その層にいれば観に行かねばならないような社会構造になっていたんじゃないでしょうか。
日本では、能や文楽を観に行かなくても、オーケストラの演奏を聴きに行かなくてもバカにされることはありません。
詳しくは知りませんが、当時のアメリカはそうじゃなかったんじゃないでしょうか。
金持ちが絵を買い集めるというのも同じような精神構造じゃないでしょうか。
我が国では美術品を買い集めれば、良く言われて『好事家』『趣味人』、悪く言われれば『成金』『道楽』で、特に尊敬されることは無いように思います。
それが尊敬に値するかどうかは、その人がどんな家に生まれ、どんな社会活動をしてきたか、で決まっているような気がするんです。
骨董の収集家が尊敬されているなんてはなしはあまり聞いたことがありません。
伝統的なものだけでなく、宝塚歌劇や劇団四季をしょっちゅう観る人が高尚な趣味を持っていると思われることもない。
当時のアメリカでは、オペラやクラッシック音楽の場に行き、それを理解できる様でないと、社交界で恥をかくような環境があったんじゃないでしょうか。
日本でもかつてはそうでしたよね。
戦国時代は和歌、連歌、茶道、能楽をたしなんでいなければ、一流の武将や商人とは見なされなかった。
そこで、ひとつの社会が出来上がっていたんでしょう。
ところが、我が国でもアメリカでも、階層社会が壊れて、金銭が主役となった。
文化を理解しようがしまいが、どんな下劣な人間でもお金さえ持っていれば、偉いとされ、その人達が集まって、これもまた社会を支配する構造になってしまった。
これは、すなわち社会の価値構造の転換、クーデターが起こったわけです。
先日、茶道の宗匠がおっしゃっておられましたが、むかしは『茶人』という言葉がありました。
茶人というのは、茶道を歩む人、すなわち、文化人・趣味人として尊敬の念を表した言葉です。
ところが今は『茶道教授』と呼ばれる。
つまり、茶道を教える事を生業としている人、とされてしまうわけです。
それだけ芸術・文化の社会的価値が認められなくなっていると言うことですね。
当時、まだそこまで行っていなかった時代でも舞台芸術は厳しい状況に置かれていたわけですから、今はなおさらでしょう。
この本を読み進むに当たっては、時代の違い、そして国の違いを念頭に置いておかねばなりませんね。
まだまだ、前提となる分析がつづきます・・・
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