もずやと学ぶ『芸術と経済のジレンマ』第3話

連休で時間があるので、書けるだけ書いときますね。

【第2章 組織】

ここでは、各舞台芸術の組織と歴史について触れられて居ます。

はじめに、

『一概に舞台芸術といっても、それは、その構成要素について常に一挙に語りうる均質な統一体を構成していないことが示されるだろう』

『企画の規模、芸術的・財政的目標、組織の古さ、経営構造の複雑さにおいて実にさまざまなのである』

つまり、舞台芸術の財政難というのは、その組織のあり方に問題があるのだとは言えないということでしょうね。

著者はこの組織と歴史に触れることの目的について、

『今ある芸術を生き延びさせてきたグループの、豊かで変化に富んだ個性に触れて頂くためである』

としています。

いろいろな特徴があって、それを踏まえて全体像を観ていこうということですね。

これは工芸にも言えることで、染織とか陶芸とか個々に観るのではなくて、工芸全体としてみる。そしてさらには、舞台芸術、工芸と分けてみるのではなく、芸術全体として観てみるという視点が大事だと私も思います。

では、それぞれ見ていきましょう。

[オーケストラ]

米国ではずば抜けて長い歴史を持ち、今回の本を書く上で統計分析の核となったということです。

そして、

オーケストラの初期を財政面から見た場合、極めて特徴的なことは、どれほどまでに支援を少数の非常に裕福なパトロンに仰いでいたか、ということである。

こう書かれています。

また、

だからといって、オーケストラの初期には財政的な危機がなかったなどと結論づけてはならない。総じて自体は反対であり、その事例を挙げるのは容易である。

とも書かれています。

組織面では、事業規模が小さい割には組織が大きくて、大オーケストラは通常30人ほどの経営スタッフを抱えている、ということです。

今はどうなのか、日本ではどうなのか、私は知りませんが、オーケストラの演奏家の数と比較したらいかにスタッフが多いかよくわかるでしょう。

[商業演劇]

米国での商業演劇の流れは以下のようになるようです。

ストック・システム:地元劇団とある劇場が永続的に結びつく

1820年頃から著名な英国の俳優・女優が米国を巡業し、地元劇団と共演をはじめる。

英国の名優に影響された米国の俳優・女優がストック劇団の演技水準に満足しなくなる。

共同体(コンビネーション)システムとなる(1890年頃):スターを抱えて巡業

演劇が大きなビジネスとなる=価格支配カルテル(シンジケート)の傘下に入る。

スターの法外な給料、不況の到来が深刻な影を落としはじめる・・・

という流れです。

組織面では

商業演劇がオーケストラとはっきり区別される特徴は、商業演劇の組織が永続性を持たないということである。

つまり、ある制作ごとに参加するその他のすべての人々(演出家、俳優、プランナー等)はあたらしい企画ごとに集められる。

そして、

1つの制作についてコントロールの及ぶ範囲が、プロデューサーと、演劇の上演される劇場主との間で截然別れている。

とう特徴があるそうです。

歴史的流れをみれば解るような気がしますよね。

[オフ・ブロードウェイ演劇]

はじめの前提としてこう書かれています。

『一般に、オフ・ブロードウェイはニューヨーク市における最も実験的な演劇の場である。それは、グリニッジ・ビレッジ103番街にかけてマンハッタンの様々の場所にある小劇場である。オフ・ブロードウェイの企画がかなりの利益をあげることは滅多にない。それにもかかわらず、オフ・ブロードウェイはあたらしい脚本家、新人の演出やほとんど無名の俳優達に作品の発表の場を提供し続けようとしてきた』

1963-4年に急速に伸びてきたオフ・ブロードウェイですが、その経済状態は常に不安定で、1964−5年のシーズンには著しく下降し、活動が停止するのではないかと危ぶまれた、ということです。

そして、その理由のひとつとして、このシーズンはじめに起こった俳優組合の最低保障賃金の上昇が挙げられてきた、んだそうです。

それまでの俳優への報酬は非常に少なかったのも事実で、他の仕事に移った人も多かったそうです。それに対して商業演劇以外の演劇を確立しようとする動きもあったようですが、あらかたうまく行かなかったということです。

『収益よりも芸術的水準や実験精神が優先する、商業的色彩の薄い演劇への希求の最初の出現が第二次世界大戦以降の発展の結果だと断定できなことだけはあきらかである』と結論づけています。

『はっきりさせておかなければならないのは、オフ・ブロードウェイのほとんどがある意味で商業的だと言うことだ』

商業的であるということ、芸術的・実験的であるということ・・・

この時期の米国では、芸術性が高ければ興業は成功する、流行らないのは芸術性・実験性が低いからだ、という話があったのでしょうか。

著者は、芸術性・実験性の問題ではない、と感じている様です。

あくまで商業的・営利的にやって、それでも上手くいかないのだ、という事なのですね。

そして、

『肝腎なのは、オフ・ブロードウェイの劇場は、実際には投資家、プロデューサー、上演者から補助を受けており、少ない金でも仕事をしたいという彼らの意欲こそが、どんなパトロンの贈与に負けぬほどの、目に見える財政上の寄与となっていることである。』

なるほど、ですね。

オフ・ブロードウェイの劇場は、明日のスターを夢見て、少ない報酬で舞台に立つ人達によってなんとか成りたっているということなんですね。

もし、その体制が壊れたら、ひとたまりもないということですね。

つまり、劇場としたら、『舞台使わせたってる』という感じなわけです。

演劇をやる人は、極端な話が、『タダで良いからやらせてほしい』

スター街道の道のりとして、これは存在意義のあることかも知れませんね。

でも、いつまでも続くわけではありません。

あくまでも過程だから、これでいけるわけです。

本来プロの世界というのはこういうモノで、これを経て、本物になった人だけが一流の舞台に立てるというのが本当なんだろうと思います。

我が国ではそうともいえませんからね。

それが、すべての世界で堕落を生んでいる原因だと思います。

[地域集団]

とばします

[オペラ]

『グランド・オペラの経済面での顕著な特徴は、その運営が極めて複雑であり、しかも上演に金がかかることである。実際、この芸術ジャンルは、その他の舞台芸術が抱える経済的負担をすべて併せ持っている』

ひとつのオペラを上演するのに、しめて総勢200〜300人必要なのだそうです。

それで、オペラハウスの収容人員は4000名くらいだそうですから、一人の実演家に対して20人の顧客ということになります。

それで、スターを入れないと観客があつまらないと来ている訳ですから、算盤があうわけないですよね。。

この時期、1964−65年のメトロポリタン・オペラの赤字が150万ドルだったんだそうです。

150万ドル・・・1ドル360円の時代です

いくらですか・・・

100円で1億5千万円でしょう。ということは、4億8千万円・・・当時のお金ですよ・・・

私が生まれた1964年ころ、アイスクリームは10円でした・・・

実演者だけでなくて、それ以外にも莫大な数の経営スタッフがいるそうです。

[舞踊]

『現代舞踊は、ジャズを別にすれば、アメリカが作り出し、アメリカ人が明らかに他よりも秀でた唯一の舞台芸術である。従って現代舞踊が、国際的に高い評価を受けてきたにも関わらず、我が国の芸術ジャンルの中で最も貧しいジャンルであるということは奇妙な事である』

『不思議なのは、我が国の舞踊団の多くが、外国では、世界のいかなる舞踊団にもひけをとらない程に喝采を受けているにも関わらず、国内での観客動員数において外来のバレエ団にかかろうじて追いつけたのは、ニューヨークシティ・バレエのみだという事実である。』

これは、日本の古典芸能を考える上でヒントになる事柄かもしれませんね。

文楽が東京ではチケットが取れないほどの人気なのに、大阪の文楽劇場はガラガラというのも理由がわかる気がします。

芸のレベルや芸術性の高さではなく、観客動員は『興味』によって影響されるということじゃないでしょうか。

玄人受けする『ほんまの芸』と一般受けねらった客引き。

どないしたら、両立するんでしょうか。

まだ、先は長いので、だんだん考えて行きたいと思います。

[地理的分散]

結論としては、

ニューヨークに集中しているように思われがちであるが、遙かに広く合衆国全土に分散している。

ということです。

そして、この章の最後として、

合衆国において、舞台芸術の組織が、規模、運営の複雑さ、ある特定のジャンルに含まれる団体の数など、思い浮かぶほとんどすべての点において、極めて多様であることを、私たちは見てきた。その多様性にも関わらず、これらの組織の財政的な問題が、ある共通した原因に帰因するものであろうという事を示すつもりである。

と書かれています。

つまり、いろいろあるけども、みんなお金でこまっとる。その原因はたぶん、一つや、というわけです。

これから具体的な話に入っていくんですね。

第3章は『カルチャーブーム:その証拠の再点検』です。

連休で時間があるので、書けるだけ書いときますね。

【第2章 組織】

ここでは、各舞台芸術の組織と歴史について触れられて居ます。

はじめに、

『一概に舞台芸術といっても、それは、その構成要素について常に一挙に語りうる均質な統一体を構成していないことが示されるだろう』

『企画の規模、芸術的・財政的目標、組織の古さ、経営構造の複雑さにおいて実にさまざまなのである』

つまり、舞台芸術の財政難というのは、その組織のあり方に問題があるのだとは言えないということでしょうね。

著者はこの組織と歴史に触れることの目的について、

『今ある芸術を生き延びさせてきたグループの、豊かで変化に富んだ個性に触れて頂くためである』

としています。

いろいろな特徴があって、それを踏まえて全体像を観ていこうということですね。

これは工芸にも言えることで、染織とか陶芸とか個々に観るのではなくて、工芸全体としてみる。そしてさらには、舞台芸術、工芸と分けてみるのではなく、芸術全体として観てみるという視点が大事だと私も思います。

では、それぞれ見ていきましょう。

[オーケストラ]

米国ではずば抜けて長い歴史を持ち、今回の本を書く上で統計分析の核となったということです。

そして、

オーケストラの初期を財政面から見た場合、極めて特徴的なことは、どれほどまでに支援を少数の非常に裕福なパトロンに仰いでいたか、ということである。

こう書かれています。

また、

だからといって、オーケストラの初期には財政的な危機がなかったなどと結論づけてはならない。総じて自体は反対であり、その事例を挙げるのは容易である。

とも書かれています。

組織面では、事業規模が小さい割には組織が大きくて、大オーケストラは通常30人ほどの経営スタッフを抱えている、ということです。

今はどうなのか、日本ではどうなのか、私は知りませんが、オーケストラの演奏家の数と比較したらいかにスタッフが多いかよくわかるでしょう。

[商業演劇]

米国での商業演劇の流れは以下のようになるようです。

ストック・システム:地元劇団とある劇場が永続的に結びつく

1820年頃から著名な英国の俳優・女優が米国を巡業し、地元劇団と共演をはじめる。

英国の名優に影響された米国の俳優・女優がストック劇団の演技水準に満足しなくなる。

共同体(コンビネーション)システムとなる(1890年頃):スターを抱えて巡業

演劇が大きなビジネスとなる=価格支配カルテル(シンジケート)の傘下に入る。

スターの法外な給料、不況の到来が深刻な影を落としはじめる・・・

という流れです。

組織面では

商業演劇がオーケストラとはっきり区別される特徴は、商業演劇の組織が永続性を持たないということである。

つまり、ある制作ごとに参加するその他のすべての人々(演出家、俳優、プランナー等)はあたらしい企画ごとに集められる。

そして、

1つの制作についてコントロールの及ぶ範囲が、プロデューサーと、演劇の上演される劇場主との間で截然別れている。

とう特徴があるそうです。

歴史的流れをみれば解るような気がしますよね。

[オフ・ブロードウェイ演劇]

はじめの前提としてこう書かれています。

『一般に、オフ・ブロードウェイはニューヨーク市における最も実験的な演劇の場である。それは、グリニッジ・ビレッジ103番街にかけてマンハッタンの様々の場所にある小劇場である。オフ・ブロードウェイの企画がかなりの利益をあげることは滅多にない。それにもかかわらず、オフ・ブロードウェイはあたらしい脚本家、新人の演出やほとんど無名の俳優達に作品の発表の場を提供し続けようとしてきた』

1963-4年に急速に伸びてきたオフ・ブロードウェイですが、その経済状態は常に不安定で、1964−5年のシーズンには著しく下降し、活動が停止するのではないかと危ぶまれた、ということです。

そして、その理由のひとつとして、このシーズンはじめに起こった俳優組合の最低保障賃金の上昇が挙げられてきた、んだそうです。

それまでの俳優への報酬は非常に少なかったのも事実で、他の仕事に移った人も多かったそうです。それに対して商業演劇以外の演劇を確立しようとする動きもあったようですが、あらかたうまく行かなかったということです。

『収益よりも芸術的水準や実験精神が優先する、商業的色彩の薄い演劇への希求の最初の出現が第二次世界大戦以降の発展の結果だと断定できなことだけはあきらかである』と結論づけています。

『はっきりさせておかなければならないのは、オフ・ブロードウェイのほとんどがある意味で商業的だと言うことだ』

商業的であるということ、芸術的・実験的であるということ・・・

この時期の米国では、芸術性が高ければ興業は成功する、流行らないのは芸術性・実験性が低いからだ、という話があったのでしょうか。

著者は、芸術性・実験性の問題ではない、と感じている様です。

あくまで商業的・営利的にやって、それでも上手くいかないのだ、という事なのですね。

そして、

『肝腎なのは、オフ・ブロードウェイの劇場は、実際には投資家、プロデューサー、上演者から補助を受けており、少ない金でも仕事をしたいという彼らの意欲こそが、どんなパトロンの贈与に負けぬほどの、目に見える財政上の寄与となっていることである。』

なるほど、ですね。

オフ・ブロードウェイの劇場は、明日のスターを夢見て、少ない報酬で舞台に立つ人達によってなんとか成りたっているということなんですね。

もし、その体制が壊れたら、ひとたまりもないということですね。

つまり、劇場としたら、『舞台使わせたってる』という感じなわけです。

演劇をやる人は、極端な話が、『タダで良いからやらせてほしい』

スター街道の道のりとして、これは存在意義のあることかも知れませんね。

でも、いつまでも続くわけではありません。

あくまでも過程だから、これでいけるわけです。

本来プロの世界というのはこういうモノで、これを経て、本物になった人だけが一流の舞台に立てるというのが本当なんだろうと思います。

我が国ではそうともいえませんからね。

それが、すべての世界で堕落を生んでいる原因だと思います。

[地域集団]

とばします

[オペラ]

『グランド・オペラの経済面での顕著な特徴は、その運営が極めて複雑であり、しかも上演に金がかかることである。実際、この芸術ジャンルは、その他の舞台芸術が抱える経済的負担をすべて併せ持っている』

ひとつのオペラを上演するのに、しめて総勢200〜300人必要なのだそうです。

それで、オペラハウスの収容人員は4000名くらいだそうですから、一人の実演家に対して20人の顧客ということになります。

それで、スターを入れないと観客があつまらないと来ている訳ですから、算盤があうわけないですよね。。

この時期、1964−65年のメトロポリタン・オペラの赤字が150万ドルだったんだそうです。

150万ドル・・・1ドル360円の時代です

いくらですか・・・

100円で1億5千万円でしょう。ということは、4億8千万円・・・当時のお金ですよ・・・

私が生まれた1964年ころ、アイスクリームは10円でした・・・

実演者だけでなくて、それ以外にも莫大な数の経営スタッフがいるそうです。

[舞踊]

『現代舞踊は、ジャズを別にすれば、アメリカが作り出し、アメリカ人が明らかに他よりも秀でた唯一の舞台芸術である。従って現代舞踊が、国際的に高い評価を受けてきたにも関わらず、我が国の芸術ジャンルの中で最も貧しいジャンルであるということは奇妙な事である』

『不思議なのは、我が国の舞踊団の多くが、外国では、世界のいかなる舞踊団にもひけをとらない程に喝采を受けているにも関わらず、国内での観客動員数において外来のバレエ団にかかろうじて追いつけたのは、ニューヨークシティ・バレエのみだという事実である。』

これは、日本の古典芸能を考える上でヒントになる事柄かもしれませんね。

文楽が東京ではチケットが取れないほどの人気なのに、大阪の文楽劇場はガラガラというのも理由がわかる気がします。

芸のレベルや芸術性の高さではなく、観客動員は『興味』によって影響されるということじゃないでしょうか。

玄人受けする『ほんまの芸』と一般受けねらった客引き。

どないしたら、両立するんでしょうか。

まだ、先は長いので、だんだん考えて行きたいと思います。

[地理的分散]

結論としては、

ニューヨークに集中しているように思われがちであるが、遙かに広く合衆国全土に分散している。

ということです。

そして、この章の最後として、

合衆国において、舞台芸術の組織が、規模、運営の複雑さ、ある特定のジャンルに含まれる団体の数など、思い浮かぶほとんどすべての点において、極めて多様であることを、私たちは見てきた。その多様性にも関わらず、これらの組織の財政的な問題が、ある共通した原因に帰因するものであろうという事を示すつもりである。

と書かれています。

つまり、いろいろあるけども、みんなお金でこまっとる。その原因はたぶん、一つや、というわけです。

これから具体的な話に入っていくんですね。

第3章は『カルチャーブーム:その証拠の再点検』です。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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