予告通り『芸術と経済のジレンマ』の勉強をはじめたいと思います。
教科書はこれです。
1966年にアメリカで出版された本ですから、私が2歳の時ですね。
いままでの染織マーケティングや商道風姿花伝とはちがって、舞台芸術を主な対象としているので、私は完全な素人です。
しかし、この本の出版を契機にして、世界各地でメセナ(芸術助成)の動きがはじまり、大学にもアートマネジメント学部が創設された琴をかんがえれば、舞台芸術と経済の関わりを考えることは、他の芸術にも参考になるだろうと思ってはじめます。
私は昨年まで大阪芸術大学の通信教育で勉強していましたが、そこにもアート・マネジメントという講義がありました。でも、その内容はeconomicsもmarketingのかけらもないばかりか、それを完全否定していました。
講義を担当していた教員に『アートマネジメントを勉強したいのだが、どこかに先生はいないか?』と聞くと『居ない』としか答えない。
我が国のアートマネジメントとはそのレベルなんですね。
アートをどうしてもお金と切り離したがるわけです。
最近、kindleという英書を読むブックリーダーを買いました。アメリカ版なので英語の本しか読めません。
そこで、art management と検索してみると、ズラーッとでてくるわけです。
ところが日本の本は・・・ヘボい本が1〜2冊あるだけで、どうしようもない状態です。
それで、購入したのが前述の『ハンスアビング・金と芸術』そしてこの本です。
私は経済学者でもありませんし、舞台芸術の専門家でもありません。
しかし、染織という世界でものづくりや表現というものに向かい合い、かつ、作り手の生活を考えなければならない立場にあります。
また、趣味の部分では、謡曲・仕舞を学び、能楽や文楽を好んで観ています。
この本を読みながら、様々な考察をし、いま大阪で問題になっている文化助成削減の問題や、私の専門である染織・工芸の世界の事を考えていきたいと思います。
知識が不足していますので、『これはちがうで!』というのもあると思いますが、その時は、ご意見を頂ければ幸いです。
私のスタンスはまずは自助を考えるべきだ、というものです。
自助を考えた上で、次はそれを愛するファンがどう支えて行くか。
そして、それで足りないところを金銭だけでなく様々な形で公的な助成をしていくのが本来の形だろうと思っています。
前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。
【初めの部分】
『舞台芸術公演において危機というものが明らかに一つの日常的な現実となっている。期待はずれのシーズン、費用の高騰、切迫した募金運動、助成財団への必死の訴えについて新聞が書かない日はない』
これがこの本の冒頭に書かれている文章です。
1960年代なかば、アメリカの芸術文化状況が悪化し、ブロードウェイの劇場が相次いで公演中止に追い込まれる窮状に直面したそうです。
そこで、W.J.ボウモルとW.G.ボウエンはケーススタディに基づいてこの本を著したということです。
この研究によって、舞台芸術は経済的に自立不可能であり、経済一般の発展の中で赤字が年々増大せざるを得ない事がはじめて科学的に立証された、と書かれています。
そこでメセナ活動やアートマネジメント学部の創設が相次いだわけですね。
『現代の芸術文化の創造が公的ないし、民間の支援つまりメセナなくしては存続し得ないことが、実証的に見事に証明されている。マスプロの現代産業は、合理化と機械化によって生産コストを引き下げ利益を上げることが出来るが、舞台芸術にそうした合理化は一切不可能、人件費の高騰、インフレの影響をもろに被って放置すればブロードウェイの灯は消えるしかない・・・』
つまりメセナが無くなったら高度な舞台芸術は消え去るしか道がない、と言うことがこの研究で明らかになった、ということです。
まず、これがこの本の結論であるということをおさえておいてください。
そして、
『本書では芸術の将来を担う人々の眼前に大まかな選択肢を描き出すにとどめ、問題の解決法にまで踏み込む事をしない』と書かれています。
とりあえずは『なんしか、あかんのです。どないするかは、みんなで考えてください』ということですね。
じゃ、考えましょう!
メセナが無くなったら、高度な舞台芸術は無くなるんだとしたら、本質的な問題は、それを残し、維持するのかどうかという事になるわけですね。
舞台芸術の存在意義、そして、工芸まで含めたアート全体の存在意義も含めて考えてみたいと想いって居ます。
かなり分厚い本ですし、読み込みも必要なのでとりあえず、各週末に1回ずつ書いていきたいと思います。
高価な本ですし、内容も紹介していきますね。
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