もずやと学ぶアーツ&クラフツの意義

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』の意義

来年からはじめる、『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』について、なぜ今、この話を書きたいのか、をお話ししておきたいと思います。

一番は、その流れなんですね。

ヨーロッパの王政の崩壊から、近代機械産業の発展、消費の主役の交代、その流れとともに、アーツ&クラフツ、アールヌーボー、アールデコと移っていきます。

この流れを宗教、哲学、思想、経済、芸術、工芸と並べて見ていくと、この先、私達が何を目指せばいいのか、何を取り戻さねばならないのかが解るのではないかと想うんです。

今の芸術論、工芸論は昔から言われてきた物ではありません。

ほんの100年ほどの歴史しかない。

機械産業の隆盛で、町には失業者が溢れ、同時に、機械生産による美を伴わない品物が生活に入り込む。

ウィリアムモリスの運動も、彼が社会主義者だったことを忘れては語れないのです。

しかし、モリスの作った品物も結局は庶民の暮らしには程遠い高価なものだった。

アールヌーボーも同じです。

そこで生まれたのが、『デザイン』をメインにしたアールデコです。

機械生産により、洗練されたデザインのものが数多く、廉価に市場に行き渡るようになった。

この時点で、『手仕事はデザインに敗北した』といえるかもしれません。

そして、その流れは今も続いていて、デザイン自体も衰退し、機能と価格が最高の訴求内容となってきています。

安い、温かい、丈夫等々・・・

デザインの美しささえ顧みられなくなる。

建築もアールヌーボー・アールデコの代表選手ですが、建築さえも無機質な機能最優先のものばかりになってきています。

つまり、生活の全てから美しさが消えようとしているのです。

19世紀末からの流れをみると、それは上流から下流へ、高きから低きに流れる、必然と言えるかも知れません。

工芸に身を置く方々は、その流れに身を任せるのか、あるいは、流れに逆らってあくまで美しさを追求するのか。

そして、その美しさは何によって表現するのか?

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉があります。

私は、この話の中で、読んでくださる皆さんに一方的な方向付けをするつもりはありません。

無論、私の主観、哲学、人生観が話の中にも大きく反映してくるとおもいますが、それに気を取られないで、歴史の流れを把握して、自らの頭でこれからの自分の方向性を考えて欲しいのです。

また、芸術や工芸のありかた、政治や宗教、哲学とどのように関わってきたのかを知り、また芸術・工芸の様々な分野がどのように影響しあってきたのかも知って欲しいと想います。

そして、その中で日本の民藝論をどのように位置づけるべきなのか、も考えてもらえたら、と想います。

あくまで、このブログは私の書きたいように書きます。

独断と偏見で書きます。

それに反対意見を持たれるのもいいでしょうし、共感されるのももちろん結構です。

どちらにしても、学びを深め、自分の立ち位置をしっかり見据えるきっかけになればと想っています。

話の流れとしては、先にあげたテキストを元に、アールヌーボー→アールデコ→民藝論と進んでいきます。前二つはヨーロッパ中に話が飛びますし、他分野にまたがった話になりますので、かなり時間がかかるかもしれません。

私も大好きな分野の話なので、楽しみながら書いていきたいと想います。

年が明け次第、開始しますので宜しくお願い致します。  

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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